にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の人が定型社会で通用できるようになることの利点

そうやっていろんなことに気づけるようになっていくと、そのうち
「当事者会は人生がうまくいっていない人が集まっているので、そんな人が集まっていくら話し合ったところで、なかなか人生がうまくいく方法は見つからないんじゃないか?」
「こういうダメな奴らといっしょにいると、自分までダメになっていってしまうのではないか?」
「この人たちとは人生がうまくいってないから当事者会に来ているので、そういう人たちとむしろ違う思考、違うやり方をしていかないと、人生がうまくいかないのではないか?」
「当事者会の議論は、定型の会に比べるとものすごくレベルが低い。こんなところにいてもあんまり成長できないのではないか?むしろしょうもない揉め事に巻き込まれて消耗するだけだ」
というところに気づいてしまう
 
君のような勘のいいガキは嫌いだよ
 
 
お前は知りすぎた
 
 
 
 
 
 
基本的に当事者会とは、一般社会に馴染めなかった発達障害の人が、一人で悩みを抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合うために集まる会である。それが発達障害でも定型社会や一般社会に馴染んで居場所があるのであれば、別に当事者会に行く必要もなくなって行かなくなってしまう。それが当事者会からの卒業と呼ぶという気はする
 
ただ定型社会は
「自分は発達障害なんでできないんです。しょうがないんです」
と言い訳ができないので、非常に厳しいですけどね・・・
 
当事者会と定型社会はものすごい大きな差があるので
「当事者会では自分はかなりマシなほうだから、定型社会でもやれるでしょw」
というノリで定型社会に行くと
「当事者会ではマシなほうでも、定型社会ではこんなもんか・・・・・・・」
とプライドがズタズタにされるのがオチ
それを受けて
「やっぱり自分は所詮は社会不適合者の発達障害だから、定型社会でやろうとしても無理だ・・・。当事者会や発達界隈で生きよう・・・」
というのも正しい生き方だと思う
 
 
 
 
当事者会や発達界隈から卒業するかどうかは別にして
当事者会や発達界隈だけで定型社会に通用しない人よりも、定型社会でも通用するような人間になったほうがずっと生きやすくなるので、狙える人は定型社会でも通用できることを目指したほうが良いですね
 
 
 
利点としては劣等感やコンプレックスがなくなること
 
さっきに話した通り、発達障害の生きづらさとは何か?と考えたときに、特性によって社会生活が難しいという部分も大きいと思いますが
「お前は空気読まないしウザいだけだからマジでいらねえんだよ。早く消えてくれ。二度と来ないでくれ」
と社会性の無さから、一般社会で自分のことを認められずに否定され続けて居場所がなく、コミニティから孤立してしまっている、というところが一番生きづらさを感じる部分だと思います
 
 
そこで定型社会に適応できるようになって
「君といるととても楽しいよ。今日は来てくれてありがとう、また来てくれ」
と言われるようになると、劣等感やコンプレックスも解消されて、大きな自信や自己肯定感にもつながる。それに伴って精神的な不安定さも解決してく場合も多い
精神科の精神安定剤を飲むよりずっと大きな効果がある場合もある
これはとても大きいですね
 
 
 
 
あと、仕事がしやすくなること
発達障害の人というのは自分の都合しか考えられないので、会社において理解と配慮を求めるときは
「自分は発達障害なんだから、理解と配慮をしろ」
としか言えないが、定型社会の空気感がわかっていると
「この仕事は問題なくできますが、あの仕事は特性上できないので代わってもらえますか?その代わりの別の仕事をやります」
といったようなWin-Winになれるような提案ができる
 
 
自分だけじゃなくて、周りに気づいて考えられると
「この作業はこういう意味があるから、こういうところに気をつけて作業しよう」
「自分だけじゃなくて、周りにも気を使って仕事しよう」
といろいろ気づいて仕事ができる。そうすると
「君の仕事はすごくできていて助かっている。これからも頼むよ」
と周りからも評価されるので、それが大きな自信や自己肯定感につながる
 
最近はリモートなどの在宅ワークなども多いですが、会社の仕事というのは実力も大事だけど、コミュニケーション力の有無とか、周りへの気遣いとかも大事になってきますからね
 
 
現在、民間企業の法定雇用率は2.2%だ。これは逆にいうと1000人の会社だったら22人、100人の会社だったら2人しか障害者がおらず、あとは定型の人ということになる。このようにオープンであっても多数の定型の人と仕事をしていかないといけないので、定型の人に合わせられたほうが仕事はしやすい
社会全体でも定型の人が多数派なので、定型社会に合わせられたほうがだいぶ生きやすくなる
 
このように仕事もしやすくなって、それが自信や自己肯定感につながるのは大きい
 
 
 
 
それと、当事者会とかの発達界隈にいるより、定型社会に出たほうが大きく成長できる
 
価値観を増やしていったほうがどんどん生きやすくなる
定型社会の価値観も自分の中で取り入れられると上記のように生きやすくなり、価値観や自分の中の世界も広がる
 
それに社会でうまくいっておらず、劣等感や嫉妬にまみれた発達界隈の人よりも、社会でまっとうに生きている一般の人のほうがまともで、いろんな話も聞けるので、そういう人たちと関わったほうが得られるものも大きいし、自身も成長できる
 
 
先月の炎上騒ぎの際に
「発達界隈卒業する人間は修羅である」
みたいな意見があった
 
たしかに発達障害の人が定型社会に行くというのは大変なことも多いし、厳しく辛いことも多い
人によってはメンタルをやられる前に撤退したほうがいいかもしれない
 
けれども、そういう修羅場をくぐり抜けていく中で、いつの間にかものすごく大きく成長できる。当事者会や発達界隈で傷の舐めあいをしているだけのぬるま湯に浸かってるような人よりもずっと成長できている
 
 
なろう作品で「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」とか、よくわからないのがあるけど、リアルだとぬるい環境でがんばってもそんなに成長できない
周りのレベルが高いような厳しい環境で揉まれて、周りに追いつけ追い越せとがんばったほうが大きく成長できますね
 
 
まあ変に厳しい環境で無理するよりは、焦らずじっくり土台を固めたほうが良いケースもありますが
 
 
逆に当事者会に発達界隈にいると
「悪いのは発達障害への理解と配慮がない日本社会と、首相と自民党が悪いのであって、自分は何も悪くないんだ。そうやって他人とか社会のせいにしていればいいんだ」
「みんな周りに気を遣うとかせずに思ったまま発言するだけだし、自分もそうやって思いつくままに発言しよう」
「他人に気を遣うとか面倒くさいだけだな。自分の都合だけ考えよう」
「人に迷惑をかけるのは当たり前なことだから、いちいち謝る必要もないんだ。むしろそれによって自分が傷ついたんだから、相手こそ謝るべきなんだ。運に感謝して、努力なんかしないほうがいいんだ」
とダメな人に影響されて、自分もどんどんダメになっていく感じがあった
だから当事者会に発達界隈には深入りしないようにして、染まらないようにしていました
自分は一般社会でも通用するようになる、というのを目標にはしていたんで、いくら当事者会や発達界隈では良くても一般社会で通用しなかったら意味がないですし
 
 
定型社会に行ってしばらくしてから
「そういえばたまには当事者会に行こうかな」
と久しぶりに当事者会に行ったら
「ああ・・・・・・・・当事者会、発達界隈ってこんなにレベルが低いんだ・・・・・・・・。単に定型の人と違って発達障害という障害があるので、その障害や特性のせいで能力が落ちる、ということだけじゃなくて、会話のレベルも考え方も何もかものレベルが低い。特に人間性が本当に幼稚な人が多い。
なんかもうここは動物園だな」
とレベルの低さに絶望した(東京とかの一部の当事者会だったらそこまで差がなかったりするけど)
 
 
そうやって感じるほど、定型社会に揉まれてるうちに大きく成長できたんだ、という成長を実感できました
これらのことから、発達障害の人でも上(定型社会)に行ける人は行って、いろんなことにチャレンジしていったほうが、人間的にも大きく成長していけますね
 
 
 
 
 
あと、それと定型社会に通用できる利点としては、最悪「発達界隈卒業」というカードが切れること
 
 
この前に「30歳の人で転職しても不満ばかりの人と新卒の会社を辞めずにうまくいく人の差は、転職できるというカードを持っているかどうか」というネットニュースを読んだ
仕事で大事なのは
「自分はどうせこの仕事を辞めても、多少は待遇は悪くなるかもだけど転職できるだろう」
と思えるぐらいのスキルとか実力があることらしい
 
そういうのがあると、(当然、目の前の仕事を一生懸命にやるのが大事だけど)どこかで心の余裕が生まれる
 
だから仮に
上司「おい、この仕事を明日までに徹夜してでも終わらせろ!」
「ええっ、昨日に大きな仕事を終わらせたばっかりですよ?」
上司「なんだと!この仕事は至急の仕事なんだぞ!お前の代わりはいくらでもいる、やる気がないなら帰れ!」
とかめちゃくちゃなことを言われたときも
「わかりました、もう帰ります」
と、身体を壊す前に辞めようかな、こんな仕事続けるよりは転職したほうがマシだな、と帰れる
 
そういう他の企業からも必要とされるような人材だったら、そういう人が居なくなるとその会社も仕事が回らなくなってとても困るので
「戻ってきてくれー会社を辞めないでくれー」
と連れ戻される
 
 
これと同じことは当事者会でも言える
一般社会でうまく適応できずに当事者会にしか居場所がない、というケースだと基本的に何があってもそこに居続けるしかない
 
ところが当事者会というのは社会で適応できないコミュニケーション力に難がある人が多いので、態度が悪い人と関わって嫌な思いをすることも多いし、炎上騒ぎとか揉め事に巻き込まれることも多い
 
たとえば、特性がひどい人がいて
「こんなことも知らないんですか?バカですか??」
とか言ってくる人がいて、それについて反論したら
「なんだと、この野郎!お前が俺様につっかかってきたのが悪いんだろうが、謝れボケ」
とか言われても、そこを離れたら自分の居場所がなくなってしまいますから
「すいませんでした・・・・自分が悪かったです・・・」
と言うしかない
 
けれども、自分が一般社会に通用していると
「ああ、こんな当事者会にいても時間のムダだな。むしろこんなところにいたら自分もダメになる。こんなところさっさと卒業するか」
という判断もできるので
「ああ?なんだとゴルァ。やんのかコラ、最初につっかかってきたのは『バカですか??』とか言ったお前だろ。お前が謝れよボケ。バカですか??
発達障害だったら何やっても許されると思うなよ」
と、こっちもバーンと思い切って言い返せる
 
それに対して
「なんだと、この野郎!お前が悪いんだよお前が、早く謝れよボケ」
とかまだ何か言ってくるようだったら、こんな頭おかしいやつと付き合ってられないので、本当に当事者会から完全に縁を切って卒業すればいいし
 
 
「すいませんでした、言い過ぎました、許してくださいお願いします」
と態度を変えてきたならば
「まあこっちも言い過ぎたよ。これからは仲良くしようぜ」
と和解して居続けるのもいいし
「こんな頭イカれてる奴といっしょに居れるかよ」
と感じるのならば当事者会から完全に縁を切って卒業すればいい
 
 
 
こうやって立場的に有利に立てるから
「こうしなくてはいけない!」
じゃなくて
「どうしようかな~」
と、精神的に余裕を持った判断ができる
また、そういうことが自分の尊厳を守ることにもつながる
 
 
忌憚なき意見を述べると、当事者会に来るような人というのは一般社会などに居場所がなく、当事者会や発達界隈にしか自分の居場所がない人が多い
 
そういう人は居場所を失うことが怖いので、なかなか主催者やファシリテーターの方に思い切ったことが言えない場合が多い。参加者に何も文句を言われず、何をしても賛同してくれるのを良いことに主催者やファシリテーターの方が増長してしまって、傲慢な振る舞いをしてしまっているような当事者会もある。
そういう会に行って
「あれっ、こういうのっておかしくないですか??」
と言うと全員から袋叩きにされることもある
たとえば
発達障害へ理解と配慮を求める、というのはわかるけど、自分なりに努力や工夫することも大事じゃないですか??」
とか言うと
「いやいや、発達障害への理解と配慮が足りない定型社会が悪いんだよ。お前、頭おかしいのか?」
「そうだ!そうやって周りの意見も聞かずに自分の意見を一方的に主張するのは、発達障害の悪い特性だぞ!」
同調圧力で潰そうとしてくる
こういう人たちって劣等感やコンプレックスが強いから、優越感を得ようと徹底的に弱い者いじめをする傾向もあるし
 
まあこういう当事者会で楽しんでる人もいるし、必要な人もいる
けれどもその人たちにとっては必要でも、自分にとって必要とは限らない。そのような空間が自分にあまり合っていないと感じたときに、「発達界隈卒業」というカードを切れるのは大きい
「てめえはメサイア・コンプレックスをこじらせているから『人を救うことで自分が救われたい』と思っている。だから他人が自分に頼ってきたり依存してこないと困るので『当事者会卒業』『自立して生きる』とか言う人は潰すのか。この偽善者め。
『定型社会の同調圧力によって発達障害の人は苦しめられている』とか言ってるクセに、自分たちはそうやって気に入らない人は同調圧力で潰すんだね。『発達障害へ理解と配慮を』とかほざいてるけど、要は自分が救われたいだけ。自分さえ良ければ他人なんざどうでも良いってことでしょ。人間のクズが
おかしいのはお前たちのほうだ!」
とはっきりと「NO!」を突きつけることができる
 
