にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の人が定型社会で通用できるようになることの利点

そうやっていろんなことに気づけるようになっていくと、そのうち
「当事者会は人生がうまくいっていない人が集まっているので、そんな人が集まっていくら話し合ったところで、なかなか人生がうまくいく方法は見つからないんじゃないか?」
「こういうダメな奴らといっしょにいると、自分までダメになっていってしまうのではないか?」
「この人たちとは人生がうまくいってないから当事者会に来ているので、そういう人たちとむしろ違う思考、違うやり方をしていかないと、人生がうまくいかないのではないか?」
「当事者会の議論は、定型の会に比べるとものすごくレベルが低い。こんなところにいてもあんまり成長できないのではないか?むしろしょうもない揉め事に巻き込まれて消耗するだけだ」
というところに気づいてしまう
 
君のような勘のいいガキは嫌いだよ
 
 
お前は知りすぎた
 
 
 
 
 
 
基本的に当事者会とは、一般社会に馴染めなかった発達障害の人が、一人で悩みを抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合うために集まる会である。それが発達障害でも定型社会や一般社会に馴染んで居場所があるのであれば、別に当事者会に行く必要もなくなって行かなくなってしまう。それが当事者会からの卒業と呼ぶという気はする
 
ただ定型社会は
「自分は発達障害なんでできないんです。しょうがないんです」
と言い訳ができないので、非常に厳しいですけどね・・・
 
当事者会と定型社会はものすごい大きな差があるので
「当事者会では自分はかなりマシなほうだから、定型社会でもやれるでしょw」
というノリで定型社会に行くと
「当事者会ではマシなほうでも、定型社会ではこんなもんか・・・・・・・」
とプライドがズタズタにされるのがオチ
それを受けて
「やっぱり自分は所詮は社会不適合者の発達障害だから、定型社会でやろうとしても無理だ・・・。当事者会や発達界隈で生きよう・・・」
というのも正しい生き方だと思う
 
 
 
 
当事者会や発達界隈から卒業するかどうかは別にして
当事者会や発達界隈だけで定型社会に通用しない人よりも、定型社会でも通用するような人間になったほうがずっと生きやすくなるので、狙える人は定型社会でも通用できることを目指したほうが良いですね
 
 
 
利点としては劣等感やコンプレックスがなくなること
 
さっきに話した通り、発達障害の生きづらさとは何か?と考えたときに、特性によって社会生活が難しいという部分も大きいと思いますが
「お前は空気読まないしウザいだけだからマジでいらねえんだよ。早く消えてくれ。二度と来ないでくれ」
と社会性の無さから、一般社会で自分のことを認められずに否定され続けて居場所がなく、コミニティから孤立してしまっている、というところが一番生きづらさを感じる部分だと思います
 
 
そこで定型社会に適応できるようになって
「君といるととても楽しいよ。今日は来てくれてありがとう、また来てくれ」
と言われるようになると、劣等感やコンプレックスも解消されて、大きな自信や自己肯定感にもつながる。それに伴って精神的な不安定さも解決してく場合も多い
精神科の精神安定剤を飲むよりずっと大きな効果がある場合もある
これはとても大きいですね
 
 
 
 
あと、仕事がしやすくなること
発達障害の人というのは自分の都合しか考えられないので、会社において理解と配慮を求めるときは
「自分は発達障害なんだから、理解と配慮をしろ」
としか言えないが、定型社会の空気感がわかっていると
「この仕事は問題なくできますが、あの仕事は特性上できないので代わってもらえますか?その代わりの別の仕事をやります」
といったようなWin-Winになれるような提案ができる
 
 
自分だけじゃなくて、周りに気づいて考えられると
「この作業はこういう意味があるから、こういうところに気をつけて作業しよう」
「自分だけじゃなくて、周りにも気を使って仕事しよう」
といろいろ気づいて仕事ができる。そうすると
「君の仕事はすごくできていて助かっている。これからも頼むよ」
と周りからも評価されるので、それが大きな自信や自己肯定感につながる
 
