前回のまとめ
前回に述べたように、「一般社会の価値観」を身につけるには、
- 定型の人と互角以上にやれるものを見つけること
- 気づく力
- 周りを考える力
といったことを身につけていく必要がある。
逆にそこらへんができるようになってくると、そうすると
「当事者会ではこれは普通でも、一般社会では一発アウトなんだな」
「当事者会ではこうだけど、一般社会ではそうなのか」
とかだんだんと一般社会での基準の考え方ができるようになってきて、一般社会でもそこそこ通用するようになってくる。
当事者会からの卒業
ただ、そうなってくると別の大きな問題が出てくる。
当事者会というのは社会でうまくいっていない人が来るので、こういう人というのは自分の話だけ一方的にして他人の話を聞かない奴とか、話が飛ぶ奴とか、自分の都合しか考えずに他人に気を使わせる人が多い。
「ずっと俺のターン!」みたいに自分の話しかしない奴も多い
中にはお互いに「自分の話だけ一方的にして他人の話を聞かない」で話をしてて、会話のドッジボールと化しているときもある
遊戯王の会話じゃねえんだから
このヤンデレ妹みたいに、人の話を聞かずに一方的に感情的に話す人が多いですね
そういう奴と話をしていても、周りを気にせず自分の言いたいことだけ話すだけなので、こっちは「これ一般社会ならアウトだろ・・・」と思いながら、気を使わされ続けて神経がすり減らして、心身ともに消耗してしまう。
また
「会社は発達障害の人への理解や配慮が必要!そもそも社会は発達障害への理解や配慮が足りなさすぎる!このように日本社会が欧米に比べて発達障害への理解や配慮が足りないのは、安倍首相と自民党の責任である!!」
「いや、たしかにそうだけど・・・。けど、その中でも自分なりに頑張っていくことが大事じゃないのか?」
「そんなことはない!!自分は頑張っているのに自分の人生が上手くいかないのは、会社や社会のせいだ!!」
と会の中で意見や価値観や考えが合わなくなってきてしまう。
やはり「定型の考え」もわかってる人とそうでない人とでは考えは合わない。なんか1人だけ変なことを言ってる感じになって、会の中で浮いてきてしまう。
このように、これまで楽しかった会があまり楽しくなくなってきてしまったり、当事者会の人たちと考えが合わなくなってしまう・・・。これまで仲良くしてきた当事者会の人たちと、楽しく出来なくなってしまうというのは、とても悲しいし、寂しいし、苦しいし、辛いことだ。けれどもこうなると当事者会を卒業することになりますね。
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5人(6人)のころのももクロは好きだったな・・・
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当事者会や発達界隈の同調圧力
ところが、当事者会や発達界隈には同調圧力が存在する。
「『場を読まないといけない』『他の人と同じようにしないといけない』とかの日本特有の同調圧力が発達障害の人を苦しめてるんだ!!」
という意見も聞くが、当事者会にも
「一人で悩みを抱え込むのではなく、みんなで話し合って悩みを分かち合わなければならない!」
という大義のもと、
「自分の人生がうまくいかないのは、発達障害への理解や配慮が足りない社会のせいだ!」
を良しとする同調圧力は存在する。
それに逆らうと
「自分の意見を一方的に言うのは発達障害の特性だ!」
と悪として叩く。こういった同調圧力は存在する。
「みんなそう言ってるし、やっぱり自分が間違ってるのかもしれない・・・ケンカはよくないし、みんなと仲良くして同じ発達障害の人間として力を合わせるのが大事だし、みんなに合わせよう」
と折れるのではなくて
「(こんな当事者会は)僕は嫌だ!!」
「I am エキセントリック 変わり者でいい」
と勇気を持って敢然と立ち向かうことも時には必要ですね
当事者会の同調圧力の実例
自分の過去の話をすると、1か月に1回公民館で集まりがある、とある当事者会というか自助会の約20人のグループLineに入っていた。
けれども
- 自助会の集まりでAが勝手に写真を撮って、許可をとることなく勝手に全員公開にしてfacebookに上げてしまう。みんなが困惑する中、うまくAをフォローしてやったにもかかわらず、感謝の言葉もない。
- 会のためにボードゲームを自費で買って持って行った。そのおかげでみんなで盛り上がって、楽しい会になった。にもかかわらず、幹事のBから感謝の言葉もない。それどころか「自分の許可なく勝手なことをしてるんじゃねえよ。もう持ってくるな」と言う
