にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の就労移行支援事業所を利用について3 自分の障害特性への自己理解ができる

 

 

 

 

 

 

 

 

就労移行支援事業所ではさまざまな軽作業を通して自己理解ができる

 

 
 
就労移行支援事業所ではいろんなプログラムが用意されていて、さまざまな軽作業をやってみることができる。PCのタイピング、ソフトやExcelによって模擬の入力作業、カートの仕分け、チラシを折る、資料のPDF化、線の通りにハサミで切って封筒を作るなど、いろんな作業ができる
 
正直に言って簡単すぎる作業もあるが、そうやっていろんな作業をやることによって、自分は何ができて、何ができないのかを明らかにすることができる
できない作業に関しては、スタッフと相談しながら進めることになる
 
 
 

面接での障害について聞かれたときの答え方

 

「配慮はいらない」と答えると自己理解不足と思われる

 
 
障害者枠での選考を進めると、面接のときに
「障害についてお聞きします。ご自身の障害について教えてください」
「障害について会社で何か配慮してほしいことはありますか?」
と必ず聞かれる
 
これに対して
「広汎性発達障害ですが、障害による特性は軽いので特に配慮はなくても大丈夫です」
と答えてしまうと
「えっ??じゃあクローズ(障害があることを隠して)で一般枠で働けばいいじゃん。障害者枠はいろいろ配慮があるぶん、どうしても一般枠に比べると賃金が安めになったり、あまり昇給がないケースもあるから(ここらへんの待遇面への評価制度などは、業務内容や会社の人事体制によって、企業によって異なるので一概には言えない)、一般枠で働いたほうがいいじゃん
たぶん一般枠ではしっかりと働くことが難しいほどの障害があるから、障害があることをオープンにして、合理的配慮が受けられる障害者枠で選考を受けてるんだよね?にもかかわらず、自分に必要な配慮が言えないってどういうこと?自分に必要な配慮を自分で言えないんなら、私達はどういう配慮をしたらいいかわからないよ。そんな自分自身の障害特性を自己受容や自己理解できていないような人は、たぶん会社に入ったあとに問題を起こすだろうからいらない」
と思われてしまい、ほぼほぼお見送り、不採用になる
 
 
 
 
 

過度な配慮を要求すると甘えだと思われる

 
 
 
とは言っても
「自分は発達障害だ。俺様は障害者で他の定型発達の奴らと違ってハンデが多いんだし、とにかく理解を配慮をして欲しい」
と配慮ばかり求めてしまっては、合理的配慮を超えてただの甘え、わがままと見なされてしまって、やはりお見送り、不採用になる
 
「配慮はいりません!」
「理解と配慮をしてください」
と言ってもダメなら
「じゃあどう言えばいいんだよ?」
って話ですが・・・
 
 
 
 

そもそもの日本の雇用形態について

 
 
 
会社に入社した以上は、単に2.3%の障害者雇用率を満たす以外にも、障害者であってもちゃんと仕事をして会社の利益に貢献しなければならない。その労働の対価として給料をいただいているので、給料分はちゃんと働かないといけない
 
だから理解と配慮ばっかり求めて会社に利益をもたらせない人は、会社にはいらない
 
 
 
 
 
ただ欧米と違って日本では労働基準法の関係上、正社員の場合は無断欠勤とか規則違反とかしない限り、利益を上げられないからといって会社が一方的に解雇することはできない
 
なので日本の企業の場合は、利益を上げられない人は閑職に追いやられがち
 
 
 
 
このように会社は雇ったあとはすぐに解雇にできないので、採用には慎重になりがちである
 
 
 
 
(まあ、人手不足の場合は、それなりに受け答えが出来る人はとりあえずなんでも入社させる、という企業もあるけど・・・)
 
 
 
 
 
 

面接官に障害の特性をわかってもらえないとお見送りになりやすい

 
 
 
これらのことから、面接官は
この人は会社に利益をもたらせる人なのか?
この人はどういう障害を持っていて、どういう配慮をすれば会社に長く貢献してくれるのか?
というところを面接で判断していて
この人が入社後に会社に貢献してくれそうな計算が立つかどうか?
というところを見ている
 
 
だから
「広汎性発達障害ですが、障害による特性は軽いので特に配慮はなくても大丈夫です」
とか言われると
「この人がどういう障害を持っているのか?」
「その障害が弊社で働く上で大きな支障にならないか?」
「しっかりと長く働いてもらえるようには、会社でどうバックアップすればいいのだろうか?」
ということが面接官に全くイメージができない
 
 
面接官もエスパーじゃないので、応募者の履歴書や職務経歴書などの応募書類に書いている内容か、面接で話す内容からしか判断できないので
「この応募者の方がどういう人なのか?入社後に長く活躍してくれそうか?」
ということが面接から判断できない、わからない、イメージできない、計算が立たない人は基本的に落とされる
 
 
 

面接官に入社後のイメージがしてもらいやすいように話す

 
 
 
 
そうならないためにも
「自分がどういう障害を持っていて、どういう場面で支障があるのか?その上でどういう配慮があれば長く働いて貢献ができるのか?」
ということを自分の中ではっきりさせて、面接でしっかり伝えることが大事だ
 
 
「下半身の動きがすこし不自由なので、長く歩くことができません。外回りの営業は難しいですが、デスクワークならば問題なく仕事ができます」
「下半身が動かせず車いすでの生活なので、動き回る仕事はできません。デスクワークの作業で、車いす用のトイレが会社にあれば仕事ができます」
「持病の透析のために、毎週水曜日の午後から病院へ通院が必要です。毎週水曜日は午前で退社になりますが、それ以外は問題なく仕事ができます」
「1つのことに過集中してしまうため、マルチタスクができません。臨機応変ではなく、1つずつ仕事を与えてくれれば仕事はできます」
 
といった感じで伝えると
 
 
「(デスクワークなら問題なく仕事をしてくれそうだな・・・)」
「(車いす用のトイレの設備がある支店なら問題なく仕事してくれそうだな・・・)」
「(水曜日は午前中だけしかいないが、それ以外の曜日はちゃんと仕事してくれそうだな・・・)
「(作業しながら電話応対は難しそうだけど、1つの作業だったらしっかりやってくれそうだな)」
 
面接官も入社後のイメージがしやすく、評価しやすい
 
 
「(本社でのデスクワークもして欲しいけど、郵送や支払いや、支店にも行って欲しいから、ちょっと難しいかもなあ・・・)」
「(ウチには車いす用のトイレがないから対応できないな・・・)」
「(水曜日は特に忙しいから、居てもらわないと困るんだよな・・・)」
「(PCへのデータ入力のほかにも、書類整理、コピーやPDF化、備品管理とかいろいろやってほしいから、ちょっとウチとは合わないかなあ・・・)」
 
と思われると、お見送りになってしまう・・・
 
 
ただ、入社後にできないことをやらされて、大きな負担になると自分も苦しいし、会社もせっかくコストをかけて雇ったのにちゃんと仕事してくれないのは困るし、ミスマッチになってしまう。入社前に落とされて良かったとも言えるかもしれない
 
 
 
 

入社後のミスマッチは避けて自分に合った就労につなげよう

 
 
 
 
就職活動をしていると早く内定が欲しいのはわかるが、ミスマッチは避けたい
自分に合ってない仕事をやらされることで、自分が苦しむことになってしまう
自分に合った仕事で内定をもらって、長く活躍しよう
 
 
 
定型の人でも(たまになんでもソツなくなんでも器用にこなせる人もいるけど)やっぱり向き不向きはあるので、自己分析や転職軸は大事
 
 
 
 
ただ
「自分は何ができて何ができないのか?」
「どういう長所と欠点があるのか?」
「自分の働く上での障害とは何なのか?」
という自己分析は、実際にいろいろやってみないとわからない
 
その点、就労移行支援事業所で通所して、いろんな作業をやっていくことで、自分のできる作業とできない作業をはっきりさせられる
 
それを自分なりに整理することで、自分に合った就労につなげていくことができる

発達障害の就労移行支援事業所を利用について2 生活リズムができる

自分も去年に一時期、就労移行支援に通っていたので、発達障害の人間が就労移行支援事業所に通うメリットを挙げていく
 
 

就職してから働き続ける体力がつく

 
就労する(就職して働き続ける)ということになった場合は、当然だけど会社に出社し続けないといけない。最近は在宅ワークもあるけど、それでも規定の時間は作業し続けないといけない
なので、就職してから長く働き続ける体力が大事になってくる
 
 
 

障害者雇用の退職理由の多くは体調不良によるもの

 
 
就職して新しい会社に出勤すると
「よしっ、頑張ろう!!」
と、どうしても気張ってしまう。また、新しい環境で新しい仕事をしていくと、覚えることもたくさんある。新しい職場、新しい通勤ルートなど、新しい環境にも慣れていかないといけない。こうやっていろいろと新しいことが起きすぎて、対応できずに心身ともに疲弊してしまい、体調を崩して短期離職をしてしまいがちである
 
実際、障害者雇用の退職理由の多くは、体調不良で仕事が続けられずに辞めている
 
いくら仕事をできる人でも、すぐに体調を崩して仕事ができなくなってしまう人は、なかなか長期的に働くのが難しい。
 
そのため、まずは長期的に働けるような体力をつけたり、持病を悪化させないために服薬の継続などの、しっかりとした習慣や生活リズムを身につけることが一番大事になってくる
 
 
日本ハム監督の新庄ビッグボスも
「あのね、プロとしていくら足が速くたって、ケガをしてしまったら一般人やからね。意味ないのよ。そういう選手はいらないよね」
と話している通り
いくらスキルがあったり、仕事ができる人でも、すぐに体調を崩してしまって入院してしまったりして、会社に行けなくなったりしまっては、なかなか長期的な就労は難しい。まずは会社に通勤して仕事を続けられるだけの体力と生活リズムを身につけることが大事
 
 
 

就労移行支援事業所に通えば通勤する体力を少しずつつけていける

 
 
その点、就労移行支援事業所に通えば、自分のムリがないペースで通所ができて、通勤する体力を少しずつつけていくことができる
 
会社に入社したら、原則として決められた勤務時間には出社して仕事をしないといけないので、自分の体力を超えて勤務させられると、どうしてもしんどくなってくる。だが、就労移行支援事業所ならば、絶対に毎日通わなくてはならないわけでもないので、自分のペースで通所を続けられる。心身ともにしんどくなったら無理せずにしばらく休むこともできる。また、通所時間は10:00~15:00ぐらいが多いけれども、無理せずに午前中だけ通うということも可能。そこから少しずつ時間を伸ばしていくこともできる。このようにして体調をスタッフの方と相談しながら、会社で仕事をし続ける体力をつけていくことができる
 
そうやって通所して休んでを繰り返すことで、体調を整えて、仕事を続ける体力をつけていくことができる鬱病などの持病が良くなってきたので、リハビリがてらに訓練したい人にも無理なく通えるのでおすすめだ
 
 
 
 

企業との面接でも有利に

 
 
 
 
また、企業との面接においても、就労移行支援事業所にしっかり通えていると有利になる
 
就職活動での企業との面接において
「前職は体調不良により退職されてますが、現在の体調はいかがでしょうか?」
という質問をされることが多い
 
だが、就労移行支援事業所にしっかり通えていれば
「半年ほど前から就労移行支援事業所に通所しております。平日10:00~15:00までの通所を毎日しっかりと皆勤できていますので、通勤も問題なく行えると考えております」
と自信を持ってしっかりと答えられる
 
面接官の方もそれに安心して
「なるほど、わかりました!」
と答えてくれて
「(もしこの人が入社しても、体力不足や持病の悪化によってすぐに短期離職してしまう可能性は低そうだな)」
と、その点は評価してもらえる
 
 
 
 

面接で大事な話し方

 
 
面接においてはいろんなことが大事になるけれども、特に大事になってくるのが自信を持って答えられるかどうか
 
そのためにも元気よくハキハキと答えるとか、虚勢を張るというのも必要ではあるが
「できます!」「やれます!」
と単に質問に対して勢いよく答えるだけだと
「(この人は本当に仕事ができるのかな?口だけのでまかせを言ってるだけじゃないのかな?)」
と思われて、あんまり面接官の方から評価されないこともある
 
 
かと言って
「御社でのこの仕事はたぶんできるんじゃないかな、と思っております」
とかの自信なさげに答えても
「(おいおい、この人大丈夫かな??心配だな・・・。もし入社してくれても、あんまり仕事ができないんじゃないかな?)」
と思われて、やはりあまり面接官から評価されない
傲慢な態度よりも謙虚な姿勢のほうが好まれるのはあるが、あまりにも自信なさげだったり、元気がない人も好まれない
 
