にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

東京と大阪の当事者会の違い8 大阪の課題 幻想

この当事者会から約半年ぐらい経ったある日、発達界隈のTwitterにおいて、なんか当事者会では揉め事が多い、というツイートが流れたことがあった
 
そのときにビックリしたことがあった
 
その一連のツイートの中で、なんと前述したBさんが
関西の当事者会はそんなことないですが、東京は事情が違っていて揉め事が多い
とかリプライしていた
 
えっ・・・?何を言ってるの・・・?
当事者会においてAさんが別の当事者会で揉め事を起こした件について
「やっぱりAさんはあかんなぁ。そんなんやからあかんねん」
「Aさんはなんなんやろね、ホンマに」
とか、約1時間もの間、自分のような他の新規のお客さんほったらかしにして、ひたすらAさん叩きに夢中になってた喜んでいたクセに何を言ってるの??
「関西の当事者会はそんなことない」
って何の冗談だ?自分のやったことを忘れたのか?
頭沸いてるのかお前?
 
 
 
おっと、言葉が過ぎたか・・・失礼した
大阪や関西の発達界隈の人で
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という人がいるけど、これは幻想とか都市伝説じゃないかと思う
 
 
というか、
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない
と言ってる人って、どういう根拠で言ってるんだろう
 
個人的には
  1. S氏事件の余波
  2. レベルが低いだけ
  3. 自分が考えてないだけ
  4. 関西人の思い込み
が根拠になっているんだと思う
 
 
 
まず「1、S氏事件の余波」について
たしかに3年前はネット上で激しく醜い争いをずっとやっていたから、「東京の当事者会は揉め事が多い」と言われても仕方がない
これは擁護のしようがない
 
ただ、3年も前の出来事で、あの無駄な争いから
「争いは意味がない」
と思う人が増えたのか、そういう変な争いはだいぶ減った気もするけどなあ
それにしてもS氏事件は東京の恥さらしだな・・・
 
 
 
 
 
2、レベルが低いだけ
大阪や関西の当事者会はレベルが低いので
 
  • 自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
  • 自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
  • 他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
  • 話がやたらと長い
  • 同じ話を何度も繰り返す
  • 「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
  • 他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
  • 他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
という人でも、
  • 一方的なマシンガントークをして、人の話をほとんど聞かない
  • 他人をバカにしまくったり、ディスりまくる
  • 他人にあまりにも多くの迷惑をかける
 
とかのよっぽどひどい場合は困ったちゃん呼ばわりされるけど、そこまで他者に迷惑をかけない場合は「まだマシな人」と呼ばれることが多い
このように大阪や関西の当事者会は困ったちゃんになるまでの判定が甘い傾向がある
 
ところが東京はレベルが高いので、上記の人でも困ったちゃん扱いになりやすい
東京のほうが判定が厳しいイメージがある
だから大阪、関西の当事者会では「まだマシなほう」と呼ばれていた人が、東京の当事者会に行ったら困ったちゃん呼ばわりされたり
逆に東京の当事者会では困ったちゃん呼ばわりされていた人が、大阪、関西の当事者会に行ったら「まだマシなほう」と呼ばれる可能性がある
 
東京の当事者会のほうが、すぐに困ったちゃん呼ばわりされやすいから、すぐに問題視されて揉めやすい気もしないでもない
 
 
あと、東京の当事者会はレベルが高いので、結構バリ層、バリに近いギリ層の人も顔を出すことがある
日頃は社会人サークルとかの定型の人と遊んでるけど、たまに当事者会にも顔を出すという人も多い
だから発達障害の当事者と言っても
発達障害には理解と配慮が必要」
という意見と
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
という意見が混在している
 
まあ東京は当事者会がたくさんあるから、自分にあったところを選べばよいけど
 
 
ところが大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多く、ムリ層やギリ層の声が大きいので
発達障害には理解と配慮が必要」
という意見が主流で
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
という意見は同調圧力で潰されやすい
 
自分もある関西の当事者会でそうやって潰された
 
「定型社会の普通はこうあるべき、という同調圧力発達障害の人を苦しめているんだ!」
と主張するくせに、気に入らない他者には同じように同調圧力で潰すんだな
自分だけ良ければ、自分さえ救われればそれで良くて、他人のことなんざ本当のところはどうでもいいんだな・・・
 
人間のクズめ
 
まあ本当に精神を病んでてしんどい人とか、努力や工夫ではどうにもならない人とかは、
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
とか言われるのはウザいというのはわかる
でもそれならば、発達障害って空気が読めない人が多いので
「この会はとても生きづらさやしんどさを抱えている当事者の会なので、工夫や努力で社会適応していくべき、とか抜かす人は来ないでください。というか消えろ、ファッキュー」
とはっきり明記したらいいんじゃないですか
 
 
 
 
おっと、大阪や関西の当事者会への愚痴が過ぎたか・・・・
 
このように大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多く、ムリ層やギリ層の声が大きいので
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応して、定型社会で通用していけるようにしていくべき」
という意見だと、浮いてしまって周りと合わなくなりやすいので、卒業するしかない
 
 
発達障害には理解と配慮が必要」って意見でまとめすぎることによって、発達障害の人の可能性を狭めている気はしますけどね
 
 
ムリ層、ギリ層、バリ層、の格差というよりは
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応して、定型社会で通用していけるようにしていくべき」
という考えの発達障害の人の居場所がないのが、今の大阪や関西の当事者会の課題という気がする
 
まあ、当事者会、自助会とは何か?
と考えたときに、定型社会に対して工夫や努力をしてもなかなか適応できず、除け者にされている発達障害の人たちが、生きづらさを一人で抱え込むのではなく、みんなで生きづらさを話し合って分かち合う居場所が当事者会や自助会だ。上(定型社会)に行ける人はさっさと上(定型社会)に行って、当事者会や自助会から去れ、さっさと消えろ、というのは一理ある
 
それで大阪や関西の当事者会は
発達障害には理解と配慮が必要」
という考えでまとまっている、ので東京よりまとまっている、ということは言えるかもしれない
 
 
 
「ムリ層向け」「ギリ層向け」「バリ層向け」とかもっといろんな当事者会があればいいのかもしれない
あと前から言ってる通り、大阪の当事者会でももっと「何かをする会」みたいなんが増えるといいのにな
 
まあ、大阪や関西の有名な当事者会に反発して、有志で新たに当事者会をいろいろ開いていたりして、それから新たなコミュニティみたいなのができているらしいので、これから発展して進化していくかもしれない
 
東京でも「バリ層向け」を謳って新たに始めたが、いろいろ問題が起きてしまっていても、今は閉店しているが「バリ層向け」というだけで根強い人気があったりする会もあるから
「バリ層向け」の会がないのは東京大阪共通の当事者会の課題と言えるのかもしれない
 
 
 
 
 
 
3、自分が考えてないだけ
 
先述したように大阪、関西の当事者会は権威主義、というか広野さんや石橋さん至上主義みたいな雰囲気がある
それと
「みんながこう言ってるから」
「テレビとかメディアでこう言ってるから」
「広野さんがこう言ってるから」
「石橋さんがこう言ってるから」
といった感じで、人の意見に流される人が多い印象がある
 
大阪の当事者会はレベルが低いので
「自分はこう思う。こう考える」
と自分で考えて、自分で動く、ということができない人が多く
「みんながこう言ってるから」
人の意見に流される人が多いだけじゃないかと思う
 
「自分はこう思う。こう考える」
自分で考えて、自分で動く、ということをやって、自分の形やスタイルということができてくると
「みんなはこう言ってるけど、それはどうかと思う。違うんじゃないかと思うな」
「テレビとか『コロナウイルス感染拡大している中、オリンピックなんかやってる場合なのか??一刻も早く政府は中止の判断を下すべきではないのか??』とか散々言ってたクセに
いざ東京オリンピックが開会して競技が始まったら『金メダルおめでとうございます。いや~連日の日本人選手の活躍に興奮させられますね~』とか手のひら返ししてて草不可避w
マスゴミ氏ね」
「石橋さんがTwitterでこう言ってるけど、たしかにそのとおりだ!けど、あの意見には賛同できないなー」
 
という自分の考え、自分の意見というものが自然とできてくる
 
 
発達障害の当事者といっても、特性や性格は人それぞれ違う
発達障害でも楽しく幸せに生きたい
というところはいっしょだろうけど
発達障害でも楽しく幸せに生きるにはどうすればいいのか?
という部分は人それぞれ違うので、考えがバラバラになるはず
 
まあケンカや揉め事というのは良くないけど
発達障害でも楽しく幸せに生きるには、こうするべき」
「いや、違う!発達障害でも楽しく幸せに生きるには、ああするべき」
考えが違うから、意見が合わないのは自然なこと
そこからどんどん議論が起きるのは良いことだ
 
まあ発達障害は自分の都合しか考えられず、他人の事情などを考えられない人が多いので、会話のドッジボールになって終わるだけだろうが
 
大阪や関西の当事者会はまとまっているというより、単にそういう議論ができてないだけじゃないかと思いますね
 
 
 
 
4、関西人の思い込み
 
自分も実家は滋賀で関西人だからよく知っているが、関西人というものは東京を悪く言いがちである
東京は空気が汚い、水が汚い、人間が冷たいところだ」
とか言う人が多い
 
自分は昔に千葉県市川にも住んでいて、東京は知っていたので
「何言ってるんだこいつら。アホちゃうか。頭沸いてるのか」
としか思わなかったが
 
このように
東京は空気が汚い、水が汚い、人間が冷たいところだ。東京大阪より都会かもしれないが、やはり一番住みやすい場所は関西だ!」
という体にして、コンプレックスから東京を悪く言って、関西が一番だと言いたがる風潮がある
 