 
 
 
 
あと揉め事に巻き込まれたとき、このように言い争いになったときに
「こういうことは良くないんじゃないか、と思うんですが・・・・」
自分に自信がないと、言い返すときも自信なさげな言い方になって、相手から舐められやすくなる
 
「なんだコラァ、ふざけんなよお前。なんだその態度は」
自分に自信があれば、心理的に余裕があれば、はっきりと言い返せる
このように自分に自信がある人というのは、発言にも芯が強く言える
 
 
発達障害の人は空気は読めない人は多いけど、危機察知能力はムダに高い人が多い。自分より弱い人には威張り散らすクセに、いざ自分に危害が及ぶ気配を感じると急にビビりだす人が多い
だから芯が強い発言ができると、あんまり言い争いに巻き込まれることは少なくなる。イキリオタク、ヘタレヤンキー、野生動物と同レベルですね。
 
ヘタレたちよ
現在、STU48の7thシングルの握手会、じゃなくてお話会券を販売しているのでみんな買おう。(ステマ
 
 
それと、こうやって変な争いに巻き込まれて、言い争いになってしまったときも
発達障害の障害による影響というよりも、あなたの人間性が劣っているだけじゃないですか?そういうことをやってるから上(定型社会)で通用せずに、下(当事者会)にいるんじゃないですか?」
「発達界隈では『発達障害の特性の影響だからしょうがない』で済むけど、それ一般社会だったら単なる『わがまま、自分勝手、独善的。自己中心的、ジコチュー、人間のクズ』なんだよ
貴様の様な奴はクズだ!生きていちゃいけない奴なんだ!!」
「他人や周りに散々迷惑をかけても謝れないとか、『悪いことをしたら謝りましょう』と小学校か幼稚園の先生から教わりませんでしたか?小学校か幼稚園から人生をやり直したらどうですか?そんな幼稚園児でもわかることすら理解できてないなんて、あなたはその年になるまで、一体何をして生きてきたんですか??」
 
と一般社会、定型社会からの目線からの意見で、上から殴るような反論ができる
 
 
「馬鹿の一つ覚え」
という言葉があるように、発達障害の人は1つの問いに1つの答えや根拠があれば満足しがちだから、角度が違うというか、違う根拠から別の意見を出せれると対応できないケースが多い。正面から来る反論には対応できても、上か横からの反論には脆いことが多いので、そこから簡単に崩せることが多い。
同じ目線で戦うと苦しくなるので、いかに上か横から叩けるか
 
上から来るぞ、気を付けろぉ!!
 
ガンダムとかのファンネルで包囲殲滅する感じ
 
 
 
こういう感じで言い争いでもかなり優位に立てる(場合や状況にもよるけど)
正直言うと自分もあんまり喧嘩はしたくないんだけど、下(当事者会)だと
「マジでふざけんなよ本当に。こいつブチ殺してやろうかな」
とか思うほどストレスがたまることも少なくないしなあ
「そもそも上(定型社会)じゃなくて下(当事者会)にいるのが悪い。自分が下(当事者会)にいるのが悪い」
というのが正論なんだけどね
 
 
 
 
ただ一般社会とか会社の場合は
「自分の意見をしっかり主張する」
「言うべきときは言う」
「上司などに自分の意見をしっかりと伝える」
「議論や会議やプレゼンテーションにおいて、自分の意見をしっかりと述べる」
ということは大事ではあるが、いかに言い争いは避けるかが大事になってくる
 
定型の人は
「変に言い争って体力や気力を消耗するのは嫌だなあ」
「仮に徹底的に言い負かしたとしても、相手の機嫌を害して変に恨みを買うのは嫌だなあ」
「変に口論になって悪口を言い合うと、あとで嫌な気持ちになるから嫌だなあ」
「変に口論とかやると『あの人ってなんか急にヒステリックに怒り出したりして怖くない?あんまり関わりたくないよね~』と周りに嫌われる要因になるから嫌だなあ」
と戦いを嫌う人が多いので、あんまり変に口論する人は嫌われやすいので避けたほうがいい
 
特に今は
「なんでこの仕事できてないんだ、やる気あんのかコラァ!」
とか言って怒鳴りつけるとパワハラになる可能性もある
 
孫子の兵法においても
「百戦百勝は良いとは言えない。戦わずして勝つのが最善である」
と書いてあるとおり
 
誰これ構わずに喧嘩をふっかけるのは、ただの(昔の)不良やヤンキーである
口論や炎上などは、所詮は他者を否定することでしか自分を肯定できない、自分の意味を見いだせないような小物のやること
戦わずして勝つのが最善
 
 
特に今の時代は怒ったり、怒鳴りつけたりするんじゃなくて、それ以外の方法で自分の主張を相手に伝えて、相手の考えに影響を与えたり、変えていくことができるかどうかが大事になっていると言える
 
 
 
以上のように、発達界隈や当事者会だけじゃなくて、定型社会に通用する人間になれたほうが、これまでよりずっと生きやすくなる、人間としても大きく成長できると思いますね
 
 
 
 
会社とか仕事の場合は、多少嫌なことがあっても続ける必要があるし、辞める場合はちゃんと伝えて退職届を出さないといけないけど
 
当事者会というのは
発達障害の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合わなければならない」
というのは主催者やファシリテーターの人が勝手に言ってるだけであって、行かなければならない義務があるわけではないので
楽しかったら行けばいいし、楽しくなければ行かなければいい
自分の人生において行く意味を見いだせていれば行けばいいし、行く意味がないと思えば行かなければ良い
 
所詮はそれだけのこと
 
 
「つまらない、楽しくないと思ったら行かない」
という手段が取れるように、当事者会に行くにしても1つの当事者会だけ行って依存するんじゃなくて、いろんな当事者会に顔を出すようにするといいかもしれない
 
アイドルヲタでも、熱心に推していた子が卒業したらショックで立ち直れなくなってしまうので、いろんな子を推すDD、誰でも大好きになることでショックを和らげてるヲタもいる。田中将大とか。
・・・・・・・・・・・・・・まあ価値観は人それぞれですし、趣味をどう楽しもうとその人の自由なんで・・・・・・・
 
 
 
 
 
「何をするのが自分にとって適切なのか?何が自分にとって何が正しいのか?」
ということを考えて、ビジョンを持って行動していくことが一番大事なことなのかもしれない

発達障害の人は気づく力を伸ばすべき

当事者会に行くと、発達障害の人はあんまり食事に興味がない人が多い印象がありますね
 
あるとき、当事者会で意気投合してLINE交換した人がいたけれども、その人が
「ちょっと会って話をしましょう」
ってLINEで言うから、会いに行っていろいろ話をした
一通り話し合ったときに、時刻がちょうど昼過ぎぐらいだったので
「時刻も昼過ぎでお腹減ってきたから昼ごはんにしよう。どっかこの辺でおいしい店とかない??」
って聞いたら
「いや、知らないです・・・」
と返されてびっくりした
わざわざこっちが出向いて来てるのに、近所の店を知らないとはどういうことだ??あなたの地元でしょ??
 
 
野獣先輩みたいに
「この辺にィ、美味いラーメン屋の屋台来てるらしいっすよ。じゃけん夜行きましょうね」
とパッと言えないと
 
そういう気の利かないところが上(定型社会)と下(当事者会)の差ですね、そういうとこやぞ
 
 
まあ飲食業って入れ替わりが激しいから、前に行っておいしかった店があったので
「この辺にィ、美味い店あるんっすよ。じゃけん行きましょうね~」
と行ったら閉店してなくなっていて
「ファ!?(デデドン)」
というケースも結構あるし(最近はコロナ禍の影響で閉店する店も多いしね・・・)、そういうのはしょうがないけどね・・・
 
 
 
 
ただ、発達障害の人は食事とかに無頓着すぎる人が多いですね
上(定型社会)の人と下(当事者会)の人で何が違うのか?という部分を考えたときに、一番大きく違うのは「気づく力」「共感性」のところだと思う
 
 
定型の人は、人と話すときは
「なんか自分の話に興味を持って聞いてくれているな」
「なんか自分の話を適当に聞き流してるだけだな・・・」
「この話題には妙に食いつきがいいなwこの人はこの話題に対して興味があるんだな」
「あれっ・・・今、顔をしかめたな・・・。なんか気に障ることでも言ってしまったんだろうか・・・」
相手の表情とか反応を見ながら話せる人が多い
 
 
一方で発達障害の人なんかは、相手の表情や反応を見ずに話す人が多い
だから自分の言いたいことだけバーッと話すだけの人が多く、ひどい場合は一方的にバーッと話してしまってマシンガントークとなったり、会話のドッジボールと化す
 
 
発達障害の人であっても上(定型社会)でも通用する人はそこらへんができる人が多い
逆にそこができないと、下(当事者会)では良くても上(定型社会)ではなかなか難しいですね
そう考えると、そこができるかできないかが、発達障害の人であっても上(定型社会)でも通用する人なのかそうでない人なのかの境目と言っても過言ではないのかもしれない
 
 
そういうことに気づけずに、人が聞く気がないときにバーッと話してしまったり、相手を傷つけるようなことを言って怒ってても気づけなかったりして、だんだん周りから嫌われるようになっていってしまう
 
こうなったときに
「自分が悪い」
と気づけないので
「自分が発達障害だからって、定型発達の奴らは自分を差別していじめてるんだ!」
「周りが発達障害への理解と配慮が足りないから、発達障害の自分への当たりが強くなるんだ!社会が発達障害への理解と配慮が足りないのが悪いんだ!」」
というふうに考えて
「相手が悪い」
と他責にして、相手や周りを変えようとしてしまうので、なかなか根本的な社会性における問題が解決しない
 
 
 
まあそれが特性の影響などでできないのが発達障害である、という気はしますが
 
ただ発達障害は治らないので特性がなくなることはないが、そこに気づいてそこは改善していければ、社会性の改善はしていける可能性がある
 
そもそも発達障害の生きづらさとは何か?と考えたときに、特性によって社会生活が困難な部分も大きいと思いますが
 
「お前は空気読まないしウザいだけだからマジでいらねえんだよ。早く消えてくれ。二度と来ないでくれ」
社会性の無さから、一般社会で自分のことを認められずに、否定され続けて居場所がない、コミニティから孤立してしまっている、というところが一番生きづらさを感じる部分だと思います
 
 
「社会は発達障害への理解と配慮をしろ!」
という主張も、要は一般社会から爪弾きにされたことへの
「社会や周りに自分のことをを理解してほしい、認めてほしいんだ」
という、劣等感やコンプレックスの発露、自己顕示欲の暴走がしている結果に見える
 
 
 
こうやって周りから嫌われる人というのは、会社でも人間関係などがうまくいかなかずに続かなかったり、コミュニティでも揉めて追い出されたりしてしまって、金も友人も失うものは何もない、いわゆる無敵の人になりやすい
 
 
 
そうやって人生がうまくいかない劣等感、コンプレックス、孤立感が強くなりすぎると
「社会から村八分みたいになって誰からも嫌われていて孤独だし、会社もクビになりまくるから金もない・・・・・・
普通に何不自由なく楽しく幸せに生きている、定型発達のリア充どもが憎くくてたまらない・・・
このまま野垂れ死にするよりは、いっそ定型発達どもを皆殺しにして道連れにしてやるぜ、ウヒャヒャヒャヒャ」
と犯罪行為に走る可能性もある
 
 
 
実際、発達障害関係のTwitterを見ていると
「定型発達たちをやっつけろ」
といったツイートも多く見られますしね
 
あと、発達障害の人というのは0か100かの白黒思考で考えてしまって
「あいつは悪い奴だから何をやっても構わないんだ。定型発達どもはムカつくから殺したって構わないだろう」
とかの極論、極端な考えをしてしまいがちだし、認知の歪みから誤った考え方をしてしまうことも多く
衝動性も強いから、そう考えていくと、もしかしたら発達障害の人の犯罪率は定型の人より高いかもしれない
鈴木マサカズが描いてるこっちの作品もおすすめ
 
 
発達障害の人の少年犯罪の確率は、定型の少年の犯罪の確率に比べて12倍高いというデータもあるみたいですからね
 
まあこの動画の後半でも言ってるように、単に発達障害の人は犯罪率が高い、というよりは発達障害の人は親から虐待を受けることが多いので、家庭環境の悪さや家族間の不仲から非行に走ってしまうケースが多いみたいですが
 
それにしてもこの動画は、お医者さんとか福祉関係者とかの話よりも、ずっと発達障害について的を得た意見が多いな。アウトローの方のほうが発達障害を理解しやすいのかもしれない。というか社会から除け者にされた社会不適合者の人の気持ちや行動原理というものは、同じく社会のレールから外れているアウトローの人のほうがよくわかるんだろうな。所詮は社会でまっとうに生きているお医者さんや福祉関係者の方には、わかろうとしてもわからないのかもしれない
 
 
 
