にっし~の日記

発達障害のにっしーが思ったことを綴っていくブログ

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想10 入りが難しい

入りが難しい

イイトコサガシはこれまで再三にわたって述べてきたとおり、素晴らしい会だと思いますが
ただ正直に言うと入りが難しい会だと思いますね
 
やっぱり会社でも失敗すると怒られたり、周りの迷惑になるんで、なるべく失敗しないほうがいい
仕事でも日常でも基本的には失敗しないほうが、損失もないですし、ストレスもないので、失敗はないことに越したことはない
 
けどこのイイトコサガシでは、新しいことに挑戦して失敗していくことが求められるんで、
「失敗してはいけない」
って考えを捨てて
「どんどん新しいことに挑戦して失敗していこう」
と考えとかマインドを変える必要があるので、急に変えるのは難しいですね・・・
 
あと、「30秒間で、30秒間を超える勢いでとにかく好きなことを語るぞ!」ということは、相当テンションを上げていかないといけない
ワークショップが始まったら、急にテンションを上げて、もうテンションMAXで臨まないといけないので
これが意外と難しいですね
 
それと、ファシリテーターさんがイイトコサガシの会を開催される背景や理由、参加者がイイトコサガシに参加するきっかけや理由も、それぞれ違うかもしれない
いろんな境遇とか考え方の違う人も集まるときもあるし、こういう価値観や文化の違いが生じるときもある
ただ、人によって理由はさまざまだろうが、
イイトコサガシのワークショップに参加しようと思った」
発達障害だろうがなんだろうが、よりコミュニケーションを良くとれるようになって、より楽しい幸せな人生を過ごしたい」
という思いは一緒だと思うので、みんなでいっしょにワークショップを作っていくためにも、一体感、OneTaemを作るためにも、気持ちを一つにする儀式みたいなのがあったほうがいい気はしますね
 
常識を捨ててマインドを切り替えて、気持ちを高めてテンションを上げて、一体感を作る
なんかのきっかけが欲しいですね・・・
 
Overtureをやるとか
 
円陣を組んで声出しをするとか
やっぱダイヤのAの青道高校だな
(ただ急にやってもバラバラになるみたいですけどね)
 
 
戦闘開始、というかイイトコサガシ開始の歌をみんなで歌うとか
 
 
 
 
チャントを歌うとか
 
 
発達障害でこれまで辛い人生を歩んできて、生きづらさを今も感じているとか、毎日がつらい日々が続いていて憂鬱だとか、どうでもいい。
イイトコサガシでのワークショップを面白いものにするぞ!楽しい空間にするぞ!自分や他人のイイトコサガシをやるぞ!!
さあ行くぞ!!」
と、くだらない常識や一般論を捨て去り、ファシリテーターさんや参加者の気持ちや集中力を高め、一体感を高めて気持ちを一つにする、スイッチを入れることが必要
 
 
 
30秒スピーチのときに、ファシリテーターさんが参加者に
「30秒を超える勢いで」
と言われている通り、ファシリテーターさんが参加者に、まずはイイトコサガシワークショップの時間を、時間を超える勢いで参加させていくべきだと思いますね
 
 
 
あと、イイトコサガシワークショップは、言葉で気持ちを表現するとかの、声を出していくことが多いので、最初に参加者に声を出させていくのがいいと思いますね
 
イイトコサガシは公民館とか会議室を借りて開催されることが多いので、あんまり変に大声出させるのはダメでしょうが

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想9 失敗を恐れさせない

イイトコサガシの課題

イイトコサガシはこれまで述べてきたように素晴らしい会だと思うので、今後も継続して続けて行ってほしいですし、さらなる発展を願っております。
けれども、イイトコサガシのさらなる継続、発展のためにも、ここをもう少し良くしたら、さらに素晴らしい会になるのではないか?と思ったことがありますので、少し述べさせていただきます。
 
イイトコサガシに批判するメリットは?批判経験値を獲得する絶好のチャンス。
直接の批判は大歓迎らしいですので
 
 

会の開始前に身体を動かそう

人とのコミュニケーションが苦手な人っていうのは、基本的に人と関わらない生活をしていることが多い
趣味がゲーム、アニメ鑑賞、テレビや映画鑑賞という人が多いですね。だからコロナウイルスの感染拡大に伴う外出自粛、自宅待機、おうち時間を過ごそうとニュースで言われようが、そうでなかろうが、休日はずっと家で過ごすという人が多い
というか「人と会うのが好き」とか言って、休日はパーティや一緒にスポーツをやったり、友人と遊ぶのが趣味とかいう人は、それはそもそもコミュニケーションが苦手な人ではないですしね
 
そうすると休日は家に居っぱなしの、日ごろから運動不足とかの人が多いので、まずはラジオ体操とかやって身体を動かしたほうがいいと思いますね
 
身体を動かすことで、身体全体の血流の流れも良くなって、ワークショップにより効率良く参加できるようになる効果も期待できますし
 
他の当事者会でも身体を動かしてから会を始めたほうが、より活発な意見が出るようになると思います。また身体を動かして身体が筋肉がほぐれることによって、身体の張りとか疲労感も取れて、生きづらさが少し解消されるかもしれないので、イイトコサガシだけじゃなくて当事者会全体でやったほうがいいと思いますね
 