- メンバーの人数が増えてきて、部屋いっぱいになってきて窮屈になってきた。にもかかわらず、さらにメンバーを増やそうとする
- 初めて会に参加する人に積極的に話しかけたりとか、会に馴染みやすいように配慮する人がほとんどいない
というか、自分の都合しか考えておらず、「どうすればみんながもっと楽しめる会になるのか?会がもっと盛り上がれるにはどうすればいいのか?」と考えていた人が一人もいない - 「会社には障害者への配慮がもっと必要だ!社会には障害者への配慮がもっと必要である!自分の人生がうまくいかないのは、会社と社会のせいである!」
という話を、誰も聞く気がないにもかかわらず延々と一方的に、壊れたテープレコーダーのように1時間以上も一方的なマシンガントークで話し続ける人がいた
その人は会の間ずっと一方的に話し続けていたが、幹事や会の人は不問 - メンバーで飲み会に行くことになった。しかし、Cは飲み会の幹事のクセに、飲み会で話題を振って場を盛り上げることをほとんどしない。しょうがないから、自分が話をいろいろ振って飲み会を盛り上げていった。あとでCに「あの日は幹事をやっていただいてありがとうございました。Cさんには感謝しています」とグループLineを送っても無視。
- 自分が他の人と会話が盛り上がっていても、「あなたの話が難しすぎる」「話がわからない」とAやCなどが空気も読まずに横から否定、批判してくる
- 毎朝「おはようございます」とあいさつはみんなきっちりする。そのクセ、ある日に同じグループLineのメンバーで事件が起きて、ひどく悩んでいるのに、反応してるのは20人中4,5人のみ。問題の解決策が思い浮かばなくても、せめて「うまくいくよう祈ってます」「なんとか解決するといいですね」とか一言でいいから言えばいいのにそれすらせず、メンバーが困ってる人がいても約15人は知らんぷり。
- それにしても、挨拶だけはきっちりやるから第一印象は良いのに、いざ話してみると、社会性がなく、途端に自分の都合でしか動かなくなる、真面目系クズな人が多かった
- 上記の空気をどうかと思ったのでグループLineでいろいろ提言したけれども、反発されてフルボッコされてしまった
特に以前で助けたはずのA、B、Cが恩を仇で返すように叩いてきた
特にCにいたっては「飲み会で難しい話ばかりして、周りを困惑させてやがった」と言い出す始末
それにしてもCのように自分では何もできないクセに、他人のやることにはケチとつけたり批判して、他人の足を引っ張るクズのような人が多かった。
あと恩を仇で返す、っていうのは人間としてどうなんですかね
以上のように、どうも疑問をもつことが多く、自分とは価値観や向かう方向が合わなかったので、ケンカしてLineを脱退して会を辞めました。中には話が合ういい人も居たんですけどね・・・。ただ自分の都合しか考えない奴が多くて、会に行くと仕事に行くよりも神経をすり減らして消耗することの方が多かったですね。
あと社会でうまくいってないダメな奴が多かったので
「『このままじゃダメだ。もっと頑張らなきゃ』と思ってたけど、みんなダラダラしてるし、自分もダラダラすればいいや」
「みんな好き勝手にやってるし、自分も好き勝手にやればいいや」
と自分もダメな方向に行きかけていたので、辞めて良かったですね。
それから
「ああゆう自分勝手な態度は良くない。『自分だけが正しい』と思い込んでしまうのは、発達障害の悪い特性だ。俺がみんなを説得するから、君も頭を下げてみんなに謝るんだ。そうすればみんなに許してもらえてグループLineや自助会に戻ってこれるから」
とこっちが悪いみたいに言われて説得されました。ご厚意は痛み入るが、お断りしました。
その後、
「そもそも自分は大学のときはサークルで楽しくやってたし、定型の人とも楽しくやれるわけで、別に発達障害の会じゃないとやれないわけじゃない。これからは普通の社会人サークルにも行こう」
と思い、いろいろ社会人サークルに参加したら、すごく楽しかったので、本当に辞めて良かったですね。
やはり所詮は社会適合者のふきだまりで、社会性がない人ばかりの当事者会よりも、社会でまっとうに生きてる人たちの社会人サークルのほうが、しっかりした考えの人が多くて、自分にとっては参加していて楽しかったですね。
それにしても、あの会には関西では発達界隈では名の知れてる人が何人もいる、今から思うとスゴイ会だったけれども、こんなもんでしたね・・・。特に上記のA、Cは関西での発達界隈ではかなり名が知れていた有名人だった。
