前回に「発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びるアイスブレイク&ワークショップ(こころライブラリー)」の概略を述べさせていただいたので、今回はこの本の個人的な感想を述べたい
感情と論理
感情的と論理性のバランス、というか両方を大事にすることが大事だ
自分も昔は議論とかはできるけれど、雑談ができない、ということで悩んでいたことがあった。議論や論議は、テーマに対して事実やデータに基づいて感情を排して論理的に意見を述べていくもの。それに対して会話とか雑談というのは、自分の気持ちや感情を自分なりに表現していくもの。似てるようで全く違うものですね
どっちが大事か、というとどっちも大事ですね。業種とか職種によりますが。基本的に会社だと上司とか取引先との仕事上の相手と話すときは議論、同僚の人とくだけた会話をするときは雑談をしていくことになる
たとえば仕事でうまくいかないときは
「うわあああああ、いくら頑張ってもできない・・・どうせ自分なんか何やってもダメだ・・・」
と感情的になるんじゃなくて
「なんでうまくいかないんだろう?どうすればうまくいくんだろう?」
と考えて
「どの作業の工程でミスが多く起きているんだろうか?そのミスはどういう理由から起きてるんだろう?」
と論理的に考えて、解決していく必要がある
あと仕事の打ち合わせとか会議では
「今年の売り上げを伸ばすためにはどうすればいいか??」
というテーマだったとして
「まあそのうちなんとかなりますよ」
「気合と根性でとにかく頑張ります」
とかの感情論とか精神論で発言するのではなくて
「コロナウイルス蔓延による在宅勤務が社会で増加しているので、在宅勤務に役立つ商品を売り出していけば、売り上げを伸ばせるのではないでしょうか?」
「仕事でのミスを減らすために、チェックシートの提出をさせたらどうでしょう」
とかの論理的な具体案を出すことが大事になる
それに仕事でミスしてしまった場合は
「これから気をつけます」
だけじゃなくて
「作業開始前に安全をダブルチェックでしっかり確認したうえで、作業に取り掛かるようにします」
など
取引先とかのメールや電話のやり取りも論理性が重視されるので、やはり仕事をしていく上では論理性が大事である
それに
「定時は過ぎたが、なんとしてもこの仕事を納期までに終わらせないといけないので、今日は残業しよう」
「ちょっと疲れているけれども、会社のために仕事を頑張ろう」
と会社で働く以上は、個人の感情を押し殺して組織の論理を優先させないといけないときもある
あと発達障害だと特性上、生きづらさを感じることが多いが、そこで
「自分は発達障害だし、どうせ何やってもダメだよ・・・」
「発達障害への理解や配慮が足りない、国と社会が悪い」
と感情的になるのではなしに、
「なぜうまくいかないのか?どうすればうまくいくようになるのか?」
と論理的に考えていく必要がある
以上のように、特に仕事をする上では感情より論理性が大事だ。だから論理性が身につけばすべて解決する。終わり
・・・と言いたいところだが・・・
ただ、あまりにも論理で動いて感情を切り捨てて生きていると
「会社で上司に怒られ続けて辛い?それは単にあなたが無能なだけでしょうwあなたのような無能な人間なんざ怒られても仕方がないでしょうwむしろあなたのような役立たずがクビにならないだけ感謝すべきなのに、身の程知らずもいいとこだw」
と冷酷非情な冷たい人間になって、反感を買いやすくなり、友人はいなくなる
論理で動いて感情を切り捨て生きる、というよりは、常に本音で話してしまい
「これを言うと他の人にどう思われるか?どうなるか?」
というのを一切考えずに生きることですね
このメンバーには期待してたけど、ちょっとこの発言で、今後アイドルとして成功するのはもう厳しそうだな・・・
この子を見習えよw
まあ、ギャスビコー星人によってハタを立てられているなら仕方ないですが
他人に冷たいということは、自分にも冷たいということだ
「こんな当たり前なこともできないなんて、自分なんか生きてる価値なんかないんじゃないか??」
「やらなきゃいけないことなのにできなかった・・・自分なんか早く死んだほうがいいのではないか??」
と自分で自分を追い込んでしまいがちになる
そうすると鬱になってしまうケースもある
あとそうやって変に感情を押し殺したり、無視して生きていると、あるときにいきなり怒りの感情が抑えられなくなって周りに当たり散らして迷惑をかけてしまったり、自分で自分の感情をコントロールができなくなってしまうときもある
特に想像力に乏しい発達障害の人間は上記の状況に陥りやすい・・・。
では感情をコントロールできるようになるにはどうすればいいだろうか??