 
 
STU体操がオススメなんで、みんなやりましょう(ステマ
 
体操しすぎて、ワークショップが始まる前に疲れ切ってしまうのは良くないですが
 
 
 

失敗を恐れさせない

イイトコサガシは会のはじめに、会のおける注意事項として
・退室、休憩は自由
・このワークショップは各自にやる気を出させる会ではない
・失敗を恐れずにどんどん新しいことを試す会である
の3つ説明してから、会を始めておられます
それは良いと思いますが、もうちょっと3つ目の「失敗を恐れずにどんどん新しいことを試す会である」というのをしっかり説明する、というか、前に押し出したほうが良いと思いますね
 
イイトコサガシワークショップは、「30秒で好きなものを説明する」とか、日ごろやらない、これまでの人生でほとんどやったことがないことをやることが多い
 
そうやってこれまでやったことをないことを、急に
「30秒で好きなものを説明してください」
と言われても、困ってしまう。
人間は困るとどうするのか?
とりあえず(自分の中での)常識的な行動をとろうとする
基本的に日本人の常識とは
「あんまり自分だけ変なことをして失敗して、周りに迷惑をかけてはいけない」
「人前で失敗して、恥をかきたくない」
なんで、なるべく失敗しないように無難にやろうとしてしまう
そうするとファシリテーターさんから
「好きだという気持ちはあなただけのものなんだから、もっと気持ちを表現していきましょう!」
と言われて
「あれっ、今のダメだったの??」
と修正していくことになる
「そうか、もっと気持ちを出していっていいんだ」
と合わせられるようになるまで、ちょっと時間がかかる
 
まあファシリテーターさんの最初の説明をしっかり理解しなかった自分が悪いとは思いますが、
「失敗は成功のもと。ここでどんどん失敗して、この失敗を生かして実生活で成功させましょう。そのためにも、この会ではどんどん新しいことに挑戦して、どんどん失敗しましょう」
「できることだけやって成功する臆病者になるんじゃなくて、果敢にできないことにチャレンジしてやってみる勇者になりましょう」
ぐらい言ってくれたほうが
「ああ、ここは失敗していいんだな。むしろ積極的に失敗していかないといけないんだな」
と、参加者もやりやすいし、ファシリテーターさんと参加者の意思の齟齬がなく会に入っていけるので、より良いワークショップができると思います
最初の部分でそこらへんの意思の齟齬があると、もったいないですしね
 
 
 
 
重圧から調子を落としていた岡本に対して、阿部が
「自分が打とうとか、自分が決めようっていうのではなくて、打席に入る時に“ 何とかしよう”と思って打席に入れ」
とアドバイスしたことをきっかけに
「今までは打たなきゃいけないとか、打ちたいとか、打つ、っていう感じだったんですけど、阿部さんに“何とかしようと思って打席に入ってみ”って言われて、そこからですね。そこから徐々に徐々に進塁打を打てたりとか、打てたりというか進塁打になったりとか、チームにとってプラスの打撃になっていきました。
 マイナス思考とプラス思考の違いですよね。打たなきゃいけないの“いけない”はマイナス思考というか自分を追い詰めているので。でも“何とかしよう”って結構すごい気楽じゃないですか?
 だって別に打たなくて良いんですよ。別にランナー進めたら良いわけで、エラーでも何でも良いわけで、それって何とかしようと思った結果がそうなるので。全然違いましたね、気持ちの持ちようが。楽になりましたね」
と考えて復調したそうだ
 
 
 
「30秒を超える勢いで話します」
「自分らしさで話します」
と言わせるのも大事だが
「失敗したくないなあ・・・失敗するのは嫌だなあ・・・」
と思って発表するんじゃなくて
「失敗してもいいから、とにかく思い切ってやろう」
と思って発表できるように、ファシリテーターさんが説明というか、そういう雰囲気にしていったほうがいいかもしれないですね

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想8 制限があるからこそ成長できる

制限があるからこそ成長できる

自由は不自由、不自由は自由

このイイトコサガシワークショップは、1分、30秒、15秒とかの時間制限があるのが良いですね
 
これが、1時間とかだったら、何の工夫もなくダラダラと話していればいい。だが、1分、30秒、15秒とかの短い時間制限があるので、
「これを話す」
というしっかり意思を持って話すとか、無駄を削ぎ落として話すとか、1から10まで話す時間はないのでとにかく勢いで気持ちは伝わるように話すとか
いろいろと工夫をしていく必要がある
そうやって
「限られた時間で、どうすれば話を伝えられるんだろう?」
悩んだり、工夫したり、チャレンジすることによって成長がある
 
こういう30秒とかの短い時間でどうするか?どう伝えるか?といろいろ考えていくことが、かえって自由な発想を生んだりする
逆に
「1時間ずっと自由に話して良いですよ」
となると、自由過ぎて何をしていいかわからなくなって、何も生み出さない
 