 

面接では根拠を上げた上で自信を持って話すこと

 
 
 
「自信満々でもダメだし、自信なさげでもダメって、じゃあどうすりゃいいんだよ?」
という話ですが、面接で大事なことは根拠を上げた上で自信を持って話すこと
 
「面接とは、セールスマンとして自分という商品を会社に買ってもらうことである」
という話があります
 
たとえば、いきなりセールスマンから
「この商品を買ってください!お願いします!ウチの今月のノルマがやばいんで」
と言われても
「ええっ・・・。いきなりそんなことを言われても困るよ・・・」
となって、なかなか買う人はいない
 
けれども
「この商品には発達障害の人にとって役立つ機能があります!だからあなたはこの商品を買ったほうがいいですよ!」
と言われると
「そうなのか、じゃあちょっと買ってみようかな」
と、商品を買おうとする人は出てくる
 
 
このように、人間というのは根拠をもとに論理的に説明されると、納得しやすい
だから面接においても
「できます!」「やれます!」
と単に勢いよく言うんじゃなくて
「前職でもPCを使ったデータ入力をしていました。だから御社でもデータ入力作業をできます」
「就労移行支援事業所で封入封緘などの軽作業をやっていました。だから御社での軽作業の仕事ができます」
根拠を示しながら説明すること
「(なるほど、じゃあウチでの仕事もやってくれそうだな)」
と面接官も納得してくれて、評価してもらいやすくなる
 
 
 
 
 

就労移行支援事業所に通うことで根拠となる実績を作れる

 
 
 
「これができるんだから、会社での仕事もできるんじゃないか?」
と、成功体験などの経験や実績があると自分自身の自信や、自己肯定感にもつながる
それが面接のときにも、自信があったり元気があるように自然と見られるようになる
 
たとえば、面接のときに
「前職は体調不良により退職されてますが、現在の体調はいかがですか?業務を行う上で差し支えはないでしょうか?」
と聞かれたときに
 
「(一応、通院してしっかり休んだから体調もだいぶ回復したけど、仕事したときにまた体調が悪化したら嫌だなあ・・・)」
と内心で思っていると
「退職したあとに半年ほど通院して、しっかり休んで体調はだいぶ回復しましたので、仕事もちゃんとやれるんじゃないかな、とは考えております」
と、どうしてもはっきりしない答えになってしまいがち
発達障害の人は正直で嘘がつけない人も多いしね
 
こうなると、面接官の方も
「なるほど、わかりました・・・ありがとうございます・・・」
とは答えるけれども
「(うーん、なんかはっきりしない答え方だなあ・・・。この人本当に大丈夫かなあ・・・。入社してすぐに体調が悪化して短期離職するんじゃないかな??)」
と判断して、なかなか評価しづらくなってしまう
(会社の職種によっては、まずは週4日以下の少ない日数の勤務や、早めに終わる時短勤務を勧めてくれることもある)
 
 
 
就労移行支援事業所に通所していた場合は
「半年ほど前から就労移行支援事業所に通所しております。平日10:00~15:00までの通所を毎日しっかりと皆勤できていますので、通勤も問題なく行えると考えております」
自信を持って堂々と答えられる
 
そうすると、面接官の方も
「なるほど、わかりました!ありがとうございます」
と答えてくれて
「(前職を体調不良で辞めてるから体調面での不安があったけど、それに関しては大丈夫そうだな)」
と評価してもらいやすくなる
やはり、面接で評価されるには実績を根拠を上げた上で自信を持って話すこと
 
 
とは言っても退職したあとに実績は作るのは難しい・・・
その点、就労移行支援事業所に通うこと
「就労移行支援事業所でこういうことをやっていました」
と、根拠となる実績を多少は作れるので良い
 
 
 
 

鎌倉殿の13人の源義経

 
 
 
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」において、菅田将暉が演じる源義経
「経験もないのに自信もなかったら何もできない。違うか?」
と豪語していたが
 
 
そののちに大きな失敗をしてしまい、自信を失ってしまった源義経に対して、北条時政坂東彌十郎)が
「自信を得るには、まずは経験をしていくことだ」
と諭していた
自信を得るには、まずは小さなことでいいから成功体験を積み重ねることなのかもしれない
 
 
 
 
鎌倉殿の13人は、これからどんどんキャラが死んでいくから悲しいなあ・・・
 

発達障害の就労移行支援事業所を利用について1 就労移行支援事業所とは?

この前に就労移行支援事業所を利用したので、就労移行支援事業所について語っていきたい
 
 
 

就労移行支援事業所とは?

 
まず就労移行支援事業所とは何か?
 
 
就労移行支援事業所とは、平日の10:00~16:00まで通っていろいろと就職に向けたプログラムを受けられるところである
 
障害者の方の場合は(特に発達障害)、障害の特性や二次障害の影響によって、就職しても体調面や精神面が悪化して、働き続けるのが難しくなって退職してしまうことも多い
また会社というのは営利団体なので、給料を払っている以上は利益を出すなりして、障害者だろうとなんだろうと(基本的に)すぐに役に立ってくれないと困るというのがある。ところが発達障害の人というのは、障害の特性でミスが多かったり、なかなか仕事を覚えられなかったりしてしまって、仕事がうまくできずに、職場で怒られっぱなしということになってしまったり
 
 
 
鬱病などの二次障害の治療や、自閉症の影響で自分の世界に長い間引きこもってしまっていたりしたせいで、体力が不足していたり、いろいろ社会人としてのスキルや常識が欠けていたりして、就職ができてもなかなか長く勤められなかったりして
 
 
 
なんとか就職しても、なかなか長く勤められずにすぐに退職する、という短期離職するループにハマってしまい、職歴も短いので実績やスキルも身につかずに年齢だけ重ねてしまう、という人もいて、なかなかこの無限ループから抜け出せないケースも多い
 
 
 
 
 
 
このように就職→離職の短期離職の無限ループを延々と繰り返してしまうことも多い
 
そうではなく、いったん就労移行支援事業所に通い、就労に向けたいろんなプログラムをこなすことによって、就労する体力をつけて就労に向けたスキルなどを身につけることができ、長い安定した就労につなげることができる場合もある
 
実際、有名な就労移行支援事業所だと、全国平均の障害者の就職率や定着率も、就労移行支援に行った人の平均のほうが大きく上回っている
 
なので就労移行支援事業所に通ってから就職活動を行うことによって、就職率や定着率が高くなる。つまり、ずっと長く働きやすくなるといえる
 
だから短期離職を繰り返していて就労に悩んでいる障害者、特に発達障害の人は、就労移行支援に通うことで、長期的な就労につなげられる可能性がある
 
 
 

利用可能な人

 
よって就労に悩んでいる障害者、発達障害の人は就労移行支援を利用するべきである!
 
と言いたいところだが、利用するには条件があるので、誰でも彼でも利用できるわけではない
 
まず年齢が18歳以上から65歳未満であること
 
次に現在、就労していないこと
アルバイトなどをしながら就労移行支援を受けることはできない
 
一応、障害者手帳がなくても利用は可能らしい
けど、障害者手帳がないと、この就労移行支援の手続きも少し面倒になるし、障害者枠での就職ができなくなって一般枠で就労することになるので、やはり障害者手帳があったほうがいいだろう
 
就労移行支援とは、自治体の障害福祉サービスの一つで、自治体が補助金を出して民間委託して行われているサービスになるので、基本的には無料で利用できる
短期離職を繰り返してるような就労に困ってるような障害者だったら、そんなに年の収入がないはずなので、ほぼ無料で利用できる
 
ただあくまで世帯収入なので、同居している親が高収入だったりした場合は、利用料として毎月9,300円か37,200円ほどかかる可能性がある
 
 
 

利用までの手続き

 
 
まず、利用したい就労移行支援事業所のホームページに載ってある電話番号に電話しよう
就労移行支援事業所が営業している時間に電話するようにしよう。平日の10:00~17:00ぐらいが多い
 
電話したら
「とりあえず面談しましょう」
という流れになると思うので、自分の予定が空いている日に行こう。一応、持っていく物は聞いておこう
たぶん障害者手帳、メモ帳と筆記用具ぐらいだろうか。履歴書とか職務経歴書を持っていったほうが、どういう経歴かわかってもらいやすいかもしれない
 
 
まず面談することになると思うので
「就労移行支援でこういうことをしたいんです。それでこういう職種に就労したいんです」
という話をして、施設の見学をして一旦帰る
 
次に体験をする。就労移行支援事業所で2、3日ほど体験を行って、実際にプログラムに参加することができる
 
 
面談や体験を通して、
「よしっ、この就労移行支援事業所で通うぞ!」
と決めたら、体験のときに市役所に出す申請書をもらっているはずなので、その書類にいろいろ記入して、市役所に提出する
 
ただ、市役所の専門の係の人による聞き取りがある。約1時間弱ほどのいろいろ質問に答えないといけない
なので、市役所にいきなり行っても対応してくれないケースもある。担当の係の人の予定が空いているときに市役所に行く必要があるので、事前に市役所に電話してから予約をとって行くようにしよう
 
 
 
 
市役所に申請書を提出してから約1週間ほどで、就労移行支援を利用するための受給者票が就労移行支援事業所に届く
 
これで正式に自治体から就労移行支援の開始が認められたことになり、晴れて就労移行支援が始まる
 
まあ市役所に申請書を提出して、すぐに体験という形で就労移行支援を利用を始められる。ただ市役所から受給者票が来るまではあくまでも仮という形にはなる

発達障害の人が定型社会で通用できるようになることの利点

そうやっていろんなことに気づけるようになっていくと、そのうち
「当事者会は人生がうまくいっていない人が集まっているので、そんな人が集まっていくら話し合ったところで、なかなか人生がうまくいく方法は見つからないんじゃないか?」
「こういうダメな奴らといっしょにいると、自分までダメになっていってしまうのではないか?」
「この人たちとは人生がうまくいってないから当事者会に来ているので、そういう人たちとむしろ違う思考、違うやり方をしていかないと、人生がうまくいかないのではないか?」
「当事者会の議論は、定型の会に比べるとものすごくレベルが低い。こんなところにいてもあんまり成長できないのではないか?むしろしょうもない揉め事に巻き込まれて消耗するだけだ」
というところに気づいてしまう
 
君のような勘のいいガキは嫌いだよ
 
 
お前は知りすぎた
 
 
 
 
 
 
基本的に当事者会とは、一般社会に馴染めなかった発達障害の人が、一人で悩みを抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合うために集まる会である。それが発達障害でも定型社会や一般社会に馴染んで居場所があるのであれば、別に当事者会に行く必要もなくなって行かなくなってしまう。それが当事者会からの卒業と呼ぶという気はする
 
ただ定型社会は
「自分は発達障害なんでできないんです。しょうがないんです」
と言い訳ができないので、非常に厳しいですけどね・・・
 
当事者会と定型社会はものすごい大きな差があるので
「当事者会では自分はかなりマシなほうだから、定型社会でもやれるでしょw」
というノリで定型社会に行くと
「当事者会ではマシなほうでも、定型社会ではこんなもんか・・・・・・・」
とプライドがズタズタにされるのがオチ
それを受けて
「やっぱり自分は所詮は社会不適合者の発達障害だから、定型社会でやろうとしても無理だ・・・。当事者会や発達界隈で生きよう・・・」
というのも正しい生き方だと思う
 
 
 
 
当事者会や発達界隈から卒業するかどうかは別にして
当事者会や発達界隈だけで定型社会に通用しない人よりも、定型社会でも通用するような人間になったほうがずっと生きやすくなるので、狙える人は定型社会でも通用できることを目指したほうが良いですね
 
 
 
利点としては劣等感やコンプレックスがなくなること
 
さっきに話した通り、発達障害の生きづらさとは何か?と考えたときに、特性によって社会生活が難しいという部分も大きいと思いますが
「お前は空気読まないしウザいだけだからマジでいらねえんだよ。早く消えてくれ。二度と来ないでくれ」
と社会性の無さから、一般社会で自分のことを認められずに否定され続けて居場所がなく、コミニティから孤立してしまっている、というところが一番生きづらさを感じる部分だと思います
 
 
そこで定型社会に適応できるようになって
「君といるととても楽しいよ。今日は来てくれてありがとう、また来てくれ」
と言われるようになると、劣等感やコンプレックスも解消されて、大きな自信や自己肯定感にもつながる。それに伴って精神的な不安定さも解決してく場合も多い
精神科の精神安定剤を飲むよりずっと大きな効果がある場合もある
これはとても大きいですね
 