とはいえ、発達界隈では「わあ、○○さんだ!」「さすがは〇〇さん!」とみんなに呼ばれてるような「当事者会のスター」「当事者会の有名人」となってる人は、すごいと呼ばれてるのはあくまで発達界隈の中だけであって、当事者会から一歩出たら全く通用しないような人も少なくないですね。
それから聞いた話だと、いろいろとあってその会は解散してしまったそうだ。
なんかひたすら自分語りをしてしまったな
当事者会の同調圧力の実例2
やっぱり当事者会っていうのは、前述したように
「一人で悩みを抱え込むのではなく、みんなで話し合って悩みを分かち合わなければならない!」
という大義のもと、
「自分の人生がうまくいかないのは、発達障害への理解や配慮が足りない社会のせいだ!」
などが是として「自分もそれに合わせないといけない」という同調圧力があったりしますね。
特に去年の夏ごろにはある会でのセクハラ事件に端を発して、
「事件を起こした奴は悪い奴だからやっつけないといけない!!」
と大きな騒ぎになって、発達界隈のTwitterでは「断罪派」「擁護派」の二陣営のどちからにつかないといけなくない空気になってしまったこともあった。
「知らん、どうでもいい。店で起きたことだし、店の関係者内で解決しろや」
とかいう意見ももっとあってよかったはず。
信長の野望 戦国立志伝 [徳川家康] 関ヶ原の戦い - YouTube
関ヶ原の徳川家康のような老獪さがあればまただいぶ違ったんだろうがw
繰り返しになるが
「みんなそう言ってるんだし、自分が間違ってるんじゃ・・・??」
と折れるのではなくて、
「Yesでいいのか??」
と疑問を持って、勇気をもって自分の意志を貫くことも、時には必要ですね
同調圧力に逆らうことの難しさ
ところが、実際はこういう同調圧力に抗して、自分の意見を貫くのは難しい。特に発達界隈の中での同調圧力は非常に強いので、なかなかその流れに逆らうのは難しいように感じる。
考えられる理由としては
- 劣等コンプレックス
- 人の話を聞かない
- すぐ人のせいにする
の3つが挙げられると思う
劣等コンプレックス
まずは「劣等コンプレックス」
アドラー心理学によると、「人は劣等感があるからこそ成長できる」としている。
たとえば
「お金がない・・・」
「仕事がうまくいかない・・・」
と思うからこそ
「もっとお金を稼ごう。ムダ遣いをなくして節約しよう」
「仕事がうまくいくように頑張ろう。メモをとるとかやり方を工夫してみよう。本を読んだり、他の人に聞いたりして勉強しよう」
と人は頑張る。
このように、うまくいかない、思い通りにいかないからこそ、人は頑張る。そうやって頑張ったことが、自身の成長になる、としている(劣等感への反発による優越感の追求と呼ぶ)
ところが劣等感に自身が押しつぶされてしまうと「劣等コンプレックス」になってしまうとする。これに陥ると
「どうせ金持ちは裏でズルい不正なことやってるに決まってる。」
「出世する奴は、どうせ上司にうまく媚びを売って気に入られてるだけだ」
と「攻撃(嫉妬)」したり
「自分は大金持ちと知り合いなんだ」
「以前は誰もが知ってる大企業に勤めていたんだ」
と「自慢」したり
「自分の人生って不幸ばっかりでさあ」
「何やってもうまくいかないし、どうせ自分なんか生きてる価値ないよ」
と「卑下」をし始めるという
こういう「攻撃」「自慢」「卑下」とかをし続けてる奴がいると雰囲気が悪くなって、なかなかポジティブな意見を言いにくくなってしまう。
だからこういう雰囲気で
「頑張ってればいいことありますよ」
とか言ったとしても、
「いや、ムダでしょ」
「どうせやってもダメですよ」
とかすぐ否定されて、話に水を差されて終わりですしね。
こうやってすぐ否定から入る奴、ディスる奴がいると、話の腰を折られてしまい、なかなか話がしづらくなってしまう。
人の話を聞かない
あと当事者会にいるこういう奴は、たいてい人の話をほとんど聞かない人が多い。他人の意見を聞かずに、とにかく自分の主張を一方的にワーワーワーワーと大声で話すだけ。だからそいつの声がでかくなって、まとなことを言ってる奴が言い負かされて潰されやすい。
すぐ人のせいにする
それと能力がある、できる人っていうのは、うまくいかないことがあったら
「まだまだ自分の能力やスキルが低いせいだ・・・」
と素直に認めて
「うまくいくように、工夫したり努力したりして頑張ろう!」
と自分の能力やスキルを上げようと努力する。
ところがダメな奴は
「うまくいかないのは、上司の教え方が悪いせい、障害に合わない仕事内容のせい、発達障害への理解が足りない会社のせい、そもそもは日本社会のせい」
とか、すぐに人のせい、周りのせい、環境のせいにする。だからこういう人と話しても
「いや、お前の意見は間違ってるだけ」