自由は何も生み出さないが、不自由は
「制約がある中でどうすればいいか?」
と悩み考えていく中で智慧がでてくる。
 
自由は何も生み出さないが、不自由はその中での自由さを求めて、多くの発想が生まれるとはなんとも皮肉なものだ・・・

自粛時間中に楽しむ工夫ができる人が、楽しく生きれる人

コロナウイルスの感染拡大によるイベントの自粛、延期が相次ぎ、なかなか好きなイベントに参加できない億劫な日々が続いています
 
そういうときに
「家にいるばっかりでつまんねー、おもんねーわ」
とブーたれて愚痴ばかり言って過ごすんじゃなくて
「家にいる時間が増えた、なんか家でできることをいろいろやってみよう」
と積極的に何かやってみたり、楽しもうと創意工夫できる人は、日々を楽しく過ごせるし、そうやって日々成長できますね
 
 
AKBグループも公演とか握手会も三密になって、コロナウイルスの感染が広がってる今ではそういう活動はできないから、別の活動方法も考えていかないと今後は厳しそうだなあ
 
こういう画面越しに握手会みたいなのをするが主流になるのかな
 
 

ホウレンソウ(報告、連絡、相談)は端的に伝える

あと、会社の仕事はダラダラやらずにパッと終わらせることが求められるが
会社における「ホウレンソウ(報告、連絡、相談)」においても、物事を端的にわかりやすく相手に伝える必要がある
 
このように、聞かれたことに短く端的に早く答えることですね
 
 
 
たとえば
「14:30に電話がかかってきて、他の人が忙しそうだったので自分が『発達工業です』電話に出たら、『こちら定型工業の〇〇と申します。△△様はおられますか?』と言われた。『すいません、少々お待ちください』と言って保留にして、『△△さん、定型工業の〇〇さんからお電話です』と叫んだが、他の人に『△△は今は会議で席を外している』と言われたので、保留を解除して、〇〇さんに『すいません、△△は今、席を外しておりますが・・・』と伝えたら、『次の受注商品についての△△さんに聞きたいことがあったんですが・・・。では、折り返して電話をしていただくようにお伝え願えますか?』と言われたので『わかりました、そのように伝えます』と話して電話を切りました」
と話すのではなくて
「△△さん、先ほどに定型工業の○○様から次の受注商品についてのお電話がありました。折り返して電話してほしいとのことです」
とパッと、相手が欲しい情報だけ短く伝えることですね
 
逆に前述のように全部話すと
「ああ、この人は仕事ができない人だな。全然使えない人だ。所詮は発達障害だな、とてもじゃないが大事な仕事は任せられない」
と思われて、一発で信頼を失います
 
このように真面目に出社して、そこそこ仕事していても、ホウレンソウが長いだけで
「仕事ができない人、使えない人」
という評価になる
それぐらい評価を落とすことになる
 
にもかかわらず、当事者会で
「ホウレンソウで話がどうしても長くなってしまい、短く端的に用件を伝えることができません。どうしたらいいでしょうか?」
という話し合いをしているのは見たことがない
 
 
「前述のほうが状況を一つ一つ丁寧に事細かに説明しているのに、なんで
『ああ、この人は仕事ができない人だな。全然使えない人だ。所詮は発達障害だな、とてもじゃないが大事な仕事は任せられない』
と思われないといけないのか??おかしいだろ!意味わかんねえよ」
と思われる人もおられるかもしれないが・・・・・・
 
そうやって自分の言いたいことだけを言うだけで
「相手は何を言ってほしいんだろう??相手は自分に何を求めてるんだろう??」
とかを考えないから、上(一般社会)でなかなか通用せずに下(当事者会)にいるんじゃないですか?
 
 
まあ上記のケースでも、自分では処理しきれないクレームとかだったら、事細かに説明したほうがいいんで、そこらへんの
「相手や上司が何を求めているか?どういう情報を欲しているのか?」
「会社は組織にとって何が大事なのか?」
とかを考えて、臨機応変に対応できるかどうかが大事ですね
 
 
発達障害の人は根が真面目なぶん、自分の情報をすべて話そうとしがちであるが、本人としては真面目に必死に相手に情報を伝えようとしたつもりでも、それはただの自己満足であって、相手や周りからしてみれば
「話が要領を得ずにダラダラと長い説明しかできない、いらない人」
となるときがある
いかに短くわかりやすく説明できるか?をできるようになるかが大事ですね
 
 

短い指示を理解する

実際の仕事だと
「定型工業の〇〇様から△△さんにお電話です」
「よしわかった、つないで」
「わかりました、△△さんの電話に転送します」
 
「定型工業に送信するメールの下書きができました。確認をお願いします」
「うん、これでいいよ。送っといて」
「わかりました、メールを送信します」
 
「提出する書類が完成しました。確認をお願いします」
「よし、これでいいよ。出しておいて」
「わかりました。プリンターで印刷して机に置いておきます」
 
「悪いんだが、これを頼む」
「(会議で配布する用の書類の場合)わかりました、参加者の枚数コピーして、ホチキスでとめて会議室に配布しておきます」
「(整理する書類の場合)わかりました。書類内容をスキャンして、PCの共有フォルダに入れてアップロードしたあと、ファイルに整理します」
 
 
「おいっ、これどうなってんだよ、おい!」
「(目線の先が、作業道具を出しっぱなしにして散らかっている机の場合)申し訳ありません。作業道具を片付けるのを忘れていました。すいません、今すぐに片付けます」
「(目線の先が書類の場合、記入漏れか入力間違いなどの重大なミスがある可能性が高いので)申し訳ありません。すぐに書類を確認して作り直します!」
 
