にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

良い当事者会のファシリテーターとは3-1 学校の価値観を消す

 

学校の勉強ができることと、ファシリテーターができることは別

 


良い当事者会のファシリテーターになるには、まず学校の価値観を消すこと

まず、勉強ができることと、ファシリテーターがうまいことはほぼ関係がない
だから
「学校ではテストの点数が良かった」
「いい大学を出ている」
かどうかというのは、ファシリテーターをやる上ではほぼ関係がない

そもそも学校の勉強というのは、教科書があって、先生に言われたことをしっかりと理解すればいい
けれども、ファシリテーションというのは(ファシリテーターの本というのはいろいろあるけれども)他人に言われて、それをそのままやれれば良いわけではない


 

人の言う通りではなくて、自分で考えて決める

 


というか、学校でいうところの生徒ではなくて、先生にあたるポジションをやることになる。
だから
「会をどこで開催するのか?」
「どの日に開催するのか?」
「何時に開催するのか?」
「どういう準備が必要なのか?」
「どういう進行をするのか?」
「どうやって終わらせるのか?」
「会をどうやって告知するのか?」
ということを自分で考えて、自分で決めていかないといけない

学校だったら
「授業中にしゃべってはいけません」
「廊下を走ってはいけません」
「下校中に買い食いをしてはいけません」
「宿題はちゃんとやらないといけません」
といった先生に言われたことを、言われた通りにしていれば良かった

まあ
「先生がこう言ってるからこうしないといけないんだ!」
と思う人じゃなくて
「うわー、面倒くせえ。けど先生に歯向かうと居残りで注意されたり、内申を下げられたり、親が呼び出させたりしてさらに面倒くさいから、表向きは従ってるふりをしよう。先生にバレないように、下校中に買い食いしよう」
と思ってるような、要領がいい人のほうが社会で活躍するような気がするけど

強豪高校バレー部あるある。過酷な経験は今に活きるのか?【バレー談議は止まらない八王子実践編#2】 - YouTube




以上のように、ファシリテーター、会の主催者というのは、1から全部自分で考えて自分で決めていかないといけない

だから学校の延長で
「先生に言われた通りにしないとけない」
というマインドで、未だに学校の延長にいるような人だと、なかなか厳しいんじゃないかと思う
こういう人は
「自分で考えろ!と言われても、何をすればいいかわからない」
という指示待ち人間が多い。こうやって自分で考えて、自分で動く・決めることができない人は、ファシリテーターには向いていない

taniryo.hatenablog.com

 

 

 

大卒の肩書があると有利?




まあ下(発達障害)にいる人というのは、字面でしか物事を理解できない人が多く、やたらと肩書などを重視する人が多い
「有名な大学を出ているから、そんな人が言うことは正しいに違いない!その人が開催する会は正しいに違いない!」
と信じる人が多いので、いい大学を出ている人のほうが有利かもしれない

・・・そうやって字面でしか物事を理解できないから、下(発達界隈)にいるんじゃないですか?

taniryo.hatenablog.com

 

 

 

ファシリテーションに不正解はあるが、正解はない

 



学校のテストだったら
「ちゃんと正解を書いたら丸。不正解だったらバツ
となるように、どの問題にも正解があって、それ以外の答えを書いたらバツになる

ところがファシリテーションというのは
「これはダメだろ」
という不正解はあるけど
「これが正しい。これだけが正しい」
という正解は存在しない

たとえば
「会を何時から開始するか?」
と考えたときに、夜の12時とか、朝の6時に開始しても、誰も参加できない

このように不正解はある

(カラオケ屋の夜のフリータイムを利用して、金曜日か土曜日に夜10時から朝5時まで、ひたすら生きづらさやなんやらのすべての愚痴を、深夜テンションでマイクで言い倒す会、とかあっても面白いかもしれない
少なくても、2次会で発達界隈の困ったちゃんの悪口大会をやるぐらいだったら、いっそのことこういう会をやったほうがやったほうがいいと思う。需要もあると思いますし)