最近はリモートなどの在宅ワークなども多いですが、会社の仕事というのは実力も大事だけど、コミュニケーション力の有無とか、周りへの気遣いとかも大事になってきますからね
 
 
現在、民間企業の法定雇用率は2.2%だ。これは逆にいうと1000人の会社だったら22人、100人の会社だったら2人しか障害者がおらず、あとは定型の人ということになる。このようにオープンであっても多数の定型の人と仕事をしていかないといけないので、定型の人に合わせられたほうが仕事はしやすい
社会全体でも定型の人が多数派なので、定型社会に合わせられたほうがだいぶ生きやすくなる
 
このように仕事もしやすくなって、それが自信や自己肯定感につながるのは大きい
 
 
 
 
それと、当事者会とかの発達界隈にいるより、定型社会に出たほうが大きく成長できる
 
価値観を増やしていったほうがどんどん生きやすくなる
定型社会の価値観も自分の中で取り入れられると上記のように生きやすくなり、価値観や自分の中の世界も広がる
 
それに社会でうまくいっておらず、劣等感や嫉妬にまみれた発達界隈の人よりも、社会でまっとうに生きている一般の人のほうがまともで、いろんな話も聞けるので、そういう人たちと関わったほうが得られるものも大きいし、自身も成長できる
 
 
先月の炎上騒ぎの際に
「発達界隈卒業する人間は修羅である」
みたいな意見があった
 
たしかに発達障害の人が定型社会に行くというのは大変なことも多いし、厳しく辛いことも多い
人によってはメンタルをやられる前に撤退したほうがいいかもしれない
 
けれども、そういう修羅場をくぐり抜けていく中で、いつの間にかものすごく大きく成長できる。当事者会や発達界隈で傷の舐めあいをしているだけのぬるま湯に浸かってるような人よりもずっと成長できている
 
 
なろう作品で「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」とか、よくわからないのがあるけど、リアルだとぬるい環境でがんばってもそんなに成長できない
周りのレベルが高いような厳しい環境で揉まれて、周りに追いつけ追い越せとがんばったほうが大きく成長できますね
 
 
まあ変に厳しい環境で無理するよりは、焦らずじっくり土台を固めたほうが良いケースもありますが
 
 
逆に当事者会に発達界隈にいると
「悪いのは発達障害への理解と配慮がない日本社会と、首相と自民党が悪いのであって、自分は何も悪くないんだ。そうやって他人とか社会のせいにしていればいいんだ」
「みんな周りに気を遣うとかせずに思ったまま発言するだけだし、自分もそうやって思いつくままに発言しよう」
「他人に気を遣うとか面倒くさいだけだな。自分の都合だけ考えよう」
「人に迷惑をかけるのは当たり前なことだから、いちいち謝る必要もないんだ。むしろそれによって自分が傷ついたんだから、相手こそ謝るべきなんだ。運に感謝して、努力なんかしないほうがいいんだ」
とダメな人に影響されて、自分もどんどんダメになっていく感じがあった
だから当事者会に発達界隈には深入りしないようにして、染まらないようにしていました
自分は一般社会でも通用するようになる、というのを目標にはしていたんで、いくら当事者会や発達界隈では良くても一般社会で通用しなかったら意味がないですし
 
 
定型社会に行ってしばらくしてから
「そういえばたまには当事者会に行こうかな」
と久しぶりに当事者会に行ったら
「ああ・・・・・・・・当事者会、発達界隈ってこんなにレベルが低いんだ・・・・・・・・。単に定型の人と違って発達障害という障害があるので、その障害や特性のせいで能力が落ちる、ということだけじゃなくて、会話のレベルも考え方も何もかものレベルが低い。特に人間性が本当に幼稚な人が多い。
なんかもうここは動物園だな」
とレベルの低さに絶望した(東京とかの一部の当事者会だったらそこまで差がなかったりするけど)
 
 
そうやって感じるほど、定型社会に揉まれてるうちに大きく成長できたんだ、という成長を実感できました
これらのことから、発達障害の人でも上(定型社会)に行ける人は行って、いろんなことにチャレンジしていったほうが、人間的にも大きく成長していけますね
 