といった感じで、短い会話で理解してパッと対応しないといけないときも多い
仕事の流れとか、仕事内容をしっかり理解して、すぐに対応していく必要がある
定型の人だったらなんとなくでできるけど、発達障害の人が短い会話を理解するには、日ごろから短い言葉で表現していかないと難しいですね
 
 
 

AKBの握手会は20秒

それとAKBとかの握手会だと、握手券1枚で20秒ぐらいしか話せないので、とにかく要件を短くわかりやすく推しメンに伝えることが大事ですね
 
STUの2期生はフレッシュでかわいい子が多いのでオススメです(ステマ
 
 
 
 
その点、イイトコサガシワークショップは自分の言いたいことを短く伝える、物事を端的にわかりやすく相手に伝える、ということができるようになるワークショップである

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想7 良いファシリテーターが少ない

良いファシリテーターが少ない

 
この「発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)」の本の良いところは
「参加者が発言しやすいようにこうしましょう。こういうところに気を付けましょう」
「参加者が参加しやすいようにこういう準備をしましょう」
という内容も書いていること
「そうか、ファシリテーターはこういうことにも気を付ける必要があるんだな」
ファシリテーターにとっても参考になるような内容もあると思うので、ぜひいろんな人に読んでほしいですね
 
 
発達障害の当事者会が増えてきて、発達障害の人の居場所が増えてきていて素晴らしいと思います
ただ自分の独断と偏見を述べさせていただくと、ファシリテーターは増えましたが
「ああ、この人はいろんなことに気が付く、本当に良いファシリテーターだなあ」
感じるファシリテーターはあんまりいないですね
 
ファシリテーターって、場所の確保と設営などの準備、参加費の徴収、とあと
「はい、当事者会を始めまーす。よろしくお願いします。まず自己紹介をお願いしまーす。」
「はい、時間が来たので終わりまーす。ありがとうございましたー。」
とかの挨拶や進行、後片付けだけやって終わり
というファシリテーターが多いですね
 
特に東京は人口が多いので
「当事者会やりまーす」
と言って開催するだけで10人20人と集まるので、上記のことしかできてない人でも
「自分は毎回10人以上集まる当事者会を開催、運営できている、素晴らしいファシリテーターだ」
となってる人は多いですね
こういう表面的な形だけ真似て、なんかファシリテーターができた気分になっている会が多い
 
けど近年は言われなくなりましたけど、関西にいたときは
「どうしてファシリテーターの方を悪く言うんだ!ファシリテーターも一生懸命にやってるじゃないか!そんなに悪く言うんだったら、お前が代わりにファシリテーターをやってみろよ!」
とよくお叱りを受けました
(まあ自分はTRPGとか人狼GMゲームマスター)をやってた経験があるから、「あいつより自分のほうが上手くやれるからやってやるよ」とファシリテーターをやれる自信はあるけどね)
 
たしかに
「当事者会に参加したいなあ」
と思ってる発達障害の参加者が仮に100人いたとしても、当事者会を主催するファシリテーターがいなかったら、当事者会は開催できない。逆に、当事者会を主催するファシリテーターが1人いれば、あと参加者が3,4人いれば会としては十分に成り立つ。だから、ファシリテーターの方は偉い、というのはその通りである
 
あと会の内容とか本人の特性にもよるが、ファシリテーターというのは思っているより2、3倍は大変。そんな大変なファシリテーターを、仕事もある中、障害で苦しみながらも、やっておられるのは感謝しかなく、頭が下がる思いです
 
以上のように、ファシリテーターさんは素晴らしい、偉いと思います。
けれども、じゃあ
ファシリテーターや当事者会の主催者さんは素晴らしい、最高だ!」
褒め称え続ければいいのか?というと、また違うと思いますね
 
とにかく褒め称えるだけだと、逆に褒め殺しになるケースもある
特に発達障害の人は
「あなたのこういうところは良いところですね」
「あなたにこう言ってもらえて、とても嬉しかったです」
とか具体的な所作とかを褒めるのは良いですが
「あなたは仕事も頑張っておられる上に、ファシリテーターもやられていて素晴らしいですね」
とか抽象的というか、全体的にフワッとした感じで褒めると
「自分は仕事もファシリテーターもできるんだ!他の発達障害のダメ人間とは違う、素晴らしい、優れた、常に正しい人間だ!」
と慢心したり、変な勘違いをする人も多くて、かえって間違った方向に進んでしまったり、うまくいってたのがうまくいかなくなってしまったりしまうこともある
褒められたことを自信とか自己肯定感になるのは良いですが・・・
 
あとファシリテーターさんも大変だと思いますけど、参加者の方も、平日は仕事で疲れ切ってて、やっと来た休日にゆっくりしたい、旅行に行きたい、趣味をしたいと思っておられるなか、わざわざ会に来てくださっている。
そういう参加者の方に
「今日はわざわざ当事者会に来て良かったな」
と思って帰ってもらうためにも、会話が苦手な参加者でも、会話に参加しやすいように配慮して、心を砕いていくことがファシリテーターは大事
 
