にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

2021年4月4日㈰ 【無料ウェビナー・プレミニ企画】ずるい当事者、ずれてる支援者、ずっこけてる家族の感想

 
イベント主催者: NPO法人 アップル・シード
15:00〜16:009
料金: 無料·所要時間: 1時間
公開  · Facebook利用者以外を含むすべての人
発達障害啓発週間内のプレミニ企画として、無料ウェビナーで、イイトコサガシ・冠地情氏と、さかいハッタツ友の会・石橋尋志氏に対談していただく。プレミニ企画開催後の本番企画の詳細は、後日公開予定です※ このページへの参加表示のみでは、ご参加できません!お申し込みは、下記リンクからお願いいたします!!
 
2021年4月4日㈰にZoomLIveにて行われた、【無料ウェビナー・プレミニ企画】ずるい当事者、ずれてる支援者、ずっこけてる家族
コミュニケーションに生き辛さを(苦手意識・経験不足)を抱える人たち、そしてその関係者(ご家族や支援者)、さらにはもっともっとコミュニケーションの幅、経験、可能性を増やしたい人たちのために当事者が本音で語る会。の導入編
として、冠地情さん(ワークショップ イイトコサガシ代表)、石橋尋志さん(さかいハッタツ友の会代表)、ナビゲーターの成瀬毅さん(NPO法人アップル・シード代表)のコラボ配信を拝聴したので感想を書いていきたい
 
 
 

ずるい当事者、ずれてる支援者

=LOVE(イコールラブ)/ ズルいよ ズルいね【MV full】
 
 
 
家族会には参加したことがないので「ずっこけてる家族」はよくわからないが
ずるい当事者・・・
発達障害への理解と配慮が足りない社会が悪い!」という他責ばっかり主張して、自分への向き合いから逃げている
そうやって人のせいにして挑戦して逃げて配慮ばかり求めて、退化硬直していく(失敗を恐れてやらないから、やればできることも次第にどんどんできなくなっていく)
 
ずれてる支援者・・・
当事者が安定することを第一に考えがち。失敗を恐れる当事者を、そのまま失敗しないほうに進ませてしまう。理解と配慮がないと何もできないまま進歩させない
といった感じだろうか
 
 
 
個人的には
一人で発達障害の悩みを抱え込むのではなく、みんなで話し合って悩みを分かち合わなければならない!
という
当事者会に参加しなければならない。さあ君も当事者会に来よう!!」
という風潮があって、そうして当事者会に参加したはいいものの
「先週に仕事で上司に厳しく叱責されて辛かった。あいつは発達障害への理解と配慮が足りない!
会社は発達障害の人への理解や配慮が必要だ!そもそも社会は発達障害への理解や配慮が足りなさすぎる!このように日本社会が欧米に比べて発達障害への理解や配慮が足りないのは、今の日本の首相と自民党の責任である!!」
「そうだ、その通り!さすが○○さん、いいこと言いますねぇ!」
という社会批判をしてホルホルマンセーして
「いや、まあそれはそうだけど・・・・・・。けど、その中でも自分なりに努力していくことが大事じゃないかな?」
とか意見したら
「そうやって人の話を聞かずに、自分の意見を一方的に話してしまうのは発達障害の特性だ!!」
悪者扱いされて、当事者会の同調圧力に潰されそうになったので
当事者がズルいというのは大いに同意する
ア○○ェイかよ
 
 
だいたい
日本社会は発達障害へ理解と配慮しろ!
とワーワーと一方的に言い続けてれば発達障害への理解と配慮が得られると思ってるのか??むしろウザがられて煙たがられるだけなのがわからないのか??
所詮は上(定型社会)でうまくいかない人が下(当事者会)に集まっているので、社会性がない人が多いからそうなる
 
他にも一方的に話し続けるだけのマシンガントークする奴が当事者会で野放しにされていて、ひどい当事者会だと、お互いがお互いに一方的なマシンガントークをするだけの、会話のドッジボールと化しているケースもある
 
