にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の人はゲームをやるべき3 終わりに

 

食わず嫌いをしない

 
当事者会に来るような発達障害の人は
「自分の興味がある話は熱心に参加するが、興味がない話は一切聞かない」
という人が多い
発達障害の人は自分の都合しか考えられなかったり、自分の興味がないと動けない、という人が多いので、仕方がないと言える
けれども、それもあるとは思うけど
「自分はこれをしているときだけが楽しい。他のことをやっていてもどうせ自分には合ってないだろう」
と決めつけて、食わず嫌いしている人が多い
 
まあ発達障害の人は新しいことを始めたり、状況が変化すると大きなストレスを感じてしまうので、新しいことをやるより、現状維持の今のままが良いと考えてしまいがちだ
 
ただ新しいことを趣味などを始めて、それによって新たな楽しみを見出せたら
「そうか、自分はこれをしてるときが一番楽しいと思っていたが、自分が知らないだけで、世の中にはやってみたら面白いことはたくさんあるんだな~」
と自己認識を改められたら、最初は興味がない話でも、もしかしたら面白い話かもしれない、と思ってとりあえず聞いてみたり、いろんなことに興味を持って、どんどん新しいことにチャレンジしていける。
そうやってフットワークを軽くして現状打破していくことが、発達障害の生きづらさを克服していく上で大事じゃないかと思う
 
特に流行に乗るのもいい
流行しているものというものは(電通やテレビ局が仕組んだ、ただのステマというのもあるが)基本的にそれだけ多くの人を惹き付ける魅力や面白さがあるものなので、自分がやってみても面白い可能性が高い
 
そういう流行り物を自分もやってみることで
「なるほど、こういう面白さがあるから、世間でウケてこんなに流行ってるんだなあ」
ということがわかると、社会の流れや世間の関心などもわかるようになるかもしれない
 
まあ、流行ばかり追いかけて、自分というものがない人間になってもアレだが
 
 
そういえば、食べ物で好き嫌いが多い人は、人間関係でも好き嫌いが多くて、人間的に面倒な人が多いと聞いたことがある
たかが食べ物の好き嫌いでそこまで言わなくても・・・と思ったけど、割と当たっている気もする・・・
アレルギーがある場合はしょうがないけどね
 
食わず嫌いが激しい人は、
「ノリが悪い人」「付き合いが悪い人」「なんか面倒くさい人」
など知らずしらずのうちに思われてる可能性がある
 
 
 
 
 
 

たとえ話

 
自分の発達障害の特性や生きづらさを相手にわかりやすいように伝えることが大事だ
このときにたとえ話をすると、うまく相手に伝わるケースもある
たとえば
東京ディズニーランドの面積は510,000㎡」
というより
東京ディズニーランドの面積は東京ドーム約11個分」
と説明したほうがわかりやすい
 
これと同じように
「自分はとても不安が強く、ちょっとしたことでも大きな不安をかかえてしまいます」
というより
「野球で1塁にランナーを出しただけで、まるで満塁になってしまったかのような感覚になってしまいます」
「麻雀で他の人が鳴いただけで、まるで相手が役満手をテンパイしているような感覚になって、ベタオリしかできなくなります」
「将棋で駒を取られただけでも、まるで連続王手をかけられているかのような感覚に陥ってしまいます」
桃鉄で貧乏神が憑いただけで、まるでキングボンビーが憑いているかのような絶望感に陥ります」
と言ったほうがイメージが相手に伝わりやすいケースもある
 
まあ、相手が野球や麻雀をわかっていないと「?????」になるけど
そもそも上の例だと逆にイメージがあまり伝わっていないような気もするが・・・
 
 
 
 
 

シナジー効果

 
「あなたたちは古文だけ勉強すれば古文を理解できると思っているかもしれませんが、それは違います。国語力、歴史、民俗学、自然科学、哲学、数学などなどの他の学問も一通り勉強して理解しなければ、古文を理解することはできません」
と大学のときの古文の厳しい先生に言われたことが妙に頭に残っている・・・
 
