にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

東京と大阪の当事者会の違い6 大阪の課題 人の意見に流されやすい

これは3、4年前の話だから、今は違うかもしれないが・・・
大阪や関西の当事者会は権威主義だな、と思った
 
大阪や関西の当事者会に行き始めたときは
「自分は○○だと思います」
と発言しても、
「そうですか・・・」
と流されることが多かった
 
ところが
「○○だ、と広野さん(NPO法人DDAC代表)が言っていました」
「△△だ、と石橋さん(さかいハッタツ友の会代表)が言っていました」
と発言するようにすると
「なるほど!そうなんですね~」
と以前より明らかに反応が良くなった
 
この件から大阪や関西の当事者会は権威主義だと感じた
 
後述するけど安倍前首相、菅首相自民党とかの政権や与党とか、日本社会や定型発達の人には反抗的、批判的なのに、広野さんや石橋さんの意見は全肯定するのな
親や学校の先生の言うことには反抗するクセに、不良のリーダーや兄貴には従順なヤンキーかよw
 
 
たしかに大阪や関西の発達界隈、当事者会や自助会の発展は、広野さんと石橋さんの大いに寄与によるところが大きい、今日、大阪や関西で当事者会に参加できるのは、広野さんや石橋さんのおかげであるであると言っても過言ではない。そこに関しては関西在住の発達障害の当事者にとっては、感謝してもしきれない。本当にありがとうございます。そこの感謝の念は持ち続けなければならない
個人的にも石橋さんには、自分の意見を何回かリツートなどをしていただいてありがとうございました
 
 
広野さんと石橋さんは現在も関西の発達界隈で活動されておられます
 
広野さんはNPO法人DDACで20年近くずっと活動されておられますし
石橋さんもさかいハッタツ友の会で10年以上ずっと活動し続けておられます
そうやって発達界隈の第一線で長く活動し続けたので、そういう活動を通して得た知識や経験の蓄積もありますし、それをもとにした意見というのはすごく参考になることが多い。だから広野さんや石橋さんの意見を参考にしていくことは良いと思います
 
発達障害の当事者の方は、いろいろとTwitter発達障害に関するツイートをダラダラと眺めがちではあるが、そうやって広く浅くいろんな知識をつまみ食いしていくよりは、まずは広野さんなり石橋さんの意見を読んで、ものにした方が良いと思いますね
 
やっぱり雑多なツイートを読むより、1つの考えをものにしていったほうが、
発達障害とは何か?生きづらさを減らすためにはどうしたいいのか?」
という部分で確固とした考えが自分の中で積み上げることができる
(あと、前述したように「△△だ、と石橋さんが言っていました」と発言できるので、当事者会でも良い反応がもらえるしw)
 
そうやって感謝の念を持ち、意見を参考にすることはとても良いこと
 
 
 
ただ・・・それはそれとして、広野さんや石橋さんの意見を鵜呑みにするだけではダメだと思う
 
広野さんや石橋さんは同じ発達障害ではあるが、発達障害の当事者といっても、特性も人それぞれ違うし、性格や環境も違う。だから広野さんや石橋さんの意見の全部が全部自分に合うとは限らない
 
当然、参考になるものはどんどん参考にしていけばいいと思うけど
なんか自分に合わない意見に対しては
「でも、広野さんや石橋さんがこう言ってたしなあ・・・そのとおりにしないとな」
と変に「そうしないといけない」と思いこむとなかなかうまくいかないこともある
 
「これは自分に合ってるけど、あれは自分に合わないな・・・」
自分で考えて、取捨選択していくことが大事だと思う
 
まあ
「広野さんや石橋さんはこう言ってるけど、いやいやいや、その意見はおかしいんじゃないか?それは絶対に違うと思う。こっちのほうが正しいと思う」
と思っていたものでも、しばらくいろいろ経験したりしているうちに
「あのときは『その意見はおかしい、違う』と思ってたけど、よくよく考えたらそのとおりだったな・・・恥ずかしい」
と思ったり感じたりすることもある
 