ただ
「参加者のために頑張ろう!人の為に尽くそう!」
と変に滅私奉公みたいに頑張ると、自分のメンタルをすり減らしてしまう・・・
自分が楽しんでいないと、他人を楽しませられない
という言葉もありますが
参加者の方に
「いやあ、今日は楽しかった!わざわざ当事者会に来て良かった!」
と思って帰ってもらうためにも、まずは自分が楽しんでいないといけない
ただ、自分だけ楽しんでいると、参加者を楽しんでもらうことはできない・・・
しかし参加者に楽しんでもらうには、自分は我慢しないといけない・・・
というジレンマがある・・・
 
戦国無双信長の野望三國無双三国志は違う楽しみがあるように(?)
パワプロでも試合とかサクセスと栄冠ナインやペナントは違う楽しみがあるように(?)
当事者会に参加者として参加するのと、ファシリテーターとして参加するのとでは、違う楽しみがあると思いますね
 
参加者として参加するのは、自分の話したいことを話すとか、他人の話をしっかり聞くとか、他人の悩みとかその場の話題に対して解決策とか意見を述べるとかをやればよい
 
ファシリテーターは場合によっては意見とか考えを述べていく必要がありますが
基本的にはみんなが話せているか?発言ができているか?一部の人だけが楽しくて、他の人は楽しめていない会ではなく、みんなで楽しめている会になっているのか?自分が話したいことを話すというよりは、参加者が話しやすい環境や雰囲気を作れているか?
(ファシリテーターの人が一方的にずっと話し続けるのは、講演という形式になる)
ということを考えて
いい雰囲気の当事者会を作る、マネジメントするのが目的になる
 
だから参加者は
「今日は当事者会で自分の話したいことが話せて良かった。人のいろんな話を聞けて良かった」
とかが達成感になると思うが
「今日はみんなが楽しく話せてたようで良かった。そういう場を開催できて良かった」
と、ファシリテーターは会のマネジメント、管理にやりがいや達成感を見出すことだ
そのためには自分だけではなく相手(参加者)も楽しいと思える会にしていく必要がある
 
そうすると自分の考えを押し付けるのではなくて、
「相手(参加者)にとって楽しい会とは何だろう??」
と相手(参加者)の立場に立って考えることが大切だ
そのためには気配りとか気遣いとかが大事になってきますね
 
あと目の前だけじゃなくて、会全体を見渡して
「みんな楽しめているのか?一部の人だけが楽しくて、他の人は楽しめていない会ではなく、みんなで楽しめている会になっているか?」
会全体を見渡す視野の広さも必要
そうやって自分のことだけでなく、しっかり周りを見渡して、全体に気を配れる人間になるのが大事ですね
 
できれば、参加者の短所ではなく、長所を活かせるような会ができたらいいですね
そのため、みんながより楽しめる会にするために、様子を見ながら進行を変えていく必要がある
たとえば参加者が積極的に発言する人が多かったら
「なるほど、そうなんですね~。他に意見はありますか?」
と聞き役とか進行に徹していく
参加者があまり自分から意見を言わない人が多かったら
「最近は梅雨が長引いて、雨が続いていますが、みなさんはどう過ごしていますか?」
「最近にハマってる趣味とかありますか?」
「自分は発達障害の生きづらさを緩和するために、本を読んだりして何かに没頭できる時間を作るようにしていますが、みなさんは何かやられていますか?」
と、こちらから話しを振って盛り上げていくとか、みんなが話しやすい雰囲気を作ることですね
 
あと、「自分はこういう会をしたい!」という信念は大事ではあるが、参加者の
「もっとこうしたほうがいいのではないか?もっとこうしてほしい」
という意見にも耳を傾けるべきだ。でないとファシリテーターが突っ走ってしまって、他の参加者がついてこれなくなる。
かといって参加者の意見を聞きすぎても、参加者の意見に振り回されてしまう・・・
参加者の意見を聞きながらも、自分の信念のもとに決断して、参加者も自分もWin-Winになれるようなバランスを見つけることですね
 
 
 
 
なんかいろいろと言ってしまったが、参加者の人が楽しみやすいように気配りや気遣いができて、全体を見渡す視野の広さがあって、参加者の意見をしっかり聞くが、聞きすぎないバランスがとれる人。というのが良いファシリテーターだと思いますね
 
ここまでできれば良いファシリテーターと言える
・・・・・・と言いたいところだが、ここで別の問題が出てきてしまう・・・
 
そもそも、わざわざ当事者会の主催してファシリテーターをやるのはなぜか?
発達障害の人はコミュニケーションがうまくとれない人が多いので、一般社会のコミュニティではなかなかうまくいかない人が多い。だから発達障害の、発達障害による、発達障害のための当事者会を開いて、発達障害の悩みを話し合って分かち合うために当事者会を開いている。
 
ところが、発達障害の特性とか本人の性格とか価値観とか人生観とかにもよるが
・自分のことだけ考えるのではなく、周りに気配りができる
・目の前のことだけじゃなくて、周り全体のことを考えられる
・周りの人が楽しめる雰囲気を作れる。空気が読める
・周りの意見をしっかり聞きながらも、最後は自分で決断して自分の意見を言える。自分と周りとのバランスをとれる
というところまでできる人というのは、基本的には上(一般社会)でも普通に通用するケースが多い
そうなると
「あれっ、わざわざ面倒くさい当事者会の主催、ファシリテーターをやるんじゃなくて、上(一般社会)に行けばいいんじゃないか?」
となってしまって、下(当事者会)を卒業してしまう
 
