にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

Neccoカフェの10/31(水)のイベント、自己の感情を分析する会に参加した感想

 

neccocafe.com

10/31(水)にNeccoカフェのイベントの「自己の感情を分析する会」に参加させていただいたので、感想を述べさせていただきます。
1か月も前のを今さら書くのもあれですが、とても良かった会だったので、遅れてでも書きたいと思います。

 

 

 

大人の発達障害当事者のためのピアサポート Necco(ネッコ)

 

neccocafe.com

 

twitter.com

https://www.facebook.com/neccocafe/

 

アクセス

 

大人の発達障害当事者のためのピアサポート Necco(ネッコ)の19時からのイベントスペースで行われた。

neccocafe.com

 

進行

 

まずはファシリテーターココペリさんと、サブファシリテーターさだあんさんの自己紹介と、会の流れについて説明があった。

それから参加者の「どうしてこの会に参加しようと思ったのか?」というのを中心とした自己紹介をしていった。

一通り参加者の自己紹介が終わったあと、10分ぐらい時間をとって、各自で自己分析をした。配布された紙に、ひたすら自分の好きなもの、自分の特徴、自分の価値感、思考回路、得意なこと、克服したいことなどを、なんでも書き殴っていく時間になった。とにかくちゃんとした文章じゃなくていいから、頭に浮かんだものを書いていく。そうやって自分とは何か?自分が好きなものは何なのか?などのことを考えていく。

そして5人ぐらい、自己分析をしてみた結果の自分の考えをみんなの前で発表した。


そしてまた10分ぐらい時間をとって、今度はさっきにやった自己分析の結果を踏まえて、自分のやりたいこと(実現可能かは考えない)、興味があることをひたすら書き殴っていく時間となった。これもちゃんとした文章じゃなくてもいいから、頭に浮かんだことを書いていく

そしてまだ発表していない人に、さっき自己分析した結果の自分の考え、これから自分がやりたいことを、みんなの前で発表した

全員の発表が終わったところで、時間がきたので会はとりあえず終了になった。時間に余裕がある人、まだ話足りない人などは、近くのサイゼリアで二次会をして、さらに話し合ったらしい。

 

 

感想

 

自分を見つめ直すことができた会だった

 

余計なことを考えずに、とにかくひたすら頭に浮かんだことを紙に書き殴っていくことで、自分の本音の部分を書き出すことができて、自分と向き合うことができたと思いますね。やらなきゃいけないこと、やらされてること、社会の常識、ええかっこしいなどにとらわれず、しっかり自分の本音と向き合うことができる。そして自分の本当にやりたいことをみつけられる。さらにそれをみんなの前で発表することは、この自分で自己分析した感覚をしっかり自分でいったん整理することになる。
そうやって自然と自分のやりたいことを見つけられる、素晴らしい会だったと思います。

 

自分で自己分析させて、自分の言葉で発表させる

 

他人があーだこーだ指摘するんじゃなくて、自分自身で紙に書いて自己分析させて、それから自分自身の言葉でみんなの前で発表するのがいいですね。


ファシリテーターの方が、頭ごなしに何か言うんではなしに、しっかり人の話を聞いたうえで、的確なアドバイスができているのはいいですね。人間、誰しも「自分が正しい」と思ってるところがあるので、どうしても頭ごなしに「これが正しいやり方です」と「もっとこうしたほうがいいですよ」「こうやらなきゃダメでしょ」と言ってしまいがちなんですけどね。そうではなしに、まずは相手の話をしっかり聞く、というのができていてすごいなと思いましたね。当たり前に感じますけど、そう簡単にできることではないですからね。

あと自分で考えさせて、自分で気づかせるというのがいいですね
変に人からあーだこーだ言われるより、よっぽど効果がありますからね。

https://youtu.be/LJ8E9u8hJwY?t=272


デール・カーネギー「人を動かす」という本でも、考えを自分で思いつかせることが大事だ、ということを述べてますね

www.kitami.tv

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

 

 

 

役割分担ができていた

 

ファシリテーターのココペリさんと、サブファシリテーターのさだあんさんでしっかり役割分担ができていたのが良かったですね。

会のファシリテーターをやるにあたって、いちばん面倒臭いのが途中から来た人の対応。会をいったん止めて、参加費を集めたり、会の説明をしたりしないといけない。それが終わったらまた会を再開させると、「えーと、どこまでやったっけ??」と頭が混乱してきて、大きな負担になってしまう。これが何回も起きると、ファシリテーターの負担が大きくなりすぎてしまい、なかなかしっかり会を運営できなくなってしまう

これを防ぐために、サブファシリテーターのさだあんさんが、途中から来た人の対応をしてましたね。それでファシリテーターのココペリさんはしっかり会の運営に集中できていた。そのおかげでいい会を運営できていましたね。