逆に
「あのときは『広野さんや石橋さんはこう言ってるけど、そのとおりだ』と思ったけど、どうも自分には合わない、自分の環境には合わない・・・。自分の中ではこっちのほうが正しいな・・・」
思ったり、感じたりすることもある
 
 
ただそう思えるのも
「これはこうだ!」
自分で考えて決めたから、それから経験してまた発展していろいろ考えられるのであって
「いろいろ考えても面倒くさいし、別にやらなくていいや」
「『これはこうだ!』と発言して、あとでそれが間違ってることが明らかになったときに『お前の言ってること間違ってるじゃんw』とバカにされると恥ずかしいから、そうやって失敗したくないから、あんまり決めたり発言しないようにしよう」
何も考えないと、何の進歩もないということになりかねない
 
 
 
あと
権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する
という言葉もある
 
祇園精舍の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
という冒頭から、平家の栄華と滅亡について書かれた平家物語は始まる
 
そうやって諸手を挙げて賛同するイエスマンだらけになったら、どうしても驕りや傲慢さがでてきて、組織がだんだん腐っていって衰退してしまう恐れもある
 
特に今は時代の変化が著しい。成功体験というものは大事だけど、昨日成功したことは、明日やって成功するとは限らない。時代に限らない不変の理というものもあるが、やはり時代に合わせて自分も組織も常にアップデートしていく必要はある
 
 
 
以上のことから、広野さんや石橋さんに感謝の念を持ち、意見を参考にすること良いと思います
だが、ああゆう権威主義というか広野さんや石橋さん至上主義みたいな雰囲気があるのはどうかと思いますね
 
 
 
それと大阪や関西の当事者会や界隈のネット上でも、(3,4年前の首相の)安倍首相や自民党などの政権与党の政治批判をする人が多い
 
今の政治に興味を持ち、政治に関する意見を持つということは非常に素晴らしいことだと思います
あと、大阪自民党より、大阪維新の会の支持率が非常に高いということも影響しているかもしれない
 
 
けど、大阪や関西の当事者会の会話や、界隈のネット上のやり取りを見る限り、そこまでしっかりとした政治への考えを持っているようには見えない
 
発達障害の特性による生きづらさから
発達障害の自分が生きづらいのは、日本社会が発達障害への理解と配慮がないからだ」
と社会批判をする
その延長上で
発達障害の自分が生きづらさを感じたり、日本社会が発達障害への理解と配慮がないのは、首相と自民党の政治が悪いからだ!!」
という安易な決めつけで政治批判している人が多い。多いというかほぼほぼ全員ですね
 
仮に自民党から別の政党に政権が変わって、首相もその政党の人に変わったら、それだけで日本社会が発達障害への理解と配慮が進むようになると本当に思ってるのか?
 
自分は「そこまで言って委員会」をよく見ていた影響から、やや右よりの考えというのもあって
 
「やっぱり安倍首相と自民党の政治が悪いせいだよね~」
と、当事者会で話している人がいたので
「安倍首相と自民党の政治のどこが悪いんですか?何が悪いんですか?」
と問い詰めたら
「えっ・・・いや・・・なんかみんなそう言ってるし・・・」
「みんなって誰ですか?」
「いや・・・・・・なんかみんなそう言ってるし・・・・・・ほらっ、広野さんが前に安倍首相が悪いって言っていた。安倍首相の政策によって、今後、当事者会が開けなくなるかもしれない、と話していた」
とよくわらからないことを言ってましたね
 
何人かに問い詰めても
「えっ・・・いや・・・なんかみんなそう言ってるし・・・」
と全員、もごもごと話すだけで
「こうこう、こういう理由で安倍首相と自民党を支持できません」
根拠を持って答えられる人は誰もいなかった
 
 
前述した権威主義にしてもそうだけど、大阪や関西の当事者会の参加者は
「みんながこう言ってるから」
「テレビとかメディアがこう言ってるから」
「広野さんがこう言ってるから」
「石橋さんがこう言ってるから」
といった感じで、人の意見に流される人が多い印象がある
 