良い、素晴らしいファシリテーターになると、上(一般社会)でも通用するようになってしまい、下(当事者会)を卒業してしまう・・・というジレンマがあるな・・・
 
 
その人の人生観とか価値観にもよるが・・・・
やはり所詮は社会適合者のふきだまりで、社会性がない人ばかり下(当事者会)よりも、社会でまっとうに生きてる人たちの上(一般社会)のほうが、しっかりした考えの人が多くて、関わっていても楽しいし、
「下(当事者会)の人と違って、一般社会でやれてる人はすごいなあ・・・。自分も頑張ろう!」
と、刺激をもらえて成長させてくれることも多いですしね
「もう下(当事者会)にいても意味ねえな」
と思ったら上(一般社会)に行ったほうがいいでしょう
 
 
プロ野球の2軍選手も、目の前の2軍の試合で頑張って、2軍チームのリーグ優勝、日本一を目指すことが大事ではあるが
最終的には1軍に上がって、1軍で活躍して、1軍のチームの優勝に貢献することが一番の目標なように
 
下(当事者会)でファシリテーターとしていろんな経験を積んで成長して、上(一般社会)に行く、というのも1つのサクセスストーリーなのかもしれない

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想6 発達障害の人は考えが浅い

発達障害の人は考えが浅い

 
当事者会に行くと感じるのは、やっぱり下(当事者会)にいる人というのは基本的に考えが浅いですね

理解と配慮とは?

たとえば「会社や社会は発達障害の人に対して理解と配慮をするべきだ!」という意見を聞きます
なるほど、たしかに今の社会は発達障害への認知度は上がってきているけれども、まだまだ理解や配慮があるとはいいがたい
よってこの「会社や社会は発達障害の人に対して理解と配慮をするべきだ!」という意見は素晴らしい意見と言える。おわり
 
・・・と言いたいところだが・・・
「理解と配慮」っていうけど、「理解と配慮」って言っても具体的に何ですか?何をしてもらいたいんですか??
まずそこからですよね
 
あと以前に述べた個人的な意見を述べさせていただくと
「仕事のメモはどう取っているのか?
to doリストや、やるべきリストはどういういうのを使っているのか?どうやってやるべきことをまとめているのか?
当事者会などのメモは、どうやって取っているのか?
(日記はどう書いているのか?)
カレンダーなどの予定管理はどうやっているのか?
早く寝るために、どんな工夫をしているのか?」
という工夫を自分なりにやって上で
「これはいくら努力や工夫をしても、どうしてもできないことなので、これに関しては理解と配慮をしていただきたい」
というのであればわかる
 
しかし、これらのことをやっていない、自分の生活を自分自身で理解や配慮ができていないような人間に対して、赤の他人が何をどう理解して、どう配慮しろと??
自分の生活を見つめ直してやるべきことができていないのに、
「社会や他人に理解や配慮しろ!」
とか言うのは、ただの理解や配慮の乞食、物乞いと言わざるを得ない
 
こうやって言うと、
「うるさい!!悪いのは発達障害の人に対して理解と配慮がない会社や社会だ!
なんでそれがわかりやがらねえんだ!お前の頭はおかしいんじゃねえのか??」
と逆ギレして発狂して、わけのわからない、ブーメラン発言を連発する人が多いですね
まあしっかり話したところでわかってもらえないケースも多いですが、それでもわかってもらいやすいように他人に説明するのが大事じゃないんですかねえ
 
それにしても同じことしか言わない人も多いなあ。バカの一つ覚えかよ
 
そうやってワーワー愚痴を喚き散らしていれば、発達障害の人だと
「この人は発達障害からしょうがない」
と周りの家族とか支援者が気を利かせて意を汲んでくれて、都合の良いようにやってくれますが、一般社会ではただの駄々っ子と呼ばれますね
一般社会だと小学生か幼稚園レベルの行為なんで、
「小学生か幼稚園から人生をやり直せ」
と言われますね
 
 

思いつきで発言してしまう

おっと、少し愚痴を書きすぎたか・・・
定型の普通の人とか、バリ層の人だったら
「自分はこう思う。けど周りの人はこう思う、こう考える人もいる。じゃあこう言おう」
と考えてから発言している
 
けどムリ層、ギリ層だと
「自分はこう思う。だからこう言う」
と何も考えずに、思い付きだけでパッと言って終わりのことが多い
(これが奏功して初対面でも気兼ねなく話せるのですぐに仲良くなれることもあるが、何も考えずに発言しているので、そのうちに
「なんでそんなひどいことを言うの?」
「お前、本当にデリカシーがねえな」
と嫌われて絶交されるのが、発達障害の人が毎回繰り返す展開のパターン)
 
だから
「でもこういう意見もあるよね?こう考える人もいるよね?」
「けどそれが当てはまらないときもあるよね」
「それはあなたの都合を他人に押してるだけだよね」
などの反論には弱くて、答えられずに発狂するか、ファビョる人が多い
 