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのも、その一環という気はする
 
 
 
以上のように
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのは関西人のそう思い込みたいだけの幻想、嘘じゃないかと思う
 
 
 
 
 
そもそも東京大阪というのはだいぶ距離が離れている
全国で活躍するイベンターでもない限り、実際に東京大阪の当事者会に参加した上で、こういう発言をしている人は少ない、というか居ないんじゃないかと思う
 
だから東京大阪の当事者会を行き来して、双方の発達界隈の事情を熟知した上で
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
とちゃんと根拠があって言ってる人はいないと思う
 
根拠があったとしてもネットのTwitterを見た印象とか、ちょっとした発達界隈の知り合いの
東京の当事者会は揉め事が多いらしいよ」
といった伝聞が根拠になってるだけじゃないかと思う
 
 
 
自分は大学では歴史学科だったので、情報の根拠、ソースは大事にしています
だから当事者会や発達界隈を批評する際は、全部実際に当事者会に参加して自分の目と耳で感じたことをもとに書いています
 
当事者会や発達界隈における
「みんなそう言ってる」
もアレだけど
○○らしい
という情報は一番信用できない
 
 
アニメとか漫画の場合は
「あのアニメは神。最高。めちゃくちゃ面白い」
「このアニメはクソ。最低。何も面白くない」
とか言ってアニヲタに批評しているものを
実際に自分で見てみると
「『あのアニメは神。最高。めちゃくちゃ面白い』って言うけど、言うほど良いアニメか??ただのご都合主義で厨二病腐女子向けアニメじゃねーかw」
「『このアニメはクソ。最低。何も面白くない』って言うけど、言うほどクソアニメか??なんか結構面白いんだけどw」
ということも多いからな・・・
その人らにとってそうであっても、自分が見てそう思うとは限らない
 
 
同じく発達界隈のおいての
「あの当事者会は良いらしい」
「あの人はあんまり良くないらしい」
という情報は一応、参考にはしますけど、論拠にはしない
 
その「○○らしい」というのは、あくまでその人の感想であって、実際に自分も見たときにそう思うとは限らない
「どう良いのか?」「どう良くないのか?悪いのか?」
というところは実際に見てみないとわからない
発達障害の人って認知が歪んでいたり、字面をそのまま受け取るから、なんかちょっと良いことを言ってたら「あの人はすごい人だ」と評したりするので、あんまり信用できない事が多いですからね
 
それに
「あの当事者会にこの前に参加したら良かった」
「あの人はこの前に話したときにあまり態度が良くなかった」
というのであれば、その人の実体験なのでそこそこ信用はできるけど
「あの当事者会は良いらしい」
「あの人はあんまり良くないらしい」
というのは、その人がさらに別の人から聞いたものなので、もはや伝言ゲームと化しているので、信ぴょう性がかなり怪しくなってくる
 
あとネットの情報というのも、まともな人が書いているんだったらいいけど、変な人が書いているものかもしれないので、信ぴょう性が怪しいですね
 
このように
○○らしい
という情報は一番信用できない
 
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という情報も
○○らしい
という信用性がない情報がソースになっている気がする
 
 
 
 
 
まあ人間というものは、見たいものを見て、信じたいものを信じる生き物だ
 
 
仮に世界的権威のA教授が
発達障害は人類にとって不要なので早く抹殺するべきである。植松聖の言う通りで、障害者は不幸しか作れない」
という学術論文を発表して、これに対抗してB教授が
発達障害は人類における希望である。発達障害の人の保護、活用こそが、人類の進歩に必要である」
という学術論文が発表されたら、発達障害の当事者は
「B教授が正しい。A教授はインチキだ」
と言うと思うが
(本当にA教授が世界で正しいとされて支持されてしまっては、世界で発達障害へのジェノサイドが始まってしまう可能性があるので、
破滅願望や自殺願望でもない限り、立場上、黙って殺されるわけにいかないので必死にA教授の意見を否定せざるを得ないというものあるが
この事件もそうだけど
 
けどこの例はちょっと極端だったな・・・)
 
 
 
これと同じ様に
東京の当事者会は大阪よりもずっと進んでいて、非常に素晴らしい」
東京の当事者会は揉め事ばかりで、もはや世紀末や修羅の国と化していて惨憺たる状況である」
という2つの情報があったら、良い・悪い、正しい・間違っている、とかじゃなくて
基本的に信じたいものを信じる、自分にとって都合の良いものを信じるものだ
 
 
「私たちは、世界をあるがまま見ているのではなく、
私たちがあるがままの世界を見ているのであり、
自分自身が条件つけされた状態で世界を見ているのである。
・・・相手と意見が合わないと、相手のほうが間違ってると瞬間的に思う。」
 
「自分が変わらなければ 周囲の物事も変わらない
こういう考え方を「インサイド・アウト」なんて言う
問題はいつも自分の中にある」

 と『完訳7つの習慣 人格主義の回復』で書かれていますね

 
 
 
そもそも
東京の当事者会は大阪よりもずっと進んでいて、非常に素晴らしい」
東京の当事者会は揉め事ばかりで、もはや世紀末や修羅の国と化していて惨憺たる状況である」
の仮にどちらの状況だったとしても、大阪の当事者会にとってはどうでも良いことのはずなんですよね
だって東京大阪というのはだいぶ距離が離れているので、東京の当事者会がどうあろうと、大阪の当事者会でやることは変わらないはず
 
にもかかわらず
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という意見が出るのはなぜだろうね・・・?
 
大阪の当事者会は良い、素晴らしい」
と言えばいいものを
東京の当事者会は良くないが、大阪の当事者会は良い、素晴らしい」
と他を否定しなければ、自分たちの当事者会を肯定できないということかな
それほどまでに無価値なものなのだろうか
それとも、他のものを否定して安心感を得たいほどに、不安や劣等感が強いのかな
 
 
ちなみに東京の当事者会で、大阪の当事者会について話したら
「金輝っていう発達障害バーがあるんですよね」
「石橋って言う人がTwitterでいろいろ主張していますね」
と興味を持って聞いてくれる人が多いですが、そこまで関心や眼中にない人が多いですね
東京から見た大阪なんてそんなもんです、当事者会や発達界隈に限らず何でも
 
 
 
 
 
ここまで長々と少ない知見や経験をもとに、自分の主観に基づいた独断と偏見によって語ってきたが
個人的に思うに東京大阪の当事者会も揉め事の多寡は似たようなもんだと思う
所詮は自分の都合しか考えられない、コミュニケーション力に難がある社会不適合者が集まってるんだから、そりゃあいろいろありますよ
定型でも人がいろいろ集まると好き嫌いとか合う合わないとかありますし、ましては発達障害の人が集まってたら、いろいろありますよね
 
とはいっても、冒頭で言った通り
「この当事者会はこうである。こういった揉め事があった」
という話はできるだろうけど
東京の当事者会」
大阪の当事者会」
と一言で言っても、東京大阪も当事者会が数多くあり、開催場所、開催者、参加者などなどがそれぞれ違い、会の雰囲気や特徴もそれぞれ違うから
東京の当事者会はこうである。こういう傾向がある」
大阪の当事者会はこうである。こういう傾向がある」
と十把ひとからげに語ることはそもそもできない
 
だから
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのも、結局のところはそうだと信じたい人は信じればいいし、違うと思う人は違うと思えばいいんじゃないですかね
おわり
 
 
 
 
 
 
 
けど、このツイートの「まだ首都圏はソレやってるらしいけど笑」は、どういう根拠があっておっしゃられてるのでしょうか?
そんな中途半端なことを言わずに、首都圏のどの当事者会および自助会でどういうことがあって、それは良くないからもっとこうした方が良いですよ、とはっきりと根拠を示して言ったほうがいいですよ
 
藪蛇というか、こう言われて首都圏の当事者会に行ってる人からするとあんまり良い気はしないですよね
 

東京と大阪の当事者会の違い7 大阪の課題 内輪ノリ

東京の当事者会と違って、大阪か関西の当事者会は「当事者会の横のつながりがある」というのは良いところだと思う
当事者会でいろいろ連携してやっていったほうが、発達界隈全体も活性化しますしね
 
このように「当事者会の横のつながりがある」というのは良いところではあるが、これがかえってアダとなって内輪ノリが増えてしまって、新規の参加者がなかなか会話に参加しづらくなる可能性もある
 
 
 
ある時、大阪のある有名な当事者会の、大阪では有名なファシリテーターが主催する当事者会に参加した
あるテーマをもとにトークをする会で、最初の1時間はそのテーマで、ファシリテーターさんがうまく会を回していた
 
ところが1時間経ったあと、別の当事者会での揉め事があった件の話になった。どうもAさん(仮名)という人が別の当事者会で揉め事を起こしたらしい。それでAさんと共同でイベントをやっていたBさんに、なぜ揉め事が起きたのか?なぜAさんが揉め事を起こしたのか?ということをずっと聞いていた
 
まず最初の1時間については、テーマに沿ったいろんな話をしたり聞けたりして、とても楽しい時間を過ごすことができたことに関しては感謝したい。ファシリテーター並びに他の参加者の方はお疲れ様でした、そして素晴らしい時間を過ごさせていただいてありがとうございました
 
ただその後の1時間については・・・
大阪や関西の当事者会や発達界隈についてはあまり内輪の情勢がわからないので、話に全くついていけず、会話に参加できなかったことについては申し訳なく思います
 
 
けど、厳しいことを言わせてもらうと、「なんで当事者会をやったんだろう?」とは思いますね
当事者会とは何か?というところを考えたら、生きづらさを抱える発達障害の人が集まって、悩みを分かち合う場所だと思います
今回のこの当事者会でいうと、発達障害の人が集まって、テーマをもとにトークをする会ですよね
 
なんで別の当事者会の揉め事について1時間もずっとダラダラだらだらと聞いてるんですか?
せめてそれを聞くなら二次会でやれよ。当事者会の時間内でやるなよ。あとたいした金額ではないが、当事者会の参加費を徴収してたけど、これは詐欺じゃないのか?ネットで告知して募集して当事者会を開いている以上はちゃんとやれよ
 
そもそも、そんなことがしたいんだったら当事者会なんかやらなきゃ良かったのに
ファシリテーターとBさんと、あと内輪に詳しい人だけでどっか居酒屋なりに行って、そのAさんの件についてずっと話していれば良かったんじゃないですか
これだったらファシリテーターさんも、Aさんの件の話と内輪の話をずっとできるし、自分みたいな人も内輪ネタについていけずに困ることもないし、いいことづくめですよ
 
もうファシリテーターなんかやめたらいいんじゃないですか?
 