 
 
 
 
あと、それと定型社会に通用できる利点としては、最悪「発達界隈卒業」というカードが切れること
 
 
この前に「30歳の人で転職しても不満ばかりの人と新卒の会社を辞めずにうまくいく人の差は、転職できるというカードを持っているかどうか」というネットニュースを読んだ
仕事で大事なのは
「自分はどうせこの仕事を辞めても、多少は待遇は悪くなるかもだけど転職できるだろう」
と思えるぐらいのスキルとか実力があることらしい
 
そういうのがあると、(当然、目の前の仕事を一生懸命にやるのが大事だけど)どこかで心の余裕が生まれる
 
だから仮に
上司「おい、この仕事を明日までに徹夜してでも終わらせろ!」
「ええっ、昨日に大きな仕事を終わらせたばっかりですよ?」
上司「なんだと!この仕事は至急の仕事なんだぞ!お前の代わりはいくらでもいる、やる気がないなら帰れ!」
とかめちゃくちゃなことを言われたときも
「わかりました、もう帰ります」
と、身体を壊す前に辞めようかな、こんな仕事続けるよりは転職したほうがマシだな、と帰れる
 
そういう他の企業からも必要とされるような人材だったら、そういう人が居なくなるとその会社も仕事が回らなくなってとても困るので
「戻ってきてくれー会社を辞めないでくれー」
と連れ戻される
 
 
これと同じことは当事者会でも言える
一般社会でうまく適応できずに当事者会にしか居場所がない、というケースだと基本的に何があってもそこに居続けるしかない
 
ところが当事者会というのは社会で適応できないコミュニケーション力に難がある人が多いので、態度が悪い人と関わって嫌な思いをすることも多いし、炎上騒ぎとか揉め事に巻き込まれることも多い
 
たとえば、特性がひどい人がいて
「こんなことも知らないんですか?バカですか??」
とか言ってくる人がいて、それについて反論したら
「なんだと、この野郎!お前が俺様につっかかってきたのが悪いんだろうが、謝れボケ」
とか言われても、そこを離れたら自分の居場所がなくなってしまいますから
「すいませんでした・・・・自分が悪かったです・・・」
と言うしかない
 
けれども、自分が一般社会に通用していると
「ああ、こんな当事者会にいても時間のムダだな。むしろこんなところにいたら自分もダメになる。こんなところさっさと卒業するか」
という判断もできるので
「ああ?なんだとゴルァ。やんのかコラ、最初につっかかってきたのは『バカですか??』とか言ったお前だろ。お前が謝れよボケ。バカですか??
発達障害だったら何やっても許されると思うなよ」
と、こっちもバーンと思い切って言い返せる
 
それに対して
「なんだと、この野郎!お前が悪いんだよお前が、早く謝れよボケ」
とかまだ何か言ってくるようだったら、こんな頭おかしいやつと付き合ってられないので、本当に当事者会から完全に縁を切って卒業すればいいし
 
 
「すいませんでした、言い過ぎました、許してくださいお願いします」
と態度を変えてきたならば
「まあこっちも言い過ぎたよ。これからは仲良くしようぜ」
と和解して居続けるのもいいし
「こんな頭イカれてる奴といっしょに居れるかよ」
と感じるのならば当事者会から完全に縁を切って卒業すればいい
 
 
 
こうやって立場的に有利に立てるから
「こうしなくてはいけない!」
じゃなくて
「どうしようかな~」
と、精神的に余裕を持った判断ができる
また、そういうことが自分の尊厳を守ることにもつながる
 