では会を何時からやるのが正解なのか?
13時、14時、15時、18時、19時のどれが正解なのか?
というと、どれも正解になる
だから
「これが正解」
というのはない

 

 

正解の中から最適解を探す

 


「正解がないんだったら、どうすればいいんだよw」
という話になってくるけど、最初は
「こうすればいいんじゃないかな。この時間なら参加者の人が集まりやすいんじゃないかな」
という
「なんとなく」
で決めるしかない


最初はそうやって
「なんとなく」
で決めるしかないけれども
「13時に開始にすると、移動時間が1時間かかる人は、12時に家を出ないといけなくなる。参加者の方がゆっくり家で12時に昼ごはんを食べれなくなってしまうので、14時に開始にしよう」
「いや、13時開始にして、2時間やっても15時に終了になる。それから2次会とかでダラダラと駄弁れるから、13時開始が良い」

と、いろいろ考えたり試行錯誤して、最適解を出せるのがいいですね

「平日の仕事がしんどいので、土日は昼まで寝ている。昼に起きて、テレビかネットを見ながら昼ごはんを食べて、洗濯物や掃除とか家事をやって、夕方に出て、18時からの会を開始させるのがいい感じ。13時、14時とかの昼からやるのは、朝にちゃんと起きて準備しないといけないからしんどい」
「開催場所の貸会議室が15時からだと高くなるから、13時から開始にする」
「13時から開始で、貸会議室の受付の人に12時半ごろに鍵を借りに行っても、昼休憩で居ないときがある。13時代ならちゃんと受付にいるので、14時開始にしよう」
といった自分の都合、生活に合わせるのもありだ

このように、自分や会にとって何が正しいのかは一概に言えないので、どれが正解とはいえない。けれどもその正解がない中から、自分や会にとっての正解や最適解を見つけられるかどうかが大事になる


その点、最初に言った通り、学校のテストなんかは正解を書けば丸、不正解ならバツになる
けれども
「正解を書かないといけない。正解の行動をしないといけない」
という学校にいるときとマインドでいると、こういう正解がない中から正解を探す、というのができなくなってしまう
学校の価値観は捨てないと、いいファシリテーターにはなれない

 

 

できないことはやらない




学校のテストは、基本的にテスト範囲からまんべんなく出題される
だからテスト範囲をまんべんなくできないと、テストで満点は取れない

ファシリテーションの場合も一通りなんでもできるのがベストではある。だが、場合にもよるけど、苦手なことはできなくても良いケースもある無理にできないことをやるよりは、できないことはできないとしてやらず、できることだけしっかりやることだ

もし仮に自分が発達障害の当事者会をやることになっても、できないことはやらない。だから前々から言ってる通り、自分の言いたいことだけマシンガントークで言って、他人の話は聞かなかったり、平気で否定したりディスる人がいたら、消す
「上(定型社会)でうまくいかずに消された人が下(当事者会)に来ているんだから、その当事者会でも追い出してしまったら、その人は行き場所がなくなってしまう。だから一人ひとりに寄り添ってしっかりと話を聞き、みんなが楽しめる場所を作るべきだ!」
というのが当事者会のあるべき姿であり、それがベストなんだろう。けど自分には無理だ。変に無理なことやろうとすることは、できることをしっかりやることのほうが、ファシリテーターをやる上では大切


所詮は下(発達界隈)にいる人間なんだから、無理なことは無理として、できないことはやらないと割り切ることも必要かもしれない。
できないことは参加者に助けてもらったり、サブのファシリテーターにも参加してもらって2人でやったりして役割分担したりすることも良い。
他人に甘えるのはダメだけど、無理に自分で抱え込んで全部自分でやろうとするんじゃなくて、他人に頼ることも大切なことだ

 

かつて、できないことでもやろうとして、潰れたファシリテーターを何人も見てきた。
学校のテストじゃないんだから、全部のことがやって無理に満点を取る必要はない。できることだけをしっかりやることをのほうが大事