 
かなり辛辣なことを言ってしまった気もするが、大阪や関西の当事者会は、参加者や主催者がお互いの当事者会を行き来していて、お互いよく知っていたり、他の当事者会の内情などをよく知っているので、こうやってそういう内輪ネタで盛り上がることはよくある。だからこの当事者会だけが特別に悪いわけではない
 
こういうことが多いのが大阪の当事者会のレベルということです
東京の当事者会もそういう空気もあるけれども、ここまでひどくはない
 
 
 
 
まあファシリテーターで当事者会をやるとしても、気心の知れた親しい人のほうが話しやすいし、安心する
初対面の人だとどうしても打ち解けて話せなかったり、緊張してまいがちだ
ただ、それは参加者のほうも同じであって
「今日は初めてこの当事者会に来たけど、楽しめるといいなあ」
と思って、不安を抱えながら参加している
(当事者会に合う合わない、他の参加者と合う合わないとかいろいろありますが)こういう初めて来た人でも、話しやすく環境とか雰囲気を作って、いろいろ話に参加してもらって
「初めてこの当事者会に参加したけど楽しかったな。今日は当事者会に参加して良かったな」
と思って帰れるようにしてもらうかがどうかが、ファシリテーターの腕の見せどころですね
それができないファシリテーターというのは、ファシリテーターとしての実力がないということ
 
 
一期一会の出会いになる可能性もあるし、初めて会う人からいろいろと話を聞くことというのは、ファシリテーターさんにとっても成長につながりますし、ひいてはそれが当事者会の成長にもつながる
そこは大事にしてほしいですね
 
(アイドルでもよく言われたりしますがw)古参だけ大事にするんじゃなくて、別け隔てなく新規の参加者も大事にしていく姿勢が、ファシリテーターにとって大事なことなのかもしれない

東京と大阪の当事者会の違い6 大阪の課題 人の意見に流されやすい

これは3、4年前の話だから、今は違うかもしれないが・・・
大阪や関西の当事者会は権威主義だな、と思った
 
大阪や関西の当事者会に行き始めたときは
「自分は○○だと思います」
と発言しても、
「そうですか・・・」
と流されることが多かった
 
ところが
「○○だ、と広野さん(NPO法人DDAC代表)が言っていました」
「△△だ、と石橋さん(さかいハッタツ友の会代表)が言っていました」
と発言するようにすると
「なるほど!そうなんですね~」
と以前より明らかに反応が良くなった
 
この件から大阪や関西の当事者会は権威主義だと感じた
 
後述するけど安倍前首相、菅首相自民党とかの政権や与党とか、日本社会や定型発達の人には反抗的、批判的なのに、広野さんや石橋さんの意見は全肯定するのな
親や学校の先生の言うことには反抗するクセに、不良のリーダーや兄貴には従順なヤンキーかよw
 
 
たしかに大阪や関西の発達界隈、当事者会や自助会の発展は、広野さんと石橋さんの大いに寄与によるところが大きい、今日、大阪や関西で当事者会に参加できるのは、広野さんや石橋さんのおかげであるであると言っても過言ではない。そこに関しては関西在住の発達障害の当事者にとっては、感謝してもしきれない。本当にありがとうございます。そこの感謝の念は持ち続けなければならない
個人的にも石橋さんには、自分の意見を何回かリツートなどをしていただいてありがとうございました
 
 
広野さんと石橋さんは現在も関西の発達界隈で活動されておられます
 
広野さんはNPO法人DDACで20年近くずっと活動されておられますし
石橋さんもさかいハッタツ友の会で10年以上ずっと活動し続けておられます
そうやって発達界隈の第一線で長く活動し続けたので、そういう活動を通して得た知識や経験の蓄積もありますし、それをもとにした意見というのはすごく参考になることが多い。だから広野さんや石橋さんの意見を参考にしていくことは良いと思います
 
発達障害の当事者の方は、いろいろとTwitter発達障害に関するツイートをダラダラと眺めがちではあるが、そうやって広く浅くいろんな知識をつまみ食いしていくよりは、まずは広野さんなり石橋さんの意見を読んで、ものにした方が良いと思いますね
 
やっぱり雑多なツイートを読むより、1つの考えをものにしていったほうが、
発達障害とは何か?生きづらさを減らすためにはどうしたいいのか?」
という部分で確固とした考えが自分の中で積み上げることができる
(あと、前述したように「△△だ、と石橋さんが言っていました」と発言できるので、当事者会でも良い反応がもらえるしw)
 
そうやって感謝の念を持ち、意見を参考にすることはとても良いこと
 
 
 
ただ・・・それはそれとして、広野さんや石橋さんの意見を鵜呑みにするだけではダメだと思う
 
広野さんや石橋さんは同じ発達障害ではあるが、発達障害の当事者といっても、特性も人それぞれ違うし、性格や環境も違う。だから広野さんや石橋さんの意見の全部が全部自分に合うとは限らない
 
当然、参考になるものはどんどん参考にしていけばいいと思うけど
なんか自分に合わない意見に対しては
「でも、広野さんや石橋さんがこう言ってたしなあ・・・そのとおりにしないとな」
と変に「そうしないといけない」と思いこむとなかなかうまくいかないこともある
 
「これは自分に合ってるけど、あれは自分に合わないな・・・」
自分で考えて、取捨選択していくことが大事だと思う
 
まあ
「広野さんや石橋さんはこう言ってるけど、いやいやいや、その意見はおかしいんじゃないか?それは絶対に違うと思う。こっちのほうが正しいと思う」
と思っていたものでも、しばらくいろいろ経験したりしているうちに
「あのときは『その意見はおかしい、違う』と思ってたけど、よくよく考えたらそのとおりだったな・・・恥ずかしい」
と思ったり感じたりすることもある
 
逆に
「あのときは『広野さんや石橋さんはこう言ってるけど、そのとおりだ』と思ったけど、どうも自分には合わない、自分の環境には合わない・・・。自分の中ではこっちのほうが正しいな・・・」
思ったり、感じたりすることもある
 
 
ただそう思えるのも
「これはこうだ!」
自分で考えて決めたから、それから経験してまた発展していろいろ考えられるのであって
「いろいろ考えても面倒くさいし、別にやらなくていいや」
「『これはこうだ!』と発言して、あとでそれが間違ってることが明らかになったときに『お前の言ってること間違ってるじゃんw』とバカにされると恥ずかしいから、そうやって失敗したくないから、あんまり決めたり発言しないようにしよう」
何も考えないと、何の進歩もないということになりかねない
 
 
 
あと
権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する
という言葉もある
 
祇園精舍の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
という冒頭から、平家の栄華と滅亡について書かれた平家物語は始まる
 
そうやって諸手を挙げて賛同するイエスマンだらけになったら、どうしても驕りや傲慢さがでてきて、組織がだんだん腐っていって衰退してしまう恐れもある
 
特に今は時代の変化が著しい。成功体験というものは大事だけど、昨日成功したことは、明日やって成功するとは限らない。時代に限らない不変の理というものもあるが、やはり時代に合わせて自分も組織も常にアップデートしていく必要はある
 
 
 
以上のことから、広野さんや石橋さんに感謝の念を持ち、意見を参考にすること良いと思います
だが、ああゆう権威主義というか広野さんや石橋さん至上主義みたいな雰囲気があるのはどうかと思いますね
 
 
 
それと大阪や関西の当事者会や界隈のネット上でも、(3,4年前の首相の)安倍首相や自民党などの政権与党の政治批判をする人が多い
 
今の政治に興味を持ち、政治に関する意見を持つということは非常に素晴らしいことだと思います
あと、大阪自民党より、大阪維新の会の支持率が非常に高いということも影響しているかもしれない
 
 
けど、大阪や関西の当事者会の会話や、界隈のネット上のやり取りを見る限り、そこまでしっかりとした政治への考えを持っているようには見えない
 
発達障害の特性による生きづらさから
発達障害の自分が生きづらいのは、日本社会が発達障害への理解と配慮がないからだ」
と社会批判をする
その延長上で
発達障害の自分が生きづらさを感じたり、日本社会が発達障害への理解と配慮がないのは、首相と自民党の政治が悪いからだ!!」
という安易な決めつけで政治批判している人が多い。多いというかほぼほぼ全員ですね
 
仮に自民党から別の政党に政権が変わって、首相もその政党の人に変わったら、それだけで日本社会が発達障害への理解と配慮が進むようになると本当に思ってるのか?
 