そうやって考えると、社会や周りに対して発達障害への理解と配慮を求める場合に
発達障害への理解と配慮を求める!」
と単に要望するんじゃなくて
発達障害の人への理解と配慮が足りていないせいで、一部の発達障害の人は賃金も少なく生活も困窮し、さらに社会からも完全に孤立してしまっている。こういう人の中には、社会への逆恨みから犯罪行為に走る人もいるかもしれない。現に2018年に東海道新幹線車内殺傷事件という、発達障害の少年が刃物で乗客3名を死傷させる事件がありました。
このように、社会の発達障害への理解と配慮が足りないせいで、発達障害の人が社会的弱者となってしまい、そういう人の中にはヤケになったり社会への逆恨みから犯罪に走ってしまうかもしれない
そうさせないためにも、社会から発達障害へ理解と配慮をすることによって、発達障害の人を社会的弱者にしないということが大事なんだ!」
と要望したほうが動いてもらいやすいかもしれない
 
だがこれは要は
「我々発達障害は犯罪者予備軍である。犯罪を起こされたくなくば理解と配慮をしろ!」
と自分たちは反社会であると言ってるようなものなので、ヤクザの恫喝とあんまり変わらないような気もしますが
 
 
 
 
 
・・・・・・・おっと、なんか変な極論になってしまったな・・・
 
話を戻すと、上(定型社会)の人と下(当事者会)の人で何が違うのか?という部分を考えたときに、一番大きく違うのは「気づく力」「共感性」のところだと思います
 
では発達障害の人が「気づく力」「共感性」を身につけるにはどうすればいいか??
発達障害の当事者会に多く参加して、いろんなことを話し合うとともに、コミュニケーション力をつける、というのも悪くはないが・・・
「気づく力」そのものを上げていかないといけない
 
 
では「気づく力」そのものを上げるにはどうすればいいか?
感性を磨いて、感性を豊かにしていくこと
 
では感性を豊かにするにはどうすればいいか?
いろんなことに興味や関心を持つこと
 
 
 
発達障害の人というのは視野が狭く、興味や関心を持っている範囲が一般の定型の人に比べると、あまりにも狭すぎる人が多い
たとえば鉄道にはものすごい興味があるけど、他のことには全く関心がないとか
 
まあ鉄道に興味があるというのは良いことだし
他のことを気にならないほどに打ち込めるものがあるというのは素晴らしいことだ
 
 
ただそうやって生きていて、生きづらさを感じるのであれば
「鉄道とか、Twitterで発達関連のツイート見ることだけやっていればいいんだ」
という考え方じゃなくて、いろんなことに関心を持つようにすること
 
「9月に入っても暑い日は続くが、夜は涼しくなって過ごしやすくなったな」
「昨日は雨模様だったけれども、今日は雲ひとつない快晴だ!」
「たまには近所を散歩してみよう。そういや近所にこんなに緑にあふれた公園があったんだな」
「そういえば駅前に新しいレストランが開店したみたいだなあ、一回行ってみようかな?」
「近所の美術館で○○展とかいうイベントをやってるんだな、イベントやってる間に行こうかな」
「この歌手の曲はなかなか良さげだな。CDを借りてみようかな」
「たまにはTSUTAYAで映画や漫画をレンタルして家で見よう。アマゾンプライムとかでなんか映画を見よう」
とか何気ない日常とかでもいろいろ関心を持つことだ
 
そうやっていろんなことに関心を持つと、これまで気づけなかったいろんなことに気づけるようになってくる
 
そのようにしていろんなものに関心を持っていると、いろんな感性が磨かれていって
「たまには近所の川沿いをゆっくり散歩したり、公園でゆっくりしていると気分が落ち着くなあ。現代社会であっても、いや現代社会だからこそ、自然とゆっくり過ごす時間が人間には必要だ」
「いやー、近所のラーメン屋のラーメンがめっちゃうまいな。仕事で疲れたときはここのラーメンを食べると元気が出るな」
「たまには美術館で絵画を眺めるのもいいもんだなあ」
「この歌手の曲を聞くと元気になるなあ。あの音楽を聞くといつもより集中できる気がする。その曲を聞いてから寝るとよく寝れる気がする」
「辛いときは映画を見るに限るなあ・・・」
といった自分の感覚がわかってくる
 
こういう
「自分は何をしているときが楽しいのか?幸せを感じるのか?どういうときにリラックスできるのか?どういうときに集中できて、自分のペースで作業できるのか?」
ということがわかるきっかけになるときもある
 
そうやって
「今日は仕事で疲れたから、おいしい料理でも食べに行こう」
「なんか在宅ワークが続いて気分が乗らないので、たまには家の外に出て散歩しよう」
「音楽を聞いて気分を上げていこう」
自分で自分の体調や気持ちに理解や配慮ができるようになると、生きづらさも緩和されてくる
他人や周りに自分への理解と配慮を求める前に、まず自分で自分の体調や気持ちに理解や配慮していくことが大事だ
 
 
こういうことを言っても、理論や理屈ではなくて感性や感覚なので、わからない人にはいくら言ってもわからない
考えるんじゃなくて感じていって、自分なりに感覚や感性を掴むことが大事
 
 
そうやって感性が豊かになると、いろんなことに気づけるようになる
人の心情の機微とかがわかるようになってきて、字面にとらわれずに場の流れとかがちょっとはわかるようになってくる。俗に言う「空気を読む」というものですね
 
あと
「9月に入っても暑い日が続いてイヤになっちゃうよ~」
「あそこのラーメン屋が結構ウマいんだよ~」
「休みの日は運動も兼ねて散歩するに限るね」
という他人との他愛もない会話でも
 
「そう…(無関心)」
と無反応で終わるんじゃなくて
 
「わかります!休日は外の風を感じながら近所を歩くのがいいですよね~いい気分転換になります」
感覚に共感できるようになってくる
 
 
 
人間というのは共感してくれる人には好感を持つけど、逆に共感してくれない人には反感を抱く
 
たとえば定型の人に発達障害について説明したとして
「けどさあ、いろいろやるべき作業が重なってパニックになるとか、ついうっかりして他の作業を忘れるとか、普通の人間でもよくあることじゃんwそれってただの甘えだよねw発達障害を言い訳にして、自分のミスとかクズさを正当化してるだけだよねw」
とか言われたりすると
「なんで理解しやがらねえんだよボケナス。これだから定型発達のバカアホどもは・・・・・・」
と反感を抱いて心を閉ざしていってしまうけど
 
 
「そんなに不自由だとこれまで社会で生きていく中で大変だったでしょう・・・。辛かったですね・・・」
と共感してくれると
「自分の発達障害の生きづらさをわかってくれるなんて、この人はなんて良い人なんだろう」
と好感を抱いて、心を開いて全幅の信頼を置く
 
 
こうやって人間というのは共感してくれる人には好感を持つけど、逆に共感してくれない人には反感を抱く
だから相手に共感できる共感性がある人というのは、いろんな人から好かれやすくなる
 
特に下(当事者会)だと、社会でうまくいっていない人が集まっていて、そういううまくいかないことへの愚痴を吐き出したいだけの人が多いので
「わかる~」「せやな」「そだねー」「おっ、そうだな(便乗)」「それな」
と共感したり
「なるほど、上司に厳しく怒れれて辛かったんですね~」
とオウム返しをすれば、相手にとっては自分の気持ちに共感してくれたことになって
「この人は自分の気持ちをわかってくれるいい人だ!」
ということになって、良い人と認識されやすくなる
 
 
基本的な他人への姿勢としては正しい
コミュ障のキモヲタとか発達障害の人は、人の話に否定から入る人が多いしね
 
 
 
ただ上(定型社会)だと、ほぼみんな空気を読めるから
「こいつは適当に合わせてるだけだな。それっぽいこと言ってるだけだな」
と、単に合わせてるだけ、それっぽいことを言ってるだけだと見抜かれるケースが多い
感覚とか感性を磨いて、心から共感できるようにならないと通用しない
 
「この人は本当に本心で言ってるっぽいな」
「こいつは良いこと言ってるけど口先だけだなw出任せでそれっぽいことを言ってるだけだな」
と、ある程度は見抜けるかどうかが、上(定型社会)で通用するかどうかの大きな差という気はする
 
「うーん、この人の言ってることは正しいんだけど、なんか違和感があるんだよなー」
「こいつはこれについて聞いたときに、具体的なことについてははぐらかしたり、目が泳いでるのが気になるなー」
というふうに気づけるようになる。そのために気づく力、感じる力を身につけていくことが、発達障害の人の課題と言えるかもしれない
 
 
とはいっても、なろう作品じゃないんだから
「ある日、目が覚めたら急に空気が読めるようになっていた!」
ということはない。地道にやっていくしかない
 
 
 
 
個人的に思うに、発達障害の人が気づく力、感じる力を身につけていく一番良い方法としては、当事者会に行ったときの感想
「いろいろ話を聞けて良かった」
と言うのをやめることですね。それは当事者会に行っただけで満足しちゃってる
 
そうではなくて、たとえば
「『常にポジティブに、という意見もあるが、落ち込んだときはとことんまで落ち込んだほうが良い』
というのはその通りだ。この意見は参考になった、辛いときがあったときは試してみよう」
 
「『定型の社会人サークルは宗教勧誘だらけでめちゃくちゃである』
という意見には賛同できない。たしかに一部ではそういうこともあるかもしれないが、いくら定型の人や定型社会に劣等感やコンプレックスがあるからといって、必要以上に敵視したり悪く言うのはいかがなものだろうか??」
 
「『話をよく聞いて傾聴が大事、というけれども、それだけじゃなくて自分から話してくことも大事だ』
という意見があったが・・・。たしかにみんなが積極的にどんどん意見が出る話では、自分も積極的に食い気味に行かないと何も発言できずに、存在を認めてもらえずに終わるかもしれない。ただ、そういう姿勢はややもすると、自分だけ一方的に話してしまうことにもなりかねない。時と場合によるのではないか?
というよりは、要はあなたが話したいだけ、自己顕示欲を満たしたいだけなのでは?」
 
「あの人のパッと自分の意見を言うのではなしに、相手の話をじっくり聞いた上でアドバイスする姿勢には好感をもった。自分もああゆうふうにできる人になりたい」
 
「この人の態度が悪かったのは良くなかった。一人でも機嫌があからさまに悪い人がいると、影響されて自分まで嫌な気持ちになってしまうな。ああゆうことはしてはいけない」
 
といったように
いろいろ話を聞いた上で、自分はどう思ったのか?どう考えたのか?
ということをしっかり挙げることですね
当事者会に参加したら最低1つを挙げるようにして、慣れてきたら2個3個と挙げられるようにする
 
「今日は天気が晴れていて、9月といっても晴れた日はまだまだ暑い日が続いている・・・・会場に着くまでにノドが乾いてしまったので、ペットボトルを買っていくべきだったな」
新宿駅で乗り換えのときに迷ってしまい、30分以上も駅を彷徨って心身ともに疲れてしまった・・・・・。いったんスマホの地図アプリで確認したほうが良かったな・・・」
「当事者会に参加したあと、帰り道で一人でラーメン屋でラーメンを食べて帰った。当事者会でフルに頭や身体を使ったあとに食べるラーメンが妙にウマいのはなぜだろう」
 
とかの当事者会への行き来の道すがらの事柄も入れても、上(定型社会)で通用するようになるには最低10個は挙げられるようになる必要があると思いますね
そうやって1聞いて10知る、1聞いて10考えられるような人になっていかないといけない
 
発達障害の人は1聞いて1知る、という言われたことしかできない、わからない人が多いですが、それだと上(定型社会)では厳しい
 
 
 
 
上(定型社会)で通用するには、自分で気づいて、自分で修正してく力が必要不可欠になってくる
 
・自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
・自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
・他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
・話がやたらと長い
・同じ話を何度も繰り返す
・「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
・他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
・他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
これに対して注意されたり、悪く言われたりしても
「えっ、自分の何が悪いんですか??事実を言っただけですよね??それの何が悪いんですか??」
と気づけない人は
「普通にしてただけなのに、急に定型発達の奴らが『空気嫁』『ウザイから消えろ』とか言ってきやがった。なんだあいつらは、意味わかんねえよ。当事者会ではそんなことあんまり言われなかったのに」
と、なんで自分が悪く言われるのかがわからずに終わる
 
 
発達障害の人が定型社会で通用するようになるには、そうやって気づく力、気づいて修正する力がないと難しい
「定型社会と当事者会ってどう違うのか??」
という違いに気づける人じゃないとなかなか難しいですね
 
相手や周りを不愉快にさせてしまったときに
「ああゆうことをしたのは良くなかったな・・・次は気をつけよう」
自分で考えて、自分で修正していける人が上(定型社会)でも通用する
 
上(定型社会)に適応しきれずにできずに下(当事者会)に戻ることになっても、そこらへんを気づけてる人は
「下(当事者会)だけじゃなくて、上(定型社会)でも通用ようになるには、こういうことを考えて、そういうことができるようにならないとな」
と下(当事者会)での取り組み方も変わってくる
 
そうやって気づけるかどうかが大きな差になってくる
 
ただこういうのにパッと気づけるようになるには、これまで述べてきたようにいろんなことに興味や関心を持つこと
あとは当事者会に参加したときに、感想なり、思ったことや考えたことを毎回、最低10個は挙げられるようになることじゃないかと思う
 
 
 