 
 
 
あと、仕事がしやすくなること
発達障害の人というのは自分の都合しか考えられないので、会社において理解と配慮を求めるときは
「自分は発達障害なんだから、理解と配慮をしろ」
としか言えないが、定型社会の空気感がわかっていると
「この仕事は問題なくできますが、あの仕事は特性上できないので代わってもらえますか?その代わりの別の仕事をやります」
といったようなWin-Winになれるような提案ができる
 
 
自分だけじゃなくて、周りに気づいて考えられると
「この作業はこういう意味があるから、こういうところに気をつけて作業しよう」
「自分だけじゃなくて、周りにも気を使って仕事しよう」
といろいろ気づいて仕事ができる。そうすると
「君の仕事はすごくできていて助かっている。これからも頼むよ」
と周りからも評価されるので、それが大きな自信や自己肯定感につながる
 
最近はリモートなどの在宅ワークなども多いですが、会社の仕事というのは実力も大事だけど、コミュニケーション力の有無とか、周りへの気遣いとかも大事になってきますからね
 
 
現在、民間企業の法定雇用率は2.2%だ。これは逆にいうと1000人の会社だったら22人、100人の会社だったら2人しか障害者がおらず、あとは定型の人ということになる。このようにオープンであっても多数の定型の人と仕事をしていかないといけないので、定型の人に合わせられたほうが仕事はしやすい
社会全体でも定型の人が多数派なので、定型社会に合わせられたほうがだいぶ生きやすくなる
 
このように仕事もしやすくなって、それが自信や自己肯定感につながるのは大きい
 
 
 
 
それと、当事者会とかの発達界隈にいるより、定型社会に出たほうが大きく成長できる
 
価値観を増やしていったほうがどんどん生きやすくなる
定型社会の価値観も自分の中で取り入れられると上記のように生きやすくなり、価値観や自分の中の世界も広がる
 
それに社会でうまくいっておらず、劣等感や嫉妬にまみれた発達界隈の人よりも、社会でまっとうに生きている一般の人のほうがまともで、いろんな話も聞けるので、そういう人たちと関わったほうが得られるものも大きいし、自身も成長できる
 
 
先月の炎上騒ぎの際に
「発達界隈卒業する人間は修羅である」
みたいな意見があった
 
たしかに発達障害の人が定型社会に行くというのは大変なことも多いし、厳しく辛いことも多い
人によってはメンタルをやられる前に撤退したほうがいいかもしれない
 
けれども、そういう修羅場をくぐり抜けていく中で、いつの間にかものすごく大きく成長できる。当事者会や発達界隈で傷の舐めあいをしているだけのぬるま湯に浸かってるような人よりもずっと成長できている
 
 
なろう作品で「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」とか、よくわからないのがあるけど、リアルだとぬるい環境でがんばってもそんなに成長できない
周りのレベルが高いような厳しい環境で揉まれて、周りに追いつけ追い越せとがんばったほうが大きく成長できますね
 
 
まあ変に厳しい環境で無理するよりは、焦らずじっくり土台を固めたほうが良いケースもありますが
 
 
逆に当事者会に発達界隈にいると
「悪いのは発達障害への理解と配慮がない日本社会と、首相と自民党が悪いのであって、自分は何も悪くないんだ。そうやって他人とか社会のせいにしていればいいんだ」
「みんな周りに気を遣うとかせずに思ったまま発言するだけだし、自分もそうやって思いつくままに発言しよう」
「他人に気を遣うとか面倒くさいだけだな。自分の都合だけ考えよう」
「人に迷惑をかけるのは当たり前なことだから、いちいち謝る必要もないんだ。むしろそれによって自分が傷ついたんだから、相手こそ謝るべきなんだ。運に感謝して、努力なんかしないほうがいいんだ」
とダメな人に影響されて、自分もどんどんダメになっていく感じがあった
だから当事者会に発達界隈には深入りしないようにして、染まらないようにしていました
自分は一般社会でも通用するようになる、というのを目標にはしていたんで、いくら当事者会や発達界隈では良くても一般社会で通用しなかったら意味がないですし
 
 
定型社会に行ってしばらくしてから
「そういえばたまには当事者会に行こうかな」
と久しぶりに当事者会に行ったら
「ああ・・・・・・・・当事者会、発達界隈ってこんなにレベルが低いんだ・・・・・・・・。単に定型の人と違って発達障害という障害があるので、その障害や特性のせいで能力が落ちる、ということだけじゃなくて、会話のレベルも考え方も何もかものレベルが低い。特に人間性が本当に幼稚な人が多い。
なんかもうここは動物園だな」
とレベルの低さに絶望した(東京とかの一部の当事者会だったらそこまで差がなかったりするけど)
 
 
そうやって感じるほど、定型社会に揉まれてるうちに大きく成長できたんだ、という成長を実感できました
これらのことから、発達障害の人でも上(定型社会)に行ける人は行って、いろんなことにチャレンジしていったほうが、人間的にも大きく成長していけますね
 
 
 
 
 
あと、それと定型社会に通用できる利点としては、最悪「発達界隈卒業」というカードが切れること
 
 
この前に「30歳の人で転職しても不満ばかりの人と新卒の会社を辞めずにうまくいく人の差は、転職できるというカードを持っているかどうか」というネットニュースを読んだ
仕事で大事なのは
「自分はどうせこの仕事を辞めても、多少は待遇は悪くなるかもだけど転職できるだろう」
と思えるぐらいのスキルとか実力があることらしい
 
そういうのがあると、(当然、目の前の仕事を一生懸命にやるのが大事だけど)どこかで心の余裕が生まれる
 
だから仮に
上司「おい、この仕事を明日までに徹夜してでも終わらせろ!」
「ええっ、昨日に大きな仕事を終わらせたばっかりですよ?」
上司「なんだと!この仕事は至急の仕事なんだぞ!お前の代わりはいくらでもいる、やる気がないなら帰れ!」
とかめちゃくちゃなことを言われたときも
「わかりました、もう帰ります」
と、身体を壊す前に辞めようかな、こんな仕事続けるよりは転職したほうがマシだな、と帰れる
 
そういう他の企業からも必要とされるような人材だったら、そういう人が居なくなるとその会社も仕事が回らなくなってとても困るので
「戻ってきてくれー会社を辞めないでくれー」
と連れ戻される
 
 
これと同じことは当事者会でも言える
一般社会でうまく適応できずに当事者会にしか居場所がない、というケースだと基本的に何があってもそこに居続けるしかない
 
ところが当事者会というのは社会で適応できないコミュニケーション力に難がある人が多いので、態度が悪い人と関わって嫌な思いをすることも多いし、炎上騒ぎとか揉め事に巻き込まれることも多い
 
たとえば、特性がひどい人がいて
「こんなことも知らないんですか?バカですか??」
とか言ってくる人がいて、それについて反論したら
「なんだと、この野郎!お前が俺様につっかかってきたのが悪いんだろうが、謝れボケ」
とか言われても、そこを離れたら自分の居場所がなくなってしまいますから
「すいませんでした・・・・自分が悪かったです・・・」
と言うしかない
 
けれども、自分が一般社会に通用していると
「ああ、こんな当事者会にいても時間のムダだな。むしろこんなところにいたら自分もダメになる。こんなところさっさと卒業するか」
という判断もできるので
「ああ?なんだとゴルァ。やんのかコラ、最初につっかかってきたのは『バカですか??』とか言ったお前だろ。お前が謝れよボケ。バカですか??
発達障害だったら何やっても許されると思うなよ」
と、こっちもバーンと思い切って言い返せる
 
それに対して
「なんだと、この野郎!お前が悪いんだよお前が、早く謝れよボケ」
とかまだ何か言ってくるようだったら、こんな頭おかしいやつと付き合ってられないので、本当に当事者会から完全に縁を切って卒業すればいいし
 
 
「すいませんでした、言い過ぎました、許してくださいお願いします」
と態度を変えてきたならば
「まあこっちも言い過ぎたよ。これからは仲良くしようぜ」
と和解して居続けるのもいいし
「こんな頭イカれてる奴といっしょに居れるかよ」
と感じるのならば当事者会から完全に縁を切って卒業すればいい
 
 
 
こうやって立場的に有利に立てるから
「こうしなくてはいけない!」
じゃなくて
「どうしようかな~」
と、精神的に余裕を持った判断ができる
また、そういうことが自分の尊厳を守ることにもつながる
 
 
忌憚なき意見を述べると、当事者会に来るような人というのは一般社会などに居場所がなく、当事者会や発達界隈にしか自分の居場所がない人が多い
 
そういう人は居場所を失うことが怖いので、なかなか主催者やファシリテーターの方に思い切ったことが言えない場合が多い。参加者に何も文句を言われず、何をしても賛同してくれるのを良いことに主催者やファシリテーターの方が増長してしまって、傲慢な振る舞いをしてしまっているような当事者会もある。
そういう会に行って
「あれっ、こういうのっておかしくないですか??」
と言うと全員から袋叩きにされることもある
たとえば
発達障害へ理解と配慮を求める、というのはわかるけど、自分なりに努力や工夫することも大事じゃないですか??」
とか言うと
「いやいや、発達障害への理解と配慮が足りない定型社会が悪いんだよ。お前、頭おかしいのか?」
「そうだ!そうやって周りの意見も聞かずに自分の意見を一方的に主張するのは、発達障害の悪い特性だぞ!」
同調圧力で潰そうとしてくる
こういう人たちって劣等感やコンプレックスが強いから、優越感を得ようと徹底的に弱い者いじめをする傾向もあるし
 
まあこういう当事者会で楽しんでる人もいるし、必要な人もいる
けれどもその人たちにとっては必要でも、自分にとって必要とは限らない。そのような空間が自分にあまり合っていないと感じたときに、「発達界隈卒業」というカードを切れるのは大きい
「てめえはメサイア・コンプレックスをこじらせているから『人を救うことで自分が救われたい』と思っている。だから他人が自分に頼ってきたり依存してこないと困るので『当事者会卒業』『自立して生きる』とか言う人は潰すのか。この偽善者め。
『定型社会の同調圧力によって発達障害の人は苦しめられている』とか言ってるクセに、自分たちはそうやって気に入らない人は同調圧力で潰すんだね。『発達障害へ理解と配慮を』とかほざいてるけど、要は自分が救われたいだけ。自分さえ良ければ他人なんざどうでも良いってことでしょ。人間のクズが
おかしいのはお前たちのほうだ!」
とはっきりと「NO!」を突きつけることができる
 
 
 
 
 
あと揉め事に巻き込まれたとき、このように言い争いになったときに
「こういうことは良くないんじゃないか、と思うんですが・・・・」
自分に自信がないと、言い返すときも自信なさげな言い方になって、相手から舐められやすくなる
 
「なんだコラァ、ふざけんなよお前。なんだその態度は」
自分に自信があれば、心理的に余裕があれば、はっきりと言い返せる
このように自分に自信がある人というのは、発言にも芯が強く言える
 
 
発達障害の人は空気は読めない人は多いけど、危機察知能力はムダに高い人が多い。自分より弱い人には威張り散らすクセに、いざ自分に危害が及ぶ気配を感じると急にビビりだす人が多い
だから芯が強い発言ができると、あんまり言い争いに巻き込まれることは少なくなる。イキリオタク、ヘタレヤンキー、野生動物と同レベルですね。
 
ヘタレたちよ
現在、STU48の7thシングルの握手会、じゃなくてお話会券を販売しているのでみんな買おう。(ステマ
 
 
それと、こうやって変な争いに巻き込まれて、言い争いになってしまったときも
発達障害の障害による影響というよりも、あなたの人間性が劣っているだけじゃないですか?そういうことをやってるから上(定型社会)で通用せずに、下(当事者会)にいるんじゃないですか?」
「発達界隈では『発達障害の特性の影響だからしょうがない』で済むけど、それ一般社会だったら単なる『わがまま、自分勝手、独善的。自己中心的、ジコチュー、人間のクズ』なんだよ
貴様の様な奴はクズだ!生きていちゃいけない奴なんだ!!」
「他人や周りに散々迷惑をかけても謝れないとか、『悪いことをしたら謝りましょう』と小学校か幼稚園の先生から教わりませんでしたか?小学校か幼稚園から人生をやり直したらどうですか?そんな幼稚園児でもわかることすら理解できてないなんて、あなたはその年になるまで、一体何をして生きてきたんですか??」
 
と一般社会、定型社会からの目線からの意見で、上から殴るような反論ができる
 
 
「馬鹿の一つ覚え」
という言葉があるように、発達障害の人は1つの問いに1つの答えや根拠があれば満足しがちだから、角度が違うというか、違う根拠から別の意見を出せれると対応できないケースが多い。正面から来る反論には対応できても、上か横からの反論には脆いことが多いので、そこから簡単に崩せることが多い。
同じ目線で戦うと苦しくなるので、いかに上か横から叩けるか
 
上から来るぞ、気を付けろぉ!!
 