自分は「そこまで言って委員会」をよく見ていた影響から、やや右よりの考えというのもあって
 
「やっぱり安倍首相と自民党の政治が悪いせいだよね~」
と、当事者会で話している人がいたので
「安倍首相と自民党の政治のどこが悪いんですか?何が悪いんですか?」
と問い詰めたら
「えっ・・・いや・・・なんかみんなそう言ってるし・・・」
「みんなって誰ですか?」
「いや・・・・・・なんかみんなそう言ってるし・・・・・・ほらっ、広野さんが前に安倍首相が悪いって言っていた。安倍首相の政策によって、今後、当事者会が開けなくなるかもしれない、と話していた」
とよくわらからないことを言ってましたね
 
何人かに問い詰めても
「えっ・・・いや・・・なんかみんなそう言ってるし・・・」
と全員、もごもごと話すだけで
「こうこう、こういう理由で安倍首相と自民党を支持できません」
根拠を持って答えられる人は誰もいなかった
 
 
前述した権威主義にしてもそうだけど、大阪や関西の当事者会の参加者は
「みんながこう言ってるから」
「テレビとかメディアがこう言ってるから」
「広野さんがこう言ってるから」
「石橋さんがこう言ってるから」
といった感じで、人の意見に流される人が多い印象がある
 
 
「みんなこう言ってるし、こういう意見は多いけど、自分はこう思う」
「広野さんはこう言っていた。たしかに自分も以前にうまくいかずに悩んでいたときに、こういう風に考えたらうまくいったこともあるので、自分もそうだと思う」
「石橋さんはこう言っていた。けれども自分はこういうことが大事だと思うので、自分はその意見は違うと思う」
という風に、自分で考えて、自分の考えを根拠を持って述べるという力が低い人が多かったですね
 
 
一方で、東京のある当事者会に初めて参加したときに
「人生がなかなかうまくいかなくて・・・」
という話をされていた方がおられたので
「つまり、日本社会が発達障害への理解と配慮が足りてない、ってことですか?」
と空気を読んで聞いたら
「いや、そういうことじゃない」
とバシッと言われたのはすごい印象に残ってますね
 
大阪や関西の当事者会に比べて、東京の当事者会は安易に理解と配慮が足りてないとか、政治批判する人は少なくて
「みんなこう言ってるし、こういう意見は多いけど、自分はこう思う」
自分の考えを述べられる人が多い
東京の当事者会のほうがレベルが高かったですね
 
 
 
個人的には発達障害の人が生きづらさを減らしていくには
「他の人はこうやってるけど、自分はこうやったほうがうまくいくな」
という自分のスタイルを見つけることだと思う
 
プロ野球選手のバッティングフォームも人それぞれのように
「自分はこうやったうまくいきやすいな」
「自分はこういうときが楽しいな」
という自分の形やスタイルを見つけていくことは大事だと思う
 
そのためには、まず自分で考えないといけない
「みんながこう言ってるから」
とか言って思考停止しているようでは、なかなか自分の形やスタイルは見つからない
 
 
そもそも、上(定型社会)や人生がうまくいかないから、こうやって発達障害の当事者会に来てるはず
「みんながこう言ってるから」
というところの「みんな」という言葉は、当事者会の参加者を指していると思いますが
もとより上(定型社会)や人生がうまくいかない人たちと同じ考え、同じ思考回路でやっても、なかなかうまくいかない
 
まあ、あんまり
「みんながこう言ってるから、逆にああ言おう」
とかの逆張りしまくるのもどうかとは思うけれども
基本的には
「みんなこういうしょうもないことを言っているから、うまくいかずに下(当事者会)にいるんだな」
反面教師にしていかないといけない
 
このように当事者会というのは上(定型社会)や人生がうまくいかない人が集まっているんだから、基本的にはみんなとは違うことをやったり、違う価値観や考え方をしていかないと、なかなかうまくいかない
 
 
 
ここまで述べてきたように、特に大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多いので
「みんながこうだから、みんなこう言ってるから」
と変に合わせてしまうと
「悪いのは発達障害への理解と配慮がない日本社会と、首相と自民党が悪いのであって、自分は何も悪くないんだ。そうやって他人とか社会のせいにしていればいいんだ」
「みんな周りに気を遣うとかせずに思ったまま発言するだけだし、自分もそうやって思いつくままに発言しよう」
「他人に気を遣うとか面倒くさいだけだな。自分の都合だけ考えよう」
と当事者会に染まってしまって、当事者会では好かれて楽しくやれるけど、上(定型社会)では全く通用しない人間になってしまう
 
「当事者会とか発達界隈で楽しくやれればそれでいいんだ」
という考えならばそれでいいと思います
けど
「もっと人生などがうまくいくようになりたい。上(定型社会)で通用するような人間になりたい」
と思うのであれば
「どうして自分は人生がうまくいかないのか?上(定型社会)で通用するには何が足りないのか?」
というところをしっかり考えて努力して、当事者会に染まらないようにすることが大事になってくる
 
 
自分も4年前ぐらいに大阪や関西の当事者会に毎週行ってた時期があったけど、たまたま従姉妹の結婚式、親戚の付き合い、会社の飲み会といろいろ続いたときがあって、1ヶ月ぐらい当事者会に行けなくなったときがあった
 
それから1ヶ月振りに当事者会に行ったら
「あれっ!?」
というすごい違和感を感じた
「定型社会と当事者会では、いろいろとズレてるな。どうすれば当事者会で通用するか?ではなくて、どうすれば定型社会で通用するか?という目線で考えないと、当事者会では良くても、定型社会ではうまくいかないぞ」
というところに気づいてからは、周りは周り、自分は自分、として割り切ってやってましたね
やっぱりいくら当事者会でみんなに好かれてて人気者でも、上(定型社会)で通用しなければ意味はないですからね
 
 
 
東京の当事者会だったらレベルが高いから
「特性がひどい人もいるけど、それに比べたら自分は結構マシなほうだな」
という感覚があれば、上(定型社会)でも通用したりするけど
大阪や関西の当事者会はレベル低いので、その程度の感覚で
「当事者会では結構マシなほうだから、定型社会でもやっていけるだろう」
と思っていると、全然通用しないですね
「当事者会では自分はかなりマシなだと思ってたけど、定型社会じゃこんなもんか・・・」
とプライドを粉々にされてから、またリスタート。というかそこからが本当のスタートの始まりですね
 
 
野球で例えると、定型社会をプロ野球1軍だとしたら、東京の当事者会はプロ野球2軍、大阪の当事者会は独立リーグぐらいの差がある
定型社会と大阪の当事者会はかなり大きな差があるので、大阪の当事者会を卒業して定型社会に上がるのは、なかなか大変
 
 
 
このように自分はそれから意識の違いから自助会で浮くようになって、自助会でケンカして辞めることになってしまった。それから社会人サークルに行くようにしたら、本当にすごく楽しかったので、辞めてよかったですね
当事者会や発達界隈が楽しいというのであれば、それはそれで良いと思いますが
「こんなレベルが低い下(当事者会)に居ていいのか??」
と少しでも思う場合は、定型の社会人サークルなどに行ってもいいかもしれない
 
 
 
それにしても東京の当事者会は、嫌なこともあったけど、楽しい思い出のほうが多い
大阪や関西の当事者会も良い思い出もあるし、すごい良い人に出会って良い思い出もあるし、いろんな会に参加させていただけたことですごく勉強になって、自分の成長につながったので、とても感謝しています
 
けど・・・良い思い出より嫌な思い出のほうが圧倒的に多かったですね・・・
 
みんな周りに気を使わずに思ったことを言うだけだから、こっちが気を使わされて精神が疲れ果ててしまって、翌日の仕事に支障が出たり
自分が発言しても、頭から否定されて話の腰を折られて発言できなかったり
某当事者会で「自分は○○だと思います」と発言してもスルーされ、「○○だと石橋さんが言っていました」と言い方を変えると態度が豹変する様を見たり
自分が居た自助会に初めてきた人が一方的なマシンガントークをする人で、ひたすら相槌をつかされて会が終わる。会が終わるときに「いやー、この会は自分の言いたいことが言えて楽しいですね!」とか抜かしてて、思わずぶん殴りたくなったりとか
有名な当事者会に行ったら、一人30秒ほどの自己紹介をみんなやっている中、自己紹介と称して20分も自分語りしている人がいて、主催者の方もやめさせるのではなく、むしろ質問を投げかけてさらに話を盛り上げていて、理解に苦しんだり
 
悲しみを背負うことが多かったな・・・とにかく嫌な思い出のほうが多かった
 
その点、関西の社会人サークルは楽しかったなあ。実家に帰れたらまた行こうかな。というかまだあるのかなあ
そもそも、下(当事者会)が嫌なら、文句を言うのではなくて、さっさと上(定型社会)に上がれるように努力するのが筋だしね
 
 
発達障害の人は生きづらさなどの悩みを抱えているので、その悩みを1人で抱え込むのではなく、当事者会で集まってみんなで分かち合わないといけない!」
というのは当事者会の関係者の発達界隈の人らが勝手に言ってるだけだ
 
まあ多くの発達障害の人が当事者会が必要としているのは事実で、他の多くの発達障害の人にとっては必要だとは思います。
けれども、それが自分にとって必要なものとは限らない
「本当に当事者会へ行かないといけないのか??行く意味が本当にあるのか??」
という部分も含めて、しっかり考えていかないといけない