いろんなことに興味や関心を持つ、といっても、たかが日々の風景や天候、たかが食事、たかが音楽や映画、たかが当事者会の感想、と
「たかが○○でしょwそんなことやったって気づけたり、空気が読めるようになるわけないでしょw」
という「たかが」という部分を軽視する人はなかなかうまくいかないじゃないかと思いますね
 
そういう細かいところからミスが出たりして、せっかくうまくいきかけてたところでもそこからリズムとかが崩れることが多いですね
 
「微差は大差」
という言葉がありますが、そういう細かいところから見直していくと、こういうちょっとした気づきができるようになってきて、意外とそういうところから大きな成長のきっかけになるときも多いですからね
 
 
「様々な価値観に触れる」というのも良いと思います

発達障害の人は身体の健康に気をつけるべき

発達障害の人が生きづらさを少なくして、楽しくいきていく方法は
「自分が楽しめる娯楽を見つける」
「当事者会に参加する」
SNSなどで自分の意見を発信する」
発達障害に理解や配慮がある会社で仕事をする」
「様々な価値観に触れる」
「生活環境を見直して、自分がラクに過ごせる環境を構築する」
ということが大事だとは思いますが
身体の健康に気をつける
ということが、生きづらさを抱える発達障害の人には特に大事ではないかと思う
 
 
 
「自分の障害を相手に理解してもらうために、発達障害への理解と配慮を求める」
ということも大事かもしれないが、個人的に思うのは健康的な食生活をして、まず自分が元気になることだと思う
 
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉もありますが
楽しく生きるためにも、身体が元気でないといけない
では身体が元気でいるにはどうすればいいか?
それには適度な運動、栄養バランスのとれた食生活が必要になってくる
 

適度な運動

 
まずは適度な運動
障害者雇用だと事務職の人が多いので、デスクワークの人が多い
それにパソコンやスマホで発達関連のTwitterなどずっと見ていると、肩や腰などの身体が凝ってくる
 
そうやって身体が凝ってくると、なんかいつも疲れている気分になってきて、なかなか元気に活動できなくなってしまう
 
 
 
家電製品屋でおいてあるマッサージチェアとかが家にあって使えたら良いですが、びっくりするぐらい高いですしね・・・家が狭いと置くスペースもない
 
 
身体の凝りを取るには整体院に行くのも良いが、ホットペッパービューティーやEPARKのクーポンを使っても結構お金がかかる
ガチガチに凝って固くなったら整体院に行くのも良いが、それよりは自分で運動したほうがいい
 
整体院に行く時間や手間やお金も省けるし、人に施術してもらうよりも自分で自分の身体を動かしたほうが身体も元気になるし、そうやって運動するとお腹も減ってご飯もおいしく食べられるし、寝付きも良くなる
いろいろ悩み事があって、頭がゴチャゴチャしているときも、身体を動かすと楽になるときもある。ストレス解消にも多少なる
 
 
 
運動と言っても、軽くランニングしたり、ウォーキングや散歩したり、軽く体操するだけでいい
特にずっとパソコンをやってたり、スマホやゲームをやっていると、肩とか腰が凝ってくる
肩を回したり、腰を反らしたりして、ちょっと体操するのが良いですね
 
 
個人的におすすめなのがラジオ体操
たかがラジオ体操といっても、1番だけだったら良いけど、3番までぶっ通しでやると
「うわぁ、まだ続くかよ」
と感じるほど最初は結構しんどい
しんどいと言っても、所詮はラジオ体操で大した運動じゃないから、キツイわけでもなく楽なわけでもなくて適度な運動になっていい感じ
 
You Tubeで「10分 運動」で調べると、キツイやつから楽なやつまでいろいろ出てくるので、いろいろやってみたらいいんじゃないですかね
たかが10分と言っても、キツイのはキツイんで
そうやって10分でもいろいろ身体を動かすだけでもだいぶ違いますからね
 
自分はYou Tubeの10分や20分の体操動画を見ながら体操を2、3日に1回ずつやってますけど
自分にあった運動を見つけてみるのもいいかもしれない
 
 
 
本当にジムに通うのが良いですが、結構月額でお金を取られますしね
慣れないうちは家で身体を動かすだけでも、いい運動になりますし
そうやって運動してるうちに、身体の凝りとかもいつの間にかなくなることも多い
 
 
 

栄養バランスのとれた食生活

 
あと大事なのが栄養バランスのとれた食生活をすること
糖質や脂質を取りすぎないようにすること
 
 
これが簡単なようで意外と難しい
 
 
「とりあえず野菜をたまに採るようにして、しっかり食べればいいだろう」
と思って、以前は昼ごはんは早く食べれる菓子パンとかカップラーメンをよく食べていて、あと会社帰りにマクドナルドなどでセットを食べていた
 
ところがこの前に「あすけんダイエット」という、食事内容を入力するとカロリー計算や栄養計算をしてくれるアプリを入れたところ、必要な栄養が全然取れていないことがわかった
 
 
栄養素というのはエネルギー(カロリー)、タンパク質、脂質、糖質、カリウム、カルシウム、鉄、ビタミンA、ビタミンE、ビタミンB1ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンC、食物繊維、飽和脂肪酸、塩分というに分けられる
 
 
このうち、エネルギー(カロリー)、タンパク質、脂質、糖質取りすぎてもいけないし、取らなさすぎてもいけない
このへんを摂らないと活動するエネルギーが出なくて元気がなくなってしまう。だが摂りすぎると太る
 
カリウム、カルシウム、鉄、ビタミンA、ビタミンE、ビタミンB1ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンC、食物繊維はそれぞれ全部できれば毎日、必要以上摂取しないといけない
 
飽和脂肪酸、塩分は逆に摂取しすぎてはいけない
 
 
 
このように、カロリー等を過不足なく摂取して、いろんな栄養素を摂取していかないといけない
 
あすけんで今日食べた食事を入力し終えると、1日のあすけん健康度を100点満点で評価してもらえる
お菓子とか菓子パンとか食べていると、エネルギー(カロリー)は取れるけど他の栄養素はあんまり取れず、糖質が高い。マクドナルドも似たようなもの
ここらへんのを食べていると、あすけん健康度の点数が低くなりがち
 
あと二郎系ラーメンを食べるとエネルギー(カロリー)と糖質、脂質を超過して、あすけん健康度の点数がやばいことになりがちw
 
 
ご飯を食べて、野菜や果物を中心の食事するといい感じのあすけん健康度の点数が出やすい
かといって「栄養素を取らないと!」とたくさん食べると、お腹いっぱいになって食事が苦しくなる・・・
お菓子とかをなるべく食べずに、しっかり野菜を採ることが大事になってくる
 
 
あと大事なことは1回の食事で1つものを食べて終わりじゃなくて、なるべくいろんな料理を食べること
たとえば吉野家へ食事に行ったときに、牛丼を食べて終わりじゃなくて、味噌汁とサラダのセットを頼むようにする
牛丼だけだと、その食事でご飯と牛肉でしか栄養素を取れないが、味噌汁とサラダも食べると、そこからも栄養素が取れてちょっとはいろんな栄養素が取れる
 
 
ただ外食を中心にしていると、どうしてもあんまり野菜が採れずにビタミンとかの栄養素が不足しがちになりがち
スーパーでいろいろ買って、自炊するようにすると野菜を多く採れる
 
けど以前みたいに
「お腹が膨れればそれでいいや」
という感じで適当に買ってたときは、そんなに食費がかからなかったが
「栄養素を考えていろんなものを買おう」
とすると、食費が結構かさむようになってしまうな・・・
 
 
あとせっかく買った冷蔵庫の野菜を腐らせないように、サボらずにちゃんと料理することも大事になる
個人的にそんなに料理は好きじゃないけど、頑張っていろいろ料理のレパートリーを増やさないとなあ・・・
 
 
 
マルチビタミンとかのサプリで補うのも一つの手だ
 
けどこの前に、テレビで健康バラエティー番組を見ていたら
「自分は必要な栄養はサプリでちゃんと摂ってますから」
とドヤ顔で言ってた芸能人がいたが、実際にその人の体内を人間ドッグで調べたら、いろんな数値が悪く、体内がボロボロになっていた・・・
「サプリに頼るのではなくて、ちゃんと新鮮な野菜を食べて新鮮な栄養素を体内に摂り入れないとダメです!」
と先生に説教されて、その芸能人は呆然としていた・・・
やはり基本的には栄養はちゃんと食事で摂らないといけないですね・・・
 
 
 
自分は「あすけんダイエット」を始めてから、100点満点で評価されるあすけん健康度でしばらく良い点が取れなかったが
「○○が足りていないのでキウイを食べるようにしましょう」
「△△が足りていないのでチーズを食べるようにしましょう」
とかアドバイスされたので、そのとおりにやるようにして
納豆、キウイ、ベビーチーズ、豆乳、もやしあたりを1日1回どこかで食べるようにしていくと、そこそこいろんな栄養素が取れて安定してきた(これだけだと足りないけどね)
ただ、これだとビタミンAとカルシウムが不足しがちになるから、ビタミンAが多いニンジン、小松菜やカルシウムを優先して摂っていく必要がある
豆乳を牛乳に変えたらカルシウムとかは摂れるんだけどね・・・・個人的に牛乳より豆乳のが好きだからなあ
 
 
 
それにしても昼ごはんに菓子パンとか食べて、腹が膨れれば栄養が採れていた気分になっていたけれども、そうじゃなかったことがわかった
 
発達障害の人というのは、自分では気づけずに、他人から言われて始めて気づく人が多い。自己評価だけが異常に高い人が多いので、他人から客観的に評価してもらえる機会を自分から増やしていくことが大事なのかもしれない
 
まあプロ野球選手でもそういう人が多いらしいですが
 
 
 
 
 

ジューサー

 
このように人間の食生活においては、食事でいろんな栄養素を摂っていくことが大事である
 
人それぞれの食の好みにもよるけど人間は外食しまくったりとか、好きなものだけガーッと食べていると、どうしても肉、ラーメン、マクドナルドなどのジャンクフード、牛丼、お菓子を食べまくってしまって、野菜などが不足しがちになる。そうなるとビタミン類が慢性的に不足しがちになって
「あれっ、なんかよくわからないけど疲れやすいなあ・・・」
「なんか急に皮膚とかが荒れてきたぞ??」
といった身体の不調につながる可能性もある
 
そのため、なるべく自炊して野菜中心に食事を摂っていくことが大事になる
 
 
アイドルでもコーラとかを飲みまくって太る人もいるしなあ
コーラ飲みまくった挙げ句に所持金もなくなった
 
 
 
 
だが野菜を摂るということは意外と難しい
トマトとかきゅうりやは洗って切ってドレッシングとかかければ食べれるし
 
 
もやしはちょっと茹でたら食べられるが
それ以外の野菜は調理しないと食べられないものが多い
会社から帰ってからの夕ご飯だったらいいが、朝はバタバタと忙しいので、なかなかゆっくり調理ができないから野菜を摂るのは難しい・・・
 
 
 
そこでおすすめなのがジューサー(ミキサー)
 
朝起きて、果物や野菜や牛乳あたりを細かく切って、ジューサーに入れて、スムージーにして飲む
人間って食べるより飲むほうが早くできるので、朝の忙しい時間であってもこうすればすぐに果物や野菜を食べられる
 
(仕事への)意識高い人なんかは、朝や昼に高カロリーだったり、糖質が高い食事を摂ると、血糖値が一気に上がったりして、仕事してたら眠くなるなどの悪影響がある。だから低カロリーかつ低糖質で、栄養は摂れるような食事を摂るようにするらしいです
 
 
(マコなり社長って急成長企業のイケてる社長を気取ってたけど、内情はコロナ禍の影響もあって業績が良くないのか、この前に大量リストラを行い、それについて言い訳がましくスピーチをやって炎上して叩かれてますが)
 
 
朝に低カロリーかつ低糖質で栄養は摂れるような食事を摂ろうと考えると、野菜や果物のスムージーを飲むのは良いですね
だから、意識高い人は朝はスムージーを作って飲んで出勤して、昼ごはんはコンビニなどでグリーンサラダと鳥の胸肉(高タンパクで低カロリー)を食べる人が多いみたいですね
 
特に抗酸化作用があって身体に良い、アボカドが入ったサラダを食べるらしいです
 
これだと朝昼の食事をかなり低カロリー、低糖質に抑えられるので、ダイエットにもなる
「ちょっとお腹が出てきたからダイエットするンゴ・・・・・・。けどまだ暑い時期に激しい運動はしたくないンゴ・・・」
という人も、こういう食事をしているとカロリーや糖質を抑えられるので、あんまり激しい運動をしなくても痩せやすいのでオススメだ
 
 
 
家族3、4人全員が飲めるような大容量タイプのジューサーだと値段が張るが、自分一人用のジューサーだとそんなに値段も高くない
 
特にキウイとかグレープフルーツやオレンジを食べる場合は、普通は皮を剥いて食べると思いますが、ジューサーに入れてジュースとかスムージーにして飲むと、皮の部分に含まれる食物繊維も摂取できるので、栄養も多く摂ることができる
 
キウイ、オレンジ、グレープフルーツ、リンゴ、バナナあたりの果物だと、そのままジュースにするだけでもおいしいし、牛乳、豆乳、ヨーグルトなどを加えればさらに美味しくなっていろんな栄養素を摂れる
ただニンジン、小松菜など野菜の場合は、スムージーの配合をミスるとゲロマズなスムージーとなる可能性があるので注意したい
 
