にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の新入社員の心得16  徳を積む

個人的には、当事者会でを積んでる人は、それから仕事で成功されておられる方もいらっしゃる。逆に当事者会でを積んでいない人で、仕事で成功されておられる方はほとんど見たことがない、
 
 
発達障害でも定型でも、自分に合った仕事で、自分に合った会社に入れるか?というのが重要になってくる
ところが、なかなか自分に合った仕事や会社を探すのが難しい、というかである。
ハローワークや転職サイトで、就労条件などを吟味して吟味して、一番良いと思って入った企業は、思ってたのと違って自分と合っていないこともある。やっぱり企業の募集要項には
「駅近で通勤ラクラク
「急募!未経験者大歓迎!あなたの才能を活かせる仕事です」
「アットホームな雰囲気な会社です」
とか都合の良いことばっかり書いて
「ここがキツイ、ここが大変」
ということは書かないから、実際に自分に向いてる仕事かどうかはやってみないとわからない
 
まあはっきり言って就職活動はですね
良い環境の会社だったが前任の人が急に辞められて、急募していたところに応募して入って、良い環境のもとで大きく成長して活躍できるときもあれば
労働条件とかなかなか良さげだったから入ったが、仕事や環境が自分と合わなかったりと
本当に
自分に合ったいい部署とか現場に配属されるかどうか?というのもだしなあ
 
だからが良ければ自分に合ったいい会社に入れるし、が悪ければなかなか良い会社には入れない。すべてはで決まる。おわり
 
 
と言いたいところだけど・・・
まあ今の仕事を一生懸命に長く勤めたり、資格を取得したりしたら
「○○会社で△△の仕事を何年もやっていた。だから△△の仕事に関してはエキスパートです」
「前の会社で多大な功績をあげて、会社から表彰された」
「▭▭という資格を持っている」
とか、仕事のスキルが高ければ好条件で転職しやすくなる
また、履歴書や面接でそれらをしっかりアピールできるように工夫したり努力していけば、より良い条件や企業で就職できる確率も上がる
 
 
あとはを味方につけること
「そんななんてどうしようもないじゃないかw」
と思うだろうが、行動によっての良し悪しは変わったりする
 
・「どうせ自分なんて何やってもダメだよ」と思うなど、心がネガティブな人
・人の悪口や陰口しか言わない人。不平とか愚痴ばっかりの人
・自分の都合しか考えず、自分勝手で人に迷惑ばかりかけて、多くの人から嫌われてる人
・嫉妬したりして、他人の足を引っ張ってばかりの人
・人から良いことをしてもらっても、「ありがとう」とか感謝をしない
とかをすると運が逃げていって、運が悪い人が多いですね
当事者会でこういう人が幸運に恵まれて、人生がうまくいくようになった人をみたことがない
 
・辛いことがあっても前向きでポジティブな人
・愚痴とか人の悪口とか自慢とか卑下をあまりしない人
(ここらへんは、アドラー心理学で言うところの劣等コンプレックスですね
劣等感が強すぎると、何事もなかなかうまくいかない)
とかの人は、当事者会でもそれから上手く行ってる人が多い気はしますね
 
 
「前の会社ではダメだったけど、環境を変えた今回の会社では絶対成功してやる!」
と劣等感や悔しさをエネルギーに変えて頑張れる人は良いですけど
「前の会社では発達障害へ配慮や理解が足りない上司や会社が悪い!」
とか他の人のせいにして、現実を受け入れられずに劣等感に押しつぶされる、そういう負けを認められない人は、なかなか何をやってもうまくいかないですね
 
「そうはいっても、あいつのせいで自分の人生はめちゃめちゃになったんだ!!」
と言われる方もおられるだろう。だが、上記のように「負けを認めろ」と言われてすぐに受け入れられないように、人の意見や考えを変えるのは難しい
というか、いくら便利になった世の中とはいっても、今日の天気とか気候とか、コロナウイルスの蔓延であったり、それに伴う緊急事態宣言などの政府の決定とか、AKBの次の総選挙の結果とか、
いくら自分が
「こうすべきだ!こうやったほうがいい!明日は晴れろ!」
と叫んだところで、自分の力ではどうにもならないものは多い
 
そうやって自分がいくら頑張ってもどうにもならないものを変えようと頑張っても、大した効果はないことも多い
(政治とか世の中の流れとか、いろんなことに関心や興味を持つのは良いことですが)
自分にできることをしっかり頑張っていったほうが、いつの間にか自分自身の大きな成長してて、前にはできなかったことができるようになったりして、それを他の人が見て自分への態度が変わっていったりすることもありますしね
 