東京と大阪の当事者会の違い5 大阪の課題 レベルが低い

大阪の当事者会の課題
 
 

レベルが低い

 
当事者会の雰囲気やレベルはそれぞれ違うので一概に言えない
だが、有名でいろんな人が集まる大阪や関西の当事者会は、同じく東京の有名な当事者会に比べると、レベルが落ちる傾向がある。数段落ちる印象がある
 
 
社会人サークルとかの定型社会に行ったあとに、東京の当事者会に行った場合は
「やっぱり当事者会だし特性がひどい人も何人かいるなあ・・・。けどたしかに発達傾向があるけど、当事者会といっても比較的普通の人が多いなあ」
という感想を持つ
 
 
一方で、大阪や関西の有名な当事者会に行ったら
「ああ、当事者会ってこんなにレベルが低いのか・・・・・・・。定型社会とはものすごい大きな差があるんだな・・・」
という絶望感に襲われますね・・・
 
単に発達障害の障害のせいで能力が低い
ということではなくて、本当に会話のレベルが低い。あと社会性やコミュニケーション力が低い
 
具体的に言うと
 
  • 自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
  • 自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
  • 他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
  • 話がやたらと長い
  • 同じ話を何度も繰り返す
  • 「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
  • 他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
  • 他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
「こんなもん、上(定型社会)でやったら一発でアウトだよ」
と思うような奴ばっかりで、当事者会にいるだけで気疲れしてしまう
 
ひどい場合だと、人の話を聞かずに一方的なマシンガントークをしている人もいる
それをお互いに一方的なマシンガントークをやりあっていて、会話のドッジボールと化しているケースもある
 
普通は会話のドッジボールというものは、こういうお互いのディスりあいを指すはずなんだけどなあ
 
これじゃあ吠え合う犬と何ら変わらない。動物園じゃないんだから
 
 
 
とある大阪で有名な当事者会で、大坂では有名なファシリテーターの方が開催する当事者会に参加したところ
 
隣に座った人が、認知が歪んでいるのか
「今日は晴れですね。晴れといえば、来月は僕の誕生日だけど、君はお肉が好き?」
みたいな支離滅裂は発言をする人で、全く会話が噛み合わない
 
「うわあ・・・・・特性がひどい人に当たってしまった・・・。これは会の中でも困ったちゃん、鼻つまみ者なんだろうなあ。
東京の当事者会で厳しいところだったら、退場や出禁もありえるかもなあ」
 
と思っていたら、ファシリテーターさんが
「○○さんは当事者会ではマシなほうだから」
と説明されていたのはビックリした
 
ふと周りをよく見渡してみると、その会は8人ぐらいの人が参加していたが、割とまともそうな人がファシリテーターさんぐらいで、あとはコミュニケーション力に難があるような人ばかりだった
 
その日がたまたまそういう参加者が集まっただけかもしれない
けど、関西では有名な当事者会でこれだったんで、これが関西のレベルなんだな・・・。という気はしました
 
 
それにしてもあの当事者会の参加者は質問にちゃんと答えない、答えられない人が多かった
たとえば
「ついに東京オリンピックが開幕しましたけど、何か注目しているスポーツとかありますか?」
と聞いたときに
「うーん、やっぱり野球ですね。プロ野球選手が出場するので、ぜひとも金メダルを獲れるように頑張ってほしいです。阪神タイガースからは青柳投手、岩崎投手、梅野捕手が選ばれているので、オリンピックでの活躍に期待したいです」
といった感じで答えるのが普通なのに
(野球以外でもサッカー、卓球、バドミントン、水泳、陸上でもなんでも良いですが)
東京オリンピックって、あれですよね。7月23日金曜日の20時から開会式が始まって、各国の選手が国立競技場に入場して、それからなんか東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長の橋本聖子さんと、IOC会長のバッハ会長がスピーチして、長嶋茂雄王貞治松井秀喜聖火ランナーをやって、最後に大坂なおみ聖火ランナーになって、聖火をともしたんですよね」
 
東京オリンピックって、楽曲に関わっていた小山田圭吾が直前に辞任しましたね。あの人の過去のいじめ内容については許せないものがあります」
 
といった感じで、なんかズレた答えを返してしまう
だから会で議論をしていても、議論の論題がいろいろあっちにいったり、こっちにいったりして定まらなかった
 
まあ定型でも自分の都合の悪いことには、わざと論点をずらして答えたりする人はいますけどね
 
なんかこう基本的な部分が足りていない気がしますね
これが関西のレベルですかねえ・・・
 
 
まあ東京の当事者会や当事者でもレベルが低い人は低いけどね
 
 
 
自分はこれまで当事者会に対して厳しい意見を述べさせていただきましたが
Twitterのツイートやツイキャスをいろいろ見たり、東京や関東の当事者会で見聞きしたことや、人づてで聞いたことも参考にしているけれども、大阪や関西の当事者会のイメージが大きい
 
以上のように自分の中では、東京の当事者会に比べて大阪の当事者会に来る人のレベルは数段落ちるイメージはありますね
 
 
 
 

実家暮らしの人が多い

 
このように大阪、関西の当事者会のレベルが低い、東高西低なのはなぜか?
個人的に思うのは、大阪の当事者会の参加者は実家暮らしの人が多いからだと思う
 
東京の当事者会は参加者は前述したように、東京生まれ東京育ちの人があんまり多くない。地方出身で、東京一人暮らしをしている人が多い。だから、割と東京一人暮らしできるぐらいの生活力や社会性がある人が多い。そういう人が当事者会で多数派なので、
「他の発達障害の人はちゃんとやれてるんだから、自分も発達障害を言い訳にしていてはダメだな」
とそこに合わせて周りのレベルも引き上げられている
 
 
一方で大阪や関西の当事者会に来る人は、大阪生まれ大阪育ちや、関西生まれ関西育ちの人が多くて、一人暮らしの人があまりいない
別に実家暮らしでもしっかりしている人もいるけど、やはり一人暮らしをできている、やっていた人に比べると落ちるケースが多い
 
あと一人暮らしというのは忙しくて暇がないので
発達障害への理解と配慮が必要」
とかの独り言で語るくらいならば、黙ったままなにかしないといけない
 
だが、実家暮らしの場合は
発達障害への理解と配慮が必要」
とワーワー騒いでいれば、そのうち親や家族や福祉関係者の人が気を利かせてなにかやってくれるんじゃないか??
という甘えがあるのではないか、と思う
これでは駄々っ子と何も変わらない
 
「会社は発達障害への理解と配慮が必要だ!そもそも日本社会は発達障害への理解と配慮が必要だ!欧米に比べて日本は発達障害への理解と配慮が遅れている!このように日本社会が発達障害への理解と配慮が足りないのは、首相と自民党の責任である!!」
「そうだ、そのとおり!!さすが○○さん、良いこと言いますねえ」
というノリは東京や関東の当事者会では自分は見たことがないが、大阪や関西の当事者会では何回も見ました
これは所詮は子ども部屋おじさんの、そういう実家暮らしの甘えの部分があるんじゃないかと思いますね
全員が全員というわけではないかもしれないが、そういう部分はあると思う
 
 
 
それと「何かをやる当事者会」が少ないのも要因だと思う
 
発達障害の生きづらさを一人で抱え込んで悩むのではなくて、当事者会で話し合ってみんなで悩みを分かち合う、ということが当事者会では一番大事だ
とはいっても、単に当事者会で話し合いだけで終わってしまっては
「日本社会は発達障害にもっと理解と配慮をしろ!」
と叫ぶだけの結論で終わってしまって、なんら進展がないんじゃないかと思う
厳しいことを言うと、話し合いをして何かわかった気分になってだけで、ただの傷の舐め合いをして終わってしまってしまい
進展がなくただ停滞しているのが大阪や関西の当事者会の現状じゃないかと思う

東京と大阪の当事者会の違い4 大阪の特徴

続いて大阪の当事者会について語っていきたい
 
 

大阪の当事者会の特徴

ファシリテーターがしっかりしている

 
大阪も大きな都市ではあるけれども、東京に比べるとやや人口などが少ない部分がある。だから
「当事者会をやりま~す、来てくださ~い」
と告知したとしても、なかなか思うように参加者が集まらないことが多い
 
あと、東京に比べると参加者のレベルが低い人が多いので、特性の影響から自分の都合しか考えられない人が多かったり、人とのコミュニケーション力に難がある人が多いので、そこをどうまとめていくか?という力が必要なので
「自分は何のために当事者会をやるのか?それを実現するには何をすればいいのか?」
というところがわかっていて、できている人が多い
 
「平日は仕事が大変で疲れたなあ。最近は暑いし、休日は部屋にクーラーをつけてゆっくりしよう・・・
と思ったけど、今週土曜日はあの人の当事者会があるのか・・・あの人がやる当事者会なら行こうかな」
と思えるような、人間性があるファシリテーターの当事者会は続いてますね
 
なんだかんだ言って、小手先のテクニックより、ファシリテーターはこの人間性が一番大事な気がするなあ
 
大阪や関西で当事者会を何年もやられているようなファシリテーターの方は、そのへんがちゃんとできているイメージがある。逆に言うと、そこらへんができないと大阪や関西では、なかなか当事者会を続けることは難しいんじゃないかと思う。そう考えると、当事者会を続けられておられる方はすごいなと思います
 
 
 