個人的にも、昔はアニメを見るのが好きでよく見ていましたが、野球を球場で見るようになってから、アニメを理解できるようになったと思います。逆にアニメだけ見ていても、わかったつもりになっていただけで、よくわかっていなかった気がする・・・
テレビで野球中継を見ていれば、実況や解説が試合の解説をしてくれる。しかし実際に球場で野球を見ていると、実況も解説もないので、
「今日のピッチャーのストレートが走ってるな。バッターがみんな球威に押されてる」
「低めの変化球をバッターがみんな振ってるなあ。相当キレてるんだろうな」
と、自分の目で見て、自分で考えて、試合の流れなどを理解していかないといけない。あれで自分で見て、自分で考えるクセが少しはつきました
(サッカー、ラグビーとか他のスポーツも同じだけど)野球は「打った、勝った」ということじゃなくて、そこにいたるまでの細かいところがわかると、より面白く見れますね
そういう視線でアニメを見ると
「ここで雨が降っているのは、悲しみにくれる主人公の心情をあらわしてるんだな・・・」
「このためにこういう演出を入れてるんだろうなあ」
「正直言ってあまり面白くないアニメだと思っていたが、こういう目線とか考え方で見ると面白いな」
とかアニメがよくわかるようになった
 
「野球を見たらアニメがわかるようになった」
というのは意味不明だけど、自分は事実としてそうでしたね
逆にいくらアニメだけ見ていても、アニメはなかなかわかるようにならないんじゃないかと思う
これは発達障害に関しても同じことが言えると思う
自分の障害について理解し、同じ発達障害の人のTwitterのツイートを読んで、当事者会に参加して、一人で悩みを抱え込むのではなく、みんな話し合って悩みを分かち合う、ということはとても大事なことだ
 
けど、これで発達障害を理解したつもりになって
「そうか、自分が生きづらいのは日本社会が発達障害への理解と配慮が足りないせいなんだ!それにしても発達障害を理解しやがらない定型発達のバカアホどもと違って、自分たちはなんて素晴らしい話し合いをしているんだろう!みんなこう言ってるし、発達障害を理解しやがらない悪の定型発達どもを自分もやっつけよう!」
と息巻くのはどうかと思いますね
 
発達障害の生きづらさを減らすために当事者会に参加しているのに、かえって当事者会に傾倒することで、逆に生きづらさが増しているように感じる
 
 
Twitter発達障害関連のツイートを見ていたり、当事者会で発言を聞いていて
「おお、この人はなかなか良いことを言うなあ・・・」
と感じる人は、当事者会に参加した上で、いろいろと仕事をされていたり、野球などのスポーツもやられていたりして、いろんな感性や価値観を踏まえた上で発言されておられる方が多い印象がある
 
ビジネス用語で「シナジー効果」という言葉がありますが
1つのことだけじゃなくて、2つ以上ことを組み合わせることで大きな力を発揮できる。発達障害の人は1つのことに集中してやりがちなので、いろんなことに興味を持って、いろんな目線や価値観を身につけることで、より発達障害について深く理解できるんじゃないかと思います
 
逆に当事者会に参加して、それで満足しているような人は、厳しいことをいうとあまりにも薄っぺらい、浅はかな意見が多いように感じますね
 
なので、発達障害を理解したうえで、さっき挙げたような野球、サッカー、ラグビー、競馬、麻雀、囲碁、将棋、歴史、7並べ、ドラエグも理解して、はじめて発達障害を真に理解できるのではないか?(?)
 
 
「自助会を主催する人は、片手間でやってください。
無職だからヒマだから自助会ではなく、働きながら自助会を主催する時が最も効果あります。」
とさかいハッタツ友の会の石橋さんがおっしゃられておられますが、これは確かにその通りだと思います
 
たいして社会経験がない無職が当事者会をやったところで
「日本企業は発達障害への理解や配慮が足りない!そもそも日本社会は発達障害への理解と配慮が足りない!欧米に比べて日本の発達障害への理解と配慮が足りていないのは、今の首相と自民党の責任である!今こそこのようなバカアホな政府を倒して、発達障害に理解や配慮のある社会を作るべきなんだ!」
「バカアホな定型発達どもはどうせ発達障害に理解しやがらない!ならば発達障害の企業を作って、発達障害の、発達障害による、発達障害のための企業を設立するべきだ!そうすれば発達障害同士で理解や配慮をしあって、みんな仲が良い素晴らしい企業ができるはずだ」
机上の理論でしか考えられないから、極論に行きがちだ
 