また、発達障害の人って真面目な人が多いが、逆に真面目すぎるのが災いして「全部自分でやらないといけない!!」と、自分で何もかもやろうとしてしまい、かえって自分を追い込んでしまうケースもある。そうではなくて、他人を信頼して、他人に任せるということも大事ですね。この会はそれがしっかりできていますね。

 

 

人を目立たせることができる、いいファシリテーターだった


自分は昔にTRPGGMファシリテーター)をやっていたことがある。TRPGって何?って思われると思いますが、ちょっとこれを説明すると長くなるんで、すいませんが割愛します。一概には言えませんが、まあ当事者会のファシリテーターより難しいことということで。

TRPGGMをやってましたが、自分には才能が全くないというのを気づかされて、とても悩みましたね。どう才能がないかを説明すると専門的な話になってきますが・・・・・・。まあ野球で例えると、すごいボールを投げれるわけでもない、打撃センスがあるわけではない、遠くにかっ飛ばせるパワーがあるわけでもない、足が速いわけでもない、肩が強いわけでもない、守備が上手いわけでもない。得意なものが何もない、どうしようもないって感じですね。

その中でも才能が無いなりに頑張りました。「GMとしての才能がない自分が、卓(会)で参加者に喜んでもらうにはどうすればいいのか??」っていうのを自分なりに考えましたね。そうすると自分の才能がない分、なんとか参加者の人にがんばって盛り上げてもらうしかないな、と考えたので「とにかく参加者の良さを引き出す、良さを伸ばす卓(会)をしよう」「参加者がやりやすい環境を作ろう」というのを考えて、GMをやってましたね。

すると、かえって参加者の方々に喜ばれる会になりましたね。こういう才能のなさをどうにかするための苦肉の策でしたが、これが参加者の立場に立って、参加者ファーストな会を作ることにつながったのかなと今考えると思いますね。

逆に才能がある人は、どうしても必然的に「とにかく自分の才能を生かしていこう」って考えてしまって、「自分が好きなことをできる卓(会)にしよう」「自分が楽しめる卓(会)にしよう」と自分の都合を中心に考えてしまう。そうやって自分の力で卓(会)を盛り上げて、楽しい会ができたらいいが、下手すると自分の都合を参加者に押し付けてしまって、参加者があまり楽しめない会になってしまう恐れがある。

まあ人を楽しませるには、まず自分が楽しんでいないと、他人を楽しませることができないので、まずは自分が楽しむということは大切ですけどね。あと前者の卓(会)は基本的に安定感はあるが、後者はGMと参加者がうまくハマったときはものすごく面白くて盛り上がるときもあるので、どちらが正しいかはなんとも言えない。


globis.jp

パスゴール理論の「支援型」「参加型」が前者、「指示型」「達成志向型」が後者かなあ。

 

 

なんか自分語りが続いて前置きが長くなったが、ココペリさんの今回の卓は、しっかり参加者の話を聞いて、そのうえで相手を肯定して伸ばすという、かつての自分と同じ方針で会を運営していますね。このやり方だと参加者がやりやすいので良いですね。


といっても、このやり方は簡単そうに見えて意外と難しい。人間は「食欲」「睡眠欲」とかあるように「他人からすごいって思われたい」「他人から認められたい」とかの「名誉欲」があるので、どうしても会のファシリテーターをやってたら「『さすが〇〇さん!すごいですね!!』って言われたい」「自分が目立ちたい」という感情が出てきてしまう。けどそうやって自分が目立とうとすると、他の参加者の人が目立てなくなってしまう。そうすると「自分だけが楽しい会」になってしまって「参加者にとってはつまらない会」になってしまいがちである。実際、そうやって潰れてしまった当事者会って何個もありますしね。


まあ参加者が場慣れしてない人が多く、あんまり積極的な発言がない場合は、自分がグイグイと会を押し進めないといけないケースもありますけどね。

ただ、やはり基本的にはファシリテーターは「自分が目立ちたい、自分が良く思われたい」と思うんじゃなくて、「自分の会でみんなが楽しいと思ってくれたら、それでいいや」と思えないと、ちょっと難しいかなとは思いますね。


デール・カーネギーの「人を動かす」という本で

自己の重要感を満足させる方法は、人それぞれに違っており、その方法を聞けば、その人物がどういう人物であるかがわかる。自己の重要度を満足させる方法によって、その人間の性格が決まるのである。
これは大変意味があることで、たとえば、ジョン・D・ロックフェラーにとって自己の満足感を満たす方法は、見ず知らずの中国の貧民のために、北京の近代的な病院を建てる資金を寄付することであった。
ところが、ディリンジャーという男は、同じく自己の重要感を満足させるために、泥棒、銀行破り、ついには殺人犯になってしまった。警察に追われ、ミネソタの農家に駆け込んだとき
「俺はディリンジャーだ!」
と言った。自分が凶悪犯罪者であることを誇示したのである。
ディリンジャーとロックフェラーの重要な違いは、自己の重要感を満たすためにとった方法の差である。