当事者会の2次会では、ひたすら当事者会のメンバーの陰口、悪口で盛り上がる会も多い
自分よりダメな奴を叩くことで、日頃から人生がうまくいかない憂さ晴らしをしたり、「ああ、自分はこいつよりはまだまともなんだな」と安心感を得るという
社会でうまくいってない発達障害の人が、自分よりさらにダメなやつを寄ってたかって叩いてバカにして憂さ晴らしをするということが行われている、ズルいという言葉も生ぬるいような、卑劣で醜く汚い、腐りきってる当事者会も少なくない(ちゃんとしたまともな当事者会もありますが)
 
腐った組織に見られる5つの特徴。倒産まっしぐらの会社がこちら。
 
 
上(定型社会)での価値観や常識を理解しまともな感性があって、上(定型社会)でも通用する人は、このような発達界隈にいることが呆れ果てバカらしくなって、当事者会を卒業していき
下(当事者会)でしか通用しないような人だけが残って、古参面して威張り散らしている
 
【MV full】また会える日まで<峯岸みなみ卒業ソング> / AKB48[公式]
AKB48】なかなか卒業しない私から、大切なご報告【禁酒解禁】
 
 
 
 

発達障害へ理解と配慮を求める危険性

 
・・・おっと、当事者会への愚痴があまりにも過ぎたか・・・
 
まあ、一方的なマシンガントークも以前は「発達障害の特性によるものだからしょうがない」とされていたのが、今は割とたしなめられたり、批判されるようになってきたみたいだし
以前よりもだいぶ当事者会も変わりつつはあるみたいですけどね
 
とはいっても、いくら発達障害の当事者会といっても「発達障害とは?」「障害者とは?」「障害とは?」と発達障害のことだけ突き詰めて考えていくと、どうしても
「障害というハンディキャップがあるぶん、社会は発達障害に対して支援をしなければならない」
「社会からもっともっともっと発達障害への理解や配慮が必要だ!」
というところに行き着いてしまって、極論になりがちになる
 
そもそもみんなが良くなるように政治をするというのはなかなか難しいものだ
 
昨今のコロナウイルスの行政の対応がいろいろ言われてるように、コロナウイルスの新規感染者を減らすには、人の動きの制限するしかない。そのためには国民に不要不急の外出を避けるようにして、マスクを外した人が集まって密になりやすい飲食店は時短営業してもらう。というやり方になる
 
ところが国民が不要不急の外出を避けて、旅行しなくなるとホテルや旅館、土産物店などの観光業、あと飛行機会社やバス会社の運輸業者の収入がなくなる。時短営業をすると飲食店の収入も減る。収入がなくなって店を畳んだりすると、テナントの賃料が入らなくなってビル管理会社の収入も減るし、飲食店へ仕入れをしている会社も仕事がなくなって収入がなくなって、金の動きがなくなると経済活動も停止してしまい、どんどんいろんな会社や店や人々の収入がなくなって、みんな生活が困窮してしまう
 
そこでみんなに金を使わせて経済活動を回すために「Go To トラベル」とかいうキャンペーンを始める。これで国民が旅行するようになったり、飲食店で食事するようになって、また経済が回るようになって問題は解決する
 
だが、「Go To トラベル」とみんな旅行したり、飲食店で食事するようになると、人の出入りが多くなって、コロナウイルスの感染が広がってしまう
 
かといって人の出入りを制限すると、経済活動が止まってしまう・・・
 
けれども人の出入りを制限しないとコロナウイルスの感染が広がってしまう・・・
 
と、感染拡大防止と経済活動再開のバランスを取るのに、現在どの知事も苦慮している・・・
 
 
これといっしょで
日本社会からもっと発達障害への理解や配慮が必要だ!
というのは正論ではある。かといって、じゃあ仮に発達障害の人は生きづらさを抱えて生きてるから毎月100万ぐらい配布するとしたら、発達障害の人にとっては良いけど
当然、国の財源には限りがあるので、消費税を10%から20%に上げざるを得なくなり、そうなると発達障害以上に定型の人が生きづらい日本社会になってしまう
 
