このように発達障害の人は当事者会に来なければならない!発達障害の特性の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで分かち合わなければならない!さらに、みんなで当事者会に集まることで、発達障害の力を結集して、日本社会へ発達障害への理解と配慮を認めさせてやるのだ!そのためにも、発達障害の人は全員、当事者会に参加し、発達界隈にて活動しなければならない!
終わり
・・・と言いたいところだが、当事者会や発達界隈に行くデメリット、というよるは発達障害でも当事者会に行くことで逆にストレスを抱えてしまうケースもある
- 発達障害でも幸せに生きる方法
- 常に当事者会に行くのが正しいとは限らない
- 当事者会は幸せに生きる手段の1つに過ぎない
- 当事者会ハラスメントに注意
- 人に考えを押し付けられるのは嫌うのに、平気で考えを他人に押し付ける発達障害
- 発達界隈は当事者会主催者の地位が高すぎる
発達障害でも幸せに生きる方法
「発達障害でも幸せに生きたい」
という願いはみんな持っていると思います
「じゃあ、どうすれば発達障害でも幸せになれるのか?」
幸せになるという目的を果たすには、どうすればいいのだろうか?
「当事者会に行かなければならない!発達障害の特性の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで分かち合わなければならない」
という考えもあるんだろうが、それはあくまでも目的を達成するための手段の1つに過ぎない
常に当事者会に行くのが正しいとは限らない
たとえば最近、先月は2月とは思えないほど暖かかったのに、次の週になって急にまた寒くなってしまい、寒暖差に身体がついていかず風邪をひいてしまったとする
それでも
「発達障害は当事者会に行かなければならない!発達障害の特性の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで分かち合わなければならないんだ!」
と無理して休みに当事者会に行くのが正しいのだろうか?そうやって無理して風邪を悪化させて、2週間ぐらい仕事を休むことになったとしても、当事者会に行ったことが正しいと言えるのか?
「発達障害は当事者会に行かなければならない!」
とか言ってる奴は口先だけでワーワー言うだけだ。当事者会に参加したことでかえって人生がうまくいかなくなったとしても、こいつら責任を取らない。結局はすべて自己責任
「あんだけ『発達障害は当事者会に行かなければならない!』と言ってたから行ったのに・・・」
と人のせいにしてもしょうがない
恨むのならこんな底辺のゴミクズどもの意見を鵜呑みにしてしまったという、判断ミスをした自分の無能さを恨むしかない
「これをやることで、本当に自分の幸せにつながるのか?」
というところを自分で考えて決断していかないといけない
【苦悩】若いうちに頑張る?賢く動く?何が正しいのか - YouTube
「発達障害は当事者会に行かなければならない!発達障害の特性の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで分かち合わなければならないんだ!」
と自分に言い聞かせて、本当は何も考えていないのかもしれない
「頑張っている」と自分に言い聞かせて
「他の人とは違う」と自分に言い聞かせて
目的が頑張ることになっていて、そんな自分に酔っているだけかもしれない
そういえばゲーマーズダンジョンでも作中で、ゲーム依存症だけだった主人公には当事者会に来るように主催者は言っていたが、障害持ちの別の人には病院に通院しながら、当事者会にも来るように言っていた
当事者会は幸せに生きる手段の1つに過ぎない
「どうすれば発達障害でも幸せになれるのか?」
という観点で考えながら
「当事者会に行かないといけない!」
だけじゃなくて
- 当事者会に行く
- 寝る
- 家でゆっくりする
- 家の家事を進める
- どっか外出する
- 近所を散歩する
のいろんな選択肢の中から選ぶようにしていかないといけない
「幸せに生きる」と「楽しく生きる」はほぼ同意義だと思うので
・当事者会に行く
よりも楽しいことが見つかったら、そっちに行ってもいい
- カラオケに行く
- 麻雀をする
- サウナに行く
- 飲みに行く
- ゲームをする
- 絵を描く
- 野球、サッカー、バスケ、ラグビーなどのスポーツを観る
- 映画を見る
- 他に何か趣味をする
などなど、どれでも「楽しいな、めちゃ面白いな」というものが見つかったら、それにハマるのも良い
「当事者会、発達界隈で活動するのが一番楽しい!」
というのであれば、それも1つの生き方ではある
「これまで発達障害で生きづらさを感じ、生きている価値も見いだせない日々が続いていましたが、ある日にアイドルのライブを見に行ったところ、すごく元気をもらいました!その後、握手券を買って握手会に行ったら神対応してくれました!それからはそのアイドルに行くことが生きがいになっています!