と書かれている。
どういうことに自分の存在意義、存在価値を見出して、どう生きるかなんてのは個人の自由ですが・・・。けれどもファシリテーターという観点で考えると「いかに自分が目立つか?褒められるか?」とかで名誉欲を満たすのではなく、「いかに他人を喜ばせられたか?楽しませられたか?」といったところでやりがいを見出して、名誉欲を満たせる人間になっていかないと、ファシリテーターをやって、会を成功させるのは、なかなか難しいんじゃないかと思いますね。

 

 

全員に当てる

 

参加者全員に発表させて、1人ずつ全員の自己分析を聞いて、全員に対してファシリテーターの方からコメントがあったのは非常に良かったですね。

ファシリテーターっていうのは場の雰囲気を読みながら、一部の人だけが話して終わりじゃなくて、全員が発言できるように気を配らないといけない。そうしないと一部の人だけが楽しいだけの会になってしまいますしね。

発達障害の人っていうのは、目の前のことに集中してしまって、どうしても全体を見るのが難しい。またファシリテーターに慣れてないと、「しっかりやらないと」という重圧がかかると、余裕がなくなって余計に目の前にしか見れなくなってしまう。

こればっかりは、数をこなして慣れていくしかないと思いますね。そうやって成功体験を積み重ねたり、失敗を克服したりして、自分自身を成長させていくしかないんじゃないですかね。
ただ「なんとなく」「なんかみんな喜んでくれたっぽいしこれでいいや」とかで何も考えずに適当にやってると、ほとんど成長がないので気をつけたい。

 

フラットな視線で物事を見る

 

この会は、先入観なく、ありのまましっかりと、ファシリテーターの方が参加者の話を聞けていてとても良かったですね。「当たり前だろw」と思われるかもしれないが、これを当たり前にやるのは意外と難しく、なかなかできる人はいない。

ティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」において、最初に

「私たちは、世界をあるがまま見ているのではなく、
私たちがあるがままの世界を見ているのであり、
自分自身が条件つけされた状態で世界を見ているのである。
・・・相手と意見が合わないと、相手のほうが間違ってると瞬間的に思う。」
『完訳7つの習慣 人格主義の回復』より

人は誰しも、過去の経験や知識を参照して世界を見ている。どんなに「自分は客観的な人間だ」と信じる人でも「事象を自分の見たいように見ている」という呪縛からは逃れられない。
この心理に気づかない人は、自分の正しさを疑わないから、物の見方が狭い。仕事で失敗すれば、職場の雰囲気や上司のせいにする。自分が理解されないのを人のせいにして、相手を責める。結果、ますます周囲から避けられて、成長の機会を逃してしまう。これは「See(物の見方)→ Do(物の見方から来る行動) → Get(行動の結果、得るもの)」の循環が悪いせいだ。いい結果を得たいなら、出発点である「See」を変えるしかない。
『まんがでわかる 7つの習慣』より

と述べて、自分が変わらなければ、周囲の物事も変わらない(インサイドアウト)として、自分が良い方向に変わるには、良い習慣を身につけて、人格を育てることで真の成功をつかめる、としている。

 


このように、ありのままを見ているつもりでも、自分の都合の良いように見ている場合が多い。しっかり相手の立場に立って、先入観なく、ありのまましっかりと参加者の話を聞くというのは、なかなか難しい。

 

一つ例を挙げよう
ある人は仕事をしていたが、ミスが多く、上司から
「君は作業中にミスや失敗があまりにも多すぎる!しっかりやってくれないと困るよ!」
と叱責されてしまった。
それから仕事の作業を事細かにメモにまとめ、言われたことはすべてメモして、その通りに仕事をしていった。するとミスなく仕事ができるようになり、上司からも
「君の仕事ぶりはミスがなくて完璧で素晴らしい。これからも頼むよ」
と称賛された。
こういう成功体験があると、「仕事とはしっかり事細かにメモをとって、その通りにするべきだ!」という考えになる。
そうすると当事者会で
「仕事でメモをとろうとしても、作業内容をいちいち文章化する過程でうまくいかず、かえって作業内容を覚えられないので、それよりは五感を研ぎ澄まして、感覚で覚えるようにしています」
という人がいたら
「いやいやダメだよ。しっかりメモを取らないと、ミスなく仕事ができるようにはならないよ!そんなやり方なんかじゃ作業内容を覚えられないよ!」
と否定的な意見を述べてしまう。

「どちらのやり方も正しい。自分に合ったやり方を見つけられていて素晴らしい。」
と言えないといけないんですけどね。どんな事柄でも、どうしても「これはこうあるべきである!」という先入観があるからなかなか難しい