そうなると定型の人は
「なんで発達障害ばっかりこんなに優遇されるんだ??江戸時代の殿様か何かかよ」
と不満が出てきて
「あーあ、発達障害の奴らのせい消費税が上がって生きづらい社会になってしまった・・・発達障害の奴らなんか全員いなくなればいいのになぁ、そしたら消費税も元に戻るのに。発達障害の奴らなんか早く消えてくれないかなあ・・・」
逆に定型社会からの差別、偏見が広がってしまうことになりかねない
 
 
まあさすがにこれは突飛な発想だとは思うけれども
「日本社会からもっと発達障害への理解や配慮が必要だ!」
一方的に主張することは、定型社会から理解や配慮を得られるどころか、逆に反感や反発を招いて、むしろ差別や対立が起こりかねない
 
 
 

発達障害の人も定型社会のWin-Winな関係

では発達障害が定型社会から理解され、配慮を受けられるようになるにはどうすればいいだろうか?
前述したように発達障害の人が一方的に
「日本社会からもっと発達障害への理解や配慮が必要だ!」
と主張していくと、発達障害の人だけが良くて定型社会に負担を強いるだけのWin-loseになってしまい、いずれ関係は破綻してしまう
 
そうではなくて発達障害の人も定型社会もお互いに良い、Win-Winな関係になれるような道を模索していくべき
 
 

己を知る

では発達障害の人も定型社会もお互いに良い、Win-Winな関係になるにはどうすればいいだろうか?
 
 
PSP版 三國志Ⅷ オープニング
 
 
孫子の兵法の一節に
「彼を知り⼰を知れば百戦して殆うからず。彼を知らず して⼰を知れば⼀勝⼀負す。彼を知らず⼰を知らざれば戦う毎に必らず殆うし。」
(敵の実情を知り、⼰の実情を知っていれば、百回 戦っても敗れることがない。敵を知らず⾃分ことのみを知っている状態なら、その時次 第で勝ったり負けたりする。敵を知らずに⾃分のことも知らなければ、戦う度に必ず敗れる。)
という有名な言葉があります
 
 
このように彼と己を知ることが大事だと思います
 
 
まずについてですが、そもそも理解と配慮とは何か?ということです
 
・仕事のメモはどう取っているのか?
・to doリストや、やるべきリストはどういういうのを使っているのか?どうやってやるべきことをまとめているのか?
・当事者会などのメモは、どうやって取っているのか?
(日記はどう書いているのか?)
・カレンダーなどの予定管理はどうやっているのか?
・早く寝るために、どんな工夫をしているのか?
 
この辺の項目について答えられますか?ということ
ここらへんを一つ一つメモ帳でメモするようにしたり、メモの書き方も自分にわかりやすいように工夫したり
またはスマホのアプリをいろいろ試して、自分に合ったものを使っていますか?
そうやっていろいろ工夫や努力をしても、どうしても特性上でできないのであれば、そこは理解と配慮が必要ということになる
 
だが上記のことをやっていないような、自分に対して理解や配慮ができていないような人に対して、赤の他人がどのように理解して、どのように配慮すればいいのだろうか?
このように自分でやるべき努力や工夫もやらずに、いたずらに他人に理解や配慮だけを一歩的に求めるというのは、ただの理解と配慮の乞食と言わざるを得ない
冠地情さんのおっしゃられる「ズルい当事者」というのは、こういう形の人の当事者を指すのかな?と思いました
 
 
ずれてる支援者」というのは、こういう形の当事者に対して
「『理解と配慮しろ!』とばっかり言ってないで、ちゃんとやるべきことを自分でやれよ。『ムリだ』とか言わずに新しいことをやってみようよ」
と厳しく言うべきところを
発達障害だからできないのはしょうがない。変にできないことをやろうとして鬱などの二次障害になるよりは、ムリせずできることだけやりましょう」
として、ムリさせずにできることだけさせる
良い言い方をすると当事者の言うことにしっかり応える素晴らしい支援者
厳しい言い方をすると、そうやって甘やかして「発達障害なんだから理解や配慮をされて当然」とつけあがらせ、できることだけしかやらせないので、新しいことに挑戦して成長することもなく、かえって当事者の可能性を狭めてしまっている(冠地情さんの言うところの退化硬直)、ズレた支援をしている支援者
ということになるんだろう
 