まずは自分の感情に気づくことですね
それと、その自分の感情や今の気持ちを相手に伝えること
「自分はこう思っている」
「今はこんな気持ちだ」
と相手に伝えられるようになることだ
特に発達障害の人は、自分の気持ちを相手に伝えられるようになるのが苦手で、あまりできない人が多いので、そこができるようになることが大事だろう
このように「わさび~」「さいたま~」といくら叫んだところで、なかなか相手に気持ちは伝わらないですからね
人に自分の気持ちを言語化して説明することで、かえって自分で自分を客観視することにつながる
よくカウンセラーが傾聴してるのは、そうやって自分自身の感情に自分で向き合わせるためですね
そうやって自分の感情に向き合って、感情豊かに生きられるようになると
「会社で上司に怒られ続けて辛い?それはとても辛いですね・・・」
と相手の感情も大事にできるようになるため、人情味のある人になる
このように人情味のある感情豊かな人になると
「今日は気分がすぐれないから、無理して頑張るんじゃなくて、早めに休もう」
「なんか気分がノッてきたし、今日はこのまま頑張ろう!」
と、自分の感情に向き合って、自分の感情にも優しい人になれる。他人に優しくできない人間は、自分にも優しくできない
人の感情を理解して向き合えるようになれば、
「みんなに気分よく仕事を能率よく進めるためにも、他人に不快な思いをさせないように言葉遣いを気を付けて礼儀を尽くそう」
「この意見を変に押し通しても反感を買うだけだからやめておこう。むしろ今は他人の意見に耳を傾けるときだ」
と他人の感情を考慮して論理的に考えられるようになって、さらに論理性のキレが増してくる
論理性と感情論のどっちが大事?どっちが良い?とかそういう問題ではなくて、車の両輪のようにどっちも大事。車は片方の車輪だけではしっかり走れないように、自分の人生をしっかり走らせるには感情と論理の2つの車両が大事である
そこらへんを考えていくと、上(一般社会)でなかなか通用しない下(当事者会)のレベルの人は、どちらかが欠いている人が多い気はしますね
当事者会で悩みを分かち合って共感するだけで
「発達障害への理解や配慮がない社会が悪い!」
「そうだ!その通り!」
とかの感情論だけで
「では発達障害が社会で成功していくにはどうすればいいか?」
という論理的や建設的な話し合いがなかったり
(まあ生きづらさを抱えて生きてきた発達障害の人が前向きに生きるためには、まずは悩みを分かち合って、「そうか、発達障害で悩んでいるのは自分だけじゃないんだな!」と共感するところから始まるので、一概に間違っているとは言えないが)
逆に
「コーヒーを飲んでカフェインを摂ると、脳が活性化されていいらしい」
とかの、それっぽい小手先の理屈をこねくりまわしてるだけだったり
「バカアホな定型の人間と違って、自分は正しい物の見方や考えができる、優れた人間なんだ」
と社会でうまくいかないことへの劣等感から、自分は間違っていない、間違っているのは社会やその人間たちなんだ、と自己防衛本能からの自分を正当化しただけの
斜に構えた、自分だけの狭い薄っぺらい考えをぶつけ合うだけのしょうもない議論に終始して、それで
「発達障害を理解しやがらない、定型のバカアホボケどもと違って自分たちはなんて素晴らしい議論をしているのだろう!」
と勘違いして高揚感に浸って
「いろいろ話を聞けて良かった」
と満足してしまっていたりしますね
おっと、思わず当事者会の愚痴を書いてしまった・・・
前置きが長くなってしまったが、イイトコサガシは
「自分の気持ちを伝える」
ということができるようになるワークショップだ
自分の気持ちを伝えるには、まずは
「自分はどういう気持ちなんだろう?どう思ってるんだろう?どう感じてるんだろう?」
と自分の気持ちに向き合った上で、それを
「悲しい」「嬉しい」「面白い」「辛い」「楽しい」
とかの言葉で表現していかないといけない
そういう意味では感情と論理の両方を自然と身につけられるワークショップだと言える