理想と現実
会が終わったあとに
「ここは良かったな」
「参加者の方に満足していただけた」
と思ったところは自己満足して
「今回は会をやって良かったな。次も頑張ろう!」
と自信にして、次の会への活力にする
「ここは良くなかったな。もっとこうすれば良かったな。次はこういうふうにしよう。そうすればもっと良い会ができるぞ」
というところを毎回反省して、毎回改善する。良くなかったところというのは、会や自分にとっては伸びしろになる。ここを良くしていくことが、会や自分自身の成長につながる
こうやって会が終わるたびに反省できる人が良いファシリテーターだと思う
そうやって
「前回より今回、今回より次回」
「昨日より今日、今日より明日」
と会や自分自身を成長させていける人が、会を通じてどんどん成長していける
このように
「昨日より今日、今日より明日」
と日々成長できるファシリテーターが、良いファシリテーターである。おわり
と言いたいところだが・・・・
そうやって自分自身を日々成長させられる人というのは、たぶん上(定型社会)に行っても自分自身を成長させることで通用できる。だから、これができる人だったら、当事者会の主催なんざやめて、早く上(定型社会)に行ったほうがいいと思う
そもそもなんで当事者会を主催するのか?
というところを考えたときに、自分自身が上(定型社会)で通用しなかった、消されたから、自分の居場所を確保するため、そうやって発達障害同士のコミュニティを作るため、建前では発達障害同士で生きづらさを分かち合うために、わざわざ当事者会を開いている。じゃあ自分が上(定型社会)で通用するようになったら、そもそも自身で当事者会を開く必要がなくなってしまう。
かつての自分も
「この会はもっとこうしたほうがいい」
と会の主催者に注文をつけた結果、主催者がキャパオーバーになって会を開くのが難しくなってしまって、会を何個も潰したことがある。
所詮は下(発達界隈)にいるような人だし、ワーキングメモリーなどの能力が限られているので、ここまで書かれたことを実践しようとしても難しいことが多い
自分ができないことはやらず、できることをやり、会を続けることが一番大事なのかもしれない
理想の当事者会とは何か?
と考えたときに以前に述べたように
新卒採用のグループディスカッションみたいに、まずタイムキーパー、書記とか役割を最初に決めてやるのが理想だとは思います
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ただ、これを下(発達界隈)でやるのはまず不可能
理想を追求するのも良いが、やはり現実に即して考えることが大事だろう
参加者の言いなりにならないこと
当事者会の主催者、ファシリテーターは、当然ながら参加者の感想や意見をしっかりと聞くことが大事だ
そうやってしっかりと聞いて参考にするのはいいが、
「この人がこう言ってたし、こうしよう、ああしよう」
と、そのまま言う通りにしないこと
なぜなら、それはただ単にその人の感想や意見だから
その人の言われるがままにやっていると、自分がその人のあやつり人形みたいになってしまって、その人にとって都合の良い楽しい会になるけど、他の人にとっては楽しくない会になってしまう恐れがある
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所詮は下(発達界隈)の人間ですし、好き・嫌いとかの私情を抜きにして
「この会がより良くなるためにはこうしたほうがいい」
と客観的な意見を述べられる人はまずいない。それが本当にできる人だったら、上(定型社会)にいるはずだ。
だから、会についての感想、意見を参加者に求めたら
「自分にとって楽しい、都合の良い会になるためにはこうしたほうがいい」
という意見しか出ない、出せない
ただそれでも参加者の忌憚ない1つの意見だとは思うので、しっかり聞いて参考にすることは大事だ。だが、そうやって意見を受け入れすぎて、その人にとっては楽しいが、他の人にとっては楽しくない会にならないように気を配ろう
当事者会の主催者を始めた当初というのは
