にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の人が失った自己肯定感や自分への自信と持つための、4つの方法

発達障害の人は、定型の人よりも苦手なことが多かったり、できないことが多かったりする。普通の人が簡単にできることができなかったりする。またコミュニケーションに問題があったりしてしまう。これらのことが原因で、学校でいじめにあったり、ついていけなかったりしてしまう。また社会でもそれらのことが要因となって定職に就けなかったりする。

このように人生がうまくいってない人が多いので、「自分には価値がないんじゃないか・・・?」「自分なんか生きていてもしょうがないんじゃないか・・・?」とどうしても思ってしまい、自己肯定感を持てなかったり、自分に自信を持てなかったりする。そんな発達障害の人が自己肯定感、自分に自信を持つためにはどうすればいいんだろうか?

 

 

1、自分にできることを見つける

 

まずは自分の好きなこと、興味を持つことを見つけること。すると発達障害の人は好きなことには熱中する人が多いので、すぐに上手くなる。すると「定型の人ってなんの障害もないクセに、これに関しては自分のほうが上手いじゃん。なんだ、定型の人って何の不自由もなく、なんでもできるのかと思ってたけど、なんかたいしたことねえな」「たしかに自分は定型の人より苦手なこと、できないことも多いけど、これに関しては自分も同じくらいできるな。もしくは自分の方が上だな」って思えると、だいぶ精神的に楽になりますね。

自分はこれは(定型と同じくらい)できる」「自分はこれが得意」っていうのがあると、かなり変わりますね。自信になりますし、自己肯定感にもつながりますね。

 

2、他人のためになることをする

 

なるべく自助会に参加するとか、SNSで交流するとか、自分の体験や思いをブログに書くとか、ちょっとしたことでも他人の役に立つことをすることですね。ほんの少しでも「自分は他の人の役に立ってるんだ!」という思いがあると自己肯定感につながりますね。

あと「自分さえ良ければそれでいいや」って態度の人からはみんな去っていきますけど、「他人のために生きてる人」というのは人も集まってきやすいですしね。そうすると「自分にはこんなに仲間や友人がいるんだ」と思うと、さらに自己肯定感につながる。こういう好循環にもなる。

とはいっても人間は時間が経てば腹も減るし、寝ないでいたら眠くなってくるように、人間には食欲とか睡眠欲とかがあるように、「他人から褒めてもらいたい!」という名誉欲というのがある。だから最初は「人の役に立てる人間になろう!」と思っていても、だんだん「他人から認めてもらいたい」という欲が出てきてしまうので、いろんな人に感謝するとか、いかに初心に戻って気持ちを継続させられるかがカギになってくる。

3、根拠のない自信を持つ

 

人間っていうのは理知的に生きているように見えて、実は感情で生きている。「おみくじ引いたら凶だった・・・今年はダメかも・・・」「おっ、ちょうど信号が青になった!今日はツイてる!」とかどうでもいいことで気分を左右されて生きている。だから「お前なんかどうせ何やってもダメだ」と言われ続けると「やっぱり自分ってダメなのかな・・・?」と思ってしまい、ちょっと失敗しただけで「やっぱりそうだ!どうせ自分はダメなんだ・・・」と思い込んでしまう。人間っていうのは根拠がなくても、そのときの気分、そのときの感情次第で固定観念を持ってしまうものだ。「自分はダメだ・・・」という固定観念を持ってしまうと、成功と失敗が5:5でも「ほらこんなに失敗してる。やっぱり自分はダメな奴なんだ」と思ってしまう。あとうまくいくかもしれない事柄でも「どうせ自分はダメだ」と思ってやると、本当にその通りになってしまいがちですしね。
(しかしながら麻雀とか、ちょっとした賭け事なんかは「今回は絶対に勝つ!!」「お願いだ!!今度こそ当たってくれ!!!」とか強く願いよりは、無我無欲のほうがかえって良い結果が出るケースが多い気がする。欲が強すぎるのも考えものか?)