横のつながりが多い

大阪や関西の当事者会は、当事者会の終わりに他の当事者会の告知タイムがあって、横のつながりがあるのは良いですね
そういう告知があると
「いやー、今日の当事者会は楽しかったなあ。来週に○○で別の当事者会があるのか、行ってみようかな?」
参加者がいろいろ行くことで、発達界隈全体が活性化してくる。やっぱり参加者が多いほうが、当事者会も盛り上がりますからね。こういう文化は非常に良いと思います
 
 
 
 

行政と連携している

 
大阪や関西の当事者会のほうが、行政と連携していろいろやっているイメージがある
さかいハッタツ友の会は堺市の人といろいろ話していると聞きますね
 
東京の当事者会でも、議員の方と話をしたという話もちょっと聞いたことはありますが、大阪や関西のほうがそういう話を聞くことは多い印象がありますね
 
 
「会社は発達障害への理解と配慮が必要だ!そもそも日本社会は発達障害への理解と配慮が必要だ!欧米に比べて日本は発達障害への理解と配慮が遅れている!このように日本社会が発達障害への理解と配慮が足りないのは、首相と自民党の責任である!!」
と叫んでる人が当事者会などでたくさんいるけど
「当事者会で署名を集めて、これを持って市長や県知事、国会議員の人に提出して、法案提出や発達障害者向けの施設の建設、サービスの拡充を訴えます!」
「外国語の勉強をして話せるようになって、お金を貯めて引っ越し資金を貯めて、発達障害の理解や配慮のある国に引っ越します」
「『発達障害の会』みたいな政党を結成して、次の選挙に出馬して、国会議員となって国政を動かして、日本を発達障害へ理解と配慮のある国にします」
といった実際に行動を起こしている人はほとんど見たことがない
 
 
「そもそも日本社会は発達障害への理解と配慮が必要だ!欧米に比べて日本は発達障害への理解と配慮が遅れている!」
とか、そんなに日本が嫌いなら、日本を出ていって海外でもどこでも行けばいいのに(今はコロナ禍で外国人の入国制限があるケースもありますが)
まあ、ひろゆきもそうだけど、自分の故郷に誇りを持てない人間は、自分に誇りや自己肯定感を持てないから、どこの国に行っても一緒だろうけど
 
 
その点、大阪や関西の当事者会は、行政と連携したり、市長や市議会議員の方と話をされていたりと、実際に行動を起こしているからすごいですね
 
この前の石橋さんの石橋ムーン七月を視聴させていただきましたが
市議会議員などの方ホームページに、SNSなどのアドレスを掲示しているので、そこにダイレクトメッセージを送ると、意外とすぐに返信があるらしい
そうやってコンタクトを取ると、市議会議員などの方と話ができて、もしかしたら行政を動かせるかもしれない
 
 
 

家族会も開催している

 
大阪、関西の当事者会、というよりはさかいハッタツ友の会は、普通の当事者会の他にも家族会も開催している
 
発達障害の人が生きづらさを減らして、なるべく楽しく生きれるようになるには
発達障害の本を読んで、自分の特性を理解する」
「自分が楽しめる娯楽を見つける」
「当事者会に参加する」
SNSなどで自分の意見を発信する」
発達障害に理解や配慮がある会社で仕事をする」
「生活環境を見直して、自分がラクに過ごせる環境を構築する」
「様々な価値観に触れて、いろんな考え方や価値観を増やすこと」
ということが大事だ
それ以外にも
親子で家族会に参加して、発達障害の家族の悩みを分かち合う。それを通して、親の意識を変える
ということも大事だろう
 
なんだかんだ言っても、発達障害の人でも家族や親と接する機会が一番多いので、発達障害の人の親の意識が変わらないと、発達障害の人の生きづらさがなかなか改善しないケースも多いので、家族会は大事じゃないかと思う
 
 
東京の当事者会では発達障害の家族会という話はあまり聞かないので、関西だけではなくて、東京他の地方でもやっていくべきだと思います

東京と大阪の当事者会の違い3 東京の課題 ネット上でのケンカがある

先述したように、大阪や関西の当事者会の人たちは、ネットやTwitterもやるけれども、基本的には当事者会に行って、会の終わりの他の当事者会の告知を見て
「来週に○○で当事者会があるのか、行ってみようかな?」
と他の当事者会を知って、参加していく
 
一方で東京の当事者会は、Twitterをやって、気になった人をフォローしてツイートを読んでいって
「あの人はあの当事者会に行って楽しかったと言ってたし、自分も行ってみようかな?」
と他の当事者会を知って、参加していく
というイメージがある
 
このように東京は比較的ネット中心と言える
 
 
 
 
けれどもそのネット中心がアダとなって、ちょうど3年前ぐらいに大きな争いが起きてしまった
 
ある当事者会で、S氏(仮名)が女性に対してセクハラのようなことを行った。セクハラを受けた女性は大きなショックを受けてしまったそうだ
 
これに対して
「女性が嫌がることをするなんて許されないことだ!」
S氏を糾弾したが、S氏は
「(被害者女性に)手相を見てほしいと言われてたので見てあげただけ。ついでにハンドマッサージをしてあげただけだ」
と反論し、反省する素振りを全く見せなかった
 
S氏は発達界隈では良くも悪くも存在感のある人物だったので、S氏の信者も多くいたが、反面、悪い噂も多く反感も多く買っておりよく思わない人も多かったので
「そうだ、S氏の言う通りだ!S氏を悪く言う奴をやっつけろ!」
「S氏は最低最悪の人間だから許してはいけない!S氏とS氏の信者はやっつけないといけない!」
S氏信者とS氏糾弾派で発達界隈のTwitterを二分する大騒動になってしまった
 
とはいっても、(小山田圭吾ほどではないにしても)S氏のこれまでの行いがあまりにも悪かったので、S氏糾弾派が優勢で、5人ほどの人が中心となってS氏被害者の会も結成された
 
ただお互いに誹謗中傷の悪口合戦をするだけで、決め手に欠いて戦いが長期化してしまった
 
これを打開すべく、S氏被害者の会はS氏を訴えるための裁判費用をクラウドファンディングで集めて、訴訟しようとした。だが弁護士に相談したところ「訴訟は難しい」と言われてしまう
これによりクラウドファンディングで集めたお金が無駄になってしまい、S氏被害者の会への反感が強まって失速した
 
 
 
こうしてお互いに戦い疲れて、戦いはいつの間にか自然消滅した。S氏被害者の会も解散した
 
 
 
 
 
自分はS氏とは面識がないので、なんともいえないですが
当事者会とはなるべくみんなが楽しく過ごすべき場所なので、一人だけ楽しくて他の人は楽しくない会であってはならない
当事者会は女性の方でも安心して楽しく過ごせる場所であるべきなので、セクハラを行ったS氏は断じて許されないことだ
 
ただ当事者会の中でのトラブルなので、当事者会の中で話し合って解決するべき問題である。ネットやTwitter上で争って解決するべき問題ではない。セクハラを行ったS氏を許さない、という義憤は大いに結構だが、ここまで争いを大きくしたことに関してはいささか疑問が残る。あまりにも無関係の人々を巻き込みすぎたのではないか?
 
個人的な意見を述べされていただくと、S氏被害者の会は
「どう相手を追い込んで、どう勝つか?」
という道筋がまったく見えてなかったように思う
 
S氏を糾弾して、ひたすら罵詈雑言を並べていけば、そのうち相手の心が折れて
「すいませんでした、許してくださいおねがいします」
と謝罪なり何かやるだろう、と思っていた節があるが
実際は相手の態度を硬化させただけで、手詰まりになって戦いが長期化した原因になってしまった
 
ひたすら糾弾して罵詈雑言を並べても相手は態度を変えない、とわかった時点で別の方策を考えないといけなかった
 
2018年日本シリーズで甲斐キャノンに盗塁を仕掛けまくった広島カープの緒方監督かよ
 
こっちも必死に勝ちに行ってるが、相手も必死に負けないようにしている中で、気合や根性以外でどうしたら勝ちに持っていけるか?
というところを考える、勝負勘とかゲーム的思考が足りなかった
将棋でいうところの相手の駒を取る、王手をかける、じゃなくて、いかに相手の王将を詰ますか?というところができなかったですね
 
 
 
ただ、当事者会というものは
「会社は発達障害への理解と配慮が足りない!そもそも社会は発達障害への理解と配慮が足りない。このように日本社会が発達障害への理解と配慮が足りないのは、首相と自民党の責任である!」
「そうだ、そのとおり!!さすが○○さん、良いこと言いますねえ!」
と定型社会や定型発達の悪口を言い合ってホルホルマンセーしていたり
当事者会の二次会で発達界隈の困ったちゃんとかの悪口大会をしているところが多いので
気に入らない人の悪口を言い倒すことによって、すごいことや素晴らしいことを話し合っている、何かが根本的な解決をしている、と勘違いしている人が多いので
そういう当事者会や発達界隈の甘さが露呈した感がありますね
 
「瓶子(平氏)が倒れたぞ」と喜んでた鹿ヶ谷の陰謀かよ
 
 
「セクハラを行ったS氏を許さない」
という義憤は良いとは思うが
「S氏を倒したあとにどうするのか?」
「どうすれば発達障害の人が楽しく、幸せに生きられるようになるのか?」
というビジョンが全く見えなかったのも残念ですね
 
 
何度も言ってる通り
「セクハラを行ったS氏を許さない」
という義憤は良かったとは思いますが
じゃあS氏をやっつけて倒せれば、発達障害の人が楽しく、幸せに生きられるようになるんですか??
ゲームのラスボスを倒したあとみたいに、世界が平和になるんですか??
 