 
そうやって己を知った上で、当事者会にも参加して、他の当事者の話を聞いて参考にしたり、己を見つめ直すことによって、さらに自己理解、発達障害などの障害の理解をすすめて、さらに己を知っていくことが大事だ
 
 
 
 

彼を知る

次に彼を知る、という点ですが
前述のように当事者会に参加していくことは大事ですが、いくら当事者会だけに参加していても、当事者会では通用しても、定型社会では通用するようにならない
 
 
がわかってきたところで、社会人サークルとかの
「自分は発達障害なんでできないんです。しょうがないんです」
という甘えや言い訳ができない、上(定型社会)に参加していくことですね。その中で
「正直言って、当事者会では自分よりひどい人もたくさんいて、自分はかなりまともなほうだと思ってたけど、定型社会じゃこんなもんか・・・・・・。」
という現実を知って
なぜ下(当事者会)では良くても上(定型社会)では通用しないのか?自分には何が足りないのか?
というところを考えて、日々生きていくこと。そうすることで上(定型社会)の価値観とか常識などがわかってくる
 
 
こうやって「彼を知り⼰を知る」ことで
発達障害の人と定型の人がお互いに楽しく幸せに暮らしていくにはどうすればいいのか?」
発達障害の人がどのような点で理解と配慮を求めていけばいいのか?」
という
発達障害の人も定型社会もお互いに良い、Win-Winな関係になれるような道
が初めて見えてくるんじゃないかと思います
 
 
当事者会だけで満足しきってしまっていて、下(当事者会)では良いが上(定型社会)では全く通用しない「当事者会慣れ」「当事者会の帝王」の狭い考えしかできない人たちが、いくら話し合ったところで
発達障害の人も定型社会もお互いに良い、Win-Winな関係になれるような道
というのはなかなか見えないと思いますね
 
 
 

上(定型社会)で通用する力

 
「なんか偉そうに『発達障害の人も定型社会もお互いに良い、Win-Winな関係になれるような道』とか言ってるけど、じゃあそれってなんなんだよw」
と突っ込まれそうなんで自分の考えも述べておく
 
では「発達障害の人も定型社会もお互いに良い、Win-Winな関係になれるような道」とは何か?
 
現状、発達障害の特性によるミスが多い、場が読めないなどの欠点によって、発達障害の人がなかなか社会で活躍できずにいる。そうではなくて発達障害の長所を活かせるような仕事の割り振りや、社会での役割を作られていくべきではないか。
発達障害だけじゃなくて、障害を持つ人すべての人が楽しく幸せに生きられるように、障害を一つの個性として認め、お互いがお互いを尊重し合う社会になるべきである。おわり
 
・・・・・・・と言いたいところだけれども「戦争のない世界」「核兵器のない世界」「いじめのない学校、社会」「原発のない日本」「日本の景気回復」「格差のない平等な社会」といっしょで、理想はとても大事だとは思いますが、現実としてはなかなか実現は難しい問題ですね
 
 
個人的に考える現実論として、やはり上(定型社会)で通用する考え方、コミュニケーション力、仕事などの、上(定型社会)で通用する力を身につけることだと思う
 
 
 

生きづらさとは?

 
そもそも、発達障害の人はなぜ理解と配慮を求めるのか?
それは生きづらさを抱えていたり、人生がうまくいかないからだ
めちゃくちゃな例えだが、仮に理解と配慮を求める発達障害の人の敷地内から急に石油が湧き出るようになって
何もしなくても月収1億で、タワーマンションの最上階に住み、ベンツを何台も乗り回し、キャバクラでドンペリを毎日何本も注文するような生活になったとしても、発達障害の人は理解と配慮を求めるのか?というと絶対にしないw
 
まあちょっと例えが極端すぎたが、生きづらさを抱えていたり、人生がうまくいかないから、社会に対して理解と配慮を求めている
 
では生きづらさとは何か?
 