そうなるとこういうグループになる恐れもある
ちょっとこれは笑えないか・・・
 
 
だから実際に仕事もしていて、社会での経験の踏まえながら当事者会も開いていく、ということが極論に走らず、主催者の中でバランスを取るためにも大切なことだ
 
あと当事者会でみんなで悩みを分かち合うことも大事ですが、当事者会で話し合ったことを、仕事や家庭などで実践していくことが大事
「いろいろ話を聞けてよかった」
で終わってはいけない
 
発達障害の人はラムネを食べると、仕事に集中できていいらしい」
「カフェインをとると、脳が活性化されていいらしい」
などの理論を語るのではなくて
「仕事でうまくいかなくて悩んでいたが、こうするようになってからうまくいくようになった」
「人生で何していいかわからずに悩んでいたが、スマホアプリのto doリストを使うようになって良くなった」
といった実際の体験を語っている会が良い会だと思いますし
 
それに人のために動く前に、自分自身がしっかり自立できていないといけない。経済的に自立していないと、他の困ってる人の話を聞くなどの活動はなかなか難しいんじゃないかと思います
 
 
 
 

何かをやる会

 
発達障害の当事者会も、「一人で悩みを抱え込むのではなく、みんな話し合って悩みを分かち合う」ということも大事だと思いますが・・・
発達障害のでカラオケに行くとか、軽いスポーツをやるとか、ボードゲームをやるとか、当事者で何かやる会がもっと増えてきたら良いんじゃないかと思います
 
東京だと(今はコロナウイルス感染予防であまり開催されていないみたいですが)Neccoカフェなんかで麻雀やったり、ボードゲームをやったりとか、そういう何かやるイベントもあったりしますが、関西も割と当事者会とかが多い割には、そういうのはあんまり聞かないのは残念ですね
 
単に当事者会で話し合いだけで終わってしまっては
「日本社会は発達障害にもっと理解と配慮をしろ!」
と叫ぶだけの結論で終わってしまって、なんら進展がないんじゃないかと思う
 
そういう点では、ワークショップをいろいろ開催されておられるイイトコサガシも良いですね
よって、今後は話し合うだけの当事者会だけでなく、何かをやるような当事者会がもっと増えていくべきである
・・・と言いたいところですが、たぶん難しいですね・・・
 
まず、当事者会に参加するような人は
「当事者会でワイワイと言いたいことを言って話せればそれで満足だ。別に何かやらなくてもいいじゃん」
と当事者会で話ができればそれで良いと思っている人が多数なので
「単に話し合うだけじゃなくて、もっと当事者で何かやりましょう!」
と言っても、参加者が反対する可能性が高い
 
そもそも、そこそこ社交性があって
「当事者会で話すだけじゃなくて、何かやりたいなあ」
という人は、1人でも勝手に趣味をやる
そうやって趣味をやっていって、ある程度趣味がうまくなったらサークルに参加する
麻雀がうまくなったら雀荘に行くとか、カラオケがうまくなったらカラオケ会に参加するとか
そうやって趣味を通じて、当事者会とは別のところに居場所を作っていく
 
そうすると
「あれっ・・・自分は発達障害だけど、当事者会に参加しなくても別に問題ないな」
と思ってしまって、当事者会を卒業していく
 
「なんかこれから新しくやるとか面倒くさい。当事者会で話せればそれで満足だ」
という人だけが居座って、古参面しているのが、当事者会の現実という気がする・・・
 
そもそも、自分の都合しか考えられないのが発達障害の特性なので、みんなで何かをやろうとしても、みんな自分勝手なことをしてしまってうまくいかない可能性もある・・・・。だからそもそも話し合いぐらいしかできない、という現実的な問題もある
 
 
といっても、発達障害の人でもそういう何かやる会で、やったことがない何かをやったことで
「これまで○○には全く興味はなかったが、今回これをやってみてとても楽しかった。これからもやっていきたい」
と自分の世界を広げてる人もいますしね・・・
 
もうちょっと「当事者で何かをやる会」みたいなのが増えてくると、また発達界隈もいろいろと進展するんじゃないかと思います