 
このように野菜とか果物を食べるのは時間もかかりますし、お腹にたまっていきますが、スムージーにすれば比較的にすぐに飲めますし、お腹いっぱいにもならない
 
だからといって調子に乗ってガブガブと何杯も飲みまくっていると、果物は意外と糖質が高かったりするので、逆に糖質の摂りすぎになって身体へ悪影響になってしまうこともある
糖質は摂りすぎてもいけないが、摂らなさすぎても良くないので、何事も適量に抑えることが大事だ
 
 
 
 
 

プロテイン

このように、会社に出勤する日の朝ごはんはスムージー。昼ごはんはグリーンサラダと鳥の胸肉を食べるようにすれば、低カロリーで低糖質な食事となって、仕事中に眠くなったりせずに集中できるので作業がはかどるし、ダイエットにもなる。素晴らしい。終わり
 
・・・と言いたいところだが、この食事だとたんぱく質が足りなくなる可能性がある
 
ご飯とかパンを食べないとたんぱく質が不足しがちになる(鶏むね肉を食べてるから一応摂れてはいるかな?)
低カロリー、低糖質なのは良いが、たんぱく質は人間にとって必要な栄養素なので、それが不足してくると体調が悪くなる恐れがある
 
ご飯とかパンを食べないぶんの不足しているたんぱく質をどう補うか?というところが課題になってくる
 
普通に朝ごはんにスムージーだけじゃなくて、おにぎりとかを食べるようにするとか
豆腐を多く食べるようにするとか
さらに納豆とか豆乳を摂るとか、そういう工夫が必要になってくる
 
 
ここでオススメなのがプロテインを摂ること
 
プロテイン???いやいやいや、別にスポーツしてないし、ボディビルダーになる気もないし・・・・・。てか筋肉をつけたいわけじゃねえしw」
と思われるだろうが、プロテインって所詮はただのたんぱく質の粉である
 
スポーツ選手などの筋肉をつけたい人は、筋肉をつけるにはたんぱく質を多く摂る必要があるから、運動後にプロテインを摂っているだけだ
 
 
最近はプロテインダイエットというのも流行っている
 
ダイエットするには、激しい運動をしてカロリーを消費する方法もある
 
けど、それよりは前述したように食事制限をして、摂取カロリーや糖質を減らしていったほうが楽に痩せられる
とはいってもカロリーを減らそうとして絶食していくと、人間にとって必要な栄養素が摂れずに体調が悪くなる恐れがある
(ただ現代社会は飽食の時代になってきて、昔に比べると食べすぎになってきてしまっているので、1週間に1日ぐらいは絶食する日を作ったほうが良い、という説もあるが・・・・・・・人によって合う合わないがあるし、これも語ると話がややこしくなるので割愛)
 
特に前述したようにご飯やパンを食べないと、カロリーや糖質を抑えられるけれども、たんぱく質が不足しがちになる
そのためにご飯やパンを食べない代わりに、プロテインを摂取するようにするとたんぱく質も補給できる
そうすることによって、ご飯を食べない代わりにプロテインを摂取することで、たんぱく質も摂れて、カロリーも糖質も抑えられので、痩せられるというのがプロテインダイエットだ
 
 
先述したようにプロテインとは、ただのたんぱく質の粉ではあるが、サプリと違ってカロリーは多少はあるので、プロテインを飲みまくると逆に高カロリーになるので注意したい
何事もほどほどにやるのが大事だ
プロテインを過剰摂取すると身体に悪影響を及ぼすという話もありますし
あとプロテインは値段が結構張るのがな・・・
ネットで買うと割安で買えるケースもあるのでオススメ
 
 
 

クエン酸

 
「疲れているときはクエン酸を飲むと良い」
という話をよく聞きますが、クエン酸を飲むと確かに身体が元気になる感じがしますね
 
クエン酸は近所の100円ショップなどで安く入手できる
ただ掃除用のクエン酸だと不純物が多く入ってる恐れがあるので、ちゃんと食用(食品添加物)のクエン酸を買うようにしよう
 
 
ただ元気になるといっても、たくさん飲みまくると胃の負担になったりして、逆に身体に悪影響になる可能性もある
何度もいうが、何事もほどほどにやるのが大事だ
 
胃に負担がかかる場合があるので、直接飲むよりは水に溶かして飲んだほうが良いらしい
 
 
 

終わりに

以上のように低カロリーかつ低糖質でかつ栄養は摂れるような食事をしていくことが大事だ
けれども、食事に効率、理屈、合理性を求めすぎて、同じ食事が続いてしまうと、飽きてきたり嫌気がさしてきて食事や料理が嫌になってきてしまう
 
 
「いつもとは違う 反対のホームから
ガラガラの電車に 衝動的に乗った
どこへ向かうのか 行き先は知らない
今日は人混みで 足を踏まれたくない
街は遠ざかり 窓の向こうには 田園が広がる」
のように衝動的に行動して、たまにはカロリーとか考えずに好きなものを食べまくったほうがいいですね
 
 
たまには気になってる店に外食もしたほうが、良い気分転換になるし
「これだったら家でも作れそうだな。家でやってみよう!」
と新たな発見につながったり
「あそこの店にこの前にふらっと行ってみたけど、結構おいしかったよ」
マクドナルドの新メニューのやつを食べてみたけど、まあ普通だったな・・・」
とか見識が広がって、雑談のネタにもなる
 
 
いかに飽きないように、嫌気がささないように続けられるようにするために、いろいろ料理のレパートリーを増やしたり、味付けを変えられるようにしていくことが大事
やっぱりおいしい食事を摂るようにして、食事が楽しく、楽しみになるようにしたいですね
ただそうすると朝ごはんスムージー、昼ごはんは鶏むね肉とサラダだけだと味気なくなる、というジレンマがあるが・・・
 
 
まあ食事を腹を膨らます作業として割り切ると良いみたいですが
昔、「美味しんぼ」って漫画を読んでたら、プロボクサーで体重制限が厳しく、肉などのカロリーがある食事が摂れないので、気分が上がらずになかなか試合で勝てない知り合いの選手に、山岡士郎が低カロリーでも美味しい料理を作って選手を元気づけて、そのおかげで次の試合で勝つ話があったが、実際のプロボクサーの方もそんな感じなんだろうか・・・
 
 
 
自分はあんまり好き嫌いは少ないほうなので、たまにミスってゲロマズなスムージーを作ってしまっても頑張って飲み干していますw
けど発達障害の人って好き嫌いが多くて、偏食な人が多いですが、そこは改善したほうがいいと思いますね
 
アレルギーだったらしょうがないですが
 
けどさすがに虫は無理だなあ・・・
まあこの子は犬だしな・・・
 
 
 
発達障害への理解と配慮を求める!」
とか主張する当事者の人も多いけど、食事とか運動とかの自分の健康に関しては、
「これは合う、これは自分の身体とかに合わない」
とか自分で自分の身体を理解して、自分で考えて、自分で自分への配慮をしていかないといけない
他人や社会へ発達障害への理解と配慮を求めるにしても、まずは自分でやらなくきゃいけないことはしっかりやってからだとは思います
 
 
「うるせー、食事なんざ好きなもん食えばいいだろw
だいたい発達障害で生きづらい人生で長く健康に老人になるまで生きるなんざまっぴらだwこんな生きづらいつまらない人生なんざ、その日その日で楽しく生きて、短く太く、刹那的に生きれればいいんだよ」
という考えも、それは一つの考え方なんで良いとは思いますが

東京と大阪の当事者会の違い8 大阪の課題 幻想

この当事者会から約半年ぐらい経ったある日、発達界隈のTwitterにおいて、なんか当事者会では揉め事が多い、というツイートが流れたことがあった
 
そのときにビックリしたことがあった
 
その一連のツイートの中で、なんと前述したBさんが
関西の当事者会はそんなことないですが、東京は事情が違っていて揉め事が多い
とかリプライしていた
 
えっ・・・?何を言ってるの・・・?
当事者会においてAさんが別の当事者会で揉め事を起こした件について
「やっぱりAさんはあかんなぁ。そんなんやからあかんねん」
「Aさんはなんなんやろね、ホンマに」
とか、約1時間もの間、自分のような他の新規のお客さんほったらかしにして、ひたすらAさん叩きに夢中になってた喜んでいたクセに何を言ってるの??
「関西の当事者会はそんなことない」
って何の冗談だ?自分のやったことを忘れたのか?
頭沸いてるのかお前?
 
 
 
おっと、言葉が過ぎたか・・・失礼した
大阪や関西の発達界隈の人で
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という人がいるけど、これは幻想とか都市伝説じゃないかと思う
 
 
というか、
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない
と言ってる人って、どういう根拠で言ってるんだろう
 
個人的には
  1. S氏事件の余波
  2. レベルが低いだけ
  3. 自分が考えてないだけ
  4. 関西人の思い込み
が根拠になっているんだと思う
 
 
 
まず「1、S氏事件の余波」について
たしかに3年前はネット上で激しく醜い争いをずっとやっていたから、「東京の当事者会は揉め事が多い」と言われても仕方がない
これは擁護のしようがない
 
ただ、3年も前の出来事で、あの無駄な争いから
「争いは意味がない」
と思う人が増えたのか、そういう変な争いはだいぶ減った気もするけどなあ
それにしてもS氏事件は東京の恥さらしだな・・・
 
 
 
 
 
2、レベルが低いだけ
大阪や関西の当事者会はレベルが低いので
 
  • 自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
  • 自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
  • 他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
  • 話がやたらと長い
  • 同じ話を何度も繰り返す
  • 「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
  • 他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
  • 他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
という人でも、
  • 一方的なマシンガントークをして、人の話をほとんど聞かない
  • 他人をバカにしまくったり、ディスりまくる
  • 他人にあまりにも多くの迷惑をかける
 
とかのよっぽどひどい場合は困ったちゃん呼ばわりされるけど、そこまで他者に迷惑をかけない場合は「まだマシな人」と呼ばれることが多い
このように大阪や関西の当事者会は困ったちゃんになるまでの判定が甘い傾向がある
 
ところが東京はレベルが高いので、上記の人でも困ったちゃん扱いになりやすい
東京のほうが判定が厳しいイメージがある
だから大阪、関西の当事者会では「まだマシなほう」と呼ばれていた人が、東京の当事者会に行ったら困ったちゃん呼ばわりされたり
逆に東京の当事者会では困ったちゃん呼ばわりされていた人が、大阪、関西の当事者会に行ったら「まだマシなほう」と呼ばれる可能性がある
 
東京の当事者会のほうが、すぐに困ったちゃん呼ばわりされやすいから、すぐに問題視されて揉めやすい気もしないでもない
 
 
あと、東京の当事者会はレベルが高いので、結構バリ層、バリに近いギリ層の人も顔を出すことがある
日頃は社会人サークルとかの定型の人と遊んでるけど、たまに当事者会にも顔を出すという人も多い
だから発達障害の当事者と言っても
発達障害には理解と配慮が必要」
という意見と
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
という意見が混在している
 
まあ東京は当事者会がたくさんあるから、自分にあったところを選べばよいけど
 
 
ところが大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多く、ムリ層やギリ層の声が大きいので
発達障害には理解と配慮が必要」
という意見が主流で
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
という意見は同調圧力で潰されやすい
 
自分もある関西の当事者会でそうやって潰された
 
「定型社会の普通はこうあるべき、という同調圧力発達障害の人を苦しめているんだ!」
と主張するくせに、気に入らない他者には同じように同調圧力で潰すんだな
自分だけ良ければ、自分さえ救われればそれで良くて、他人のことなんざ本当のところはどうでもいいんだな・・・
 
人間のクズめ
 
まあ本当に精神を病んでてしんどい人とか、努力や工夫ではどうにもならない人とかは、
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
とか言われるのはウザいというのはわかる
でもそれならば、発達障害って空気が読めない人が多いので
「この会はとても生きづらさやしんどさを抱えている当事者の会なので、工夫や努力で社会適応していくべき、とか抜かす人は来ないでください。というか消えろ、ファッキュー」
とはっきり明記したらいいんじゃないですか
 
 
 
 
おっと、大阪や関西の当事者会への愚痴が過ぎたか・・・・
 
このように大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多く、ムリ層やギリ層の声が大きいので
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応して、定型社会で通用していけるようにしていくべき」
という意見だと、浮いてしまって周りと合わなくなりやすいので、卒業するしかない
 
 
発達障害には理解と配慮が必要」って意見でまとめすぎることによって、発達障害の人の可能性を狭めている気はしますけどね
 
 
ムリ層、ギリ層、バリ層、の格差というよりは
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応して、定型社会で通用していけるようにしていくべき」
という考えの発達障害の人の居場所がないのが、今の大阪や関西の当事者会の課題という気がする
 
まあ、当事者会、自助会とは何か?
と考えたときに、定型社会に対して工夫や努力をしてもなかなか適応できず、除け者にされている発達障害の人たちが、生きづらさを一人で抱え込むのではなく、みんなで生きづらさを話し合って分かち合う居場所が当事者会や自助会だ。上(定型社会)に行ける人はさっさと上(定型社会)に行って、当事者会や自助会から去れ、さっさと消えろ、というのは一理ある
 