 
それにしても「弱い犬ほどよく吠える」という言葉がありますが
「攻めには強いが、守りに弱い」という人が多いですね
 
 
武田信玄が用いた「風林火山」という旗印は
「その疾きこと風の如ごとく
その徐かなること林の如く
侵掠すること火の如く
動かざること山の如し」
という意味ですが、
 
下(当事者会)の人は
「自己防衛本能に従って、保身のための言い訳の速きこと風の如く
正義感や怒りに任せ、言い立ててまくしたてること火の如し」
という人が多く
「『沈黙は金』の如く、むやみやたらに動くのではなく、あわてず冷静に静かに状況を見極めること林の如し
相手や他人を無視して、黙々と自分のやるべきことを淡々とやる
もしくは一喜一憂せず、感情的に動かずに耐え忍ぶこと山の如し」
ということができない人が多い印象がありますね
 
 
 
大学を出てたり、企業でプレゼンテーションとかやってる人だったら
「自分はこう思います」
という意見に対して
「でもこういう意見もあるよね。あとこういうリスクもあるよね。そこらへんどう考えてるの?」
と教授とか上司に意地の悪い質問をされて、それに答えさせられたりするから
「Aという意見のほかにも、B、C、Dの意見がある。その中でも自分はこう思う」
と説得力を増すために、いろんな意見や可能性を聞いてから、自分の意見を決めることが自然とできるようになっていく
だから話してても
「単なる思い付きで発言してるんじゃなくて、結構考えて発言してるなあ」
というのは感じますね
逆に
「こいつは思い付きでパッと言ってるだけで、何も考えてないな」
と考えが浅いと思う人は、高卒が多い気がしますね
 
 
では、考えが浅い人が、しっかり考えられるようになるにはどうすればいいか
 
急にできるようにならないので、日ごろからそういうことを意識することですね
 
 
その点、イイトコサガシワークショップは、イイトコドリリストやちょっとでも好きの8つのテーマで多面的に考えられるようになるワークショップもあるので、イイトコサガシに参加することで、しっかりと考えられるようになる人間になれるだろう

二元論、白黒思考の限界

あと、発達障害の人は特性の関係上
「良いか悪いかの二元論、白黒思考の極論でしか考えられない」
「1つの問いに対して、1つの答えがあれば満足する」
という人が多い
こういう人は多面的に考えられる人と議論すると、まず勝てないですね
 
たとえば
「当事者会で一方的なマシンガントークをする人がいたらどうするべきか?」
という議題の議論で
 
「一方的なマシンガントークをされると、周りの人がハイペースで聞きっぱなしになって疲れてしまうので、さっさと出禁にするべき」
という「当事者会に一方的なマシンガントークをする人間は不要である」という考えの意見に対して
 
「いや、発達障害の特性によって居場所がない人のための当事者会なんだから、もし当事者会から追い出してしまったら、その人は行き場所がなくなってしまう。それに、悪気があってやっているわけではなく、発達障害の特性で一方的なマシンガントークになってしまっているのだから、同じ発達障害の人間が集まる当事者会として理解していくべきではないか」
という「当事者会に一方的なマシンガントークをする人間にも理解していくべきである」と反論したとする
 
ここまでは互角か、もしくは互角以上かもしれない
 
だが、もし相手が多面的に考えられる人だった場合は
「一方的なマシンガントークをする人は、自分の思いついたことを言うだけで、他人の話を聞かない、聞けない。なので『もっと他人の話を聞こう』と言っても一切聞かずに、ずっと自分の話をし続けるので、どうしようもない」
「一方的なマシンガントークをし続けるということは、他の人は聞き手に回らざるをえず、自分の話をできないということになる。他の人が話す時間を奪っていると言えるので、これは当事者会で他人の時間を奪っている泥棒と言える」
「また、こういう人は早口でまくし立てるような口調の人が多いので、周りの人のメンタルが疲弊して擦り減ってしまう。また、こういう一方的なマシンガントークをし続ける人というのは、悪口とか愚痴をずっと言ってる人が多いので、周りの空気や雰囲気が悪くなってしまう」
「一方的なマシンガントークをする人がいると、『・・・えーと、何の話をしてたんでしたっけ?』と、そこで会話の流れが完全に止まってしまう。周りの会話の流れをせき止めることになる」
「こういう一方的なマシンガントークをする人というのは、相手や周りの表情を全く見ていない。相手が聞き疲れていても、さらに一方的に話し続けて、相手を疲れ切ってさせてしまいがちである。せっかくわざわざ当事者会に来たのに、逆に疲れ切って帰ってしまうことになる」
「つまるところ、一方的なマシンガントークをする人は、周りのメンタルを壊すこともあるし、下手をしたら当事者会そのものを壊す可能性もある、チームブレイカーである」
「もし一般社会で一方的なマシンガントークをすると、次回から人間扱いされなくなる。それぐらいめちゃくちゃ嫌われる」
発達障害の人間は言われるまで自分の悪いところに気づけない人が多いように、一方的なマシンガントークをする人というのは『自分は何も問題はない』と思ってる人が多い。『お前のせいで、周りの人間がどれほど迷惑していると思ってるんだ!』とはっきりと言ってあげたほうが良い」
 
と多面的に考えられる人から、いろんな角度からの様々な意見を述べられると
それらの意見に対応できずに数で押し切られてしまう
 
ラグビーでいうとスクラムやモールで押し込まれるイメージ
 
というか、野球のピッチャーでいうと直球で押すだけじゃなくて、多彩な変化球でかわされて打ち取られるように、いいようにうまく手玉にとられてしまう
 
「良いか悪いかの二元論、白黒思考の極論でしか考えられない」
「1つの問いに対して、1つの答えがあれば満足する」
という人は、多面的に考えられる人には一生勝てないと思ったほうがいい
こちらも多面的に考えられるようになるしかないですね
 