 
「みんなこう言ってるし、こういう意見は多いけど、自分はこう思う」
「広野さんはこう言っていた。たしかに自分も以前にうまくいかずに悩んでいたときに、こういう風に考えたらうまくいったこともあるので、自分もそうだと思う」
「石橋さんはこう言っていた。けれども自分はこういうことが大事だと思うので、自分はその意見は違うと思う」
という風に、自分で考えて、自分の考えを根拠を持って述べるという力が低い人が多かったですね
 
 
一方で、東京のある当事者会に初めて参加したときに
「人生がなかなかうまくいかなくて・・・」
という話をされていた方がおられたので
「つまり、日本社会が発達障害への理解と配慮が足りてない、ってことですか?」
と空気を読んで聞いたら
「いや、そういうことじゃない」
とバシッと言われたのはすごい印象に残ってますね
 
大阪や関西の当事者会に比べて、東京の当事者会は安易に理解と配慮が足りてないとか、政治批判する人は少なくて
「みんなこう言ってるし、こういう意見は多いけど、自分はこう思う」
自分の考えを述べられる人が多い
東京の当事者会のほうがレベルが高かったですね
 
 
 
個人的には発達障害の人が生きづらさを減らしていくには
「他の人はこうやってるけど、自分はこうやったほうがうまくいくな」
という自分のスタイルを見つけることだと思う
 
プロ野球選手のバッティングフォームも人それぞれのように
「自分はこうやったうまくいきやすいな」
「自分はこういうときが楽しいな」
という自分の形やスタイルを見つけていくことは大事だと思う
 
そのためには、まず自分で考えないといけない
「みんながこう言ってるから」
とか言って思考停止しているようでは、なかなか自分の形やスタイルは見つからない
 
 
そもそも、上(定型社会)や人生がうまくいかないから、こうやって発達障害の当事者会に来てるはず
「みんながこう言ってるから」
というところの「みんな」という言葉は、当事者会の参加者を指していると思いますが
もとより上(定型社会)や人生がうまくいかない人たちと同じ考え、同じ思考回路でやっても、なかなかうまくいかない
 
まあ、あんまり
「みんながこう言ってるから、逆にああ言おう」
とかの逆張りしまくるのもどうかとは思うけれども
基本的には
「みんなこういうしょうもないことを言っているから、うまくいかずに下(当事者会)にいるんだな」
反面教師にしていかないといけない
 
このように当事者会というのは上(定型社会)や人生がうまくいかない人が集まっているんだから、基本的にはみんなとは違うことをやったり、違う価値観や考え方をしていかないと、なかなかうまくいかない
 
 
 
ここまで述べてきたように、特に大阪や関西の当事者会はレベルが低いことが多いので
「みんながこうだから、みんなこう言ってるから」
と変に合わせてしまうと
「悪いのは発達障害への理解と配慮がない日本社会と、首相と自民党が悪いのであって、自分は何も悪くないんだ。そうやって他人とか社会のせいにしていればいいんだ」
「みんな周りに気を遣うとかせずに思ったまま発言するだけだし、自分もそうやって思いつくままに発言しよう」
「他人に気を遣うとか面倒くさいだけだな。自分の都合だけ考えよう」
と当事者会に染まってしまって、当事者会では好かれて楽しくやれるけど、上(定型社会)では全く通用しない人間になってしまう
 
「当事者会とか発達界隈で楽しくやれればそれでいいんだ」
という考えならばそれでいいと思います
けど
「もっと人生などがうまくいくようになりたい。上(定型社会)で通用するような人間になりたい」
と思うのであれば
「どうして自分は人生がうまくいかないのか?上(定型社会)で通用するには何が足りないのか?」
というところをしっかり考えて努力して、当事者会に染まらないようにすることが大事になってくる
 
 
自分も4年前ぐらいに大阪や関西の当事者会に毎週行ってた時期があったけど、たまたま従姉妹の結婚式、親戚の付き合い、会社の飲み会といろいろ続いたときがあって、1ヶ月ぐらい当事者会に行けなくなったときがあった
 