 
「敵将、S氏上野介をにっしーが討ち取ったり~」
と戦国時代であれば、敵を討ち取れば褒美として殿様から恩賞や所領がもらえる可能性があるけど、今は戦国時代じゃないからなあ・・・
 
 
それに、S氏を倒すためにネット上やTwitterを戦場にしたせいで、多くの無関係な人が戦いに巻き込まれてしまった
その上、
「S氏も良いところはあるので、そこまでやらなくても」
「さすがにやりすぎではないのか?」
「もっとこう攻めたほうがいいんじゃないか?」
という意見も
発達障害の当事者ならば、悪のS氏を倒そうとしている正義のS氏被害者の会を応援するはずだ!こんなに頑張ってるS氏被害者の会を悪く言うなんて、お前はS氏信者だな!」
と自分たちへの悪口を言っているとして、S氏信者のレッテル貼りをして、冷静な他の人の意見を聞かなかったのはいただけない
 
そもそもS氏被害者の会は、S氏への批判ではなく、かなりの罵詈雑言や誹謗中傷を行っていましたし
他にも手段を選ばない行為を数々行っていた
「S氏を倒すためならば、何をやっても構わない」
という、行き過ぎた正義というか、傍目から見るともはやどっちが正義なのかわからない、ただの無法集団にしか見えなかった
 
 
S氏被害者の会には前述したようにS氏を倒したあとのビジョンも見えなかったので、仮にS氏を倒せていても、
「自分たちは正義なんだから何をしても構わないんだ」
と横暴な振る舞いをしただろうから
それをまた倒そうとする者たちが現れて
戦いによる悲しみが悲しみを呼び、怒りが怒りを呼び、憎しみが憎しみを呼んで、戦いが戦いを呼ぶ、はてのない覇権争いが続く地獄の戦乱になっていたかもしれないな

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[麒麟がくる]『京の戦乱について』三好長慶&松永久秀と細川晴元が争う理由は?【補足】 - YouTube

【ゆっくり歴史解説】三国志の終焉「孫呉の滅亡」を解説! - YouTube

 
 
それと、S氏被害者の会の中心人物がファシリテーターをやっていた当事者会に参加していたが
セクハラや宗教勧誘には厳しい姿勢を取る割には、一方的なマシンガントークをする人は野放しにするなどなど、当事者会の運営には課題が多かった
 
発達界隈を乱すS氏をやっつけようとするのは大いに結構なことだが、その前に参加者がより喜んでくれるような自分の当事者会を運営していくことを、先にやるべきだったと思います
 
 
デール・カーネギーの「人を動かす」という本で
自分の家の玄関がよごれているのに、隣家の屋根の雪に難癖をつけるな
という孔子の言葉が引用されている通り、他人がどうこうよりも、まずは自分のできることをしっかりやることが大切なことだ
 
 
 
以上のことを鑑みて、あくまでも個人的な印象を述べさせていただくと、S氏被害者の会は、当事者会においてセクハラを起こしたS氏を徹底的に糾弾したことにより。
「当事者会において女性でも安心して参加できるようにするためにも、当事者会におけるセクハラは絶対に許してはいけない」
という発達界隈において大きな方針を示したこと
また、この騒動がきっかけとなって、(東京オリンピックにおける小山田圭吾降板騒動のように)S氏が行った悪行の数々が明らかになり、発達界隈においてS氏への注意喚起がなされたことへの功績は大きい
 
だが、別にS氏をやっつけたい人だけで勝手にやっていれば良かったものを、
発達障害の当事者ならば、悪のS氏を倒そうとしている正義のS氏被害者の会を応援するはずだ!」
と無関係な人も協力するように同調圧力による圧をかけ、S氏信者派かS氏被害者の会派のどちらにつくかの二者択一を迫り、無関係な人を争いに多く巻き込んだこと
 
関ヶ原かよ
 
「いくらS氏が悪いと言ってもやりすぎではないのか?もっとこうしたほうが良いのではないか?」
という意見も
「こんなに正義のために頑張ってるS氏被害者の会を悪く言うなんて、お前はS氏信者だな!」
とレッテル貼りをして聞く耳を持たなかったこと
 
「S氏を倒すためならば、何をしても構わないんだ」
と言わんばかりの無法行為、はっきり言うと数々の違法行為を行ったこと
 
 
このように無関係な人を多く巻き込み、数々の無法行為を行い、半年以上も戦い続け、さらにS氏を訴訟するためにクラウドファンディングをも行うなど、長期の戦いによって多くの犠牲を払いながらも、何一つの目に見える成果が出せなかったというのは、あまりにも無能、無能な働き者と言わざるをえない
 
「この件を通して、どうすれば発達障害の人が楽しく、幸せに生きられるようになるのか?」
「みんながより楽しいと思えるような当事者会や発達界隈にするにはどうすればいいのか?」
というビジョンや展望があるわけでもなく、ただひたすらにS氏を手段を選ばずやっつけようとしていたであった
 
「悪のS氏をやっつけようとしていて、正義な行いをしている自分SUGEEEEEEEEEEEEEE!」
「劣等感や不安感が強いので、悪いやつをやっつけることで『ああ、自分はコイツよりはマシなんだな』と安心感を得たい、マウントを取りたい、日頃のストレスの憂さ晴らしをしたい」
という自己満足、独り善がりな自己陶酔にひたっていたようにしか見えなかった
 
結局は、発達界隈の内輪もめ、派閥争い、縄張り争いで終わってしまった
それにしては、あまりにも多くの人を巻き込みすぎた
 
 
いろいろ厳しい意見を述べさせていただいたが、いろんな人の協力を得て、一生懸命に努力しても、今回のように目標に到達できないことはある
 
東京オリンピックでも素晴らしいパフォーマンスを見せてメダルを獲得する選手もいれば、コーチ、家族、チームメイト、スポンサーなどなどの人々の協力を得て、4年間一生懸命に頑張った人でも、メダルに手が届かない人、国内予選で結果を出せずにオリンピックに出れなかった人もたくさんいる
 
勝敗は兵家の常
 
勝てるときもあれば、頑張っても負けるとき、うまくいかないこともある。人生とはそういうものだ
 
 
ただ「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉もある
なんで負けたのか?なんでうまくいかなかったのか?というところは反省して、敗北を糧にして次に活かしていかないといけない
まあ、
「ああ、あのときに負けたのは、こういう理由だったのか・・・」
と10年ぐらい経って気づいたり、わかることもあるけどね・・・
 
 
あと、負け戦、旗色や風向きが悪いときは、変に戦い続けて損失が増える前に、さっさと負けを認めて敗戦処理をして撤退したほうが良い
意地になってだらだらと戦い続けて、損失や被害が増えていくのみ。そのまま一気呵成に相手に攻め込まれて、完膚なきまでに叩きのめされると、再起は難しい
いかに損切りができるかどうかが大事ですね
 
源頼朝足利尊氏劉邦劉備曹操星野仙一など、一敗地に塗れた人が、再起して天下統一した例はいくらでもある。今日負けても、明日勝てれば良いのだ
 
ちょっと負けただけで臆病風に吹かれてすぐに逃げるのもアレだが・・・。そういう勝負の流れを見極められる、勝負勘をつけることが大事
 
 
 
 
このように、
「勝敗は兵家の常。がんばってもうまくいかないこともあるからしょうがない」
と、S氏被害者の会の人には言ってあげたいところだが・・・・
 
 
その後のS氏被害者の会の主要メンバーの人々は、この負けに対して、ひたすら言い訳に終始したり、責任の押し付け合いばかり。挙句の果てには自分がやったことを棚に上げて他人の批判ばかりしている人もいて、ちょっと腑に落ちなかった
あれだけ多くの人を巻き込んでおいて、その態度はないんじゃないかなと思いますね
 
 
 
 
 
 
 
 
3年前のことについて長々と語ってしまったな・・・
ただあの争いがあまりにも無駄な、不毛な、意味がない戦いだったので、戦いには意味がないとみんな痛感したのか、あれからは変な争いは少なくなったと思います

東京と大阪の当事者会の違い2 東京の課題 横のつながりが少ない

課題

 

良いファシリテーターが少ない

 
「この人すごいな、周りをよく見えてるな」
と思うような良いファシリテーターの方もおられますけど、比較的、東京より大阪のほうが良いファシリテーターの方が多い印象がありますね
 
東京日本で一番人口が多い。だから発達障害の当事者も多い
なので
「当事者会やりま~す」
といえば、結構多くの人がすぐに集まって会を開催できることが多い
 
あとレベルが高い人が多く、割と周りに気を遣える人が多いので、自由に話し合いさせてるだけでなごやかな雰囲気で話し合いが進むことが多く、揉め事も少ない
 
仮にトラブルメーカーな人がいても
「そういう言い方は良くないよ。そういう態度はダメだ」
と参加者が注意してくれるから、ファシリテーターの人は特に何もしなくても良い場合が多い
 
レベルが高い人が多いと、集まって話し合うだけで和気あいあいと盛り上がるので、そういう語り合える場所を提供するだけで喜ばれていることが多いですね
 
だから
「はい、当事者会を始めま~す。自己紹介をお願いしま~す」
「はい、時間が来たので終わりま~す。お疲れさまでした~」
だけ言ってるだけの、大してファシリテーターとしての力がない人でも
「毎回20人以上集まる会を開催しているすごい人」
となっているケースもよく見る
 
 
 