それぞれの発達障害の特性とか性格や環境にもよるとは思うけど
やはり基本的には上(定型社会)で通用しないことが大きいと思いますね
上(定型社会)で
「仕事でミスばっかりだし、お前って本当に役に立たねえな」
「お前は空気を読めないしウザいからマジでいなくなってほしい。早く消えてくれ」
とか言われてしまって、なかなか居場所もなくて、うまくいかないから、理解と配慮を求めざるを得ないというところですね
これが
「仕事をしっかりやってくれてとても助かっている。これからも頼むよ」
「君といるととても楽しいよ。今日も来てくれてありがとう」
と言われるようになれば、生きづらさとかをあまり感じずに、楽しく幸せに生きられるようになる
 
まあ言うは易く行うは難しで、それがなかなかできないから、理解と配慮を求めていかざるを得ないというところですね
 
ただ、だからといって下(当事者会)で
「日本社会は発達障害へ理解と配慮をしろ!」
と叫び続ければ、(コンプレックスの裏返しによる)憂さ晴らしや気休めにはなって、それが上(定型社会)では居場所がない発達障害の人には大事なことだとは思うけれども、生きづらさを解消する根本的な解消にはなっていない
 
やはり上(定型社会)で通用する力を身につけて、上(定型社会)で認められるようになるとか、自分なりに発達障害の障害者である自分の生きる意味を見出すとかしていかないと、その人にとっての抜本的な解決にはならない
 
 
 

定型の人に勝てる、互角にやれるものを見つける

では上(定型社会)で通用する力を身につけるにはどうすればいいか?
 
個人的には思うのは、なんでもいいので定型の人に勝てる、互角にやれるものを見つけることですね
1つでも定型の人に勝てる、互角にやれるものあれば
「なんだ、定型の人って自分と違って障害がないから、自分よりすべての部分で上回ってるかと思ってたけど、そうでもないのな。てか定型って自分と違って障害がないクセに、この部分のおいては自分と同じぐらいしかできないのなw定型って言ってもこんなもんか、大したことないな。」
と劣等感が減って、自己肯定感が高まる
そうなってくると
「これができるんなら、他のこともできるんじゃないか?」
と他のことにも挑戦する勇気というか、意欲が出てくる
 
 
 
 

自己肯定感とは自分との向き合いの先にある

ただ、当事者会でよく言われる「自己肯定感」「自分への自信」というのは、自分で見つけるしかない
 
近所のスーパーやAmazonで売ってるものでもないし
当事者会にたくさん行ったり、同じ当事者のTwitterを眺めるだけでは手に入るとは限らない
いくら他人から
「君はすごい」「素晴らしい」「大丈夫だ」
と言ってもらっても「いや・・・」と受け入れなかったら自信とか自己肯定感にならないし
「他人が言ってくれたから、他人に評価してもらえたから」
という他者評価による自信や自己肯定感というのは脆いもの
 
 
「たとえばあなたがトイレに行きたくなったなら、自分でトイレに行って用を足すしかない。他の人が代わりにトイレに行って用を足すことはできない。これと同じで古文の勉強も自分でやるしかない。他の人が代わりにやることはできないんだ。あなたがやるしかない」
と昔に大学の古文の厳しい先生から言われたことが、妙に頭に残っていますが
これと同じで自己肯定感や自信は自分で見つけるしかない
 
井上陽水- 夢の中へ
 
 
ただ、この自己肯定感自信を見つけるのが大変だ
自己肯定感や自信というのがどこにあるかは人それぞれだけれども、たいてい自分との向き合いの先にある
 
たとえば
先程述べたような自分の工夫、努力不足から目を背けるために、「日本社会は発達障害へ理解と配慮をしろ!」とすり替えてしまっているとか
「日本社会は発達障害へ理解と配慮をしろ!」と日本社会を叩くことで、自分のうまくいっていない、つまらない人生の憂さ晴らしになってしまって、それが生きがいになってしまっていたり
自己肯定感を持てないので、日本社会とか他人とか他を否定することで、自分を無理やり肯定している、自分が肯定されている気になっているだけとか
「理解や配慮」というのは、要は「すごい」「さすが」と言われたいだけ、自分のことを認めてほしいだけの、自己顕示欲の発露にすぎなかったり
 
