にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害における大卒と高卒の違い4(まとまらないまとめ)

 

大卒のデメリット、高卒のメリット

 

大卒は遊び人が多い

人に言われたことだけやる人生より、自分の好きなこと、興味があることに打ち込む人生のほうがどれほど楽しいかを知っているので、仕事はほどほどに適当にやって、趣味とか遊びに興じる人が多いですねw特に発達障害の大卒の人はこの傾向が強い気はしますね。


高卒の人のほうがしっかり言われた通りに、黙々と脇目もふらずに仕事をされてる方が多い気はしますね

 

家に経済的な負担をかける

大学に通うのに4年間で400万以上かかるので、そのぶん親に経済的な負担をかけてしまいますね。


逆に高卒の人は高校を卒業してから、すぐに働いてお金を稼いでいる人が多いので、経済的には高卒の人のほうがいいですね。

 

高卒のほうが勤務年数が長く、技能がある

やはり仕事というのは、長く続けるほど仕事の知識も豊富になるし、スキルや技能も上がるので、真面目にしっかり仕事し続ける高卒の人のほうが仕事の技能が高いケースも多いですね。


特に4年間も半ば遊んで過ごしていた大卒に比べて、その間しっかり仕事を勤務していた高卒の人のほうが勤務年数が長いですし、それだけ技能がある人が多いですね。

 

よく学校や親は子供の頃に「いい高校に行って、いい大学に行けば、いい会社に就職できる」と言われていたと思います。これは新卒の就職活動では、筆記試験(SPI)や面接とかも会社はやりますけど、なかなか職場で活躍できそうな人材がわからない。だから「とりあえず勉強ができるんなら、仕事もできるんじゃないか??」と高学歴の人を採るという形になってますね。


ただ就職活動で学歴が重視されるのはあくまでも新卒のときだけですね。それからは職歴とかが重視されますね。

 

たとえば極端な例を出すと、30歳で転職しよう、となったときに、高卒で12年間働いてきたAさんと、東大卒で8年間引きこもりニートしてたBさんじゃ、明らかにAさんのほうが市場価値は高いですね。というか東大だろうがハーバード大だろうが、社会経験皆無な8年間ニートの奴なんざ誰もいらねえよw


「高卒のイチロー松井秀喜松坂大輔ダルビッシュ有田中将大大谷翔平なんかより、早稲田大学卒業の斎藤佑樹ハンカチ王子)のほうが素晴らしいプロ野球選手だ!」

という人は誰もいないように、社会に出たら実績がすべてですね。というか

斎藤佑樹早稲田大学で遊んでないで、高校から即プロ入りしたほうが良かったんじゃないか?」

という意見もありますしね。

 

プロ野球とかプロスポーツ界はあまりにも特殊なんで一概に言えないですが、まとめると

「いい高校に行って、いい大学に行けば、いい会社に就職できる」

という、新卒カードを使って社会のレールに乗りやすいぶん大卒のほうが有利ですね。ただ新卒を過ぎて、社会に出たら職歴がすべてなんで、差はないですね。

 

 

 

まとめ


大卒でもたいしたことはない人もいる。自分の知り合いにも有名な大学を出てるけど、

「本当に〇〇大を出てるの??」

「お前、大学で何してたの??」

って言いたくなるような人もいるし、高卒でもすごい人はたくさんいる


そもそも社会に出たら職歴や実績がすべてだし、江戸時代の士農工商やイギリスの階級社会じゃあるまいに、「大卒=人生バラ色、高卒=人生敗北者」ってわけではなく、社会でどれほど頑張れるかが大事ですね。


たしかに「いい高校に行って、いい大学に行けば、いい会社に就職できる」という社会のレールに乗りやすいという点では大卒のほうが上である。しかしながら発達障害という点で考えると、障害の特性から生きづらさを抱えて、大卒であってもなかなか社会のレール、出世街道の通りに生きられない人が多いですね。そう考えると、発達障害の界隈の中では高卒も大卒も差はないと言えますね。

 

このように、一般的に考えたら高卒と大卒には差があるかもしれないが、発達障害の界隈においては、高卒も大卒も差はないと言える。終わり。

 


・・・・・・と言いたいところですが、発達障害の人たちのためを思って忌憚なき意見を述べさせていただくと、当事者会とかに行くと、やはり大卒かそうでないかの差を感じるときはありますね。


全員が全員ではないし、一概に言えないが、当事者会に行って
発達障害の障害の特性によって生きづらさを感じるときも多い・・・」

と言いながらも

「その中でも努力や工夫をして頑張って生きていきたい」

と前向きに語ってる人は大卒の人が比較的多い気がしますね。


発達障害に対して会社は理解と配慮が足りない!そもそも社会は発達障害への理解と配慮が足りなさすぎる!日本社会がこのように発達障害への理解や配慮が足りないのは、安倍首相と自民党の責任である!!」

