にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害と学歴

 

 

 

目に見えるものだけに固執するな

 
 
発達障害の人は想像力の無さから、目に見えるものにしか理解できないので
  • 月収、年収
  • 学歴
  • 身につけているブランド
  • ルックス
とかの、ステータスなどの目に見えるものにやたらと固執する人もいる
 
 
まあお金の部分にこだわるのは、人生でも大事なことなんで良いことだと思います
他の部分も大事といえば大事だけど・・・・
 
数字にこだわることは良いことだ
ただ、数値とかステータスだけにこだわりすぎると良くないですね
 
特に発達界隈の人間だと、こうやって数値やステータスといった目に見えるものだけに固執するあまり、無形の力を軽視というか、理解できない人間が多い
 
こうやって目に見えるものだけに固執してしまうと
「自分は障害者雇用だから年収が低い。年収が低いから生きてる価値がない・・・」
「自分は良い大学を出ていないから、人生がうまくいかないんだ・・・」
「そもそも自分は発達障害の障害者だから、定型発達の人に比べて全ての能力が低いからどうしようもないんだ・・・」
といった感じで、自分を追い詰めてしまう
 
俗物な浅い考えは身を滅ぼす

恥を知れ俗物 - YouTube

 

学歴の市場価値は低い

 
学歴というものは意外と社会では評価されない
いや、評価されないわけではないが・・・・
 
 
大学に入って、大学3年目からの就職活動で有名な大手企業に応募したときに、一部の企業では「学歴フィルター」というものがあって、有名大学以外は書類選考の時点ですべて落としているケースもある
 
なので有名な大学じゃないと、どれだけ素晴らしい履歴書やエントリーシートを書いても、書類選考すらできずに、将来に勤めたい大手有名企業があったとしても、その時点で道が閉ざされてしまう、ということになってしまうこともある
 
だから、「いい大学に行きましょう」という風に言われて
いい大学に行けた人間は勝ち組
みたいな風潮がある
 
昔は有名な大学だったら、そこそこの企業だったら顔パスで内定をもらえた時代もあるらしいが
最近はネットでどこからでも企業に応募できるようになって、門戸が広がったことと
「高学歴の人は勉強はできるんだろうが、社交性やコミュニケーション力も必ずしもあるとは限らない。こういう力が低い奴は理屈ばっかりで、プライドだけ高くて使えない」
という評価もあるので、就職活動も他の大学生同様に頑張らないと通らなくなった
 
 
(今は第2新卒、第3新卒で募集する企業も多いが)
企業が学歴で評価されるのは新卒のときのみ
中途で転職する際は
「社会人として何をやってきたのか?企業でどういう経験をしてきたのか?」
という社会人としての経験を問われるので、市場価値においては学歴は無意味だ
 
なんだかんだで、20代まではやり直しが効くので、ポテンシャルを評価されるので学歴も一応評価されるような気もしないでもないが、30代になったら即戦力としての経験を求められるので、市場価値として学歴は無意味
 
 

こういう人は痛い

 
にもかかわらず、
「自分は阪大だぞ!」
「自分は慶応だ」
とか発達界隈だとたまに学歴自慢をしてる人がいてビックリする
 
まあ、こういう有名な大学はすごく勉強ができないと入れないので
「すごいな」
とは思います
 
けど、同時に
「ああ、こいつヤバいな(悪い意味で)」
と思いますね。特に30代以上でこれをやってたら、かなりヤバいと思います
 
 
さっきも言った通り、新卒が過ぎた時点で学歴はもう市場価値がないのに
「○○大学出身の自分はすごいんだ!」
とか思っちゃってる時点で痛い人ですねw
 
よかったね、おめでとう
 
あと、30代ってことは大学を卒業してから少なくても8年以上あるはずなのに、それしか自慢できる、自分を肯定できるものがないのかな?とも思う
 
いったい、この人は大学を卒業してから何をして生きてきたんだろう?と疑問ですね
 
他になにか成功体験とかないんですか?大学を卒業して、いったい何をして生きていたんですか?それにしても出身大学でしか自分の良さを語れないほど、あなたは何の価値もない人間なんですか?
 

なぜ学歴マウントを取るのか?