このように生きづらさを感じ、生きてる意味も感じられない人生でしたが、アイドルに出会ったことで生きがいを感じられるようになりました!だから発達障害の人はアイドルに会いに行くことをオススメします!」
というのもいいんじゃないですかね・・・・
「自分は発達障害だから当事者会に行かないといけないんだ!」
という1つの価値観に縛られるんじゃなくて
「当事者会に行くだけじゃなくて、アマプラで映画を見たり、昔やってたゲームをまたやったり、どっかに旅行するのもいいものだな~。別に当事者会に行くことだけが幸せじゃないんんだな」
という広い視野を持てると、自分の世界や考え方を大きく広げられる
当事者会ハラスメントに注意
こうやって
「自分は生きづらさを感じて生きていましたが、これをやることで楽しく生きれるようになりました!だからみなさんもこれをやるのがオススメです!」
みたいに言っていくのは良いけれども
「発達障害でもアイドルの握手会に行けばみんな楽しく生きれるんです!だからみんなアイドルの握手券を買いましょう!なんでアイドルの握手券を買わないんですか?バカですか?頭が悪いんですか?」
みたいな感じで痛々しいヲタになって他人にも押し付けるのは良くない
2023年はWBCで大谷翔平の活躍で優勝したり、その大谷翔平がメジャーで二刀流で大活躍したり、日本シリーズも阪神ーオリックスの関西対決になったりと野球で盛り上がった年だった
けれども野球で盛り上がっているのをいいことに、野球ファンが野球を見ない、興味ない人に対して
「なんで野球を見ないんだよ?野球を見ろよ!」
と野球を相手に強要するのは野球ハラスメントだ、という意見も出ていた
野球ハラスメントに対して物申す早川聖来【乃木坂46】【文字起こし】 - YouTube
これといっしょで
「発達障害の人は当事者会や自助会に参加して、悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合わなければならない!だから発達障害の人は全員、当事者会に来なければならない!」
「『発達界隈卒業』とか言う人をあまり良くは思ってない。自分だけ社会生活送れたらそれでいいんだね。卒業したまま平穏に暮らせると思うなかれ」
「発達界隈卒業は成長ではなく、『修羅』と言います。人の道を外れる覚悟ができているのだな?」
「(発達界隈卒業について)そこから完全に離れて生きていくのは危険だよと言いたいだけ。アナタが誤った選択をする権利は尊重しますよ。」
と言って当事者会に来ることを強要することは、今の時代はハラスメントになって、当事者会ハラスメントとなる可能性がある
正直、こうやって当事者会に来ることを強要する人は
アイドルのライブに行ったり握手券を買うことを他人にも強要する、ピンチケの痛いドルヲタとそんなに変わらない
人に考えを押し付けられるのは嫌うのに、平気で考えを他人に押し付ける発達障害
それにしても当事者会、発達界隈にいる奴らは
「自分は発達障害なんだからうまくできないのは仕方ないですよね?障害者なんだから理解と配慮をしてくださいよ!」
とか言って相手に自分の意見を押し付けるクセに
「『健全なる精神は健全なる身体に宿る』という言葉があるように、身体を鍛えたらメンタルもよくなっていくもんだ。あなたもジムに行ったり、ジョギングなどをして身体を鍛えるべきだ」
といった他人から意見を押し付けられるのを嫌うよねw
自分がやるのはいいけど、それを他人からやられるのは嫌なんですね
そんなんだから下(当事者会、発達界隈)にいるんじゃないですか?
発達障害の人だと自他境界があいまいな人が多いので、やってしまいがちではある
そこを認識できるか、できないかが発達障害と定型の大きな差とも言える
ただ、他人から自分の意見を押し付けられるのは、押し付けられる側としては結構しんどいものがある。本人としては良かれと思ってやっているので、どんどんやってしまいがち。そうやってやっているうちに会が壊れることもある
やはりこういう発達障害はちょっとおしおきが必要だな
ニューダンガンロンパV3 お仕置き&ムービー集 - YouTube
昔、ある当事者会に行ったら
「定型も障害者もお互いがお互いを尊重し合えるようにならないといけない!」
と話していたのに、
「いや、その考えはおかしい!」
「その考え方は間違ってるぞ!」
と5分後には他人の意見を否定しまくっていて草不可避だった思い出
「お前、『お互いがお互いを尊重し合えるようにならないといけない』とちゃうんかい。お前の言う『尊重し合う』ってなんやねん。結局は自分自身が尊重されたいだけちゃうんけ?」
とツッコミたくなったw
発達界隈は当事者会主催者の地位が高すぎる
あと定型社会と発達界隈の違いについて、会の主催者の地位の違いというのがある
発達界隈の当事者会の主催者、ファシリテーターはちやほやされて偉そうにしているイメージがある
なぜなら、当事者会というのは主催者がいないと会は開催されないから。当事者会がないと発達障害の人にとって悩みを分かち合う場がなくて困ってしまう。だから当事者会を開いてくれた主催者は
「いつも当事者会を開いていただいてありがとうございます!」
とマンセーされがち
また、発達障害でありながらいろんな能力が求められるし、エネルギーも要る当事者会の主催者をやれる人は貴重だ
だから
「いつも当事者会を開いていただいてありがとうございます」
とやたらとマンセーされてちやほやされて、主催者も
「自分はすごい人間なんだ!」
と変な勘違いをしている人も多く、妙な上下関係があることも多い
「無礼なことを言うな、分をわきまえなきゃいかんよ、たかがハッタショが」
と言ってやりたい
一方で定型社会の社会人サークルの主催者はそこまでマンセーされない。あくまでも遊び仲間の1人って感じ
- 友人と遊びに行く
- 家でゆっくりする。1人でどっか外出する
- こういう社会人サークルがなんか楽しそうだし参加してみる
そこまで生きることに困っていないので、 あくまでも趣味の選択肢の1つに過ぎない。だから会がなくなってもそこまで困らない。他の会に行ったり他のことをすればいいだけだ
会の主催や運営も大変だとは思うけど、定型の社会人ならそれぐらいできて当たり前
だから、主催者も良くも悪くも遊び仲間の1人って感じだ
あと、仕事や資格取得や職場の付き合いが忙しくなったり、結婚して家庭や親戚やご近所付き合いなどで忙しくなったりして(あるいは別の趣味にハマったりして)、いつも来ていた人が急に来なくなるのはザラ
発達界隈みたいに「会に来なくてはならない」みたいな謎ルールもないので詰められることもなく
「なんかいろいろ忙しいだろうな」
と大人の対応をする
この辺の違いも発達界隈と定型社会の1つな気がする
まあ偉そうにしている発達障害の当事者会主催者、ファシリテーターも
もし当事者会を開催しても参加者が0人なら
「会を開催しても誰も来てくれない人望がない人。かわいそうな人」
へと急に肩書きが変わってしまう
そもそも弱い奴に限って群れがちだ
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