 

 

もっとわかりやすい例を挙げると、鉄道が趣味の人がいるとして、
当事者会で「自分も鉄道が趣味なんですよ~」と答える人には
「鉄道の良さがわかるとは、この人はなんて素晴らしい人なんだろう!」と好印象を抱く
一方で、「鉄道には興味はないですね。自分は野球が趣味です」と答える人には
「やきうwwwwあんな棒でボールを振り回すだけのスポーツなんざ何がおもしろいんだw野球なんざにおもしろがって、鉄道の良さを理解しやがらないとは、なんてバカな奴なんだ」と否定的な印象を持ってしまう。
また「鉄道には興味がないですね。自分はAKBが趣味です」と答える人には
「AKBwwwwwwあんなグループの何がいいんだw鉄道の良さを理解できず、握手会の接触商法にホイホイつられて、秋元グループに金を搾り取られてるアホが」とやはり否定的な印象を持ってしまう

 

さすがにここまで極端な人に会ったことはないが、
「自分の好きなことは辟易するぐらいしゃべるクセに、自分が興味のない話は全く聞かない」
「自分の言いたいことだけ言って、他人の話はほとんど聞かない」
「他人の細かな言い間違いには執拗に指摘するクセに、自分が言い間違いをして指摘されたら逆ギレする」
とかは当事者会によくいる。


少し話がズレたが、「熱中できる趣味があるなんて素晴らしい!」とフラットな目線で、しっかりと評価するというのは、簡単なようでなかなか難しい
その点、この会のファシリテーターの方はしっかりできていて、本当にすごいな、と思いましたね。

 

人間性

 

ファシリテーターにとって大事なことは一番大切なことは何か?っていうのを突き詰めて考えていくと、会を立案して実行する力、場をまとめる力、うまく時間内に終わらせる計画性、人を集められるカリスマ性、場の全体を見渡せる大局観、「発達障害の人が楽しく生きるためにはどうすればいいのか?」などの哲学、「こういう会をやりたいんだ!!」というコンセプトを考えて実行できる情熱とか、いろいろあると思いますが
やっぱり一番大事なのは人間性だと思いますね。「人生、辛いことばっかりで・・・」と話す参加者の方がおられれば、まるで自分のことのように心の底から嘆き悲しみ、「最近、良い事があって・・・」と話す参加者の方がおられたら、心からともに喜び、祝福する。そういう人間性が大事なんじゃないかと思いますね。

ある自助会で「障害は個性の一つなんだ。そしてお互いがお互いを認め合う社会になるべきなんだ!」と力説してた人がいたが、それから10分後には「いや、その意見は違う」「その考えはおかしぞ」と、他人の意見を否定しまくってて草不可避でしたね。「お前、『お互いがお互いを認め合う社会になるべき』とちゃうんかい。なんやそれは。ただ単に自分が認められたいだけやろが」とツッコみたくなりましたね。いくら良いことを言ってても、人間性がともなわなかったら言葉が薄っぺらくなりますね。

プロ野球監督の野村克也氏も自著で常々「人間性の向上なくして、野球技術の向上なし」と語っておられます。ファシリテーターの場合でも人間として信頼されないと、誰もその人の会に行こうとも思わないし、発する言葉もいい人が言うと「うーん、さすが良いことを言うなあ」と感嘆されるが、人間性に問題がある人が言っても「は?何言ってんだこいつ。どこの口が言うか?」と聞く耳を持たれないですからね。


あと言葉の重みも変わってくる。参加者の方で「人生がうまくいかず辛いです・・・」という相談を受けたとして、「いや、人生これからいい事がありますよ!!」と元気づけたとする。そのときにこれまで艱難辛苦の苦しい人生を乗り越えてきた人と、そうでもない人では、同じ言葉を話しても言葉の重みがだいぶ変わってきますしね。

 

最後に

 

おっと、思いのほか長く語ってしまった
やはり会の運営が本当にしっかりしてる会だったなという印象ですね。これから「自分も発達障害の当事者会を主催してみようかな?」と考えている人は、ぜひともこのココペリさんとさだあんさんの会を参考にしたらいいんじゃないかと思いますね。本当にファシリテーターの方が会の準備がきっちりできていて、会の進行もしっかりしているので、当事者会の模範としてもいいんじゃないかと個人的には思いますね。当事者会の教科書のような会ですね。

個人としてもこの会に参加することで、自分のやりたいことを考え直すことができて良かったです。また仕事がとても多忙で、なかなか当事者会に顔を出せない日々が続いていましたが、久しぶりに当事者会に来れてとても楽しかったです。ありがとうございました。

大変だとは思いますが、今後ともこのイベントを続けていってほしいですね。このイベントを通して、発達障害の人がより楽しく生きれることを願っています。今回はありがとうございました。