自分が変われば他人も変わる
 
 
逆に人のせいとか、
「自分は悪くない!他人が悪い!環境が悪い!」
とか他責にばかりしていると、自分自身の成長があまりないから、いつまで経っても成長がない人になりがちですね
 
 
まあ確かに、発達障害だと苦労すること、生きづらいことも多いんで
「自分は発達障害だけど、自分にできることを頑張っていこう!」
と考えるよりも
発達障害の自分が生きづらいのは、会社や社会に発達障害の理解と配慮が足りないせいだ!他の人が自分の発達障害へ理解や配慮をしやがらないせいだ!」
他人とか社会のせいにするほうが楽ではある
 
あと当事者会とか発達障害関連のTwitterとかでも
発達障害でも前向きに生きよう!自分で工夫したり成長していけばできるようになることもある!」
とか言うと、発達障害の界隈でウザがられたり、鬱陶しがられたり、叩かれたりすることもある
それよりは
発達障害の自分が生きづらいのは、会社や社会に発達障害の理解と配慮が足りないせいだ!もっと日本社会は発達障害に理解や配慮しろ!!」
って言ったほうが、いいねを多くもらいやすいし、当事者会でも
「そうだ、その通りです!素晴らしい意見です!いやあ、いいこと言いますねえ!」
と共感を得られやすい
 
 
ただこのように
「なんだ、変に前向きに頑張るなんて面倒くさい。そもそも発達障害へ理解や配慮が足りない社会が悪いんだから、自分の人生がうまくいかないのも発達障害への理解が足りない社会が悪いんだし、全部社会のせいにしてればいいや」
と変に感化されて慣れてしまうと、当事者会では
「わあ、〇〇さんだ!」「さすが〇〇さん!いいこと言いますねえ!」
と当事者会では多くの共感を得られる有名人、スターになれるかもしれないが
こういう考え方の人は一般社会では
「あいつって失敗ばかりの無能なクセに、何かについて言い訳ばっかりだよな。てか、自分の失敗は『発達障害なんだからしょうがないじゃん』って開き直って、他人の失敗にはやたらと厳しいし、自分に甘くて他人に厳しい、ただのクズだよねwコイツっていないほうがいいよね。早く消えてくれないかなあ。なんで生きているんだろう?」
とめちゃくちゃ嫌われる
すぐ人のせいにして言い訳ばっかりってやつは、一般社会だとかなり嫌われます
一般社会では全く通用しなくなってしまうので、当事者会でしか居場所がなく、当事者会に依存するしかなくなってしまう
あと、こういうすぐ人のせいにする他責の人は、人から嫌われやすいので、運も逃げていきがちだ
そうやってますます人生がうまくなって、それをさらに
「自分の人生がうまくいかないのは〇〇が悪い!!」
と声高に叫んで、ますます他責にするようになって、ますます人に嫌われて、運も逃げていく・・・という負のループに陥ってる人も多いですね
 
 
 
 
 
 
 
 
なんか話が脱線してしまったが・・・
前置きが長くなったが、個人的には運を味方につけるには「徳を積む」ことが大事だと思いますね
 
 
たとえば
「会社では障害者枠で頑張っても時給は上がらないし、時給だから頑張っても頑張らなくてもどうせ給料は変わらない。だからどうせならいかに手を抜くかを考えて、いかに楽をして給料を得られるかだけ考えるべきだ」
「当事者会のファシリテーターとか、いろいろ面倒くさいし、やらないでおこう」
「せっかく当事者会に参加したんだから、人の話を聞くんじゃなくて、とにかく話しまくって日ごろの鬱憤を晴らそう。わざわざ休日に当事者会に出向いたのだから、自分にとって有効に活用しなければもったいない」
「困ってる人を助けたからといって、感謝されたり謝礼をもらえるとは限らない。それよりは自分のために金や時間を使ったほうが効率的である」
「震災とかで寄付したり、寺にお布施したり神社に奉納するのは、自分の金を捨てているだけだ。自分の金なんだから、自分のためだけに使うべきだ」
TwitterとかのSNSなんてものは、自分の生活のためにやるものなんだから、自分の言いたいことだけ言えばよい。他のユーザーにいいねしたり、リツイートするのは時間や手間のムダである」
と考えるのは現実的であって、正しい判断といえる
短期的、目先の利益や損得を考えたら正しいと言える
 