そういう自分の卑劣さ、醜さ、弱さ、罪、ペルソナ、闇や影(シャドウ)と向き合わなければならない
 
ユング②】西洋哲学史 心理学解説【影(シャドウ)】【ペルソナ】【タイプ論】
【ゆっくり解説】ペルソナシリーズ解説 part1【Steam版 ザ・ゴールデン発売】
 
そういう自分と向き合って、自分を認めて受容した先に自己肯定感や自信があることが多い
よく当事者会で「自分との向き合いが大事」と言われるのはこういうことですね
 
 
 

悪魔のささやき

・・・と言っても、人生がうまくいっていない発達障害の人にとって
「工夫や努力をしよう!自分と向き合おう!」
という意見よりも
「人生がうまくいかないのは発達障害からしょうがない」
発達障害への理解と配慮が足りない日本社会が悪い
というのほうが正しく、甘美に聞こえてしまう
 
「そうか、発達障害の自分の人生がうまくいかないのは、自分が悪いのか!」
というのより
「そうか、発達障害の自分の人生がうまくいかないのは、理解と配慮が足りない日本社会が悪いのか!
俺は悪くないんだ、悪いのは発達障害への理解と配慮が足りない日本社会なんだ!!」
という意見のほうが聞き入れやすく、正しく聞こえるのでそっちに流されてしまう
 
 
けれども人間とは弱い生き物。「お前が悪い」と言われて
「そうだ、俺が悪い、俺のせいだ」
と認められる人はそうはいない
 
「いや、俺は悪くない。お前が悪いんじゃないか?というか社会の問題であって、俺が悪いわけじゃない」
と逃げたくなるのが人間の心情ではある
 
 
テイルズ史上最大の鬱シーン 【胸糞注意】
 
だが、そうやって社会が悪いとか、他人のせいにしても、自分と向き合わない限りなかなか根本的な生きづらさの解消にはつながらない
 
 
まともな当事者会だったらこういう話も出ることもあるし、いろいろ当事者会を回っていたらこういう話も聞くはずなのに
聞かなかったことにしたり
「いや、悪いのは発達障害への理解が配慮が足りない日本社会だから」
と自己正当化して逃げるとか、そうやって他人のせいとか他責にして逃げ回るセコい、チキンハート、幼稚、クズな当事者を
冠地情さん言うところの「ズルい当事者」なんだろうな、と思います
 
 
こういう当事者に対して、心を鬼にして
「他人とか社会のせいにばっかりしてねえで、ちゃんと自分と向き合えよ」
と言うんじゃなくて
「そうですね、社会がもっと障害に対して理解と配慮があるといいですね」
と変に肯定してしまって、当事者を勘違いさせてしまうのが「ズレてる支援者
ということなのかな、と思います
 
 
 
 
ZoomLiveの感想を書いているつもりだったが
気がついたら「ズルい当事者、ズレている支援者」について3日間ぐらい書いていた・・・
一言でいうと「ズルい当事者、ズレている支援者」だが
「ズルい当事者、ズレている支援者とは何か?」
「何がズルいのか?なぜズルいのか?」
と語るとこう長くなってしまうな・・・
 
これはあくまで自分が考えた、独断と偏見による「ズルい当事者、ズレている支援者」であって、
「どうズレてるのか?」
「どうしてズレてるのか?」
という点は、人それぞれ違うので一概には言えない、難しい問題だ
 
「冠地情さんがまたなんか叫んでるよw」
と冷ややかな視線で見るんじゃなくて
ズルい当事者、ズレている支援者とは何か?
という点について、当事者会で話し合って議論が深まっていくべき議題だと思います
 
話がまとめられないので、とりあえずここで終わりにします
 
 
 
 
 

