自分も下(発達界隈)にいたときはそう思っていた
けれども、また上(定型社会)に行くようになってからはイイトコサガシには以下の3つの問題があることに気づいたので、今回述べさせていただく
- ニッチすぎる
- コミュニケーションを履き違えている
- 冠地情さんにファシリテーターとしての能力が低い
ニッチすぎる
まずはイイトコサガシのターゲットがあまりにもニッチすぎる点
当事者会にもかかわらず、障害の話は一切できない
イイトコサガシには何回か参加したことがあるが、障害についての話は一切出来ない。やろうとしたら
「ここではそういう障害についての話はナシでお願いします」
みたいな感じで冠地情さんにバシッと止められる
障害者が集まる当事者会なのに、障害について話せない
これでは
「どうしたんだ冠地情!何のための障害者の当事者会だ!これはいけませーん!!」
と言われても仕方がない。ちょっとここは矛盾がある
障害にも配慮をして、障害者でも楽しめるイベントにしている。というわけでもない
事前に決められたプログラム通りに進行
イイトコサガシは冠地情の司会進行役の人が決めたプログラムに添って進行する。今回の参加者の様子を見ながらプログラムをやっていく。というよりは、冠地情さんが決めた
「30秒で自分の好きなものを話す」
などプログラムに参加させられる
いきなりできなくても、
「やれよ」
という圧で叱咤激励してやらせる流れだ。そうやって冠地情さんやイイトコサガシのプログラムについていける人は楽しめるが、そうでない人は楽しめない会という印象
障害者の当事者会のクセに、特に障害への配慮はない。少なくとも自分にはそう見えた
引きこもりをしておられた方など、自分の気持ちを伝えるのが苦手な方が、しっかり自分の気持ちを伝えられるようになる、というのがイイトコサガシの趣旨なんだろうとは思う。だが、そういう自分の気持ちが伝えるのが苦手な人にとっては、難易度が高くて敷居が高い
イイトコサガシを楽しめる人というのは、発達界隈でもごく一部の人のみ
以上をまとめると、発達障害ではあるが、障害以外の話をしたくて、さらに冠地情さんやイイトコサガシのノリについていけるテンションの高さがある人だけが、イイトコサガシを楽しめる、ということになると思う
だから、イイトコサガシを楽しめる人というのは、発達界隈でもごく一部のニッチな人たちだけになると思う
「俺について来れるヤツだけついてこい!わかるやつだけわかればいい」
というロックなスタンスだったら何も問題はない
乃木坂46『好きというのはロックだぜ!』 - YouTube
ただ、そうやってニッチで人を厳選するような会にもかかわらず、多くの人に受け入れる会みたいなのになろうとしているのはわからない。どう考えても無理でしょう。それは他人への自分の価値観の押し付けになっているような気がする。ちょっとここ最近はその押し付けが強くなっているので、批判的な意見も大きくなっているような気はしますね。
なぜ上(定型社会)でやらないのか?
障害についての話は一切しないんだったら、そもそも別に下(発達界隈)でやる必要はない。いっそのこと発達障害だろうが定型の人だろうが誰でもウェルカムにして、単なるコミュ障の人向けのワークショップにして、普通に上(定型社会)でやったらいいんじゃないかと思う。
それか
- こういうところにはよく来るんですか?
- この辺はよく来るんですか?
- 趣味、好きなことはなんですか?
- 今、どこに住んでますか?
- 出身はどこですか?
- どこで仕事してますか?何の仕事をされていますか?
という質問に特化して答えられる、そういう質問をして話を広げられるようにして、上(定型社会)で通用できるコミュニケーション力をつけて、下(当事者会)の卒業を目指す会としてやったら面白いとは思う。
ただ、後述するけど、冠地情さんが所詮は下(発達界隈)の人間なので、なかなか難しい。
それにしても下(発達界隈)で活動しているのに、発達界隈への批判ばかりなのはやはりどうかと思う
活動の中心を上(定型社会)に移して、その上で
「今の発達界隈はここが良くない」
と文字通りに上から目線で批判するのであれば、(良いか悪いかは別にして)わかる。
ただ、下(発達界隈)で活動しているのに、下(発達界隈)で認められない、なかなか思うようにいかないのであれば、認めてもらえるように努力するか、いっそのこと上(定型社会)に行くのが筋だ。認められないからってワーワー言うのは、ちょっと違うんじゃないかと思いますけどね
定型の人が発達障害や発達界隈を批判すると
「障害者差別だ!」
とか言われちゃうので、なかなか難しい。だから同じ発達障害の人間が、発達障害や発達界隈について意見を言っていかないといけない。というのはわかるけどね・・・