ガンダムとかのファンネルで包囲殲滅する感じ
 
 
 
こういう感じで言い争いでもかなり優位に立てる(場合や状況にもよるけど)
正直言うと自分もあんまり喧嘩はしたくないんだけど、下(当事者会)だと
「マジでふざけんなよ本当に。こいつブチ殺してやろうかな」
とか思うほどストレスがたまることも少なくないしなあ
「そもそも上(定型社会)じゃなくて下(当事者会)にいるのが悪い。自分が下(当事者会)にいるのが悪い」
というのが正論なんだけどね
 
 
 
 
ただ一般社会とか会社の場合は
「自分の意見をしっかり主張する」
「言うべきときは言う」
「上司などに自分の意見をしっかりと伝える」
「議論や会議やプレゼンテーションにおいて、自分の意見をしっかりと述べる」
ということは大事ではあるが、いかに言い争いは避けるかが大事になってくる
 
定型の人は
「変に言い争って体力や気力を消耗するのは嫌だなあ」
「仮に徹底的に言い負かしたとしても、相手の機嫌を害して変に恨みを買うのは嫌だなあ」
「変に口論になって悪口を言い合うと、あとで嫌な気持ちになるから嫌だなあ」
「変に口論とかやると『あの人ってなんか急にヒステリックに怒り出したりして怖くない?あんまり関わりたくないよね~』と周りに嫌われる要因になるから嫌だなあ」
と戦いを嫌う人が多いので、あんまり変に口論する人は嫌われやすいので避けたほうがいい
 
特に今は
「なんでこの仕事できてないんだ、やる気あんのかコラァ!」
とか言って怒鳴りつけるとパワハラになる可能性もある
 
孫子の兵法においても
「百戦百勝は良いとは言えない。戦わずして勝つのが最善である」
と書いてあるとおり
 
誰これ構わずに喧嘩をふっかけるのは、ただの(昔の)不良やヤンキーである
口論や炎上などは、所詮は他者を否定することでしか自分を肯定できない、自分の意味を見いだせないような小物のやること
戦わずして勝つのが最善
 
 
特に今の時代は怒ったり、怒鳴りつけたりするんじゃなくて、それ以外の方法で自分の主張を相手に伝えて、相手の考えに影響を与えたり、変えていくことができるかどうかが大事になっていると言える
 
 
 
以上のように、発達界隈や当事者会だけじゃなくて、定型社会に通用する人間になれたほうが、これまでよりずっと生きやすくなる、人間としても大きく成長できると思いますね
 
 
 
 
会社とか仕事の場合は、多少嫌なことがあっても続ける必要があるし、辞める場合はちゃんと伝えて退職届を出さないといけないけど
 
当事者会というのは
発達障害の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合わなければならない」
というのは主催者やファシリテーターの人が勝手に言ってるだけであって、行かなければならない義務があるわけではないので
楽しかったら行けばいいし、楽しくなければ行かなければいい
自分の人生において行く意味を見いだせていれば行けばいいし、行く意味がないと思えば行かなければ良い
 
所詮はそれだけのこと
 
 
「つまらない、楽しくないと思ったら行かない」
という手段が取れるように、当事者会に行くにしても1つの当事者会だけ行って依存するんじゃなくて、いろんな当事者会に顔を出すようにするといいかもしれない
 
アイドルヲタでも、熱心に推していた子が卒業したらショックで立ち直れなくなってしまうので、いろんな子を推すDD、誰でも大好きになることでショックを和らげてるヲタもいる。田中将大とか。
・・・・・・・・・・・・・・まあ価値観は人それぞれですし、趣味をどう楽しもうとその人の自由なんで・・・・・・・
 
 
 
 
 
「何をするのが自分にとって適切なのか?何が自分にとって何が正しいのか?」
ということを考えて、ビジョンを持って行動していくことが一番大事なことなのかもしれない

発達障害の人は気づく力を伸ばすべき

当事者会に行くと、発達障害の人はあんまり食事に興味がない人が多い印象がありますね
 
あるとき、当事者会で意気投合してLINE交換した人がいたけれども、その人が
「ちょっと会って話をしましょう」
ってLINEで言うから、会いに行っていろいろ話をした
一通り話し合ったときに、時刻がちょうど昼過ぎぐらいだったので
「時刻も昼過ぎでお腹減ってきたから昼ごはんにしよう。どっかこの辺でおいしい店とかない??」
って聞いたら
「いや、知らないです・・・」
と返されてびっくりした
わざわざこっちが出向いて来てるのに、近所の店を知らないとはどういうことだ??あなたの地元でしょ??
 
 
野獣先輩みたいに
「この辺にィ、美味いラーメン屋の屋台来てるらしいっすよ。じゃけん夜行きましょうね」
とパッと言えないと
 
そういう気の利かないところが上(定型社会)と下(当事者会)の差ですね、そういうとこやぞ
 
 
まあ飲食業って入れ替わりが激しいから、前に行っておいしかった店があったので
「この辺にィ、美味い店あるんっすよ。じゃけん行きましょうね~」
と行ったら閉店してなくなっていて
「ファ!?(デデドン)」
というケースも結構あるし(最近はコロナ禍の影響で閉店する店も多いしね・・・)、そういうのはしょうがないけどね・・・
 
 
 
 
ただ、発達障害の人は食事とかに無頓着すぎる人が多いですね
上(定型社会)の人と下(当事者会)の人で何が違うのか?という部分を考えたときに、一番大きく違うのは「気づく力」「共感性」のところだと思う
 
 
定型の人は、人と話すときは
「なんか自分の話に興味を持って聞いてくれているな」
「なんか自分の話を適当に聞き流してるだけだな・・・」
「この話題には妙に食いつきがいいなwこの人はこの話題に対して興味があるんだな」
「あれっ・・・今、顔をしかめたな・・・。なんか気に障ることでも言ってしまったんだろうか・・・」
相手の表情とか反応を見ながら話せる人が多い
 
 
一方で発達障害の人なんかは、相手の表情や反応を見ずに話す人が多い
だから自分の言いたいことだけバーッと話すだけの人が多く、ひどい場合は一方的にバーッと話してしまってマシンガントークとなったり、会話のドッジボールと化す
 
 
発達障害の人であっても上(定型社会)でも通用する人はそこらへんができる人が多い
逆にそこができないと、下(当事者会)では良くても上(定型社会)ではなかなか難しいですね
そう考えると、そこができるかできないかが、発達障害の人であっても上(定型社会)でも通用する人なのかそうでない人なのかの境目と言っても過言ではないのかもしれない
 
 
そういうことに気づけずに、人が聞く気がないときにバーッと話してしまったり、相手を傷つけるようなことを言って怒ってても気づけなかったりして、だんだん周りから嫌われるようになっていってしまう
 
こうなったときに
「自分が悪い」
と気づけないので
「自分が発達障害だからって、定型発達の奴らは自分を差別していじめてるんだ!」
「周りが発達障害への理解と配慮が足りないから、発達障害の自分への当たりが強くなるんだ!社会が発達障害への理解と配慮が足りないのが悪いんだ!」」
というふうに考えて
「相手が悪い」
と他責にして、相手や周りを変えようとしてしまうので、なかなか根本的な社会性における問題が解決しない
 
 
 
まあそれが特性の影響などでできないのが発達障害である、という気はしますが
 
ただ発達障害は治らないので特性がなくなることはないが、そこに気づいてそこは改善していければ、社会性の改善はしていける可能性がある
 
そもそも発達障害の生きづらさとは何か?と考えたときに、特性によって社会生活が困難な部分も大きいと思いますが
 
「お前は空気読まないしウザいだけだからマジでいらねえんだよ。早く消えてくれ。二度と来ないでくれ」
社会性の無さから、一般社会で自分のことを認められずに、否定され続けて居場所がない、コミニティから孤立してしまっている、というところが一番生きづらさを感じる部分だと思います
 
 
「社会は発達障害への理解と配慮をしろ!」
という主張も、要は一般社会から爪弾きにされたことへの
「社会や周りに自分のことをを理解してほしい、認めてほしいんだ」
という、劣等感やコンプレックスの発露、自己顕示欲の暴走がしている結果に見える
 
 
 
こうやって周りから嫌われる人というのは、会社でも人間関係などがうまくいかなかずに続かなかったり、コミュニティでも揉めて追い出されたりしてしまって、金も友人も失うものは何もない、いわゆる無敵の人になりやすい
 
 
 
そうやって人生がうまくいかない劣等感、コンプレックス、孤立感が強くなりすぎると
「社会から村八分みたいになって誰からも嫌われていて孤独だし、会社もクビになりまくるから金もない・・・・・・
普通に何不自由なく楽しく幸せに生きている、定型発達のリア充どもが憎くくてたまらない・・・
このまま野垂れ死にするよりは、いっそ定型発達どもを皆殺しにして道連れにしてやるぜ、ウヒャヒャヒャヒャ」
と犯罪行為に走る可能性もある
 
 
 
実際、発達障害関係のTwitterを見ていると
「定型発達たちをやっつけろ」
といったツイートも多く見られますしね
 
あと、発達障害の人というのは0か100かの白黒思考で考えてしまって
「あいつは悪い奴だから何をやっても構わないんだ。定型発達どもはムカつくから殺したって構わないだろう」
とかの極論、極端な考えをしてしまいがちだし、認知の歪みから誤った考え方をしてしまうことも多く
衝動性も強いから、そう考えていくと、もしかしたら発達障害の人の犯罪率は定型の人より高いかもしれない
鈴木マサカズが描いてるこっちの作品もおすすめ
 
 
発達障害の人の少年犯罪の確率は、定型の少年の犯罪の確率に比べて12倍高いというデータもあるみたいですからね
 
まあこの動画の後半でも言ってるように、単に発達障害の人は犯罪率が高い、というよりは発達障害の人は親から虐待を受けることが多いので、家庭環境の悪さや家族間の不仲から非行に走ってしまうケースが多いみたいですが
 
それにしてもこの動画は、お医者さんとか福祉関係者とかの話よりも、ずっと発達障害について的を得た意見が多いな。アウトローの方のほうが発達障害を理解しやすいのかもしれない。というか社会から除け者にされた社会不適合者の人の気持ちや行動原理というものは、同じく社会のレールから外れているアウトローの人のほうがよくわかるんだろうな。所詮は社会でまっとうに生きているお医者さんや福祉関係者の方には、わかろうとしてもわからないのかもしれない
 
 
 
そうやって考えると、社会や周りに対して発達障害への理解と配慮を求める場合に
発達障害への理解と配慮を求める!」
と単に要望するんじゃなくて
発達障害の人への理解と配慮が足りていないせいで、一部の発達障害の人は賃金も少なく生活も困窮し、さらに社会からも完全に孤立してしまっている。こういう人の中には、社会への逆恨みから犯罪行為に走る人もいるかもしれない。現に2018年に東海道新幹線車内殺傷事件という、発達障害の少年が刃物で乗客3名を死傷させる事件がありました。
このように、社会の発達障害への理解と配慮が足りないせいで、発達障害の人が社会的弱者となってしまい、そういう人の中にはヤケになったり社会への逆恨みから犯罪に走ってしまうかもしれない
そうさせないためにも、社会から発達障害へ理解と配慮をすることによって、発達障害の人を社会的弱者にしないということが大事なんだ!」
と要望したほうが動いてもらいやすいかもしれない
 
だがこれは要は
「我々発達障害は犯罪者予備軍である。犯罪を起こされたくなくば理解と配慮をしろ!」
と自分たちは反社会であると言ってるようなものなので、ヤクザの恫喝とあんまり変わらないような気もしますが
 
 
 
 
 
・・・・・・・おっと、なんか変な極論になってしまったな・・・
 
話を戻すと、上(定型社会)の人と下(当事者会)の人で何が違うのか?という部分を考えたときに、一番大きく違うのは「気づく力」「共感性」のところだと思います
 
では発達障害の人が「気づく力」「共感性」を身につけるにはどうすればいいか??
発達障害の当事者会に多く参加して、いろんなことを話し合うとともに、コミュニケーション力をつける、というのも悪くはないが・・・
「気づく力」そのものを上げていかないといけない
 