「お前の言ってることはおかしい」
とすぐ人を否定してくる。
以上のように、当事者会っていうのは、社会でうまくいってない人が集まる場所なんで、ダメな奴の意見がどうしても大きくなって、まともなことを言ってる奴の意見が潰されやすい。こうやって「悪貨は良貨を駆逐する」「悪が正義を討ち滅ぼす」というのを当事者会ではよく見ますね。
まあ社会での生きづらさを抱え続けて生きてきた発達障害の人たちにとって、思う存分に愚痴を吐ける場というのも必要だとは思います。これまでの辛い思い出を思い切って吐き出すことによって、また新しいものが見えてくることもある。あと
「これまでの人生、辛いことばっかりだったし、今も辛いことばかりだし、当事者会ぐらい愚痴ぐらい吐かせてくれよ!!」
というのは別にいいと思います。やはり人にはそれぞれの人生、生き方がありますし。一度きりの人生なんで(犯罪行為とかあまり人に迷惑をかけない程度に)どういう考えでどう生きようと自由だと思います。生きづらさを抱えている発達障害の人はそういう生き方もアリだと思いますしね。
当事者会や発達界隈の同調圧力に抗う方法
反面教師にする
けれども、「当事者会だけじゃなくて一般社会でも通用するような人間になりたい!」と思ってるんだったら、上記の考えでは当事者会では良くても、なかなか一般社会ではうまくいかないですね。
そもそも、社会でうまくいってない人たちが集まって話し合ったところで、なかなかうまくいく方法は見つからない。
それに、社会でうまくいっていない人たちと同じ考えや思考、価値観でいても、当事者会や発達界隈では良くても、社会ではなかなかうまくいかない。
「コイツらはこういうことやってるから、うまくいかないんだよ」
と反面教師にしていく、ドライさや冷徹さも必要ですね。やはり傷の舐めあいばかりしていては、なかなか自分自身の成長はないですからね。
「いかに乱世であろうと、仏の教えは確かでございます。されど、乱世に仏はおりませぬ」
「仏から学ぶのみ。心を仏にしてはなりませぬ」
信長の野望 戦国立志伝 [武田信虎] 花倉の乱 - YouTube
しっかり意思、意図を持って当事者会に参加する
「当事者会で楽しくやっていくにはどうすればいいのか??」
ではなくて
「一般社会でもやっていくには何が必要か?今の自分には何が足りないのか??」
ということを現実に立脚してしっかり考えていくことですね。それを踏まえた上で
「じゃあ当事者会でどういうことをやっていけばいいのか?どうやって自分の長所を伸ばし、短所を補うか?」
というのを考えて、目的意識や意図をもって参加していくことですね。
単に
「いろんな人の話を聞けて良かった」
とダラダラと何も考えずに参加するよりは、しっかり考えて意図を持って参加するのとでは、だいぶ変わってきますしね。
漫画やアニメやラノベじゃあるまいに、人間というのは昨日できなかったことが、今日急にできるようになったりしないんで、細かいことから1つずつ積み上げていくしかないですね。
ガラスを割る
発達障害の人でも新しいことを始めて成功したり、新しい店をオープンさせて成功させてる人でも、
「どうせ失敗するからやめたほうがいい」
「絶対にうまくいかない」
「そんなことやるだけムダ」
とかいろんな批判されて
「やらないほうがいいんじゃないのか・・・・??」
と思いながらも、
「いや、自分の考えを信じよう!!」
とやってみた結果、成功してる人も多いですね。
やはり、当事者会のみんなの言う通りにやるだけじゃ、その当事者会や発達界隈では良い人間にはなれるけど、それ以上に通用したり成功する人間にはなれないですね。そうなりたかったら、当事者会のガラスを破っていかないといけないですね。
自立する
あとは
「みんながこう言ってるしこうしよう」
「自分には当事者会しか居場所がないんだし、みんなの顔色をうかがって嫌われないようにしよう」
と「当事者会に依存する」のではなくて、
自分で考えて自分で動いて、
「みんなはこう思うけど、自分はこう思う。こうしたい!」
と自立していくことが大事ですね。
令和の当事者会
来月からついに年号が平成から令和に変わる
当事者会の規定
最近の多く当事者会はいろんな事件を受けて、「セクハラの禁止」「宗教勧誘の禁止」というのを推し進めて、安心して話し合いができる環境を作ってきている。
【漫画】カルト宗教に入るとどうなるのか?【マンガ動画】 - YouTube
たしかにセクハラも宗教勧誘も良くないことなんで、しっかり禁止していくという、こういう発達界隈の動きは素晴らしいことだと思います。
しかしながらセクハラや宗教勧誘以外は何をやってもいいのか??