それから1ヶ月振りに当事者会に行ったら
「あれっ!?」
というすごい違和感を感じた
「定型社会と当事者会では、いろいろとズレてるな。どうすれば当事者会で通用するか?ではなくて、どうすれば定型社会で通用するか?という目線で考えないと、当事者会では良くても、定型社会ではうまくいかないぞ」
というところに気づいてからは、周りは周り、自分は自分、として割り切ってやってましたね
やっぱりいくら当事者会でみんなに好かれてて人気者でも、上(定型社会)で通用しなければ意味はないですからね
 
 
 
東京の当事者会だったらレベルが高いから
「特性がひどい人もいるけど、それに比べたら自分は結構マシなほうだな」
という感覚があれば、上(定型社会)でも通用したりするけど
大阪や関西の当事者会はレベル低いので、その程度の感覚で
「当事者会では結構マシなほうだから、定型社会でもやっていけるだろう」
と思っていると、全然通用しないですね
「当事者会では自分はかなりマシなだと思ってたけど、定型社会じゃこんなもんか・・・」
とプライドを粉々にされてから、またリスタート。というかそこからが本当のスタートの始まりですね
 
 
野球で例えると、定型社会をプロ野球1軍だとしたら、東京の当事者会はプロ野球2軍、大阪の当事者会は独立リーグぐらいの差がある
定型社会と大阪の当事者会はかなり大きな差があるので、大阪の当事者会を卒業して定型社会に上がるのは、なかなか大変
 
 
 
このように自分はそれから意識の違いから自助会で浮くようになって、自助会でケンカして辞めることになってしまった。それから社会人サークルに行くようにしたら、本当にすごく楽しかったので、辞めてよかったですね
当事者会や発達界隈が楽しいというのであれば、それはそれで良いと思いますが
「こんなレベルが低い下(当事者会)に居ていいのか??」
と少しでも思う場合は、定型の社会人サークルなどに行ってもいいかもしれない
 
 
 
それにしても東京の当事者会は、嫌なこともあったけど、楽しい思い出のほうが多い
大阪や関西の当事者会も良い思い出もあるし、すごい良い人に出会って良い思い出もあるし、いろんな会に参加させていただけたことですごく勉強になって、自分の成長につながったので、とても感謝しています
 
けど・・・良い思い出より嫌な思い出のほうが圧倒的に多かったですね・・・
 
みんな周りに気を使わずに思ったことを言うだけだから、こっちが気を使わされて精神が疲れ果ててしまって、翌日の仕事に支障が出たり
自分が発言しても、頭から否定されて話の腰を折られて発言できなかったり
某当事者会で「自分は○○だと思います」と発言してもスルーされ、「○○だと石橋さんが言っていました」と言い方を変えると態度が豹変する様を見たり
自分が居た自助会に初めてきた人が一方的なマシンガントークをする人で、ひたすら相槌をつかされて会が終わる。会が終わるときに「いやー、この会は自分の言いたいことが言えて楽しいですね!」とか抜かしてて、思わずぶん殴りたくなったりとか
有名な当事者会に行ったら、一人30秒ほどの自己紹介をみんなやっている中、自己紹介と称して20分も自分語りしている人がいて、主催者の方もやめさせるのではなく、むしろ質問を投げかけてさらに話を盛り上げていて、理解に苦しんだり
 
悲しみを背負うことが多かったな・・・とにかく嫌な思い出のほうが多かった
 
その点、関西の社会人サークルは楽しかったなあ。実家に帰れたらまた行こうかな。というかまだあるのかなあ
そもそも、下(当事者会)が嫌なら、文句を言うのではなくて、さっさと上(定型社会)に上がれるように努力するのが筋だしね
 
 
発達障害の人は生きづらさなどの悩みを抱えているので、その悩みを1人で抱え込むのではなく、当事者会で集まってみんなで分かち合わないといけない!」
というのは当事者会の関係者の発達界隈の人らが勝手に言ってるだけだ
 
まあ多くの発達障害の人が当事者会が必要としているのは事実で、他の多くの発達障害の人にとっては必要だとは思います。
けれども、それが自分にとって必要なものとは限らない
「本当に当事者会へ行かないといけないのか??行く意味が本当にあるのか??」
という部分も含めて、しっかり考えていかないといけない