 
では「気づく力」そのものを上げるにはどうすればいいか?
感性を磨いて、感性を豊かにしていくこと
 
では感性を豊かにするにはどうすればいいか?
いろんなことに興味や関心を持つこと
 
 
 
発達障害の人というのは視野が狭く、興味や関心を持っている範囲が一般の定型の人に比べると、あまりにも狭すぎる人が多い
たとえば鉄道にはものすごい興味があるけど、他のことには全く関心がないとか
 
まあ鉄道に興味があるというのは良いことだし
他のことを気にならないほどに打ち込めるものがあるというのは素晴らしいことだ
 
 
ただそうやって生きていて、生きづらさを感じるのであれば
「鉄道とか、Twitterで発達関連のツイート見ることだけやっていればいいんだ」
という考え方じゃなくて、いろんなことに関心を持つようにすること
 
「9月に入っても暑い日は続くが、夜は涼しくなって過ごしやすくなったな」
「昨日は雨模様だったけれども、今日は雲ひとつない快晴だ!」
「たまには近所を散歩してみよう。そういや近所にこんなに緑にあふれた公園があったんだな」
「そういえば駅前に新しいレストランが開店したみたいだなあ、一回行ってみようかな?」
「近所の美術館で○○展とかいうイベントをやってるんだな、イベントやってる間に行こうかな」
「この歌手の曲はなかなか良さげだな。CDを借りてみようかな」
「たまにはTSUTAYAで映画や漫画をレンタルして家で見よう。アマゾンプライムとかでなんか映画を見よう」
とか何気ない日常とかでもいろいろ関心を持つことだ
 
そうやっていろんなことに関心を持つと、これまで気づけなかったいろんなことに気づけるようになってくる
 
そのようにしていろんなものに関心を持っていると、いろんな感性が磨かれていって
「たまには近所の川沿いをゆっくり散歩したり、公園でゆっくりしていると気分が落ち着くなあ。現代社会であっても、いや現代社会だからこそ、自然とゆっくり過ごす時間が人間には必要だ」
「いやー、近所のラーメン屋のラーメンがめっちゃうまいな。仕事で疲れたときはここのラーメンを食べると元気が出るな」
「たまには美術館で絵画を眺めるのもいいもんだなあ」
「この歌手の曲を聞くと元気になるなあ。あの音楽を聞くといつもより集中できる気がする。その曲を聞いてから寝るとよく寝れる気がする」
「辛いときは映画を見るに限るなあ・・・」
といった自分の感覚がわかってくる
 
こういう
「自分は何をしているときが楽しいのか?幸せを感じるのか?どういうときにリラックスできるのか?どういうときに集中できて、自分のペースで作業できるのか?」
ということがわかるきっかけになるときもある
 
そうやって
「今日は仕事で疲れたから、おいしい料理でも食べに行こう」
「なんか在宅ワークが続いて気分が乗らないので、たまには家の外に出て散歩しよう」
「音楽を聞いて気分を上げていこう」
自分で自分の体調や気持ちに理解や配慮ができるようになると、生きづらさも緩和されてくる
他人や周りに自分への理解と配慮を求める前に、まず自分で自分の体調や気持ちに理解や配慮していくことが大事だ
 
 
こういうことを言っても、理論や理屈ではなくて感性や感覚なので、わからない人にはいくら言ってもわからない
考えるんじゃなくて感じていって、自分なりに感覚や感性を掴むことが大事
 
 
そうやって感性が豊かになると、いろんなことに気づけるようになる
人の心情の機微とかがわかるようになってきて、字面にとらわれずに場の流れとかがちょっとはわかるようになってくる。俗に言う「空気を読む」というものですね
 
あと
「9月に入っても暑い日が続いてイヤになっちゃうよ~」
「あそこのラーメン屋が結構ウマいんだよ~」
「休みの日は運動も兼ねて散歩するに限るね」
という他人との他愛もない会話でも
 
「そう…(無関心)」
と無反応で終わるんじゃなくて
 
「わかります!休日は外の風を感じながら近所を歩くのがいいですよね~いい気分転換になります」
感覚に共感できるようになってくる
 
 
 
人間というのは共感してくれる人には好感を持つけど、逆に共感してくれない人には反感を抱く
 
たとえば定型の人に発達障害について説明したとして
「けどさあ、いろいろやるべき作業が重なってパニックになるとか、ついうっかりして他の作業を忘れるとか、普通の人間でもよくあることじゃんwそれってただの甘えだよねw発達障害を言い訳にして、自分のミスとかクズさを正当化してるだけだよねw」
とか言われたりすると
「なんで理解しやがらねえんだよボケナス。これだから定型発達のバカアホどもは・・・・・・」
と反感を抱いて心を閉ざしていってしまうけど
 
 
「そんなに不自由だとこれまで社会で生きていく中で大変だったでしょう・・・。辛かったですね・・・」
と共感してくれると
「自分の発達障害の生きづらさをわかってくれるなんて、この人はなんて良い人なんだろう」
と好感を抱いて、心を開いて全幅の信頼を置く
 
 
こうやって人間というのは共感してくれる人には好感を持つけど、逆に共感してくれない人には反感を抱く
だから相手に共感できる共感性がある人というのは、いろんな人から好かれやすくなる
 
特に下(当事者会)だと、社会でうまくいっていない人が集まっていて、そういううまくいかないことへの愚痴を吐き出したいだけの人が多いので
「わかる~」「せやな」「そだねー」「おっ、そうだな(便乗)」「それな」
と共感したり
「なるほど、上司に厳しく怒れれて辛かったんですね~」
とオウム返しをすれば、相手にとっては自分の気持ちに共感してくれたことになって
「この人は自分の気持ちをわかってくれるいい人だ!」
ということになって、良い人と認識されやすくなる
 
 
基本的な他人への姿勢としては正しい
コミュ障のキモヲタとか発達障害の人は、人の話に否定から入る人が多いしね
 
 
 
ただ上(定型社会)だと、ほぼみんな空気を読めるから
「こいつは適当に合わせてるだけだな。それっぽいこと言ってるだけだな」
と、単に合わせてるだけ、それっぽいことを言ってるだけだと見抜かれるケースが多い
感覚とか感性を磨いて、心から共感できるようにならないと通用しない
 
「この人は本当に本心で言ってるっぽいな」
「こいつは良いこと言ってるけど口先だけだなw出任せでそれっぽいことを言ってるだけだな」
と、ある程度は見抜けるかどうかが、上(定型社会)で通用するかどうかの大きな差という気はする
 
「うーん、この人の言ってることは正しいんだけど、なんか違和感があるんだよなー」
「こいつはこれについて聞いたときに、具体的なことについてははぐらかしたり、目が泳いでるのが気になるなー」
というふうに気づけるようになる。そのために気づく力、感じる力を身につけていくことが、発達障害の人の課題と言えるかもしれない
 
 
とはいっても、なろう作品じゃないんだから
「ある日、目が覚めたら急に空気が読めるようになっていた!」
ということはない。地道にやっていくしかない
 
 
 
 
個人的に思うに、発達障害の人が気づく力、感じる力を身につけていく一番良い方法としては、当事者会に行ったときの感想
「いろいろ話を聞けて良かった」
と言うのをやめることですね。それは当事者会に行っただけで満足しちゃってる
 
そうではなくて、たとえば
「『常にポジティブに、という意見もあるが、落ち込んだときはとことんまで落ち込んだほうが良い』
というのはその通りだ。この意見は参考になった、辛いときがあったときは試してみよう」
 
「『定型の社会人サークルは宗教勧誘だらけでめちゃくちゃである』
という意見には賛同できない。たしかに一部ではそういうこともあるかもしれないが、いくら定型の人や定型社会に劣等感やコンプレックスがあるからといって、必要以上に敵視したり悪く言うのはいかがなものだろうか??」
 
「『話をよく聞いて傾聴が大事、というけれども、それだけじゃなくて自分から話してくことも大事だ』
という意見があったが・・・。たしかにみんなが積極的にどんどん意見が出る話では、自分も積極的に食い気味に行かないと何も発言できずに、存在を認めてもらえずに終わるかもしれない。ただ、そういう姿勢はややもすると、自分だけ一方的に話してしまうことにもなりかねない。時と場合によるのではないか?
というよりは、要はあなたが話したいだけ、自己顕示欲を満たしたいだけなのでは?」
 
「あの人のパッと自分の意見を言うのではなしに、相手の話をじっくり聞いた上でアドバイスする姿勢には好感をもった。自分もああゆうふうにできる人になりたい」
 
「この人の態度が悪かったのは良くなかった。一人でも機嫌があからさまに悪い人がいると、影響されて自分まで嫌な気持ちになってしまうな。ああゆうことはしてはいけない」
 
といったように
いろいろ話を聞いた上で、自分はどう思ったのか?どう考えたのか?
ということをしっかり挙げることですね
当事者会に参加したら最低1つを挙げるようにして、慣れてきたら2個3個と挙げられるようにする
 
「今日は天気が晴れていて、9月といっても晴れた日はまだまだ暑い日が続いている・・・・会場に着くまでにノドが乾いてしまったので、ペットボトルを買っていくべきだったな」
新宿駅で乗り換えのときに迷ってしまい、30分以上も駅を彷徨って心身ともに疲れてしまった・・・・・。いったんスマホの地図アプリで確認したほうが良かったな・・・」
「当事者会に参加したあと、帰り道で一人でラーメン屋でラーメンを食べて帰った。当事者会でフルに頭や身体を使ったあとに食べるラーメンが妙にウマいのはなぜだろう」
 
とかの当事者会への行き来の道すがらの事柄も入れても、上(定型社会)で通用するようになるには最低10個は挙げられるようになる必要があると思いますね
そうやって1聞いて10知る、1聞いて10考えられるような人になっていかないといけない
 
発達障害の人は1聞いて1知る、という言われたことしかできない、わからない人が多いですが、それだと上(定型社会)では厳しい
 
 
 
 
上(定型社会)で通用するには、自分で気づいて、自分で修正してく力が必要不可欠になってくる
 
・自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
・自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
・他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
・話がやたらと長い
・同じ話を何度も繰り返す
・「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
・他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
・他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
これに対して注意されたり、悪く言われたりしても
「えっ、自分の何が悪いんですか??事実を言っただけですよね??それの何が悪いんですか??」
と気づけない人は
「普通にしてただけなのに、急に定型発達の奴らが『空気嫁』『ウザイから消えろ』とか言ってきやがった。なんだあいつらは、意味わかんねえよ。当事者会ではそんなことあんまり言われなかったのに」
と、なんで自分が悪く言われるのかがわからずに終わる
 
 
発達障害の人が定型社会で通用するようになるには、そうやって気づく力、気づいて修正する力がないと難しい
「定型社会と当事者会ってどう違うのか??」
という違いに気づける人じゃないとなかなか難しいですね
 
相手や周りを不愉快にさせてしまったときに
「ああゆうことをしたのは良くなかったな・・・次は気をつけよう」
自分で考えて、自分で修正していける人が上(定型社会)でも通用する
 
上(定型社会)に適応しきれずにできずに下(当事者会)に戻ることになっても、そこらへんを気づけてる人は
「下(当事者会)だけじゃなくて、上(定型社会)でも通用ようになるには、こういうことを考えて、そういうことができるようにならないとな」
と下(当事者会)での取り組み方も変わってくる
 
そうやって気づけるかどうかが大きな差になってくる
 
ただこういうのにパッと気づけるようになるには、これまで述べてきたようにいろんなことに興味や関心を持つこと
あとは当事者会に参加したときに、感想なり、思ったことや考えたことを毎回、最低10個は挙げられるようになることじゃないかと思う
 
 
 
いろんなことに興味や関心を持つ、といっても、たかが日々の風景や天候、たかが食事、たかが音楽や映画、たかが当事者会の感想、と
「たかが○○でしょwそんなことやったって気づけたり、空気が読めるようになるわけないでしょw」
という「たかが」という部分を軽視する人はなかなかうまくいかないじゃないかと思いますね
 
そういう細かいところからミスが出たりして、せっかくうまくいきかけてたところでもそこからリズムとかが崩れることが多いですね
 
「微差は大差」
という言葉がありますが、そういう細かいところから見直していくと、こういうちょっとした気づきができるようになってきて、意外とそういうところから大きな成長のきっかけになるときも多いですからね
 
 
「様々な価値観に触れる」というのも良いと思います

発達障害の人は身体の健康に気をつけるべき

発達障害の人が生きづらさを少なくして、楽しくいきていく方法は
「自分が楽しめる娯楽を見つける」
「当事者会に参加する」
SNSなどで自分の意見を発信する」
発達障害に理解や配慮がある会社で仕事をする」
「様々な価値観に触れる」
「生活環境を見直して、自分がラクに過ごせる環境を構築する」
ということが大事だとは思いますが
身体の健康に気をつける
ということが、生きづらさを抱える発達障害の人には特に大事ではないかと思う
 