ただ、こういう利己主義我欲とかの
「自分さえ良ければそれでいい。他人のことなんざ知ったことか」
という考えで生きていると、周りからは
サイコパス」「自己中心的」「ジコチュー」「わがまま」「困ったちゃん」「人間のクズ」
と呼ばれることになって、周りから嫌われやすい
こういうみんなから嫌われているような人間は、なかなか運が味方しないので人生は良くならないですね
実際、当事者会で自分勝手に一方的にマシンガントークだけやって、他人の話はほとんど聞かないような人で、それから社会でうまくいってる人を見たことがない
そうやって社会でうまくいかない不平不満を、また当事者会で自分勝手に一方的にバーッとマシンガントークして、ますます他の人から嫌われる、というループに陥ってしまう
 
 
そうではなくて
「頑張ったところで時給が上がるわけじゃないけど、自分が頑張ったら会社の人が助かるから頑張ろう」
「いろいろ大変なことも多いが、当事者が集える場を設けるために、当事者会を開こう」
「当事者会に参加したら、しっかり人の話を聞くとか、良いところは褒めるとか、みんなのためになる行動をしよう」
「困ってる人がいたら、自分のできる範囲でなるべく助けよう」
「自分のできる範囲で寄付とかやろう」
Twitter等でなるべく他人のためになるようなことを発信しよう。いい意見にはイイネしたりリツイートしよう」
とかは短期的、目先の損得で考えると損に感じるかもしれないが
そうやって人のために力を尽くしてる人というのは、必ず(と言い切れないが)それから自分が困ったときは人に助けられたりとか、社会で成功したりしてる人が多い気はしますね
 
忙しい中、当事者会のファシリテーターをされておられる方は、やはり当事者会への準備や実行などに追われて時間や行動力を消費してしまうので、なかなか自分の時間とかを持てず、社会でなかなかうまくいってない人が多い・・・
と思いきや、本当に当事者のためを思って行動されておられる方は、それから社会でもうまくいってる人も多い気はしますしね
 
「当事者会のファシリテーターとしての経験を積むことで、場所の手配、SNSでの告知、情報拡散の協力、会の挨拶・開始・進行、会場の片付け・会の解散、などなどのいろんなタスクの経験を積むことで、社会性など様々なスキルが上がるから」
「当事者会のファシリテーターを頑張れるような人は、会社でも仕事を頑張れるから」
とかいろいろ理由はあるんだろうけど、個人的には徳を積めるからというのも大きいと思いますね
そうやって徳を積むことで、自分に運が向いてくる、というのはあるんじゃないかと思います
 
因果応報という言葉がありますが
やはり悪いことをすれば悪いことが返ってくるし、良いことをすれば良いことが返ってきます
そうやって徳を積む生活をしていれば、運が味方して、発達障害でも社会でうまくいく可能性は上がるんじゃないかと思います
 
 
とはいっても、
「自分も良いことをしよう。徳を積もう」
と良いことをしていても、心無い人から
「偽善」「偽善者」
と呼ばれることもあるかもしれない・・・・
 
言いたい奴には言わせておけばいいんじゃないですかね(笑)
自分の行為で誰かの役に立っていればそれでいいと思います。
「誰かの役には立ってるんだからいいや」
と開き直って自己満足することも時には大事かもしれない
それにそういう人の足を引っ張ったり、他人の悪口しか言わない人って、楽しく幸せでまともな人生はまず送れないので、かわいそうな人だと思ってほっておけばいいですね。戦う必要はないです
 
 
とは言え、徳を積むためには自立していないといけない
当事者会のファシリテーターをやるにしても、基本的にはまずは自分自身が楽しんでいなければ、他人を楽しませることはできない
寄付するとか人を助けるにしても、まずは自分自身の収入とか生活がそこそこ安定していないといけない
自分自身のことをきっちりやるからこそ、他の人を助けたりとかの徳を積める
 
 
それと見返りは求めないことですね
「これだけやったんだから、これくらいの見返りは当然だ」
とかは、ではなくて、ただの取引とか商売だ
というのは、それにやったからといって、金や返礼品がもらえるわけでもなく、たまに感謝されたり褒められるぐらいで、なんの見返りもない、なんの自分にとって得と利益もないのにやる、ということに意味がある
もともと仏教用語みたいだし、修行の一環みたいなものなのかもしれない
 
まあ会社とかの複雑な人間関係の中では、貸しを作る、恩義を売る、というのも大事だったりしますけどね
 
 
 
 
 
 
飛行機でファーストクラスに乗る人は、ビジネスクラスとかに乗る人とは立ち振る舞いからして違うらしい
「徳を積もう」「良いことをしよう」と思って行動するんじゃなくて、それらをごく自然に当たり前のように行動できる人が成功する人なのかもしれない