気づき、考え方の重要性

終わりといいながら、もう少し補足させてもらうと、大事なのは環境よりもいかに気付けるか、という点ですね
 
自分も偉そうに言っていますが、
「日本社会は発達障害へ理解と配慮をしろ!」
という発想はなかったですが
正直に言うと自分も昔は
「もっといい高校に行ってれば、いい大学に行って、いい会社に入って、もっといい人生だったんじゃないか」
「もっと都会に住んでいれば、もっといい人生だったんじゃないか」
「親にもっと自分への理解があれば、もっと成功してたんじゃないかなあ」
と思って、そうやって環境のせいにしていた時代も自分にはありました
 
ただ今になって思うのは
「若い時にこういう考えができていれば、また違ってただろうな」
「あのときにこういうことに気づいていてればなあ」
ということのほうが多いですね
 
 
そりゃあ環境も大事なことだとは思いますが、恵まれた環境にいても自分がしっかりしていないと、環境を活かせない
 
自分もとても恵まれた環境の会社に所属していたことがあったけれども、自己理解や自己分析が足りなかったせいで、そもそも仕事と自分が合っていなかったので、退社することになってしまったことがあった
期待して熱心に指導してくださった上司の方、同僚の方には本当に申し訳ない。今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです
 
あれから環境がいくら良くても、その恵まれた環境を生かして日々成長していけるだけの自分のキャパシティや伸びしろというか
成功も失敗も自分の糧にできるような自分自身の強さとか
うまくいかないことに対して「どうしてうまくいかないんだろう?どうやったらうまくいくんだろう?」と自分で考えて、自分で解決して、自分で成長していく、自己成長力がないと意味がないというのを感じました
 
「これまで頑張ってもうまくいってなかったけど、こうやったらうまくいくんじゃないか?」
「今は辛くても、その分成長できていると考えればだいぶ楽になるように、いかにいろいろな考え方ができるか」
という気づく力、考える力が自分の伸びしろ伸ばし、自分の可能性を広げることになります
 
まあ発達障害の人の自伝の本とかを読んでいると、20代はいくら仕事を頑張っても全然うまくいかない。20代後半にうまくいかない理由がわかってきて、いろいろ対応するようになって、30代にやっと安定して職に就けるようになる。というのは、発達障害あるある、という気もしますが
 
 
当事者会とか、当事者の支援の人とかは、こういう考え方を大事にしてほしいですね
 
まあこういう考え方ができて、自分で気づいて、自分で考えて、自分で成長していける人というのは、よほど特性の影響が大きい人以外は、そのうち上(定型社会)に通用するまで成長して、下(当事者会)を卒業してしまうので、こういう人は下(当事者会)にいないというのはありますが
 
 
 

発達障害へ理解と配慮されるようになるには

最後に日本社会の発達障害へ理解と配慮について語りたい
 
日本社会は発達障害へ理解と配慮が足りていない
という意見は正論ではある
 
では日本社会は発達障害へ理解と配慮してもらえるようになるにはどうすればいいか?
 
前述したように
「日本社会は発達障害へ理解と配慮しろ!」
一方的に主張し続けても、なかなか理解や配慮は進まない
 
下手をすると
発達障害の人はワーワーワーワーと『理解と配慮しろ』とうるさいだけの、関わると面倒な人たち」
と嫌われて、逆に理解と配慮してもらえなくなる可能性もある
 
では日本社会は発達障害へ理解と配慮してもらえるようになるにはどうすればいいか?
発達障害でも会社や社会で成功する人が増えていくことですね
 
そうすると
発達障害の人というのは会社にとって有益な存在なんだ。利益をもたらす存在なんだ」
発達障害の人は日本にとって有用な存在なんだ」
と日本社会で思われるようになる。そうなってくれば
発達障害の人を会社でもっと活用できる方法を探そう。そのためにもっと予算を使おう」
発達障害の人がもっと社会で活躍できるようにしていこう。そのためにもっと発達障害への研究、支援などを進めていこう」
という流れになって、勝手に理解や配慮は進むと思いますね
 