 
 
「自分の障害を相手に理解してもらうために、発達障害への理解と配慮を求める」
ということも大事かもしれないが、個人的に思うのは健康的な食生活をして、まず自分が元気になることだと思う
 
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉もありますが
楽しく生きるためにも、身体が元気でないといけない
では身体が元気でいるにはどうすればいいか?
それには適度な運動、栄養バランスのとれた食生活が必要になってくる
 

適度な運動

 
まずは適度な運動
障害者雇用だと事務職の人が多いので、デスクワークの人が多い
それにパソコンやスマホで発達関連のTwitterなどずっと見ていると、肩や腰などの身体が凝ってくる
 
そうやって身体が凝ってくると、なんかいつも疲れている気分になってきて、なかなか元気に活動できなくなってしまう
 
 
 
家電製品屋でおいてあるマッサージチェアとかが家にあって使えたら良いですが、びっくりするぐらい高いですしね・・・家が狭いと置くスペースもない
 
 
身体の凝りを取るには整体院に行くのも良いが、ホットペッパービューティーやEPARKのクーポンを使っても結構お金がかかる
ガチガチに凝って固くなったら整体院に行くのも良いが、それよりは自分で運動したほうがいい
 
整体院に行く時間や手間やお金も省けるし、人に施術してもらうよりも自分で自分の身体を動かしたほうが身体も元気になるし、そうやって運動するとお腹も減ってご飯もおいしく食べられるし、寝付きも良くなる
いろいろ悩み事があって、頭がゴチャゴチャしているときも、身体を動かすと楽になるときもある。ストレス解消にも多少なる
 
 
 
運動と言っても、軽くランニングしたり、ウォーキングや散歩したり、軽く体操するだけでいい
特にずっとパソコンをやってたり、スマホやゲームをやっていると、肩とか腰が凝ってくる
肩を回したり、腰を反らしたりして、ちょっと体操するのが良いですね
 
 
個人的におすすめなのがラジオ体操
たかがラジオ体操といっても、1番だけだったら良いけど、3番までぶっ通しでやると
「うわぁ、まだ続くかよ」
と感じるほど最初は結構しんどい
しんどいと言っても、所詮はラジオ体操で大した運動じゃないから、キツイわけでもなく楽なわけでもなくて適度な運動になっていい感じ
 
You Tubeで「10分 運動」で調べると、キツイやつから楽なやつまでいろいろ出てくるので、いろいろやってみたらいいんじゃないですかね
たかが10分と言っても、キツイのはキツイんで
そうやって10分でもいろいろ身体を動かすだけでもだいぶ違いますからね
 
自分はYou Tubeの10分や20分の体操動画を見ながら体操を2、3日に1回ずつやってますけど
自分にあった運動を見つけてみるのもいいかもしれない
 
 
 
本当にジムに通うのが良いですが、結構月額でお金を取られますしね
慣れないうちは家で身体を動かすだけでも、いい運動になりますし
そうやって運動してるうちに、身体の凝りとかもいつの間にかなくなることも多い
 
 
 

栄養バランスのとれた食生活

 
あと大事なのが栄養バランスのとれた食生活をすること
糖質や脂質を取りすぎないようにすること
 
 
これが簡単なようで意外と難しい
 
 
「とりあえず野菜をたまに採るようにして、しっかり食べればいいだろう」
と思って、以前は昼ごはんは早く食べれる菓子パンとかカップラーメンをよく食べていて、あと会社帰りにマクドナルドなどでセットを食べていた
 
ところがこの前に「あすけんダイエット」という、食事内容を入力するとカロリー計算や栄養計算をしてくれるアプリを入れたところ、必要な栄養が全然取れていないことがわかった
 
 
栄養素というのはエネルギー(カロリー)、タンパク質、脂質、糖質、カリウム、カルシウム、鉄、ビタミンA、ビタミンE、ビタミンB1ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンC、食物繊維、飽和脂肪酸、塩分というに分けられる
 
 
このうち、エネルギー(カロリー)、タンパク質、脂質、糖質取りすぎてもいけないし、取らなさすぎてもいけない
このへんを摂らないと活動するエネルギーが出なくて元気がなくなってしまう。だが摂りすぎると太る
 
カリウム、カルシウム、鉄、ビタミンA、ビタミンE、ビタミンB1ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンC、食物繊維はそれぞれ全部できれば毎日、必要以上摂取しないといけない
 
飽和脂肪酸、塩分は逆に摂取しすぎてはいけない
 
 
 
このように、カロリー等を過不足なく摂取して、いろんな栄養素を摂取していかないといけない
 
あすけんで今日食べた食事を入力し終えると、1日のあすけん健康度を100点満点で評価してもらえる
お菓子とか菓子パンとか食べていると、エネルギー(カロリー)は取れるけど他の栄養素はあんまり取れず、糖質が高い。マクドナルドも似たようなもの
ここらへんのを食べていると、あすけん健康度の点数が低くなりがち
 
あと二郎系ラーメンを食べるとエネルギー(カロリー)と糖質、脂質を超過して、あすけん健康度の点数がやばいことになりがちw
 
 
ご飯を食べて、野菜や果物を中心の食事するといい感じのあすけん健康度の点数が出やすい
かといって「栄養素を取らないと!」とたくさん食べると、お腹いっぱいになって食事が苦しくなる・・・
お菓子とかをなるべく食べずに、しっかり野菜を採ることが大事になってくる
 
 
あと大事なことは1回の食事で1つものを食べて終わりじゃなくて、なるべくいろんな料理を食べること
たとえば吉野家へ食事に行ったときに、牛丼を食べて終わりじゃなくて、味噌汁とサラダのセットを頼むようにする
牛丼だけだと、その食事でご飯と牛肉でしか栄養素を取れないが、味噌汁とサラダも食べると、そこからも栄養素が取れてちょっとはいろんな栄養素が取れる
 
 
ただ外食を中心にしていると、どうしてもあんまり野菜が採れずにビタミンとかの栄養素が不足しがちになりがち
スーパーでいろいろ買って、自炊するようにすると野菜を多く採れる
 
けど以前みたいに
「お腹が膨れればそれでいいや」
という感じで適当に買ってたときは、そんなに食費がかからなかったが
「栄養素を考えていろんなものを買おう」
とすると、食費が結構かさむようになってしまうな・・・
 
 
あとせっかく買った冷蔵庫の野菜を腐らせないように、サボらずにちゃんと料理することも大事になる
個人的にそんなに料理は好きじゃないけど、頑張っていろいろ料理のレパートリーを増やさないとなあ・・・
 
 
 
マルチビタミンとかのサプリで補うのも一つの手だ
 
けどこの前に、テレビで健康バラエティー番組を見ていたら
「自分は必要な栄養はサプリでちゃんと摂ってますから」
とドヤ顔で言ってた芸能人がいたが、実際にその人の体内を人間ドッグで調べたら、いろんな数値が悪く、体内がボロボロになっていた・・・
「サプリに頼るのではなくて、ちゃんと新鮮な野菜を食べて新鮮な栄養素を体内に摂り入れないとダメです!」
と先生に説教されて、その芸能人は呆然としていた・・・
やはり基本的には栄養はちゃんと食事で摂らないといけないですね・・・
 
 
 
自分は「あすけんダイエット」を始めてから、100点満点で評価されるあすけん健康度でしばらく良い点が取れなかったが
「○○が足りていないのでキウイを食べるようにしましょう」
「△△が足りていないのでチーズを食べるようにしましょう」
とかアドバイスされたので、そのとおりにやるようにして
納豆、キウイ、ベビーチーズ、豆乳、もやしあたりを1日1回どこかで食べるようにしていくと、そこそこいろんな栄養素が取れて安定してきた(これだけだと足りないけどね)
ただ、これだとビタミンAとカルシウムが不足しがちになるから、ビタミンAが多いニンジン、小松菜やカルシウムを優先して摂っていく必要がある
豆乳を牛乳に変えたらカルシウムとかは摂れるんだけどね・・・・個人的に牛乳より豆乳のが好きだからなあ
 
 
 
それにしても昼ごはんに菓子パンとか食べて、腹が膨れれば栄養が採れていた気分になっていたけれども、そうじゃなかったことがわかった
 
発達障害の人というのは、自分では気づけずに、他人から言われて始めて気づく人が多い。自己評価だけが異常に高い人が多いので、他人から客観的に評価してもらえる機会を自分から増やしていくことが大事なのかもしれない
 
まあプロ野球選手でもそういう人が多いらしいですが
 
 
 
 
 

ジューサー

 
このように人間の食生活においては、食事でいろんな栄養素を摂っていくことが大事である
 
人それぞれの食の好みにもよるけど人間は外食しまくったりとか、好きなものだけガーッと食べていると、どうしても肉、ラーメン、マクドナルドなどのジャンクフード、牛丼、お菓子を食べまくってしまって、野菜などが不足しがちになる。そうなるとビタミン類が慢性的に不足しがちになって
「あれっ、なんかよくわからないけど疲れやすいなあ・・・」
「なんか急に皮膚とかが荒れてきたぞ??」
といった身体の不調につながる可能性もある
 
そのため、なるべく自炊して野菜中心に食事を摂っていくことが大事になる
 
 
アイドルでもコーラとかを飲みまくって太る人もいるしなあ
コーラ飲みまくった挙げ句に所持金もなくなった
 
 
 
 
だが野菜を摂るということは意外と難しい
トマトとかきゅうりやは洗って切ってドレッシングとかかければ食べれるし
 
 
もやしはちょっと茹でたら食べられるが
それ以外の野菜は調理しないと食べられないものが多い
会社から帰ってからの夕ご飯だったらいいが、朝はバタバタと忙しいので、なかなかゆっくり調理ができないから野菜を摂るのは難しい・・・
 
 
 
そこでおすすめなのがジューサー(ミキサー)
 
朝起きて、果物や野菜や牛乳あたりを細かく切って、ジューサーに入れて、スムージーにして飲む
人間って食べるより飲むほうが早くできるので、朝の忙しい時間であってもこうすればすぐに果物や野菜を食べられる
 
(仕事への)意識高い人なんかは、朝や昼に高カロリーだったり、糖質が高い食事を摂ると、血糖値が一気に上がったりして、仕事してたら眠くなるなどの悪影響がある。だから低カロリーかつ低糖質で、栄養は摂れるような食事を摂るようにするらしいです
 
 
(マコなり社長って急成長企業のイケてる社長を気取ってたけど、内情はコロナ禍の影響もあって業績が良くないのか、この前に大量リストラを行い、それについて言い訳がましくスピーチをやって炎上して叩かれてますが)
 
 
朝に低カロリーかつ低糖質で栄養は摂れるような食事を摂ろうと考えると、野菜や果物のスムージーを飲むのは良いですね
だから、意識高い人は朝はスムージーを作って飲んで出勤して、昼ごはんはコンビニなどでグリーンサラダと鳥の胸肉(高タンパクで低カロリー)を食べる人が多いみたいですね
 
特に抗酸化作用があって身体に良い、アボカドが入ったサラダを食べるらしいです
 
これだと朝昼の食事をかなり低カロリー、低糖質に抑えられるので、ダイエットにもなる
「ちょっとお腹が出てきたからダイエットするンゴ・・・・・・。けどまだ暑い時期に激しい運動はしたくないンゴ・・・」
という人も、こういう食事をしているとカロリーや糖質を抑えられるので、あんまり激しい運動をしなくても痩せやすいのでオススメだ
 
 
 
家族3、4人全員が飲めるような大容量タイプのジューサーだと値段が張るが、自分一人用のジューサーだとそんなに値段も高くない
 
特にキウイとかグレープフルーツやオレンジを食べる場合は、普通は皮を剥いて食べると思いますが、ジューサーに入れてジュースとかスムージーにして飲むと、皮の部分に含まれる食物繊維も摂取できるので、栄養も多く摂ることができる
 
キウイ、オレンジ、グレープフルーツ、リンゴ、バナナあたりの果物だと、そのままジュースにするだけでもおいしいし、牛乳、豆乳、ヨーグルトなどを加えればさらに美味しくなっていろんな栄養素を摂れる
ただニンジン、小松菜など野菜の場合は、スムージーの配合をミスるとゲロマズなスムージーとなる可能性があるので注意したい
 