それで大阪や関西の当事者会は
発達障害には理解と配慮が必要」
という考えでまとまっている、ので東京よりまとまっている、ということは言えるかもしれない
 
 
 
「ムリ層向け」「ギリ層向け」「バリ層向け」とかもっといろんな当事者会があればいいのかもしれない
あと前から言ってる通り、大阪の当事者会でももっと「何かをする会」みたいなんが増えるといいのにな
 
まあ、大阪や関西の有名な当事者会に反発して、有志で新たに当事者会をいろいろ開いていたりして、それから新たなコミュニティみたいなのができているらしいので、これから発展して進化していくかもしれない
 
東京でも「バリ層向け」を謳って新たに始めたが、いろいろ問題が起きてしまっていても、今は閉店しているが「バリ層向け」というだけで根強い人気があったりする会もあるから
「バリ層向け」の会がないのは東京大阪共通の当事者会の課題と言えるのかもしれない
 
 
 
 
 
 
3、自分が考えてないだけ
 
先述したように大阪、関西の当事者会は権威主義、というか広野さんや石橋さん至上主義みたいな雰囲気がある
それと
「みんながこう言ってるから」
「テレビとかメディアでこう言ってるから」
「広野さんがこう言ってるから」
「石橋さんがこう言ってるから」
といった感じで、人の意見に流される人が多い印象がある
 
大阪の当事者会はレベルが低いので
「自分はこう思う。こう考える」
と自分で考えて、自分で動く、ということができない人が多く
「みんながこう言ってるから」
人の意見に流される人が多いだけじゃないかと思う
 
「自分はこう思う。こう考える」
自分で考えて、自分で動く、ということをやって、自分の形やスタイルということができてくると
「みんなはこう言ってるけど、それはどうかと思う。違うんじゃないかと思うな」
「テレビとか『コロナウイルス感染拡大している中、オリンピックなんかやってる場合なのか??一刻も早く政府は中止の判断を下すべきではないのか??』とか散々言ってたクセに
いざ東京オリンピックが開会して競技が始まったら『金メダルおめでとうございます。いや~連日の日本人選手の活躍に興奮させられますね~』とか手のひら返ししてて草不可避w
マスゴミ氏ね」
「石橋さんがTwitterでこう言ってるけど、たしかにそのとおりだ!けど、あの意見には賛同できないなー」
 
という自分の考え、自分の意見というものが自然とできてくる
 
 
発達障害の当事者といっても、特性や性格は人それぞれ違う
発達障害でも楽しく幸せに生きたい
というところはいっしょだろうけど
発達障害でも楽しく幸せに生きるにはどうすればいいのか?
という部分は人それぞれ違うので、考えがバラバラになるはず
 
まあケンカや揉め事というのは良くないけど
発達障害でも楽しく幸せに生きるには、こうするべき」
「いや、違う!発達障害でも楽しく幸せに生きるには、ああするべき」
考えが違うから、意見が合わないのは自然なこと
そこからどんどん議論が起きるのは良いことだ
 
まあ発達障害は自分の都合しか考えられず、他人の事情などを考えられない人が多いので、会話のドッジボールになって終わるだけだろうが
 
大阪や関西の当事者会はまとまっているというより、単にそういう議論ができてないだけじゃないかと思いますね
 
 
 
 
4、関西人の思い込み
 
自分も実家は滋賀で関西人だからよく知っているが、関西人というものは東京を悪く言いがちである
東京は空気が汚い、水が汚い、人間が冷たいところだ」
とか言う人が多い
 
自分は昔に千葉県市川にも住んでいて、東京は知っていたので
「何言ってるんだこいつら。アホちゃうか。頭沸いてるのか」
としか思わなかったが
 
このように
東京は空気が汚い、水が汚い、人間が冷たいところだ。東京大阪より都会かもしれないが、やはり一番住みやすい場所は関西だ!」
という体にして、コンプレックスから東京を悪く言って、関西が一番だと言いたがる風潮がある
 
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのも、その一環という気はする
 
 
 
以上のように
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのは関西人のそう思い込みたいだけの幻想、嘘じゃないかと思う
 
 
 
 
 
そもそも東京大阪というのはだいぶ距離が離れている
全国で活躍するイベンターでもない限り、実際に東京大阪の当事者会に参加した上で、こういう発言をしている人は少ない、というか居ないんじゃないかと思う
 
だから東京大阪の当事者会を行き来して、双方の発達界隈の事情を熟知した上で
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
とちゃんと根拠があって言ってる人はいないと思う
 
根拠があったとしてもネットのTwitterを見た印象とか、ちょっとした発達界隈の知り合いの
東京の当事者会は揉め事が多いらしいよ」
といった伝聞が根拠になってるだけじゃないかと思う
 
 
 
自分は大学では歴史学科だったので、情報の根拠、ソースは大事にしています
だから当事者会や発達界隈を批評する際は、全部実際に当事者会に参加して自分の目と耳で感じたことをもとに書いています
 
当事者会や発達界隈における
「みんなそう言ってる」
もアレだけど
○○らしい
という情報は一番信用できない
 
 
アニメとか漫画の場合は
「あのアニメは神。最高。めちゃくちゃ面白い」
「このアニメはクソ。最低。何も面白くない」
とか言ってアニヲタに批評しているものを
実際に自分で見てみると
「『あのアニメは神。最高。めちゃくちゃ面白い』って言うけど、言うほど良いアニメか??ただのご都合主義で厨二病腐女子向けアニメじゃねーかw」
「『このアニメはクソ。最低。何も面白くない』って言うけど、言うほどクソアニメか??なんか結構面白いんだけどw」
ということも多いからな・・・
その人らにとってそうであっても、自分が見てそう思うとは限らない
 
 
同じく発達界隈のおいての
「あの当事者会は良いらしい」
「あの人はあんまり良くないらしい」
という情報は一応、参考にはしますけど、論拠にはしない
 
その「○○らしい」というのは、あくまでその人の感想であって、実際に自分も見たときにそう思うとは限らない
「どう良いのか?」「どう良くないのか?悪いのか?」
というところは実際に見てみないとわからない
発達障害の人って認知が歪んでいたり、字面をそのまま受け取るから、なんかちょっと良いことを言ってたら「あの人はすごい人だ」と評したりするので、あんまり信用できない事が多いですからね
 
それに
「あの当事者会にこの前に参加したら良かった」
「あの人はこの前に話したときにあまり態度が良くなかった」
というのであれば、その人の実体験なのでそこそこ信用はできるけど
「あの当事者会は良いらしい」
「あの人はあんまり良くないらしい」
というのは、その人がさらに別の人から聞いたものなので、もはや伝言ゲームと化しているので、信ぴょう性がかなり怪しくなってくる
 
あとネットの情報というのも、まともな人が書いているんだったらいいけど、変な人が書いているものかもしれないので、信ぴょう性が怪しいですね
 
このように
○○らしい
という情報は一番信用できない
 
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という情報も
○○らしい
という信用性がない情報がソースになっている気がする
 
 
 
 
 
まあ人間というものは、見たいものを見て、信じたいものを信じる生き物だ
 
 
仮に世界的権威のA教授が
発達障害は人類にとって不要なので早く抹殺するべきである。植松聖の言う通りで、障害者は不幸しか作れない」
という学術論文を発表して、これに対抗してB教授が
発達障害は人類における希望である。発達障害の人の保護、活用こそが、人類の進歩に必要である」
という学術論文が発表されたら、発達障害の当事者は
「B教授が正しい。A教授はインチキだ」
と言うと思うが
(本当にA教授が世界で正しいとされて支持されてしまっては、世界で発達障害へのジェノサイドが始まってしまう可能性があるので、
破滅願望や自殺願望でもない限り、立場上、黙って殺されるわけにいかないので必死にA教授の意見を否定せざるを得ないというものあるが
この事件もそうだけど
 
けどこの例はちょっと極端だったな・・・)
 
 
 
これと同じ様に
東京の当事者会は大阪よりもずっと進んでいて、非常に素晴らしい」
東京の当事者会は揉め事ばかりで、もはや世紀末や修羅の国と化していて惨憺たる状況である」
という2つの情報があったら、良い・悪い、正しい・間違っている、とかじゃなくて
基本的に信じたいものを信じる、自分にとって都合の良いものを信じるものだ
 
 
「私たちは、世界をあるがまま見ているのではなく、
私たちがあるがままの世界を見ているのであり、
自分自身が条件つけされた状態で世界を見ているのである。
・・・相手と意見が合わないと、相手のほうが間違ってると瞬間的に思う。」
 
「自分が変わらなければ 周囲の物事も変わらない
こういう考え方を「インサイド・アウト」なんて言う
問題はいつも自分の中にある」

 と『完訳7つの習慣 人格主義の回復』で書かれていますね

 
 
 
そもそも
東京の当事者会は大阪よりもずっと進んでいて、非常に素晴らしい」
東京の当事者会は揉め事ばかりで、もはや世紀末や修羅の国と化していて惨憺たる状況である」
の仮にどちらの状況だったとしても、大阪の当事者会にとってはどうでも良いことのはずなんですよね
だって東京大阪というのはだいぶ距離が離れているので、東京の当事者会がどうあろうと、大阪の当事者会でやることは変わらないはず
 
にもかかわらず
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という意見が出るのはなぜだろうね・・・?
 
大阪の当事者会は良い、素晴らしい」
と言えばいいものを
東京の当事者会は良くないが、大阪の当事者会は良い、素晴らしい」
と他を否定しなければ、自分たちの当事者会を肯定できないということかな
それほどまでに無価値なものなのだろうか
それとも、他のものを否定して安心感を得たいほどに、不安や劣等感が強いのかな
 
 
ちなみに東京の当事者会で、大阪の当事者会について話したら
「金輝っていう発達障害バーがあるんですよね」
「石橋って言う人がTwitterでいろいろ主張していますね」
と興味を持って聞いてくれる人が多いですが、そこまで関心や眼中にない人が多いですね
東京から見た大阪なんてそんなもんです、当事者会や発達界隈に限らず何でも
 
 
 
 
 
ここまで長々と少ない知見や経験をもとに、自分の主観に基づいた独断と偏見によって語ってきたが
個人的に思うに東京大阪の当事者会も揉め事の多寡は似たようなもんだと思う
所詮は自分の都合しか考えられない、コミュニケーション力に難がある社会不適合者が集まってるんだから、そりゃあいろいろありますよ
定型でも人がいろいろ集まると好き嫌いとか合う合わないとかありますし、ましては発達障害の人が集まってたら、いろいろありますよね
 
とはいっても、冒頭で言った通り
「この当事者会はこうである。こういった揉め事があった」
という話はできるだろうけど
東京の当事者会」
大阪の当事者会」
と一言で言っても、東京大阪も当事者会が数多くあり、開催場所、開催者、参加者などなどがそれぞれ違い、会の雰囲気や特徴もそれぞれ違うから
東京の当事者会はこうである。こういう傾向がある」
大阪の当事者会はこうである。こういう傾向がある」
と十把ひとからげに語ることはそもそもできない
 
だから
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのも、結局のところはそうだと信じたい人は信じればいいし、違うと思う人は違うと思えばいいんじゃないですかね
おわり
 
 
 
 
 
 
 
けど、このツイートの「まだ首都圏はソレやってるらしいけど笑」は、どういう根拠があっておっしゃられてるのでしょうか?
そんな中途半端なことを言わずに、首都圏のどの当事者会および自助会でどういうことがあって、それは良くないからもっとこうした方が良いですよ、とはっきりと根拠を示して言ったほうがいいですよ
 
藪蛇というか、こう言われて首都圏の当事者会に行ってる人からするとあんまり良い気はしないですよね
 

東京と大阪の当事者会の違い7 大阪の課題 内輪ノリ

東京の当事者会と違って、大阪か関西の当事者会は「当事者会の横のつながりがある」というのは良いところだと思う
当事者会でいろいろ連携してやっていったほうが、発達界隈全体も活性化しますしね
 
このように「当事者会の横のつながりがある」というのは良いところではあるが、これがかえってアダとなって内輪ノリが増えてしまって、新規の参加者がなかなか会話に参加しづらくなる可能性もある
 
 
 
ある時、大阪のある有名な当事者会の、大阪では有名なファシリテーターが主催する当事者会に参加した
あるテーマをもとにトークをする会で、最初の1時間はそのテーマで、ファシリテーターさんがうまく会を回していた
 
ところが1時間経ったあと、別の当事者会での揉め事があった件の話になった。どうもAさん(仮名)という人が別の当事者会で揉め事を起こしたらしい。それでAさんと共同でイベントをやっていたBさんに、なぜ揉め事が起きたのか?なぜAさんが揉め事を起こしたのか?ということをずっと聞いていた
 
まず最初の1時間については、テーマに沿ったいろんな話をしたり聞けたりして、とても楽しい時間を過ごすことができたことに関しては感謝したい。ファシリテーター並びに他の参加者の方はお疲れ様でした、そして素晴らしい時間を過ごさせていただいてありがとうございました
 
ただその後の1時間については・・・
大阪や関西の当事者会や発達界隈についてはあまり内輪の情勢がわからないので、話に全くついていけず、会話に参加できなかったことについては申し訳なく思います
 
 
けど、厳しいことを言わせてもらうと、「なんで当事者会をやったんだろう?」とは思いますね
当事者会とは何か?というところを考えたら、生きづらさを抱える発達障害の人が集まって、悩みを分かち合う場所だと思います
今回のこの当事者会でいうと、発達障害の人が集まって、テーマをもとにトークをする会ですよね
 
なんで別の当事者会の揉め事について1時間もずっとダラダラだらだらと聞いてるんですか?
せめてそれを聞くなら二次会でやれよ。当事者会の時間内でやるなよ。あとたいした金額ではないが、当事者会の参加費を徴収してたけど、これは詐欺じゃないのか?ネットで告知して募集して当事者会を開いている以上はちゃんとやれよ
 
そもそも、そんなことがしたいんだったら当事者会なんかやらなきゃ良かったのに
ファシリテーターとBさんと、あと内輪に詳しい人だけでどっか居酒屋なりに行って、そのAさんの件についてずっと話していれば良かったんじゃないですか
これだったらファシリテーターさんも、Aさんの件の話と内輪の話をずっとできるし、自分みたいな人も内輪ネタについていけずに困ることもないし、いいことづくめですよ
 
もうファシリテーターなんかやめたらいいんじゃないですか?
 