 
 
大学を卒業してから、なかなか思うような人生をうまくいかず、アドラー心理学でいうところの「劣等コンプレックス」に陥って
「自分は以前に大手有名企業に勤めていたんだ」
「以前に合コンに行ってモテモテだったんだ」
とか過去の栄光や、自分の優れている部分を過剰に自慢して、相手より優位に立とうとする「優越コンプレックス」に陥ってるのかな?と考えてしまう
人に聞かれて答えるならわかるけど、なんJやVIPじゃねえんだから、いきなり学歴自慢するとかまともな人間じゃないし
 
それか、発達障害の想像力の欠如からくる、大学に入っただけで満足しきっちゃったタイプかな
 
というか大卒だろうがなんだろうが、下(当事者会)に来てる時点で(少なくとも現時点では)そんな大した差はねえよw
個人的には野球でいうところの「甲子園で活躍して活躍しました」みたいな過去の栄光というイメージがしっくりくる
 
発達障害の人は、失敗を過度に恐れるぶん、過去の成功体験に固執するところもあるので、そこは気をつけたほうが良いですね
 
まあ親の自慢するよりはマシか
 
 

人を見る目を養おう

 
「あの人は○○大学出身だから」
「あの人は高卒だから」
とか学歴で人を判断する人
「この人は、人を見る力があんまりないんだろうな」
と思ってしまう
 
好き・嫌いとかの好みとか、良い人・悪い人かどうかなどを、人をどう評価するかは、人それぞれの自由だけれども
学歴でしか人を評価できないというのは、あまりにも視野の狭い考え方だ
そもそも高学歴の人といってもいろんな人がいるから、一概にこうだとは言えない
 
 
そもそもいい大学に出てるからって、仕事もできるとは限らない。勉強できることと、仕事ができることは別
 
前にTwitter
「同じ職場の東大出身の人が~」
とか書いてる人がいたけど、それって関係ある?と思った
あなたは学歴でしか職場の人の評価ができないんですか?
学歴コンプなんだろうか
 
いずれにしても目に見えるものだけに固執して、無形の力が足りないんじゃないですか
 
 
「この人、高卒だから~」
「この人、大卒だから~」
と目に見える肩書だけにとらわれて変にカテゴリー分けするよりは、
「やっぱりこの人すごいなー」
ということを肩書にとらわれずに、物事や人物の真贋を見抜く心眼を身につけることが重要だと思う
 
そもそも
「あの人は良い大学を出てるからすごい!」
なんざは中学生や小学生でも言える
肩書や字面だけにとらわれていては、物事の本質は見えない
というか、勉強ができるからって、仕事ができるか、コミュニケーション力はあるのか、人間性が良いか、どういう性格なのか、というのは全く別問題だしね
 
 
まあ学歴、ブランド、過去の実績、テレビで出演があるかどうかとかの、わかりやすい肩書で物事を判断する人が世の中は多いが・・・
 
去年、一昨年のコロナウイルス関連のメディアの報道で、○○の専門家とか言って、ワイドショーでめちゃくちゃなデタラメ(ではないのかもしれないが・・・)を言ってた専門家がどれぐらい居たか・・・そのせいで国民がどれだけ振り回されたか・・・
 
 
・・・まあ元プロ野球選手の、野球解説者による順位予想もなかなか当たらないけどさw
 
 
こういう少ない情報から、本質を見極められる人が本当にすごい人だよね
 
 

発達障害の人にとって大学進学は不要?

 
 
そもそも、発達障害の人は良い大学に行けても、コミュニケーション力の低さなどの社会不適合を起こしてしまって
就職活動でうまくいかなかったり、新卒で働いてからも職場でうまくいかずにすぐに辞めてしまいがち
 
このように発達障害の人にとっては、いい高校に行って、いい大学に行って、いい会社に入って出世する。という社会のレールに乗りづらい
だから発達障害の人は、いい大学に行っても新卒カードを有効活用できないので、いい大学に行っても無駄だと言えるかもしれない
 
そう考えると、発達障害の人が大学に行くこと自体がそもそも無駄である。終わり
 
 