 
このように野菜とか果物を食べるのは時間もかかりますし、お腹にたまっていきますが、スムージーにすれば比較的にすぐに飲めますし、お腹いっぱいにもならない
 
だからといって調子に乗ってガブガブと何杯も飲みまくっていると、果物は意外と糖質が高かったりするので、逆に糖質の摂りすぎになって身体へ悪影響になってしまうこともある
糖質は摂りすぎてもいけないが、摂らなさすぎても良くないので、何事も適量に抑えることが大事だ
 
 
 
 
 

プロテイン

このように、会社に出勤する日の朝ごはんはスムージー。昼ごはんはグリーンサラダと鳥の胸肉を食べるようにすれば、低カロリーで低糖質な食事となって、仕事中に眠くなったりせずに集中できるので作業がはかどるし、ダイエットにもなる。素晴らしい。終わり
 
・・・と言いたいところだが、この食事だとたんぱく質が足りなくなる可能性がある
 
ご飯とかパンを食べないとたんぱく質が不足しがちになる(鶏むね肉を食べてるから一応摂れてはいるかな?)
低カロリー、低糖質なのは良いが、たんぱく質は人間にとって必要な栄養素なので、それが不足してくると体調が悪くなる恐れがある
 
ご飯とかパンを食べないぶんの不足しているたんぱく質をどう補うか?というところが課題になってくる
 
普通に朝ごはんにスムージーだけじゃなくて、おにぎりとかを食べるようにするとか
豆腐を多く食べるようにするとか
さらに納豆とか豆乳を摂るとか、そういう工夫が必要になってくる
 
 
ここでオススメなのがプロテインを摂ること
 
プロテイン???いやいやいや、別にスポーツしてないし、ボディビルダーになる気もないし・・・・・。てか筋肉をつけたいわけじゃねえしw」
と思われるだろうが、プロテインって所詮はただのたんぱく質の粉である
 
スポーツ選手などの筋肉をつけたい人は、筋肉をつけるにはたんぱく質を多く摂る必要があるから、運動後にプロテインを摂っているだけだ
 
 
最近はプロテインダイエットというのも流行っている
 
ダイエットするには、激しい運動をしてカロリーを消費する方法もある
 
けど、それよりは前述したように食事制限をして、摂取カロリーや糖質を減らしていったほうが楽に痩せられる
とはいってもカロリーを減らそうとして絶食していくと、人間にとって必要な栄養素が摂れずに体調が悪くなる恐れがある
(ただ現代社会は飽食の時代になってきて、昔に比べると食べすぎになってきてしまっているので、1週間に1日ぐらいは絶食する日を作ったほうが良い、という説もあるが・・・・・・・人によって合う合わないがあるし、これも語ると話がややこしくなるので割愛)
 
特に前述したようにご飯やパンを食べないと、カロリーや糖質を抑えられるけれども、たんぱく質が不足しがちになる
そのためにご飯やパンを食べない代わりに、プロテインを摂取するようにするとたんぱく質も補給できる
そうすることによって、ご飯を食べない代わりにプロテインを摂取することで、たんぱく質も摂れて、カロリーも糖質も抑えられので、痩せられるというのがプロテインダイエットだ
 
 
先述したようにプロテインとは、ただのたんぱく質の粉ではあるが、サプリと違ってカロリーは多少はあるので、プロテインを飲みまくると逆に高カロリーになるので注意したい
何事もほどほどにやるのが大事だ
プロテインを過剰摂取すると身体に悪影響を及ぼすという話もありますし
あとプロテインは値段が結構張るのがな・・・
ネットで買うと割安で買えるケースもあるのでオススメ
 
 
 

クエン酸

 
「疲れているときはクエン酸を飲むと良い」
という話をよく聞きますが、クエン酸を飲むと確かに身体が元気になる感じがしますね
 
クエン酸は近所の100円ショップなどで安く入手できる
ただ掃除用のクエン酸だと不純物が多く入ってる恐れがあるので、ちゃんと食用(食品添加物)のクエン酸を買うようにしよう
 
 
ただ元気になるといっても、たくさん飲みまくると胃の負担になったりして、逆に身体に悪影響になる可能性もある
何度もいうが、何事もほどほどにやるのが大事だ
 
胃に負担がかかる場合があるので、直接飲むよりは水に溶かして飲んだほうが良いらしい
 
 
 

終わりに

以上のように低カロリーかつ低糖質でかつ栄養は摂れるような食事をしていくことが大事だ
けれども、食事に効率、理屈、合理性を求めすぎて、同じ食事が続いてしまうと、飽きてきたり嫌気がさしてきて食事や料理が嫌になってきてしまう
 
 
「いつもとは違う 反対のホームから
ガラガラの電車に 衝動的に乗った
どこへ向かうのか 行き先は知らない
今日は人混みで 足を踏まれたくない
街は遠ざかり 窓の向こうには 田園が広がる」
のように衝動的に行動して、たまにはカロリーとか考えずに好きなものを食べまくったほうがいいですね
 
 
たまには気になってる店に外食もしたほうが、良い気分転換になるし
「これだったら家でも作れそうだな。家でやってみよう!」
と新たな発見につながったり
「あそこの店にこの前にふらっと行ってみたけど、結構おいしかったよ」
マクドナルドの新メニューのやつを食べてみたけど、まあ普通だったな・・・」
とか見識が広がって、雑談のネタにもなる
 
 
いかに飽きないように、嫌気がささないように続けられるようにするために、いろいろ料理のレパートリーを増やしたり、味付けを変えられるようにしていくことが大事
やっぱりおいしい食事を摂るようにして、食事が楽しく、楽しみになるようにしたいですね
ただそうすると朝ごはんスムージー、昼ごはんは鶏むね肉とサラダだけだと味気なくなる、というジレンマがあるが・・・
 
 
まあ食事を腹を膨らます作業として割り切ると良いみたいですが
昔、「美味しんぼ」って漫画を読んでたら、プロボクサーで体重制限が厳しく、肉などのカロリーがある食事が摂れないので、気分が上がらずになかなか試合で勝てない知り合いの選手に、山岡士郎が低カロリーでも美味しい料理を作って選手を元気づけて、そのおかげで次の試合で勝つ話があったが、実際のプロボクサーの方もそんな感じなんだろうか・・・
 
 
 
自分はあんまり好き嫌いは少ないほうなので、たまにミスってゲロマズなスムージーを作ってしまっても頑張って飲み干していますw
けど発達障害の人って好き嫌いが多くて、偏食な人が多いですが、そこは改善したほうがいいと思いますね
 
アレルギーだったらしょうがないですが
 
けどさすがに虫は無理だなあ・・・
まあこの子は犬だしな・・・
 
 
 
発達障害への理解と配慮を求める!」
とか主張する当事者の人も多いけど、食事とか運動とかの自分の健康に関しては、
「これは合う、これは自分の身体とかに合わない」
とか自分で自分の身体を理解して、自分で考えて、自分で自分への配慮をしていかないといけない
他人や社会へ発達障害への理解と配慮を求めるにしても、まずは自分でやらなくきゃいけないことはしっかりやってからだとは思います
 
 
「うるせー、食事なんざ好きなもん食えばいいだろw
だいたい発達障害で生きづらい人生で長く健康に老人になるまで生きるなんざまっぴらだwこんな生きづらいつまらない人生なんざ、その日その日で楽しく生きて、短く太く、刹那的に生きれればいいんだよ」
という考えも、それは一つの考え方なんで良いとは思いますが

東京と大阪の当事者会の違い8 大阪の課題 幻想

この当事者会から約半年ぐらい経ったある日、発達界隈のTwitterにおいて、なんか当事者会では揉め事が多い、というツイートが流れたことがあった
 
そのときにビックリしたことがあった
 
その一連のツイートの中で、なんと前述したBさんが
関西の当事者会はそんなことないですが、東京は事情が違っていて揉め事が多い
とかリプライしていた
 
えっ・・・?何を言ってるの・・・?
当事者会においてAさんが別の当事者会で揉め事を起こした件について
「やっぱりAさんはあかんなぁ。そんなんやからあかんねん」
「Aさんはなんなんやろね、ホンマに」
とか、約1時間もの間、自分のような他の新規のお客さんほったらかしにして、ひたすらAさん叩きに夢中になってた喜んでいたクセに何を言ってるの??
「関西の当事者会はそんなことない」
って何の冗談だ?自分のやったことを忘れたのか?
頭沸いてるのかお前?
 
 
 
おっと、言葉が過ぎたか・・・失礼した
大阪や関西の発達界隈の人で
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という人がいるけど、これは幻想とか都市伝説じゃないかと思う
 
 
というか、
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない
と言ってる人って、どういう根拠で言ってるんだろう
 
個人的には
  1. S氏事件の余波
  2. レベルが低いだけ
  3. 自分が考えてないだけ
  4. 関西人の思い込み
が根拠になっているんだと思う
 
 
 
まず「1、S氏事件の余波」について
たしかに3年前はネット上で激しく醜い争いをずっとやっていたから、「東京の当事者会は揉め事が多い」と言われても仕方がない
これは擁護のしようがない
 
ただ、3年も前の出来事で、あの無駄な争いから
「争いは意味がない」
と思う人が増えたのか、そういう変な争いはだいぶ減った気もするけどなあ
それにしてもS氏事件は東京の恥さらしだな・・・
 
 
 
 
 
2、レベルが低いだけ
大阪や関西の当事者会はレベルが低いので
 
  • 自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない
  • 自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない
  • 他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする
  • 話がやたらと長い
  • 同じ話を何度も繰り返す
  • 「垂井で乗り換えがあって」「サンライズ瀬戸」など普通の人が知らないような専門用語を多用して話す。他人にわかりやすく話す気がない
  • 他人が話を明らかに聞く気がない状況でも、話を一方的に続ける
  • 他人を平気でディスりまくるくせに、自分がディスられたら怒り出す
 
という人でも、
  • 一方的なマシンガントークをして、人の話をほとんど聞かない
  • 他人をバカにしまくったり、ディスりまくる
  • 他人にあまりにも多くの迷惑をかける
 
とかのよっぽどひどい場合は困ったちゃん呼ばわりされるけど、そこまで他者に迷惑をかけない場合は「まだマシな人」と呼ばれることが多い
このように大阪や関西の当事者会は困ったちゃんになるまでの判定が甘い傾向がある
 
ところが東京はレベルが高いので、上記の人でも困ったちゃん扱いになりやすい
東京のほうが判定が厳しいイメージがある
だから大阪、関西の当事者会では「まだマシなほう」と呼ばれていた人が、東京の当事者会に行ったら困ったちゃん呼ばわりされたり
逆に東京の当事者会では困ったちゃん呼ばわりされていた人が、大阪、関西の当事者会に行ったら「まだマシなほう」と呼ばれる可能性がある
 
東京の当事者会のほうが、すぐに困ったちゃん呼ばわりされやすいから、すぐに問題視されて揉めやすい気もしないでもない
 
 
あと、東京の当事者会はレベルが高いので、結構バリ層、バリに近いギリ層の人も顔を出すことがある
日頃は社会人サークルとかの定型の人と遊んでるけど、たまに当事者会にも顔を出すという人も多い
だから発達障害の当事者と言っても
発達障害には理解と配慮が必要」
という意見と
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
という意見が混在している
 
まあ東京は当事者会がたくさんあるから、自分にあったところを選べばよいけど
 
 
ところが大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多く、ムリ層やギリ層の声が大きいので
発達障害には理解と配慮が必要」
という意見が主流で
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
という意見は同調圧力で潰されやすい
 
自分もある関西の当事者会でそうやって潰された
 
「定型社会の普通はこうあるべき、という同調圧力発達障害の人を苦しめているんだ!」
と主張するくせに、気に入らない他者には同じように同調圧力で潰すんだな
自分だけ良ければ、自分さえ救われればそれで良くて、他人のことなんざ本当のところはどうでもいいんだな・・・
 
人間のクズめ
 
まあ本当に精神を病んでてしんどい人とか、努力や工夫ではどうにもならない人とかは、
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応していくべき」
とか言われるのはウザいというのはわかる
でもそれならば、発達障害って空気が読めない人が多いので
「この会はとても生きづらさやしんどさを抱えている当事者の会なので、工夫や努力で社会適応していくべき、とか抜かす人は来ないでください。というか消えろ、ファッキュー」
とはっきり明記したらいいんじゃないですか
 
 
 
 
おっと、大阪や関西の当事者会への愚痴が過ぎたか・・・・
 
このように大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多く、ムリ層やギリ層の声が大きいので
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応して、定型社会で通用していけるようにしていくべき」
という意見だと、浮いてしまって周りと合わなくなりやすいので、卒業するしかない
 
