にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想7 良いファシリテーターが少ない

良いファシリテーターが少ない

 
この「発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)」の本の良いところは
「参加者が発言しやすいようにこうしましょう。こういうところに気を付けましょう」
「参加者が参加しやすいようにこういう準備をしましょう」
という内容も書いていること
「そうか、ファシリテーターはこういうことにも気を付ける必要があるんだな」
ファシリテーターにとっても参考になるような内容もあると思うので、ぜひいろんな人に読んでほしいですね
 
 
発達障害の当事者会が増えてきて、発達障害の人の居場所が増えてきていて素晴らしいと思います
ただ自分の独断と偏見を述べさせていただくと、ファシリテーターは増えましたが
「ああ、この人はいろんなことに気が付く、本当に良いファシリテーターだなあ」
感じるファシリテーターはあんまりいないですね
 
ファシリテーターって、場所の確保と設営などの準備、参加費の徴収、とあと
「はい、当事者会を始めまーす。よろしくお願いします。まず自己紹介をお願いしまーす。」
「はい、時間が来たので終わりまーす。ありがとうございましたー。」
とかの挨拶や進行、後片付けだけやって終わり
というファシリテーターが多いですね
 
特に東京は人口が多いので
「当事者会やりまーす」
と言って開催するだけで10人20人と集まるので、上記のことしかできてない人でも
「自分は毎回10人以上集まる当事者会を開催、運営できている、素晴らしいファシリテーターだ」
となってる人は多いですね
こういう表面的な形だけ真似て、なんかファシリテーターができた気分になっている会が多い
 
けど近年は言われなくなりましたけど、関西にいたときは
「どうしてファシリテーターの方を悪く言うんだ!ファシリテーターも一生懸命にやってるじゃないか!そんなに悪く言うんだったら、お前が代わりにファシリテーターをやってみろよ!」
とよくお叱りを受けました
(まあ自分はTRPGとか人狼GMゲームマスター)をやってた経験があるから、「あいつより自分のほうが上手くやれるからやってやるよ」とファシリテーターをやれる自信はあるけどね)
 
たしかに
「当事者会に参加したいなあ」
と思ってる発達障害の参加者が仮に100人いたとしても、当事者会を主催するファシリテーターがいなかったら、当事者会は開催できない。逆に、当事者会を主催するファシリテーターが1人いれば、あと参加者が3,4人いれば会としては十分に成り立つ。だから、ファシリテーターの方は偉い、というのはその通りである
 
あと会の内容とか本人の特性にもよるが、ファシリテーターというのは思っているより2、3倍は大変。そんな大変なファシリテーターを、仕事もある中、障害で苦しみながらも、やっておられるのは感謝しかなく、頭が下がる思いです
 
以上のように、ファシリテーターさんは素晴らしい、偉いと思います。
けれども、じゃあ
ファシリテーターや当事者会の主催者さんは素晴らしい、最高だ!」
褒め称え続ければいいのか?というと、また違うと思いますね
 
とにかく褒め称えるだけだと、逆に褒め殺しになるケースもある
特に発達障害の人は
「あなたのこういうところは良いところですね」
「あなたにこう言ってもらえて、とても嬉しかったです」
とか具体的な所作とかを褒めるのは良いですが
「あなたは仕事も頑張っておられる上に、ファシリテーターもやられていて素晴らしいですね」
とか抽象的というか、全体的にフワッとした感じで褒めると
「自分は仕事もファシリテーターもできるんだ!他の発達障害のダメ人間とは違う、素晴らしい、優れた、常に正しい人間だ!」
と慢心したり、変な勘違いをする人も多くて、かえって間違った方向に進んでしまったり、うまくいってたのがうまくいかなくなってしまったりしまうこともある
褒められたことを自信とか自己肯定感になるのは良いですが・・・
 
あとファシリテーターさんも大変だと思いますけど、参加者の方も、平日は仕事で疲れ切ってて、やっと来た休日にゆっくりしたい、旅行に行きたい、趣味をしたいと思っておられるなか、わざわざ会に来てくださっている。
そういう参加者の方に
「今日はわざわざ当事者会に来て良かったな」
と思って帰ってもらうためにも、会話が苦手な参加者でも、会話に参加しやすいように配慮して、心を砕いていくことがファシリテーターは大事
 
ただ
「参加者のために頑張ろう!人の為に尽くそう!」
と変に滅私奉公みたいに頑張ると、自分のメンタルをすり減らしてしまう・・・
自分が楽しんでいないと、他人を楽しませられない
という言葉もありますが
参加者の方に
「いやあ、今日は楽しかった!わざわざ当事者会に来て良かった!」
と思って帰ってもらうためにも、まずは自分が楽しんでいないといけない
ただ、自分だけ楽しんでいると、参加者を楽しんでもらうことはできない・・・
しかし参加者に楽しんでもらうには、自分は我慢しないといけない・・・
というジレンマがある・・・
 
戦国無双信長の野望三國無双三国志は違う楽しみがあるように(?)
パワプロでも試合とかサクセスと栄冠ナインやペナントは違う楽しみがあるように(?)
当事者会に参加者として参加するのと、ファシリテーターとして参加するのとでは、違う楽しみがあると思いますね
 