 
かなり辛辣なことを言ってしまった気もするが、大阪や関西の当事者会は、参加者や主催者がお互いの当事者会を行き来していて、お互いよく知っていたり、他の当事者会の内情などをよく知っているので、こうやってそういう内輪ネタで盛り上がることはよくある。だからこの当事者会だけが特別に悪いわけではない
 
こういうことが多いのが大阪の当事者会のレベルということです
東京の当事者会もそういう空気もあるけれども、ここまでひどくはない
 
 
 
 
まあファシリテーターで当事者会をやるとしても、気心の知れた親しい人のほうが話しやすいし、安心する
初対面の人だとどうしても打ち解けて話せなかったり、緊張してまいがちだ
ただ、それは参加者のほうも同じであって
「今日は初めてこの当事者会に来たけど、楽しめるといいなあ」
と思って、不安を抱えながら参加している
(当事者会に合う合わない、他の参加者と合う合わないとかいろいろありますが)こういう初めて来た人でも、話しやすく環境とか雰囲気を作って、いろいろ話に参加してもらって
「初めてこの当事者会に参加したけど楽しかったな。今日は当事者会に参加して良かったな」
と思って帰れるようにしてもらうかがどうかが、ファシリテーターの腕の見せどころですね
それができないファシリテーターというのは、ファシリテーターとしての実力がないということ
 
 
一期一会の出会いになる可能性もあるし、初めて会う人からいろいろと話を聞くことというのは、ファシリテーターさんにとっても成長につながりますし、ひいてはそれが当事者会の成長にもつながる
そこは大事にしてほしいですね
 
(アイドルでもよく言われたりしますがw)古参だけ大事にするんじゃなくて、別け隔てなく新規の参加者も大事にしていく姿勢が、ファシリテーターにとって大事なことなのかもしれない

東京と大阪の当事者会の違い6 大阪の課題 人の意見に流されやすい

これは3、4年前の話だから、今は違うかもしれないが・・・
大阪や関西の当事者会は権威主義だな、と思った
 
大阪や関西の当事者会に行き始めたときは
「自分は○○だと思います」
と発言しても、
「そうですか・・・」
と流されることが多かった
 
ところが
「○○だ、と広野さん(NPO法人DDAC代表)が言っていました」
「△△だ、と石橋さん(さかいハッタツ友の会代表)が言っていました」
と発言するようにすると
「なるほど!そうなんですね~」
と以前より明らかに反応が良くなった
 
この件から大阪や関西の当事者会は権威主義だと感じた
 
後述するけど安倍前首相、菅首相自民党とかの政権や与党とか、日本社会や定型発達の人には反抗的、批判的なのに、広野さんや石橋さんの意見は全肯定するのな
親や学校の先生の言うことには反抗するクセに、不良のリーダーや兄貴には従順なヤンキーかよw
 
 
たしかに大阪や関西の発達界隈、当事者会や自助会の発展は、広野さんと石橋さんの大いに寄与によるところが大きい、今日、大阪や関西で当事者会に参加できるのは、広野さんや石橋さんのおかげであるであると言っても過言ではない。そこに関しては関西在住の発達障害の当事者にとっては、感謝してもしきれない。本当にありがとうございます。そこの感謝の念は持ち続けなければならない
個人的にも石橋さんには、自分の意見を何回かリツートなどをしていただいてありがとうございました
 
 
広野さんと石橋さんは現在も関西の発達界隈で活動されておられます
 
広野さんはNPO法人DDACで20年近くずっと活動されておられますし
石橋さんもさかいハッタツ友の会で10年以上ずっと活動し続けておられます
そうやって発達界隈の第一線で長く活動し続けたので、そういう活動を通して得た知識や経験の蓄積もありますし、それをもとにした意見というのはすごく参考になることが多い。だから広野さんや石橋さんの意見を参考にしていくことは良いと思います
 
発達障害の当事者の方は、いろいろとTwitter発達障害に関するツイートをダラダラと眺めがちではあるが、そうやって広く浅くいろんな知識をつまみ食いしていくよりは、まずは広野さんなり石橋さんの意見を読んで、ものにした方が良いと思いますね
 
やっぱり雑多なツイートを読むより、1つの考えをものにしていったほうが、
発達障害とは何か?生きづらさを減らすためにはどうしたいいのか?」
という部分で確固とした考えが自分の中で積み上げることができる
(あと、前述したように「△△だ、と石橋さんが言っていました」と発言できるので、当事者会でも良い反応がもらえるしw)
 
そうやって感謝の念を持ち、意見を参考にすることはとても良いこと
 
 
 
ただ・・・それはそれとして、広野さんや石橋さんの意見を鵜呑みにするだけではダメだと思う
 
広野さんや石橋さんは同じ発達障害ではあるが、発達障害の当事者といっても、特性も人それぞれ違うし、性格や環境も違う。だから広野さんや石橋さんの意見の全部が全部自分に合うとは限らない
 
当然、参考になるものはどんどん参考にしていけばいいと思うけど
なんか自分に合わない意見に対しては
「でも、広野さんや石橋さんがこう言ってたしなあ・・・そのとおりにしないとな」
と変に「そうしないといけない」と思いこむとなかなかうまくいかないこともある
 
「これは自分に合ってるけど、あれは自分に合わないな・・・」
自分で考えて、取捨選択していくことが大事だと思う
 
まあ
「広野さんや石橋さんはこう言ってるけど、いやいやいや、その意見はおかしいんじゃないか?それは絶対に違うと思う。こっちのほうが正しいと思う」
と思っていたものでも、しばらくいろいろ経験したりしているうちに
「あのときは『その意見はおかしい、違う』と思ってたけど、よくよく考えたらそのとおりだったな・・・恥ずかしい」
と思ったり感じたりすることもある
 
逆に
「あのときは『広野さんや石橋さんはこう言ってるけど、そのとおりだ』と思ったけど、どうも自分には合わない、自分の環境には合わない・・・。自分の中ではこっちのほうが正しいな・・・」
思ったり、感じたりすることもある
 
 
ただそう思えるのも
「これはこうだ!」
自分で考えて決めたから、それから経験してまた発展していろいろ考えられるのであって
「いろいろ考えても面倒くさいし、別にやらなくていいや」
「『これはこうだ!』と発言して、あとでそれが間違ってることが明らかになったときに『お前の言ってること間違ってるじゃんw』とバカにされると恥ずかしいから、そうやって失敗したくないから、あんまり決めたり発言しないようにしよう」
何も考えないと、何の進歩もないということになりかねない
 
 
 
あと
権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する
という言葉もある
 
祇園精舍の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
という冒頭から、平家の栄華と滅亡について書かれた平家物語は始まる
 
そうやって諸手を挙げて賛同するイエスマンだらけになったら、どうしても驕りや傲慢さがでてきて、組織がだんだん腐っていって衰退してしまう恐れもある
 
特に今は時代の変化が著しい。成功体験というものは大事だけど、昨日成功したことは、明日やって成功するとは限らない。時代に限らない不変の理というものもあるが、やはり時代に合わせて自分も組織も常にアップデートしていく必要はある
 
 
 
以上のことから、広野さんや石橋さんに感謝の念を持ち、意見を参考にすること良いと思います
だが、ああゆう権威主義というか広野さんや石橋さん至上主義みたいな雰囲気があるのはどうかと思いますね
 
 
 
それと大阪や関西の当事者会や界隈のネット上でも、(3,4年前の首相の)安倍首相や自民党などの政権与党の政治批判をする人が多い
 
今の政治に興味を持ち、政治に関する意見を持つということは非常に素晴らしいことだと思います
あと、大阪自民党より、大阪維新の会の支持率が非常に高いということも影響しているかもしれない
 
 
けど、大阪や関西の当事者会の会話や、界隈のネット上のやり取りを見る限り、そこまでしっかりとした政治への考えを持っているようには見えない
 
発達障害の特性による生きづらさから
発達障害の自分が生きづらいのは、日本社会が発達障害への理解と配慮がないからだ」
と社会批判をする
その延長上で
発達障害の自分が生きづらさを感じたり、日本社会が発達障害への理解と配慮がないのは、首相と自民党の政治が悪いからだ!!」
という安易な決めつけで政治批判している人が多い。多いというかほぼほぼ全員ですね
 
仮に自民党から別の政党に政権が変わって、首相もその政党の人に変わったら、それだけで日本社会が発達障害への理解と配慮が進むようになると本当に思ってるのか?
 
自分は「そこまで言って委員会」をよく見ていた影響から、やや右よりの考えというのもあって
 
「やっぱり安倍首相と自民党の政治が悪いせいだよね~」
と、当事者会で話している人がいたので
「安倍首相と自民党の政治のどこが悪いんですか?何が悪いんですか?」
と問い詰めたら
「えっ・・・いや・・・なんかみんなそう言ってるし・・・」
「みんなって誰ですか?」
「いや・・・・・・なんかみんなそう言ってるし・・・・・・ほらっ、広野さんが前に安倍首相が悪いって言っていた。安倍首相の政策によって、今後、当事者会が開けなくなるかもしれない、と話していた」
とよくわらからないことを言ってましたね
 
何人かに問い詰めても
「えっ・・・いや・・・なんかみんなそう言ってるし・・・」
と全員、もごもごと話すだけで
「こうこう、こういう理由で安倍首相と自民党を支持できません」
根拠を持って答えられる人は誰もいなかった
 
 
前述した権威主義にしてもそうだけど、大阪や関西の当事者会の参加者は
「みんながこう言ってるから」
「テレビとかメディアがこう言ってるから」
「広野さんがこう言ってるから」
「石橋さんがこう言ってるから」
といった感じで、人の意見に流される人が多い印象がある
 
 
「みんなこう言ってるし、こういう意見は多いけど、自分はこう思う」
「広野さんはこう言っていた。たしかに自分も以前にうまくいかずに悩んでいたときに、こういう風に考えたらうまくいったこともあるので、自分もそうだと思う」
「石橋さんはこう言っていた。けれども自分はこういうことが大事だと思うので、自分はその意見は違うと思う」
という風に、自分で考えて、自分の考えを根拠を持って述べるという力が低い人が多かったですね
 
 
一方で、東京のある当事者会に初めて参加したときに
「人生がなかなかうまくいかなくて・・・」
という話をされていた方がおられたので
「つまり、日本社会が発達障害への理解と配慮が足りてない、ってことですか?」
と空気を読んで聞いたら
「いや、そういうことじゃない」
とバシッと言われたのはすごい印象に残ってますね
 
大阪や関西の当事者会に比べて、東京の当事者会は安易に理解と配慮が足りてないとか、政治批判する人は少なくて
「みんなこう言ってるし、こういう意見は多いけど、自分はこう思う」
自分の考えを述べられる人が多い
東京の当事者会のほうがレベルが高かったですね
 
 
 
個人的には発達障害の人が生きづらさを減らしていくには
「他の人はこうやってるけど、自分はこうやったほうがうまくいくな」
という自分のスタイルを見つけることだと思う
 
プロ野球選手のバッティングフォームも人それぞれのように
「自分はこうやったうまくいきやすいな」
「自分はこういうときが楽しいな」
という自分の形やスタイルを見つけていくことは大事だと思う
 
そのためには、まず自分で考えないといけない
「みんながこう言ってるから」
とか言って思考停止しているようでは、なかなか自分の形やスタイルは見つからない
 
 
そもそも、上(定型社会)や人生がうまくいかないから、こうやって発達障害の当事者会に来てるはず
「みんながこう言ってるから」
というところの「みんな」という言葉は、当事者会の参加者を指していると思いますが
もとより上(定型社会)や人生がうまくいかない人たちと同じ考え、同じ思考回路でやっても、なかなかうまくいかない
 
まあ、あんまり
「みんながこう言ってるから、逆にああ言おう」
とかの逆張りしまくるのもどうかとは思うけれども
基本的には
「みんなこういうしょうもないことを言っているから、うまくいかずに下(当事者会)にいるんだな」
反面教師にしていかないといけない
 
このように当事者会というのは上(定型社会)や人生がうまくいかない人が集まっているんだから、基本的にはみんなとは違うことをやったり、違う価値観や考え方をしていかないと、なかなかうまくいかない
 