とはいっても、「失敗したくない」と考えがちな発達障害の人は、どうしても成功してことよりも失敗したことのほうが記憶に残りがち。そうすると自然に「失敗したことのほうが多いから、自分はダメなんじゃないか?」と考えてしまい、なかなか自分に自信を持ったり、自己肯定感を持てない人が多い。まあ、学校生活などで他の人はできるのに自分はできない、自分だけ他の人と違っている、という経験とかがあると、それがトラウマになってしまって自分に自信を持ったり、自己肯定感を持つのが難しいというのはある。

ではこのような状態で自分に自信を持つにはどうすればいいのだろうか?
前述したように、どうせ人間は感情で生きている生き物なんだから、「どうせ自分はすごい!」「どうせ自分はやれる!」と勝手に思い込むこと。あまり人に言いふらすのはアレだが、常に「どうせ自分はすごいんだ」と自己暗示をかけることですね。最初は「何言ってるんだろう自分」と半信半疑だけれども、ずっと自己暗示をかけ続けると本当に「自分ってすごいんじゃね?」と思い始めてくるから怖いw

そんな子供だまし、と思われるかもしれない。けれども近年はスポーツ選手でも「メンタルトレーニング」というのを取り入れてますしね。トップアスリートの選手といっても、やっぱり一人の人間だから、オリンピック本番前なんかは「失敗したらどうしよう・・・」とった緊張、焦り、気負いなどの不安に駆られてしまう。そのなかでも不安に押しつぶされずに自分のパフォーマンスを発揮するために、自分が成功したときをイメージするとか、ラグビーの五郎丸ポーズみたいにいつものルーティンを行うことで平常心を取り戻すとか、いろいろやってますよね。


個人的には西田文雄という人の本を読んで、寝る前には「今日もツキがあった」と自分に言い聞かせて、今日あった良かったことを頭に思い浮かべて寝て、朝起きたら「今日はツキがある」と言い聞かせて「今日の仕事もうまくいく。今日も良い事がある」とイメージするようにしてますね。

4、穢れを祓う


神道(神社)的な考えになります。自分は一時期、神職(神社の神主)を目指していたこともあるもので。

自分は月に1回は神社に参拝して「生かして頂いてありがとうございます」と祈願してますね。あとなるべく毎日、祓詞大祓詞を唱えるようにしてますね。

母親から産まれて赤ん坊のころから「自分は生きてる価値がない」「自分なんかいないほうが良い」とか考える人はいない。けれども現実世界を生きていく中でそういう考えになってしまうこともある。こういう現実世界を生きていくうちに良くないものが身体に憑いてしまうのを罪、穢れと呼ぶ。穢れは気枯れ、気離れと呼び、生命の輝きや魂の強さといった「」が衰えた状態をいう。だが逆に言えば、良くないものを祓えば、もともとの「」の輝きが戻るという考え。だから祓詞大祓詞を唱えることで、祓うことができるとする。

個人的には神社に参拝したり、祓詞大祓詞を唱えると、気分が落ち着く感じはあるので、なるべくやるようにしてますね。

 

まあ神社じゃなくても、心の拠り所みたいなものがあるといいかもしれないですね。

終わりに

太平洋戦争のときに日本の軍部で「物資は有限だが、我らの大和魂は無限である!」と主張していた人がいるらしいが・・・・・・・

とはいっても仮に大勢の人から「お前なんか生きてる価値ない!」と言われたとしても、それを受けて自分も「そうか・・・自分は生きてる価値がないんだ・・・」と思うのも、「いや、自分は生きる価値がある」と思うのも、これは個人の自由です。他人や環境は自分では変えられない場合もありますけど、自分の気持ちっていうのは自分で決められる

shutou.hatenablog.com

 

インビクタス/負けざる者たち - Wikipedia


「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり」は、英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリー

 

どんな障害があっても、どんな環境であっても、どんな出来事があっても、心の在り方を決めるのは自分自身。自分の人生の舵取りは、自分でやっていかないといけない。

「自分なんてどうせダメなんじゃ・・・?」と思って生きてると、どうしてもいろんな物事をネガティブに考えてしまうし、ツキも見逃してしまったり、それに幸運に見放されてしまったりして、つまらない人生を送ることになってしまう。

逆に現実を受け入れ、前を向いて生きていれば、ネガティブだったときよりも景色も変わって見えてくる。自分が前向きにしっかり生きていれば、周りの自分に対する態度が変わったりして、環境も変わってきたりしますしね。周りは変えられないが、自分は変えられる。そして自分が変われば、周囲も変わる。周囲を変えたければ、まずは自分が変わっていくことですね。