「どうすればいいんだろう?」
「これでいいんだろうか?」
とか不安がいっぱいだ。
なので、
「これでいいですか??どうしたいいですか??」
と発達界隈の知人にいろいろと頼りがち
そうやって変に人に頼る、依存してしまうと、こういうことになって会が終わる可能性がある。あくまでも当事者会の主催者は自分なんだから、自分を信じて
自分が正しい、良いと思ったことをやるようにしよう
ただ、自分が良い、正しいと思ったことに突っ走りすぎて、参加者がついてこれなくなったら会は潰れるので、あくまでも参加者の話も聞いて、そこらへんのすり合わせができるように、バランス感覚を持つことも大事だ
失敗すること
これまで言ったことと矛盾するようだが、失敗することも大事だ
どんだけ参加者の方や、いただける参加費に感謝して、しっかり準備してがんばっても、うまくいかないときはうまくいかない
やってみないとわからないことも多いですしね
一生懸命にやっても、報われないことも多いのが世の常だ
また、良かれと思ってやったことが裏目に出て、周りの迷惑になることもある
だが、会社で失敗したら懲戒解雇や損害賠償請求とかの問題になってくるけど
当事者会で失敗しても
「本当にすいませんでした」
と謝れば、なんとかなるものだ
会社で失敗するよりは、当事者会でいろいろ失敗しておいたほうがいい
そうやって失敗したこと、経験したことは必ず何かの役に立つ
ただ、このときに大事なのはちゃんと謝ること
発達障害の人は想像性のなさから周りの気持ちを汲み取れず、自分の都合しか考えられないので
「自分だって必死にやったんだ!そうやって一生懸命にやったことをなんで悪く言われないといけないんだ!」
「だから、何回言ったらわかる?なぜ謝る必要がある?基準の違いやって。
謝りたくない訳ではなく、謝る必要がないの。というか、第三者がヤイヤイ言い過ぎ。
何の関係性があるのか述べてからコメントせよ。」
とか言って謝れない人もいる
ASDのタイプでいうところの尊大型というらしいが
理由がどうあれ、こういう人間は上(定型社会)だろうと下(発達界隈)だろうと、こういう謝れない人間はいらない。良い・悪い、正しい・間違ってる、とかじゃなくて、いらない。いないほうがいいので、消すしかない
「人様に迷惑は掛けても良いのです。掛けてもその人に謝らなくて良いです。そもそも他人に迷惑をかけずに生きてる人間が存在するのか」
とか言ってる人もいるけど、意味がわからない
お前の家はちむどんどんかよ
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「悪いことをしたら、ちゃんと謝りましょう」
と小学校か幼稚園の先生から言われなかったですか?小学生や幼稚園児でもできることがなんでできないんですか?いったいその年になるまで何をして生きてきたんですか?小学生か幼稚園から人生をやり直したらどうですか?
こんな小学生や幼稚園以下の、精神性が幼い人間は消すしかない
消すは言い過ぎか・・・
こういう悪い子にはおしおきだな
ヤッターマン(2008) ドクロベエからのママより怖いおしおき特集②(11話〜19話) - YouTube
まあ世の中には不倫して詰めれたら、泣いて死のうとして誤魔化そうとする人もいるけど
篠田麻里子 修羅の現場 音声データ(「滝沢ガレソ」のツイッターより) - YouTube
ただ、対外的に謝ることと、自分で反省することは分けて考えたほうがいい
たとえば自分のミスで、自分の部署で余計な仕事を増やしてしまった場合は
「自分の不注意でみなさまに迷惑をかけて、誠に申し訳ありません」
とちゃんと頭を下げることが大事
それはそれとして
「なんでミスしたんだろう?」
というのを考えて
「悩み事にゴチャゴチャ考えすぎて、仕事が上の空になってたなあ」
「最後にちゃんと確認するのを怠ったな。ちゃんと最後に確認しよう」
「昨日は寝不足でボーッとしていたなあ。ちゃんと睡眠時間は取らないとダメだなあ」
とか自分の中で反省することも必要
そうやって自分が納得しながらも、周りもある程度は納得してもらうようにしていかないといけない