 
 
ここまで述べてきたように、特に大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多いので
「みんながこうだから、みんなこう言ってるから」
と変に合わせてしまうと
「悪いのは発達障害への理解と配慮がない日本社会と、首相と自民党が悪いのであって、自分は何も悪くないんだ。そうやって他人とか社会のせいにしていればいいんだ」
「みんな周りに気を遣うとかせずに思ったまま発言するだけだし、自分もそうやって思いつくままに発言しよう」
「他人に気を遣うとか面倒くさいだけだな。自分の都合だけ考えよう」
と当事者会に染まってしまって、当事者会では好かれて楽しくやれるけど、上(定型社会)では全く通用しない人間になってしまう
 
「当事者会とか発達界隈で楽しくやれればそれでいいんだ」
という考えならばそれでいいと思います
けど
「もっと人生などがうまくいくようになりたい。上(定型社会)で通用するような人間になりたい」
と思うのであれば
「どうして自分は人生がうまくいかないのか?上(定型社会)で通用するには何が足りないのか?」
というところをしっかり考えて努力して、当事者会に染まらないようにすることが大事になってくる
 
 
自分も4年前ぐらいに大阪や関西の当事者会に毎週行ってた時期があったけど、たまたま従姉妹の結婚式、親戚の付き合い、会社の飲み会といろいろ続いたときがあって、1ヶ月ぐらい当事者会に行けなくなったときがあった
 
それから1ヶ月振りに当事者会に行ったら
「あれっ!?」
というすごい違和感を感じた
「定型社会と当事者会では、いろいろとズレてるな。どうすれば当事者会で通用するか?ではなくて、どうすれば定型社会で通用するか?という目線で考えないと、当事者会では良くても、定型社会ではうまくいかないぞ」
というところに気づいてからは、周りは周り、自分は自分、として割り切ってやってましたね
やっぱりいくら当事者会でみんなに好かれてて人気者でも、上(定型社会)で通用しなければ意味はないですからね
 
 
 
東京の当事者会だったらレベルが高いから
「特性がひどい人もいるけど、それに比べたら自分は結構マシなほうだな」
という感覚があれば、上(定型社会)でも通用したりするけど
大阪や関西の当事者会はレベル低いので、その程度の感覚で
「当事者会では結構マシなほうだから、定型社会でもやっていけるだろう」
と思っていると、全然通用しないですね
「当事者会では自分はかなりマシなだと思ってたけど、定型社会じゃこんなもんか・・・」
とプライドを粉々にされてから、またリスタート。というかそこからが本当のスタートの始まりですね
 
 
野球で例えると、定型社会をプロ野球1軍だとしたら、東京の当事者会はプロ野球2軍、大阪の当事者会は独立リーグぐらいの差がある
定型社会と大阪の当事者会はかなり大きな差があるので、大阪の当事者会を卒業して定型社会に上がるのは、なかなか大変
 
 
 
このように自分はそれから意識の違いから自助会で浮くようになって、自助会でケンカして辞めることになってしまった。それから社会人サークルに行くようにしたら、本当にすごく楽しかったので、辞めてよかったですね
当事者会や発達界隈が楽しいというのであれば、それはそれで良いと思いますが
「こんなレベルが低い下(当事者会)に居ていいのか??」
と少しでも思う場合は、定型の社会人サークルなどに行ってもいいかもしれない
 
 
 
それにしても東京の当事者会は、嫌なこともあったけど、楽しい思い出のほうが多い
大阪や関西の当事者会も良い思い出もあるし、すごい良い人に出会って良い思い出もあるし、いろんな会に参加させていただけたことですごく勉強になって、自分の成長につながったので、とても感謝しています
 
けど・・・良い思い出より嫌な思い出のほうが圧倒的に多かったですね・・・
 
みんな周りに気を使わずに思ったことを言うだけだから、こっちが気を使わされて精神が疲れ果ててしまって、翌日の仕事に支障が出たり
自分が発言しても、頭から否定されて話の腰を折られて発言できなかったり
某当事者会で「自分は○○だと思います」と発言してもスルーされ、「○○だと石橋さんが言っていました」と言い方を変えると態度が豹変する様を見たり
自分が居た自助会に初めてきた人が一方的なマシンガントークをする人で、ひたすら相槌をつかされて会が終わる。会が終わるときに「いやー、この会は自分の言いたいことが言えて楽しいですね!」とか抜かしてて、思わずぶん殴りたくなったりとか
有名な当事者会に行ったら、一人30秒ほどの自己紹介をみんなやっている中、自己紹介と称して20分も自分語りしている人がいて、主催者の方もやめさせるのではなく、むしろ質問を投げかけてさらに話を盛り上げていて、理解に苦しんだり
 
悲しみを背負うことが多かったな・・・とにかく嫌な思い出のほうが多かった
 
その点、関西の社会人サークルは楽しかったなあ。実家に帰れたらまた行こうかな。というかまだあるのかなあ
そもそも、下(当事者会)が嫌なら、文句を言うのではなくて、さっさと上(定型社会)に上がれるように努力するのが筋だしね
 
 
発達障害の人は生きづらさなどの悩みを抱えているので、その悩みを1人で抱え込むのではなく、当事者会で集まってみんなで分かち合わないといけない!」
というのは当事者会の関係者の発達界隈の人らが勝手に言ってるだけだ
 
まあ多くの発達障害の人が当事者会が必要としているのは事実で、他の多くの発達障害の人にとっては必要だとは思います。
けれども、それが自分にとって必要なものとは限らない
「本当に当事者会へ行かないといけないのか??行く意味が本当にあるのか??」
という部分も含めて、しっかり考えていかないといけない

東京と大阪の当事者会の違い5 大阪の課題 レベルが低い

大阪の当事者会の課題
 
 

レベルが低い

 
当事者会の雰囲気やレベルはそれぞれ違うので一概に言えない
だが、有名でいろんな人が集まる大阪や関西の当事者会は、同じく東京の有名な当事者会に比べると、レベルが落ちる傾向がある。数段落ちる印象がある
 
 
社会人サークルとかの定型社会に行ったあとに、東京の当事者会に行った場合は
「やっぱり当事者会だし特性がひどい人も何人かいるなあ・・・。けどたしかに発達傾向があるけど、当事者会といっても比較的普通の人が多いなあ」
という感想を持つ
 
 
一方で、大阪や関西の有名な当事者会に行ったら
「ああ、当事者会ってこんなにレベルが低いのか・・・・・・・。定型社会とはものすごい大きな差があるんだな・・・」
という絶望感に襲われますね・・・
 
単に発達障害の障害のせいで能力が低い
ということではなくて、本当に会話のレベルが低い。あと社会性やコミュニケーション力が低い
 
具体的に言うと
 
  • 自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
  • 自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
  • 他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
  • 話がやたらと長い
  • 同じ話を何度も繰り返す
  • 「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
  • 他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
  • 他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
「こんなもん、上(定型社会)でやったら一発でアウトだよ」
と思うような奴ばっかりで、当事者会にいるだけで気疲れしてしまう
 
ひどい場合だと、人の話を聞かずに一方的なマシンガントークをしている人もいる
それをお互いに一方的なマシンガントークをやりあっていて、会話のドッジボールと化しているケースもある
 
普通は会話のドッジボールというものは、こういうお互いのディスりあいを指すはずなんだけどなあ
 
これじゃあ吠え合う犬と何ら変わらない。動物園じゃないんだから
 
 
 
とある大阪で有名な当事者会で、大坂では有名なファシリテーターの方が開催する当事者会に参加したところ
 
隣に座った人が、認知が歪んでいるのか
「今日は晴れですね。晴れといえば、来月は僕の誕生日だけど、君はお肉が好き?」
みたいな支離滅裂は発言をする人で、全く会話が噛み合わない
 
「うわあ・・・・・特性がひどい人に当たってしまった・・・。これは会の中でも困ったちゃん、鼻つまみ者なんだろうなあ。
東京の当事者会で厳しいところだったら、退場や出禁もありえるかもなあ」
 
と思っていたら、ファシリテーターさんが
「○○さんは当事者会ではマシなほうだから」
と説明されていたのはビックリした
 
ふと周りをよく見渡してみると、その会は8人ぐらいの人が参加していたが、割とまともそうな人がファシリテーターさんぐらいで、あとはコミュニケーション力に難があるような人ばかりだった
 
その日がたまたまそういう参加者が集まっただけかもしれない
けど、関西では有名な当事者会でこれだったんで、これが関西のレベルなんだな・・・。という気はしました
 
 
それにしてもあの当事者会の参加者は質問にちゃんと答えない、答えられない人が多かった
たとえば
「ついに東京オリンピックが開幕しましたけど、何か注目しているスポーツとかありますか?」
と聞いたときに
「うーん、やっぱり野球ですね。プロ野球選手が出場するので、ぜひとも金メダルを獲れるように頑張ってほしいです。阪神タイガースからは青柳投手、岩崎投手、梅野捕手が選ばれているので、オリンピックでの活躍に期待したいです」
といった感じで答えるのが普通なのに
(野球以外でもサッカー、卓球、バドミントン、水泳、陸上でもなんでも良いですが)
東京オリンピックって、あれですよね。7月23日金曜日の20時から開会式が始まって、各国の選手が国立競技場に入場して、それからなんか東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長の橋本聖子さんと、IOC会長のバッハ会長がスピーチして、長嶋茂雄王貞治松井秀喜聖火ランナーをやって、最後に大坂なおみ聖火ランナーになって、聖火をともしたんですよね」
 
東京オリンピックって、楽曲に関わっていた小山田圭吾が直前に辞任しましたね。あの人の過去のいじめ内容については許せないものがあります」
 
といった感じで、なんかズレた答えを返してしまう
だから会で議論をしていても、議論の論題がいろいろあっちにいったり、こっちにいったりして定まらなかった
 
まあ定型でも自分の都合の悪いことには、わざと論点をずらして答えたりする人はいますけどね
 
なんかこう基本的な部分が足りていない気がしますね
これが関西のレベルですかねえ・・・
 
 
まあ東京の当事者会や当事者でもレベルが低い人は低いけどね
 
 
 
自分はこれまで当事者会に対して厳しい意見を述べさせていただきましたが
Twitterのツイートやツイキャスをいろいろ見たり、東京や関東の当事者会で見聞きしたことや、人づてで聞いたことも参考にしているけれども、大阪や関西の当事者会のイメージが大きい
 
以上のように自分の中では、東京の当事者会に比べて大阪の当事者会に来る人のレベルは数段落ちるイメージはありますね
 
 
 
 

実家暮らしの人が多い

 
このように大阪、関西の当事者会のレベルが低い、東高西低なのはなぜか?
個人的に思うのは、大阪の当事者会の参加者は実家暮らしの人が多いからだと思う
 
東京の当事者会は参加者は前述したように、東京生まれ東京育ちの人があんまり多くない。地方出身で、東京一人暮らしをしている人が多い。だから、割と東京一人暮らしできるぐらいの生活力や社会性がある人が多い。そういう人が当事者会で多数派なので、
「他の発達障害の人はちゃんとやれてるんだから、自分も発達障害を言い訳にしていてはダメだな」
とそこに合わせて周りのレベルも引き上げられている
 
 
一方で大阪や関西の当事者会に来る人は、大阪生まれ大阪育ちや、関西生まれ関西育ちの人が多くて、一人暮らしの人があまりいない
別に実家暮らしでもしっかりしている人もいるけど、やはり一人暮らしをできている、やっていた人に比べると落ちるケースが多い
 
あと一人暮らしというのは忙しくて暇がないので
発達障害への理解と配慮が必要」
とかの独り言で語るくらいならば、黙ったままなにかしないといけない
 
だが、実家暮らしの場合は
発達障害への理解と配慮が必要」
とワーワー騒いでいれば、そのうち親や家族や福祉関係者の人が気を利かせてなにかやってくれるんじゃないか??
という甘えがあるのではないか、と思う
これでは駄々っ子と何も変わらない
 
「会社は発達障害への理解と配慮が必要だ!そもそも日本社会は発達障害への理解と配慮が必要だ!欧米に比べて日本は発達障害への理解と配慮が遅れている!このように日本社会が発達障害への理解と配慮が足りないのは、首相と自民党の責任である!!」
「そうだ、そのとおり!!さすが○○さん、良いこと言いますねえ」
というノリは東京や関東の当事者会では自分は見たことがないが、大阪や関西の当事者会では何回も見ました
これは所詮は子ども部屋おじさんの、そういう実家暮らしの甘えの部分があるんじゃないかと思いますね
全員が全員というわけではないかもしれないが、そういう部分はあると思う
 
 
 
それと「何かをやる当事者会」が少ないのも要因だと思う
 
発達障害の生きづらさを一人で抱え込んで悩むのではなくて、当事者会で話し合ってみんなで悩みを分かち合う、ということが当事者会では一番大事だ
とはいっても、単に当事者会で話し合いだけで終わってしまっては
「日本社会は発達障害にもっと理解と配慮をしろ!」
と叫ぶだけの結論で終わってしまって、なんら進展がないんじゃないかと思う
厳しいことを言うと、話し合いをして何かわかった気分になってだけで、ただの傷の舐め合いをして終わってしまってしまい
進展がなくただ停滞しているのが大阪や関西の当事者会の現状じゃないかと思う