「日本社会は欧米に比べて発達障害への理解が遅れている!」

とか言って

「そうだ、その通りだ!さすが〇〇さん、良いこといいますねえ」

ホルホルマンセーして、壊れたテープレコーダーのように社会への愚痴と延々と言ってる人とか、

  • 自分の言いたいことだけ一方的に話して、他人の話はほとんど聞かない
  • 話をうまくまとめられず、どうしても長くなってしまう
  • 他人を平気でディスりまくるクセに、自分がディスられると逆ギレする

とかの当事者会の発達障害界隈でしか通用しないような考えしかなかったり、社会性が欠けてたりする人は、高卒やFランとかの低学歴が比較的多い気はしますね。こういう点で大きな格差を感じることはある。


理由としては、大卒の人は勉強がある程度はできるんで、記憶力や物事への理解力がある。だから発達障害の特性があっても、

「これは自分にとっては普通でも、一般社会ではアウトなんだな」

「前もこういうミスしたから気をつけよう」

とか、記憶力や物事への理解力でカバーができる

 

あと自分の思い通りにならないとき、うまくいかないときは、大卒は論理的に考えたりとか、

「どうしたらいいんだろう?」

「どうしたらうまくいくんだろう?」

といろいろ前述したように大学生活を通じて考える力がありますね。そうやって

「なんとかできるように頑張ろう!努力しよう!」

自分の能力を高めたり、自分を変えようとする


一方で自分の思い通りにならないとき、うまくいかなかったら、

「なんでうまくいかないんだよ!!ちくしょー、ふざけんなよこの野郎!このバカアホボケがコラァ!」

怒りだして怒鳴り散らすだけの人は低学歴が多いですね。

あと

「こんなこともできないなんて、なんてダメな人間なんだ・・・」

「やはり自分なんて何もできないんじゃないか??」

とか不必要に感情的になったり

「うまくいかないのは上司の教え方が悪い!会社が悪い!発達障害への理解が足りない社会が悪い!」

とかすぐに他人のせいにする人も多いですね。


やはりこのへんで差を感じるときはありますね。

 

発達障害の界隈のためを思い、あえて忌憚なき意見を述べさせていただくと、昨夏にとあるセクハラ案件あり、その加害者に向けて被害者の会が結成され、活動しておられました。その活動はムダはなかったとは思いますが、思ったような成果は挙げられなかったですね。どうも感情的になりすぎで、クレバーさや論理性勝負勘問題解決力などがほとんどなかったですね。上記の課題は見えてしまった感はありましたね。


まあ人間は新しいことをやって、そうやって失敗して自分のできなさ、無力さを知って、

「じゃあ自分は何ができるのか?」

「どうすればいいのか?」

と自問自答して成長していくものなんで、この経験を糧に頑張ってほしいですね。大卒の人もそうやって後天的に経験して成長していっただけですし。

 

 

自分への自信、誇り

ここまで長々とごちゃごちゃ発達障害における大卒(というか高学歴)と高卒(というか低学歴)の違いについて述べてまいりましたが、突き詰めて考えていくと、結局のところは一言で言うと「自分への自信、誇りの差」だと思いますね。

 

最初に述べた通り、大学を出てると、発達障害で生きづらさを感じても

「自分はなんてダメな人間なんだ……どうしようもない人間だ」

「自分なんか生きてる価値なんかない人間だ……」

とかまず思わない。

「勉強は定型と同じくらいできるんだし、他にもできることがあるはずだ」

だと感じる。


この点は定型と同じかそれ以上にできるな

定型って言ってもたいしたことねえな

というものがあると、大きな自己肯定感自信になりますね。

自信

自分を信じる

と書きますが「自分はすごい」「自分はできる」と思うと、「自分なんかダメだ」と思っているときとは生活もガラリと変わってくる。そうやって自分を認める、自分を信じる、自分に誇りを持つことが大事ですね。


そうすると、失敗して「やっぱり自分なんかダメなんだ・・・」と感じてしまうのを恐れて極端に失敗を恐れたり、失敗に言い訳を重ねて嘘を塗り固める人生になったり、ムダな虚勢を張ったり自慢したり、他人と比較して他人の粗探しをして劣っているところを探したりすることなく、自分に正直に生きられるようになる

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そうやって失敗を恐れずに新しいことにチャレンジすることで、新たに自分の可能性を広げて、自分の能力を高めることにつながる。それがまた新たな自分の自信になる


「こんなことをやっていて意味があるのか?あとで後悔するんじゃないのか??」とか「昔は何やってもうまくいかなかったんだし、どうせうまくいかねえよ」とかの未来や過去ではなく、今に生きる。高卒だろうと大卒だろうと、いくら考えてもどうせ過去は変えられないですし、今、できることをしっかりやっていくこと。そうやってやっていくうちに、「これはしっかりできる」という「できること」が少しずつ、1つずつ増えていく。このように1つ1つコツコツとやっていくことで、だんだん自信とか、心の余裕とかが出てくる。そうやって毎日を必死に生きているうちに、気がついたら大きく成長している。そうやって人は成長していくんだと思いますね。そのためにもまずは自己肯定感、自信ですね。

 

 

 

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