参加者として参加するのは、自分の話したいことを話すとか、他人の話をしっかり聞くとか、他人の悩みとかその場の話題に対して解決策とか意見を述べるとかをやればよい
 
ファシリテーターは場合によっては意見とか考えを述べていく必要がありますが
基本的にはみんなが話せているか?発言ができているか?一部の人だけが楽しくて、他の人は楽しめていない会ではなく、みんなで楽しめている会になっているのか?自分が話したいことを話すというよりは、参加者が話しやすい環境や雰囲気を作れているか?
(ファシリテーターの人が一方的にずっと話し続けるのは、講演という形式になる)
ということを考えて
いい雰囲気の当事者会を作る、マネジメントするのが目的になる
 
だから参加者は
「今日は当事者会で自分の話したいことが話せて良かった。人のいろんな話を聞けて良かった」
とかが達成感になると思うが
「今日はみんなが楽しく話せてたようで良かった。そういう場を開催できて良かった」
と、ファシリテーターは会のマネジメント、管理にやりがいや達成感を見出すことだ
そのためには自分だけではなく相手(参加者)も楽しいと思える会にしていく必要がある
 
そうすると自分の考えを押し付けるのではなくて、
「相手(参加者)にとって楽しい会とは何だろう??」
と相手(参加者)の立場に立って考えることが大切だ
そのためには気配りとか気遣いとかが大事になってきますね
 
あと目の前だけじゃなくて、会全体を見渡して
「みんな楽しめているのか?一部の人だけが楽しくて、他の人は楽しめていない会ではなく、みんなで楽しめている会になっているか?」
会全体を見渡す視野の広さも必要
そうやって自分のことだけでなく、しっかり周りを見渡して、全体に気を配れる人間になるのが大事ですね
 
できれば、参加者の短所ではなく、長所を活かせるような会ができたらいいですね
そのため、みんながより楽しめる会にするために、様子を見ながら進行を変えていく必要がある
たとえば参加者が積極的に発言する人が多かったら
「なるほど、そうなんですね~。他に意見はありますか?」
と聞き役とか進行に徹していく
参加者があまり自分から意見を言わない人が多かったら
「最近は梅雨が長引いて、雨が続いていますが、みなさんはどう過ごしていますか?」
「最近にハマってる趣味とかありますか?」
「自分は発達障害の生きづらさを緩和するために、本を読んだりして何かに没頭できる時間を作るようにしていますが、みなさんは何かやられていますか?」
と、こちらから話しを振って盛り上げていくとか、みんなが話しやすい雰囲気を作ることですね
 
あと、「自分はこういう会をしたい!」という信念は大事ではあるが、参加者の
「もっとこうしたほうがいいのではないか?もっとこうしてほしい」
という意見にも耳を傾けるべきだ。でないとファシリテーターが突っ走ってしまって、他の参加者がついてこれなくなる。
かといって参加者の意見を聞きすぎても、参加者の意見に振り回されてしまう・・・
参加者の意見を聞きながらも、自分の信念のもとに決断して、参加者も自分もWin-Winになれるようなバランスを見つけることですね
 
 
 
 
なんかいろいろと言ってしまったが、参加者の人が楽しみやすいように気配りや気遣いができて、全体を見渡す視野の広さがあって、参加者の意見をしっかり聞くが、聞きすぎないバランスがとれる人。というのが良いファシリテーターだと思いますね
 
ここまでできれば良いファシリテーターと言える
・・・・・・と言いたいところだが、ここで別の問題が出てきてしまう・・・
 
そもそも、わざわざ当事者会の主催してファシリテーターをやるのはなぜか?
発達障害の人はコミュニケーションがうまくとれない人が多いので、一般社会のコミュニティではなかなかうまくいかない人が多い。だから発達障害の、発達障害による、発達障害のための当事者会を開いて、発達障害の悩みを話し合って分かち合うために当事者会を開いている。
 
ところが、発達障害の特性とか本人の性格とか価値観とか人生観とかにもよるが
・自分のことだけ考えるのではなく、周りに気配りができる
・目の前のことだけじゃなくて、周り全体のことを考えられる
・周りの人が楽しめる雰囲気を作れる。空気が読める
・周りの意見をしっかり聞きながらも、最後は自分で決断して自分の意見を言える。自分と周りとのバランスをとれる
というところまでできる人というのは、基本的には上(一般社会)でも普通に通用するケースが多い
そうなると
「あれっ、わざわざ面倒くさい当事者会の主催、ファシリテーターをやるんじゃなくて、上(一般社会)に行けばいいんじゃないか?」
となってしまって、下(当事者会)を卒業してしまう
 
良い、素晴らしいファシリテーターになると、上(一般社会)でも通用するようになってしまい、下(当事者会)を卒業してしまう・・・というジレンマがあるな・・・
 
 
その人の人生観とか価値観にもよるが・・・・
やはり所詮は社会適合者のふきだまりで、社会性がない人ばかり下(当事者会)よりも、社会でまっとうに生きてる人たちの上(一般社会)のほうが、しっかりした考えの人が多くて、関わっていても楽しいし、
「下(当事者会)の人と違って、一般社会でやれてる人はすごいなあ・・・。自分も頑張ろう!」
と、刺激をもらえて成長させてくれることも多いですしね
「もう下(当事者会)にいても意味ねえな」
と思ったら上(一般社会)に行ったほうがいいでしょう
 
 
プロ野球の2軍選手も、目の前の2軍の試合で頑張って、2軍チームのリーグ優勝、日本一を目指すことが大事ではあるが
最終的には1軍に上がって、1軍で活躍して、1軍のチームの優勝に貢献することが一番の目標なように
 
下(当事者会)でファシリテーターとしていろんな経験を積んで成長して、上(一般社会)に行く、というのも1つのサクセスストーリーなのかもしれない