ファシリテーターというものは、大して力がないファシリテーターでもレベルが高い人が集まっていて和気あいあいと盛り上がっていれば問題ないし
力があるファシリテーターの人でも、トラブルメーカーみたいな人がやってきてめちゃくちゃに暴れられたらどうしようもない
所詮、ファシリテーターとは無力な存在なのかもしれない
 
 
ただプロ野球でも監督が変わるとガラッと雰囲気が変わることがあるように
 
 
キャッチャーの良し悪しでピッチャーの成績も変わることもあるし
 
 
ファシリテーターの良し悪しで雰囲気が変わったりとか、より参加者が楽しめる会になることもある
 
 
 
けれどもファシリテーターというものは
「このプロ野球選手は打率.300ホームラン20本か、いいバッターだ。あのプロ野球選手は打率.100ホームラン1本か、あまり打てないバッターだ」
「この人のテストの点数は100点か、勉強ができるんだな。あの人のテストの点数は10点か、あまり勉強ができない人なんだな」
と数値化できない、目に見えないものだから、ファシリテーターの良し悪しというものは、自分でも周りの人もわかりにくいものだ
 
 
だから楽しい雰囲気でやれたら
「なんだ、ファシリテーターって大変、難しいと聞いてたけど、意外と簡単じゃないか。楽勝!」
と慢心してしまいがち。そうやって慢心するとファシリテーターとしての成長はない
 
「あそこはもっとこうしたほうが良かったな」
とか反省して自分で気づいて、自分で改善していければ、当事者会や自分自身の成長にもつながる
「もっとこういうふうにしてみよう」
など、自分でいろいろやってみて、うまくいくこともうまくいかなかったことも大きな経験になって、成長につながる
 
そうやって会も自分自身も成長させていって
「参加者の人が楽しみやすいように気配りや気遣いができて、全体を見渡す視野の広さがあって、参加者の意見をしっかり聞くが、聞きすぎないバランスがとれる人。」
というファシリテーターになれるのが理想
 
けれども、そこまでできる人というのは、上(定型社会)でも通用してしまうので、わざわざ当事者会でファシリテーターをやるより、上(定型社会)の社会人サークルなどに参加したほうがラクで楽しいので、下(当事者会)を卒業してしまって、当事者会でファシリテーターをやらなくなってしまう、というジレンマがある・・・
とはいっても、ファシリテーターの人がもっとレベルが上がっていけば、もっと良い当事者会になっていくんじゃないかと思う
 
 
 
 

横のつながりが少ない

大阪や関西の当事者会は、当事者会同士の横のつながり強い
会の終わりに
「来週の日曜日に○○で当事者会をやりま~す。着てくださ~い」
という告知タイムがあることが多かった。ところが東京の当事者会はあんまりやっているところが少なかった。大阪や関西の当事者会みたいに、もっと他の当事者会の告知もやっていったらいいのにな、と思った
 
 
まあたしかに他の当事者会を告知されると
「おお、他にも当事者会をやってるんだ、行ってみようかな?」
と他の当事者会に行ってしまい
「この当事者会は楽しいな、次からこの当事者会に参加していこう」
とそのまま参加者が違う当事者会に行ってしまう恐れはある
 
 
とはいっても、参加者の立場からしてみれば
「おお、他にも当事者会をやってるんだ、行ってみようかな?」
と他の当事者会に行って
「この当事者会は楽しかったな。もっと他の当事者会にも行ってみよう」
という気持ちになる。人間とは欲深い生き物なので、楽しかったらもっと楽しみたいと思うものですからね
 
そうやって参加者がいろんな当事者会に行くようになれば、発達界隈全体が活性化する
他の当事者会も盛り上がってくれば、当事者会に参加する人が増えてくるので、自然と自分の当事者会の参加者も増えて盛り上がる
 
これぞ「損して得とれ」ということですね
 
 
 
あと他の当事者会に参加した人が、また自分の当事者会に戻ってきたときに
「他の当事者会ではこういう話をしていた」
「他の当事者会ではこういう風に会を進行したいた」
という話を聞くことができる
 
そうすることによって
「そうか、そういう意見もあるんだな・・・」
「そうか、他はそういう風にやっているのか・・・自分もやってみようかな?」
「他はこんな感じなんだな。自分も負けないように頑張ろう!」
と参考になったり、刺激を受けたりして、お互いに切磋琢磨してより良い当事者会をやれるようになっていく
 
ファシリテーターとか当事者会の主催者をやっていると、大変なことも多いですし、
「自分だけが大変な思いをしているなあ・・・」
という孤独を感じることも少なくないですが、他の当事者会と連携していくことによって
「他の当事者会も頑張ってるし、自分も頑張ろう」
と気持ちの張り合いもできますしね
 
 
 
「でも参加者が他の当事者会に行ってしまって、自分の当事者会に来なくなるのは嫌ンゴ・・・」
と変に参加者を囲おうとしてしまうと
「生きづらさを抱える発達障害の人たちが、悩みを分かち合う場所を作りたい」
と思って当事者会を開いていたはずなのに
「わざわざ当事者会を開いている自分を、参加者から褒めて認めてほしいから、崇め奉られたいから当事者会を開く」
だんだんと当事者会の目的が変質してきてしまう
 
そういう自分の自己顕示欲のために当事者会を開くようになると
「ちょっとでも他の当事者会の話を出したら、ファシリテーターの人が露骨に不機嫌になるから面倒くさいなあ」
「『次も絶対来いよ、来なかったら殺すぞ』とか冗談でもぶっちゃけウザいな・・・。
メンヘラ地雷女かよ・・・」
「今はファシリテーターが自分の説教や自慢話するばっかりで、他人の話をほとんど聞かなくなって、楽しくなくなっちゃったなあ・・・。前は楽しかったのになあ・・・。
最近めっちゃ暑いし、休日に当事者会に行くのは面倒くさいから、東京オリンピックも見たいし、今日は行くのやーめた」
参加者にとって楽しくない当事者会になってしまって、滅んでしまう可能性もある
 
「何のために当事者会をやるのか??」
という初心を忘れないようにしたいですね
 
 
まあファシリテーターも人間なんで
「こんなに当事者会を頑張ってるんだから、みんなに認めてほしい、褒められたい、
多少は儲けたい」
 
「有名になってTwitterのフォロワーを増えて、イイネをたくさんもらいたい」
 
「発達界隈に多くの影響を与えられる、インフルエンサーになりたい」
 
などの欲や煩悩が湧いてくるのは仕方がない
 
そこで自分を見失わずに、欲を昇華できるかどうかも、当事者会のファシリテーターを続けるために必要な素養の1つなのかもしれない
 
 
 
 
以上のことから、当事者会の横のつながりや連携していくことによって、かえって自分の当事者会の発展につながる。なので東京の当事者会でも、もっと当事者会同士の連携を深めていくべきである
 
 
 
・・・と言いたいところだが、リスクもあるので述べておきたい
 
まず、いろいろ他の当事者会で告知をすると、逆に参加者が多く来すぎてしまう恐れがある。これまで10人ぐらいで当事者会をやっていたが、これが30人ぐらいに急に増えてしまうと、とっていた部屋に人が入り切らずにパンクしてしまったり、ファシリテーターの方の対応できるキャパシティを越えてしまってパニックに陥ってしまう可能性もある
 
特に東京は人口が多いので、あちこちで告知すると人がたくさん来すぎてしまう可能性もあるので気をつけたい
 
昔にケンカして辞めた当事者会は、参加者が増えてきて部屋に人がいっぱいになってたのに、さらに参加者を増やそうとしていたのは意味不明だった
 
 
 
あと、普通の人、まともな人、良い人が新たに来てくれるのであれば大歓迎だと思いますが、困ったちゃんとかのトラブルメーカーも来てしまう可能性もある
他の当事者会で問題を起こして追い出されて出禁になった人が来る可能性があるということだ
 
 
発達障害の当事者と一言で言っても、ASDが強いとかADHDが強いとか特性は人によって違うし、性格や考え方や価値観も人それぞれだ
だから
「あの当事者会に行ったけど、あまり楽しくなかった・・・。この当事者会はいろいろ話せて楽しかった」
という発達障害の当事者会と合う合わないというのもあるから、自分に合った当事者会を見つけることも大事
 
けれども、当事者会で嫌われるような人は、別の当事者会に行っても嫌われる可能性がある
はっきり言ってしまうと、嫌われてる人というのはどこに行っても嫌われるということだ
 
  • 自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
  • 自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
  • 他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
  • 話がやたらと長い
  • 同じ話を何度も繰り返す
  • 「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
  • 他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
  • 他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
という人は、どこに行っても嫌われることが多い。いくら発達障害の特性の影響が大きいと言っても、あまりにも自分勝手な人は当事者会でも持て余してしまう
 
このようにいろいろ他の当事者会で告知をすると、こういう問題を起こす人が来てしまって、自分の当事者会をぶち壊される恐れもある
入ってくる人の間口を広げると、そういう可能性も高まってしまうリスクもありますね
 
 
 
 
地下アイドルのファンの集いとか、マイナーなゲームのファンの集いとか、コアなファンが集まる和気あいあいとしている雰囲気が好きだったのに
ブレイクして一気に有名になって、新規のファンが多く入ってくると、ガラの悪いニワカのファンとか、他の界隈で追い出されたような問題がある奴とか、ただ騒いで暴れたいだけのピンチケの奴らなどが増えてしまう。そうするとファンの気質や雰囲気が変わってしまって、昔の雰囲気が好きだった古参のファンが去っていく、という話はヲタあるあるでよく聞く話だけどね