 
忌憚なき意見を述べると、当事者会に来るような人というのは一般社会などに居場所がなく、当事者会や発達界隈にしか自分の居場所がない人が多い
 
そういう人は居場所を失うことが怖いので、なかなか主催者やファシリテーターの方に思い切ったことが言えない場合が多い。参加者に何も文句を言われず、何をしても賛同してくれるのを良いことに主催者やファシリテーターの方が増長してしまって、傲慢な振る舞いをしてしまっているような当事者会もある。
そういう会に行って
「あれっ、こういうのっておかしくないですか??」
と言うと全員から袋叩きにされることもある
たとえば
発達障害へ理解と配慮を求める、というのはわかるけど、自分なりに努力や工夫することも大事じゃないですか??」
とか言うと
「いやいや、発達障害への理解と配慮が足りない定型社会が悪いんだよ。お前、頭おかしいのか?」
「そうだ!そうやって周りの意見も聞かずに自分の意見を一方的に主張するのは、発達障害の悪い特性だぞ!」
同調圧力で潰そうとしてくる
こういう人たちって劣等感やコンプレックスが強いから、優越感を得ようと徹底的に弱い者いじめをする傾向もあるし
 
まあこういう当事者会で楽しんでる人もいるし、必要な人もいる
けれどもその人たちにとっては必要でも、自分にとって必要とは限らない。そのような空間が自分にあまり合っていないと感じたときに、「発達界隈卒業」というカードを切れるのは大きい
「てめえはメサイア・コンプレックスをこじらせているから『人を救うことで自分が救われたい』と思っている。だから他人が自分に頼ってきたり依存してこないと困るので『当事者会卒業』『自立して生きる』とか言う人は潰すのか。この偽善者め。
『定型社会の同調圧力によって発達障害の人は苦しめられている』とか言ってるクセに、自分たちはそうやって気に入らない人は同調圧力で潰すんだね。『発達障害へ理解と配慮を』とかほざいてるけど、要は自分が救われたいだけ。自分さえ良ければ他人なんざどうでも良いってことでしょ。人間のクズが
おかしいのはお前たちのほうだ!」
とはっきりと「NO!」を突きつけることができる
 
 
 
 
 
あと揉め事に巻き込まれたとき、このように言い争いになったときに
「こういうことは良くないんじゃないか、と思うんですが・・・・」
自分に自信がないと、言い返すときも自信なさげな言い方になって、相手から舐められやすくなる
 
「なんだコラァ、ふざけんなよお前。なんだその態度は」
自分に自信があれば、心理的に余裕があれば、はっきりと言い返せる
このように自分に自信がある人というのは、発言にも芯が強く言える
 
 
発達障害の人は空気は読めない人は多いけど、危機察知能力はムダに高い人が多い。自分より弱い人には威張り散らすクセに、いざ自分に危害が及ぶ気配を感じると急にビビりだす人が多い
だから芯が強い発言ができると、あんまり言い争いに巻き込まれることは少なくなる。イキリオタク、ヘタレヤンキー、野生動物と同レベルですね。
 
ヘタレたちよ
現在、STU48の7thシングルの握手会、じゃなくてお話会券を販売しているのでみんな買おう。(ステマ
 
 
それと、こうやって変な争いに巻き込まれて、言い争いになってしまったときも
発達障害の障害による影響というよりも、あなたの人間性が劣っているだけじゃないですか?そういうことをやってるから上(定型社会)で通用せずに、下(当事者会)にいるんじゃないですか?」
「発達界隈では『発達障害の特性の影響だからしょうがない』で済むけど、それ一般社会だったら単なる『わがまま、自分勝手、独善的。自己中心的、ジコチュー、人間のクズ』なんだよ
貴様の様な奴はクズだ!生きていちゃいけない奴なんだ!!」
「他人や周りに散々迷惑をかけても謝れないとか、『悪いことをしたら謝りましょう』と小学校か幼稚園の先生から教わりませんでしたか?小学校か幼稚園から人生をやり直したらどうですか?そんな幼稚園児でもわかることすら理解できてないなんて、あなたはその年になるまで、一体何をして生きてきたんですか??」
 
と一般社会、定型社会からの目線からの意見で、上から殴るような反論ができる
 
 
「馬鹿の一つ覚え」
という言葉があるように、発達障害の人は1つの問いに1つの答えや根拠があれば満足しがちだから、角度が違うというか、違う根拠から別の意見を出せれると対応できないケースが多い。正面から来る反論には対応できても、上か横からの反論には脆いことが多いので、そこから簡単に崩せることが多い。
同じ目線で戦うと苦しくなるので、いかに上か横から叩けるか
 
上から来るぞ、気を付けろぉ!!
 