発達障害の人の大学進学の利点

 
・・・・・・と言いたいところだが、
「大学に行って良かった。大学に行って発達障害の生きづらさが緩和された」
と個人的には思っているので、ここは反論をしたい
 
・心理学的には、自分で決めた目標を困難を乗り越えて達成することが、自己肯定感が一番上がるらしい
大変だったけど困難を乗り越えて大学入学を果たしているので、発達障害でも自己肯定感は高い人は多い
あと、発達障害の人にありがちな定型の人へのコンプレックスが少ない
 
・高校を卒業して大学まで行けるということは、生きづらさを感じながらも高校まで不登校にならずに卒業できたということなので、そこそこ社会適応力はある
あと家庭の環境や経済状況も安定している
 
・大学スポーツなどで母校や母校の選手が活躍していると、自分も頑張ろうと思える
 
・最近は「東大卒ニート」というのも増えているらしいけど、勉強を頑張った人間というのは、なんだかんだでその後の人生も頑張れることが多い
・大学は勉強しないと入れないので、IQなどがそこそこ高いことが多い
だから発達障害の特性による生きづらさに悩んだときも「なんでうまくいかないんだろう?どうしたらうまくいくんだろう?」と論理的に考える力があり、修正力が高い人が多い
・勉強ができるぶんそこそこ文章力はあるので、発達障害の人が苦手な感情を言語化する力がある
・日本の教育は高校までは情報を詰め込んで、大学ではその詰め込まれた情報を自由に発表できる
型にはめられる高校までと違って、好きにやれるぶん発達障害の人にとっては長所を発揮しやすい
 
・受験勉強でも、大学うまく単位をとるためにも、要領が良い人が多い
 
・高校や社会人と違って、自分の時間が多いので、自分の好きなことができる。そうやって好きにやってるうちに「自分はこれをしてるときが一番楽しいんだな」ということに気づける
やらされるのではなく、自分のやりたいことを思いっきりやることで、大きく才能を伸ばせることもある
 
・好きなことをやって、趣味に打ち込むことで、考え方の視野が広がることもある
・大学でぼっちだったなら知らんが、大学のサークルに所属していて、徹夜で麻雀したりカラオケしたりして遊び回っていたら、定型の人ともコミュニケーションが取れる
定型社会に慣れているので、いつでも下(当事者会)を卒業できる
 
 
 
高卒と大卒の違いについては以前にも書いた
それにしても昔に書いたのは文章とかいろいろヘタクソだな・・・まあ人生そんなもんだよな・・・
 
 
このように発達障害の人にとっても、大学に行って得られるものは大きいので、行ったほうが良いとは思います
 
 

結局は必死に努力したかどうか

 
ただ大学に行ったからといって、別にいきなりすごい人間になるわけではない
高卒でもすごい人間はたくさんいる
大卒でも
「コイツ、本当に○○大学出身なの?大したことないなー」
と思う人もいるしね
 
 
 
最近になって個人的に思うのは、その人が成長できるかどうかは
「行ったかどうか?」
ということじゃなくて
「行って、必死に努力したかどうか?
だと思う
行っただけで成長した気分になっていては成長はできない
 
行って成長した気になって満足していたら、なかなか成長はできない
異世界に行ったら、いきなりチート能力が与えられるなろう作品じゃないんだからw
 
そういや一般人がいきなり中世ヨーロッパ風の世界に転生して、国の救世主となって無双する作品は、今は腐るほどあるが
そういうものが流行る20年前に先取りした作品を富野由悠季監督は作ってるのな
さすが富野御大
 
 
 
 
大学にかぎらず、就労移行支援事業所でも、会社でも、家でも、当事者会でも、なんでも必死に取り組めるかどうか?だと思いますね
 
当事者会でも
「いろいろ話を聞けて良かったです」「昨日は当事者会をはしごしました!」
とか言ってヘラヘラしてる奴は、何年経っても大した成長がない人もいるし
 
「○○という話を聞いて興味が出ました、自分もやってみようと思います」
とか、いろいろ感じたり、考えたりしている人は、会うたびに成長していて
パリピ孔明の話にもあったけど)「呉下の阿蒙にあらず」「士別れて三日なれば、即ち當に刮目して相待つべし」と思う人もいる
 
当事者会にしてもダラダラするのか、目的意識を持ってしっかりやっているのか、というところで大きな差になるんじゃないかと思います