そのためにも発達障害の人が一人でも多く会社や社会で活躍することですね
会社や社会に対して
「もっと発達障害へ理解や配慮をしてください!」
と訴えても、コロナ禍の経済停滞による景気不振で、障害者のみならず定型の人でも生きづらく、みんな余力がない昨今の日本の情勢では、なかなか聞き入れてはもらえないけど
発達障害の人を才能をうまく会社で活かすことができれば、会社や日本にとってプラスになります
現にそうやって社会で活躍されている発達障害の方々もいます」
という提言をしていったほうが、会社や社会でも聞いてもらいやすくなって
発達障害の人が会社や社会で活躍するためにも、理解や配慮が必要です!」
とプッシュしやすくなりますしね
 
 
まあ誰とは言わないけど、社会で並外れた活躍している人で、診断を受けたら発達障害と診断されそうな人はいますねどね。けどそういう発達障害の長所を生かして社会で活躍できている人は
「並外れた才能を持つ天才」
となって、発達障害の診断を受けることもないので、発達障害の人でも発達障害にならない
 
逆に社会でうまくいかない、才能を発揮できない発達障害の人が、社会に適応できずにうつ病とかを発症してしまって、精神科に通院していく過程で、医者から発達障害の可能性を疑われ診断テストを受けて発達障害になる
 
このように社会で才能を発揮して活躍する発達障害の人は、発達障害でなく才能がある人や天才と呼ばれて、社会でうまくいかない発達障害の人が発達障害と呼ばれるという、なんかいびつな形になってはなっているのが現状ですね・・・・
 
これは医学的に発達障害というものがここ10年20年ぐらいにようやく存在が明らかになったばかりで、まだまだ発達障害の研究途中というところで、こういう形になっていますね
そういう意味では発達障害が認知されつつある、苦しい過渡期に生きているのが、今の発達障害の人と言えるのかもしれない
 
化学ノ発展二犠牲ハツキモノデース
 
ただ理解されないからといって、ヤケになって自暴自棄になって暴動を起こしてしまうと
発達障害とは会社や社会で問題ばかり起こす上に、犯罪をも起こす犯罪者予備軍である」
と逆に冷たい目線で見られるようになってしまい、ますます発達障害が生きづらい社会になってしまう
 
前述したように、発達障害の人と定型社会とお互いが良い、win-winの道を探すためにも
発達障害でも会社や社会で成功する人が増えていくことにより、会社や社会で発達障害の人は有益だと思ってもらうことによって、理解と配慮が進むと思うので
当事者一人ひとりが上(定型社会)で通用する考え方、コミュニケーション力、仕事などの、上(定型社会)で通用する力を身につけていくことが大事だと思いますね
 
 
 
 

おわりに

ZoomLiveの感想を書くつもりだったが、なんか自分の意見を書いただけになってしまったな・・・・
ずるい当事者、ずれてる支援者」とは何か??と考えるのはなかなか難しい問題だ・・・
 
ただ難しい問題だからこそ、一人ひとりがしっかり考えていかなければならない問題だと思います
「ずっこけてる家族」については自分はあまり知らないので、今後の自分の課題かもしれない
 
発達障害でも楽しく、幸せに過ごしたい、という思いはみんな同じだとは思いますが
そうやって発達障害の人が楽しく幸せに過ごせる世の中にはなかなかなりませんね
 
発達界隈になかなか麒麟が来ない
 
大河ドラマ 麒麟がくる 完全版 第壱集 PR動画
大河ドラマ 麒麟がくる 完全版 第弐集 PR動画
 
発達界隈に麒麟を呼ぶためにも「日本社会は発達障害へ理解と配慮しろ」と独り言で語るぐらいなら、黙ったまま何かしよう
 
STU48 6thシングル「独り言で語るくらいなら」MUSIC VIDEO / STU48【公式】
 
 
 
最後に冠地情さん、石橋尋志さん、成瀬毅さんさんはコラボ配信をお疲れ様でした。そしてありがとうございました。自分としてもいろいろ考え直すきっかけになりましたし、おそらく配信を見た方々に多くの影響を与えたものと思います
 
これをきっかけに、ズルくない当事者、ズレていない支援者、ズッコケていない家族になるにはどうすればいいのか?と発達障害の関係者全員が問い直す、考え直して、発達障害がより良い方向に向かい、麒麟がくる世の中になることを願ってやみません