ガンダムとかのファンネルで包囲殲滅する感じ
 
 
 
こういう感じで言い争いでもかなり優位に立てる(場合や状況にもよるけど)
正直言うと自分もあんまり喧嘩はしたくないんだけど、下(当事者会)だと
「マジでふざけんなよ本当に。こいつブチ殺してやろうかな」
とか思うほどストレスがたまることも少なくないしなあ
「そもそも上(定型社会)じゃなくて下(当事者会)にいるのが悪い。自分が下(当事者会)にいるのが悪い」
というのが正論なんだけどね
 
 
 
 
ただ一般社会とか会社の場合は
「自分の意見をしっかり主張する」
「言うべきときは言う」
「上司などに自分の意見をしっかりと伝える」
「議論や会議やプレゼンテーションにおいて、自分の意見をしっかりと述べる」
ということは大事ではあるが、いかに言い争いは避けるかが大事になってくる
 
定型の人は
「変に言い争って体力や気力を消耗するのは嫌だなあ」
「仮に徹底的に言い負かしたとしても、相手の機嫌を害して変に恨みを買うのは嫌だなあ」
「変に口論になって悪口を言い合うと、あとで嫌な気持ちになるから嫌だなあ」
「変に口論とかやると『あの人ってなんか急にヒステリックに怒り出したりして怖くない?あんまり関わりたくないよね~』と周りに嫌われる要因になるから嫌だなあ」
と戦いを嫌う人が多いので、あんまり変に口論する人は嫌われやすいので避けたほうがいい
 
特に今は
「なんでこの仕事できてないんだ、やる気あんのかコラァ!」
とか言って怒鳴りつけるとパワハラになる可能性もある
 
孫子の兵法においても
「百戦百勝は良いとは言えない。戦わずして勝つのが最善である」
と書いてあるとおり
 
誰これ構わずに喧嘩をふっかけるのは、ただの(昔の)不良やヤンキーである
口論や炎上などは、所詮は他者を否定することでしか自分を肯定できない、自分の意味を見いだせないような小物のやること
戦わずして勝つのが最善
 
 
特に今の時代は怒ったり、怒鳴りつけたりするんじゃなくて、それ以外の方法で自分の主張を相手に伝えて、相手の考えに影響を与えたり、変えていくことができるかどうかが大事になっていると言える
 
 
 
以上のように、発達界隈や当事者会だけじゃなくて、定型社会に通用する人間になれたほうが、これまでよりずっと生きやすくなる、人間としても大きく成長できると思いますね
 
 
 
 
会社とか仕事の場合は、多少嫌なことがあっても続ける必要があるし、辞める場合はちゃんと伝えて退職届を出さないといけないけど
 
当事者会というのは
発達障害の悩みを一人で抱え込むのではなくて、みんなで悩みを分かち合わなければならない」
というのは主催者やファシリテーターの人が勝手に言ってるだけであって、行かなければならない義務があるわけではないので
楽しかったら行けばいいし、楽しくなければ行かなければいい
自分の人生において行く意味を見いだせていれば行けばいいし、行く意味がないと思えば行かなければ良い
 
所詮はそれだけのこと
 
 
「つまらない、楽しくないと思ったら行かない」
という手段が取れるように、当事者会に行くにしても1つの当事者会だけ行って依存するんじゃなくて、いろんな当事者会に顔を出すようにするといいかもしれない
 
アイドルヲタでも、熱心に推していた子が卒業したらショックで立ち直れなくなってしまうので、いろんな子を推すDD、誰でも大好きになることでショックを和らげてるヲタもいる。田中将大とか。
・・・・・・・・・・・・・・まあ価値観は人それぞれですし、趣味をどう楽しもうとその人の自由なんで・・・・・・・
 
 
 
 
 
「何をするのが自分にとって適切なのか?何が自分にとって何が正しいのか?」
ということを考えて、ビジョンを持って行動していくことが一番大事なことなのかもしれない