 
発達障害には理解と配慮が必要」って意見でまとめすぎることによって、発達障害の人の可能性を狭めている気はしますけどね
 
 
ムリ層、ギリ層、バリ層、の格差というよりは
発達障害には理解と配慮が必要というのは一理あるが、工夫や努力で社会適応して、定型社会で通用していけるようにしていくべき」
という考えの発達障害の人の居場所がないのが、今の大阪や関西の当事者会の課題という気がする
 
まあ、当事者会、自助会とは何か?
と考えたときに、定型社会に対して工夫や努力をしてもなかなか適応できず、除け者にされている発達障害の人たちが、生きづらさを一人で抱え込むのではなく、みんなで生きづらさを話し合って分かち合う居場所が当事者会や自助会だ。上(定型社会)に行ける人はさっさと上(定型社会)に行って、当事者会や自助会から去れ、さっさと消えろ、というのは一理ある
 
それで大阪や関西の当事者会は
発達障害には理解と配慮が必要」
という考えでまとまっている、ので東京よりまとまっている、ということは言えるかもしれない
 
 
 
「ムリ層向け」「ギリ層向け」「バリ層向け」とかもっといろんな当事者会があればいいのかもしれない
あと前から言ってる通り、大阪の当事者会でももっと「何かをする会」みたいなんが増えるといいのにな
 
まあ、大阪や関西の有名な当事者会に反発して、有志で新たに当事者会をいろいろ開いていたりして、それから新たなコミュニティみたいなのができているらしいので、これから発展して進化していくかもしれない
 
東京でも「バリ層向け」を謳って新たに始めたが、いろいろ問題が起きてしまっていても、今は閉店しているが「バリ層向け」というだけで根強い人気があったりする会もあるから
「バリ層向け」の会がないのは東京大阪共通の当事者会の課題と言えるのかもしれない
 
 
 
 
 
 
3、自分が考えてないだけ
 
先述したように大阪、関西の当事者会は権威主義、というか広野さんや石橋さん至上主義みたいな雰囲気がある
それと
「みんながこう言ってるから」
「テレビとかメディアでこう言ってるから」
「広野さんがこう言ってるから」
「石橋さんがこう言ってるから」
といった感じで、人の意見に流される人が多い印象がある
 
大阪の当事者会はレベルが低いので
「自分はこう思う。こう考える」
と自分で考えて、自分で動く、ということができない人が多く
「みんながこう言ってるから」
人の意見に流される人が多いだけじゃないかと思う
 
「自分はこう思う。こう考える」
自分で考えて、自分で動く、ということをやって、自分の形やスタイルということができてくると
「みんなはこう言ってるけど、それはどうかと思う。違うんじゃないかと思うな」
「テレビとか『コロナウイルス感染拡大している中、オリンピックなんかやってる場合なのか??一刻も早く政府は中止の判断を下すべきではないのか??』とか散々言ってたクセに
いざ東京オリンピックが開会して競技が始まったら『金メダルおめでとうございます。いや~連日の日本人選手の活躍に興奮させられますね~』とか手のひら返ししてて草不可避w
マスゴミ氏ね」
「石橋さんがTwitterでこう言ってるけど、たしかにそのとおりだ!けど、あの意見には賛同できないなー」
 
という自分の考え、自分の意見というものが自然とできてくる
 
 
発達障害の当事者といっても、特性や性格は人それぞれ違う
発達障害でも楽しく幸せに生きたい
というところはいっしょだろうけど
発達障害でも楽しく幸せに生きるにはどうすればいいのか?
という部分は人それぞれ違うので、考えがバラバラになるはず
 
まあケンカや揉め事というのは良くないけど
発達障害でも楽しく幸せに生きるには、こうするべき」
「いや、違う!発達障害でも楽しく幸せに生きるには、ああするべき」
考えが違うから、意見が合わないのは自然なこと
そこからどんどん議論が起きるのは良いことだ
 
まあ発達障害は自分の都合しか考えられず、他人の事情などを考えられない人が多いので、会話のドッジボールになって終わるだけだろうが
 
大阪や関西の当事者会はまとまっているというより、単にそういう議論ができてないだけじゃないかと思いますね
 
 
 
 
4、関西人の思い込み
 
自分も実家は滋賀で関西人だからよく知っているが、関西人というものは東京を悪く言いがちである
東京は空気が汚い、水が汚い、人間が冷たいところだ」
とか言う人が多い
 
自分は昔に千葉県市川にも住んでいて、東京は知っていたので
「何言ってるんだこいつら。アホちゃうか。頭沸いてるのか」
としか思わなかったが
 
このように
東京は空気が汚い、水が汚い、人間が冷たいところだ。東京大阪より都会かもしれないが、やはり一番住みやすい場所は関西だ!」
という体にして、コンプレックスから東京を悪く言って、関西が一番だと言いたがる風潮がある
 
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのも、その一環という気はする
 
 
 
以上のように
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのは関西人のそう思い込みたいだけの幻想、嘘じゃないかと思う
 
 
 
 
 
そもそも東京大阪というのはだいぶ距離が離れている
全国で活躍するイベンターでもない限り、実際に東京大阪の当事者会に参加した上で、こういう発言をしている人は少ない、というか居ないんじゃないかと思う
 
だから東京大阪の当事者会を行き来して、双方の発達界隈の事情を熟知した上で
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
とちゃんと根拠があって言ってる人はいないと思う
 
根拠があったとしてもネットのTwitterを見た印象とか、ちょっとした発達界隈の知り合いの
東京の当事者会は揉め事が多いらしいよ」
といった伝聞が根拠になってるだけじゃないかと思う
 
 
 
自分は大学では歴史学科だったので、情報の根拠、ソースは大事にしています
だから当事者会や発達界隈を批評する際は、全部実際に当事者会に参加して自分の目と耳で感じたことをもとに書いています
 
当事者会や発達界隈における
「みんなそう言ってる」
もアレだけど
○○らしい
という情報は一番信用できない
 
 
アニメとか漫画の場合は
「あのアニメは神。最高。めちゃくちゃ面白い」
「このアニメはクソ。最低。何も面白くない」
とか言ってアニヲタに批評しているものを
実際に自分で見てみると
「『あのアニメは神。最高。めちゃくちゃ面白い』って言うけど、言うほど良いアニメか??ただのご都合主義で厨二病腐女子向けアニメじゃねーかw」
「『このアニメはクソ。最低。何も面白くない』って言うけど、言うほどクソアニメか??なんか結構面白いんだけどw」
ということも多いからな・・・
その人らにとってそうであっても、自分が見てそう思うとは限らない
 
 
同じく発達界隈のおいての
「あの当事者会は良いらしい」
「あの人はあんまり良くないらしい」
という情報は一応、参考にはしますけど、論拠にはしない
 
その「○○らしい」というのは、あくまでその人の感想であって、実際に自分も見たときにそう思うとは限らない
「どう良いのか?」「どう良くないのか?悪いのか?」
というところは実際に見てみないとわからない
発達障害の人って認知が歪んでいたり、字面をそのまま受け取るから、なんかちょっと良いことを言ってたら「あの人はすごい人だ」と評したりするので、あんまり信用できない事が多いですからね
 
それに
「あの当事者会にこの前に参加したら良かった」
「あの人はこの前に話したときにあまり態度が良くなかった」
というのであれば、その人の実体験なのでそこそこ信用はできるけど
「あの当事者会は良いらしい」
「あの人はあんまり良くないらしい」
というのは、その人がさらに別の人から聞いたものなので、もはや伝言ゲームと化しているので、信ぴょう性がかなり怪しくなってくる
 
あとネットの情報というのも、まともな人が書いているんだったらいいけど、変な人が書いているものかもしれないので、信ぴょう性が怪しいですね
 
このように
○○らしい
という情報は一番信用できない
 
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という情報も
○○らしい
という信用性がない情報がソースになっている気がする
 
 
 
 
 
まあ人間というものは、見たいものを見て、信じたいものを信じる生き物だ
 
 
仮に世界的権威のA教授が
発達障害は人類にとって不要なので早く抹殺するべきである。植松聖の言う通りで、障害者は不幸しか作れない」
という学術論文を発表して、これに対抗してB教授が
発達障害は人類における希望である。発達障害の人の保護、活用こそが、人類の進歩に必要である」
という学術論文が発表されたら、発達障害の当事者は
「B教授が正しい。A教授はインチキだ」
と言うと思うが
(本当にA教授が世界で正しいとされて支持されてしまっては、世界で発達障害へのジェノサイドが始まってしまう可能性があるので、
破滅願望や自殺願望でもない限り、立場上、黙って殺されるわけにいかないので必死にA教授の意見を否定せざるを得ないというものあるが
この事件もそうだけど
 
けどこの例はちょっと極端だったな・・・)
 
 
 
これと同じ様に
東京の当事者会は大阪よりもずっと進んでいて、非常に素晴らしい」
東京の当事者会は揉め事ばかりで、もはや世紀末や修羅の国と化していて惨憺たる状況である」
という2つの情報があったら、良い・悪い、正しい・間違っている、とかじゃなくて
基本的に信じたいものを信じる、自分にとって都合の良いものを信じるものだ
 
 
「私たちは、世界をあるがまま見ているのではなく、
私たちがあるがままの世界を見ているのであり、
自分自身が条件つけされた状態で世界を見ているのである。
・・・相手と意見が合わないと、相手のほうが間違ってると瞬間的に思う。」
 
「自分が変わらなければ 周囲の物事も変わらない
こういう考え方を「インサイド・アウト」なんて言う
問題はいつも自分の中にある」

 と『完訳7つの習慣 人格主義の回復』で書かれていますね

 
 
 
そもそも
東京の当事者会は大阪よりもずっと進んでいて、非常に素晴らしい」
東京の当事者会は揉め事ばかりで、もはや世紀末や修羅の国と化していて惨憺たる状況である」
の仮にどちらの状況だったとしても、大阪の当事者会にとってはどうでも良いことのはずなんですよね
だって東京大阪というのはだいぶ距離が離れているので、東京の当事者会がどうあろうと、大阪の当事者会でやることは変わらないはず
 
にもかかわらず
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
という意見が出るのはなぜだろうね・・・?
 
大阪の当事者会は良い、素晴らしい」
と言えばいいものを
東京の当事者会は良くないが、大阪の当事者会は良い、素晴らしい」
と他を否定しなければ、自分たちの当事者会を肯定できないということかな
それほどまでに無価値なものなのだろうか
それとも、他のものを否定して安心感を得たいほどに、不安や劣等感が強いのかな
 
 
ちなみに東京の当事者会で、大阪の当事者会について話したら
「金輝っていう発達障害バーがあるんですよね」
「石橋って言う人がTwitterでいろいろ主張していますね」
と興味を持って聞いてくれる人が多いですが、そこまで関心や眼中にない人が多いですね
東京から見た大阪なんてそんなもんです、当事者会や発達界隈に限らず何でも
 
 
 
 
 
ここまで長々と少ない知見や経験をもとに、自分の主観に基づいた独断と偏見によって語ってきたが
個人的に思うに東京大阪の当事者会も揉め事の多寡は似たようなもんだと思う
所詮は自分の都合しか考えられない、コミュニケーション力に難がある社会不適合者が集まってるんだから、そりゃあいろいろありますよ
定型でも人がいろいろ集まると好き嫌いとか合う合わないとかありますし、ましては発達障害の人が集まってたら、いろいろありますよね
 
とはいっても、冒頭で言った通り
「この当事者会はこうである。こういった揉め事があった」
という話はできるだろうけど
東京の当事者会」
大阪の当事者会」
と一言で言っても、東京大阪も当事者会が数多くあり、開催場所、開催者、参加者などなどがそれぞれ違い、会の雰囲気や特徴もそれぞれ違うから
東京の当事者会はこうである。こういう傾向がある」
大阪の当事者会はこうである。こういう傾向がある」
と十把ひとからげに語ることはそもそもできない
 
だから
東京の当事者会は揉め事が多いが、大阪の当事者会はそんなことはない」
というのも、結局のところはそうだと信じたい人は信じればいいし、違うと思う人は違うと思えばいいんじゃないですかね
おわり
 
 
 
 
 
 
 
けど、このツイートの「まだ首都圏はソレやってるらしいけど笑」は、どういう根拠があっておっしゃられてるのでしょうか?
そんな中途半端なことを言わずに、首都圏のどの当事者会および自助会でどういうことがあって、それは良くないからもっとこうした方が良いですよ、とはっきりと根拠を示して言ったほうがいいですよ
 
藪蛇というか、こう言われて首都圏の当事者会に行ってる人からするとあんまり良い気はしないですよね