「人の話を聞かずに自分の言いたいことだけ一方的に話す」など当事者会では良くても、一般社会ならアウトなことも禁止していくべきではないのか??
けれども「あれもダメ、これもダメ」にしたら、規制だらけのがんじがらめになってしまい、自由で楽しい話し合いができなくなってしまう・・・。
とはいえ規制やルールを明文化しないと、また問題が起きるかもしれない。特に空気が読めない発達障害の人が集まる以上、きっちり明文化したほうがいい。
けれども規制を増やすと・・・そもそも、社会で生きづらさを抱えていく発達障害の人が集まる場所なんだから、社会人サークルみたいに一般社会並みのルールを求めるのはどうなんだ??
だが規制やルールがなければ・・・
と答えは出ないですね・・・
同調圧力の正体
ただ当事者会というのは、参加者がいて成立するものだ。「ああしろ」「こうしろ」とファシリテーターや運営がああだこうだというのではなく、1人1人の参加者の意識が良ければ良い会になるだろうし、そうでなければそうでない会になる。上記で述べた同調圧力なんてものは、あくまでも多くの人が同じ考えや価値観でいるから、そういう考えが強くなってしまうだけのこと。だから参加者1人1人、いや発達界隈の1人1人が変わっていけば、やがて
「なるほど、そういう考え方もあるのか」
と他の人の意識も変わる人も出てくるかもしれないし、そうすればいつの間にか、発達界隈の多くの人たちの意識も変わり、当事者会もより良い会に自然となっていくのではないだろうか
正義の反対は悪ではなく、また別の正義
といっても
「正義の反対は悪なんかじゃないんだ。正義の反対は『また別の正義』なんだよ。」(捏造)
「悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。正義の反対は、別の“正義”あるいは“慈悲・寛容”なんじゃ。」
という言葉があるように
「人を殺してはいけない、人のものを盗ってはいけない」
や
「セクハラをしてはいけない」「宗教勧誘をしてはいけない」
は共通だとしても、
「当事者会では社会での生きづらさの思いを分かち合うためにも、愚痴や不平不満を言い合い、日頃言えないネガティブなことを吐き出すべき」
も正義だし、
「愚痴や不平不満やネガティブなことを言ってても暗い気持ちになるだけなので、明るくポジティブなことを言うべき」
もまた正義。
「発達障害の人は1人で悩みを抱え込まずに、みんなで集まって分かち合っていくべき」
も正義だし、
「当事者会に依存せず、1人ひとりが一般社会でも通用する考え方を身につけていくべき」
という考え方もまた正義。
いろんな正義を知ることで、
「当事者会における正義とは何か?」
「発達障害における正義とは何か」
というのを考えて、思い悩み、迷った末に
「自分の正義とは何か?」
「自分が考える正義や志とは何か?」
と、自分に問いかけて、
「これが本当に正しいのか??」
と考えていくことが一番大事なことなのかもしれない。
感覚ピエロ『疑問疑答』 Official Music Video(映画「22年目の告白-私が殺人犯です-」主題歌) - YouTube
まとめ
いろいろ言いすぎて、自分でも何が言いたいのか、よくわからなくなってきましたがw
「発達障害でも楽しく、幸せに生きたいんだ!」
というのは共通していることだと思います。一人ひとりがしっかり自問自答して
「みんなが言ってるしこれでいいや」
じゃなくて
「これが本当に正しいのか??」
としっかり考えるようになっていけば、元号が令和になった発達障害の当事者会や発達界隈はもっと良くなっていくんじゃないかと思いますね。