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想5 仕事で創造性は育たない

仕事で創造性は育たない

前にも述べたが、仕事というのは基本的にルーティンワークやパターン化でできる
だから会社の仕事っていうのは、決まったことをしっかりやっていればそれでいい
 
けれども、会話というのは創造力が必要である
単に決められたことを言うだけじゃなくて、そのから想像力(創造力)を働かせていかないと、なかなか面白い会話はできない
 
 
特にこれからの時代は人工知能(AI)の時代が来る、とよく言われています
今でもAmazonで買い物をしたら
「よく一緒に購入されている商品」
「あなたにおすすめの商品」
とか出てくるし
 
Yahoo!でいろいろニュースを見ていると
履歴を参考にして
「あなたにおすすめのニュース」
とかも出てきますし
 
Googleなんかでも、検索履歴とかから、興味ありそうなニュースを表示してくれたりしますね
 
もう今でも、情報に関連したニュースをパッと人工知能(AI)が勝手に判断して、集めてくれる時代になりました
 
ところが、いかに今後、人工知能(AI)が進化したところで、感情を表現するとか、感情を込めて話すといったことはできるようにならないだろう
たとえば「コロナウイルス」について人工知能(AI)に調べさせたとしても
「本日の日本や世界のコロナウイルスの感染者数、死亡者数」
コロナウイルス対策の安倍首相、小池都知事、専門家の発表」
とかのニュース記事とか、せいぜい関連すると思われるTwitterのツイートを集めるとかはできるだろうけど
 
コロナウイルスの感染が広まって悲しい・・・」
コロナウイルスの影響で人が集まるイベントが軒並み中止や延期になってぴえんぴえん・・・」
コロナウイルスの自粛期間に、部屋にいることが増えて、映画とか漫画を見る時間が増えて、見識や感性が広まって良かった」
とかの自分の感情とか感想を話し始めることはない
これは人工知能(AI)がいくら進化してもできるようにならない、人間にしかできないことですね
 
逆にデータの羅列しか話せないと、下手したらこれからの時代は
「お前と話すよりPCやスマホ人工知能(AI)のほうが情報が正確だし、もうお前はいなくていいよ」
と言われてしまう可能性がある
そういう時代なんで「感情を表現する」「感情を込めて話す」「想像力、創造力」といったものは、これからの時代では特に大事になってくると思いますね
 
 
いずれはパワポケとかみたいにサイボーグが普通になる社会が来るかもしれない・・・
けど仮にそうなっても、
「努力してこそ、苦労してこそ、成し遂げたってことなんだよ」
とかの、人間の感情はこれからも必要、不可欠なものとされ続けるだろう

発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ (こころライブラリー)を読んだ感想4 失敗をする

失敗をする

発達障害の少しでも生きづらい人生を脱して、幸せにいきるためには、いろいろ失敗することだ

 

 

 

 

新しいことをする

「何言ってんだお前。発達障害の特性でミスや失敗してばかりだから人生がうまくいかず、生きづらい人生を送ってるんだろが!ふざけるな!」
と言われるだろうが・・・
 
少し言い方を変えると新しいことをするということですね
これまでの人生が順風満帆ならば、変にリスクを冒して新しいことをするより、これまでの生き方を続けたほうが良いかもしれない。けれども、これまで生きづらさを感じてうまくいかない人生を送っていた人が、これまでと同じような習慣、同じような考え方で生きていても、なかなか人生がうまくいくようにはならない
だから無理しない程度に、どんどん新しいことに挑戦していくことが大事だ
 
発達障害による生きづらさを克服するには、いろんな方法があるとは思いますが・・・
一番は自分自身を日々成長させていくことですね
 
では自分自身を日々成長させていくにはどうすればいいだろう?
これもいろいろな方法があると思いますが、一番は新しいことをすることですね
たとえば
ヨガとか瞑想とかやってみるとか
ストレッチとか筋トレを始めるとか
TwitterだけじゃなくてFacebookもやるとか
新しい趣味をやってみるとか、新しいことにチャレンジしてみるとか
とにかく何でも新しいことをやってみることですね
 
 
 
(ただ変に
「よし、腕立て伏せ、腹筋、背筋を毎日100回やるぞ!」
とかやると3日坊主になって挫折して自信を失うので
最初は少しずつやるのがいいみたいですね)
 
 
 

失敗による成長

 
しかしながら、新しいことでもパッと器用にすぐにこなせる人だったらいいが、発達障害の人は不器用なので、新しいことをするとうまくいかずに失敗することが多い・・・。
特に新しいことをやっていくと、これまでと違う生活リズムになって生活リズムが狂って生活全般がうまくいかなくなったり、それによってこれまでしなかったミスやトラブルが頻発してしまったり、それによってストレスが増えて心労が増してしまうときもある
 
あと、
「もっと休日をアグレッシブに過ごそう!」
と無理やり張り切りすぎて、身体に疲労がたまってしまい、平日からの勤務に支障が出てしまったり
「どんどん新しいものを買って新しいことを始めよう!」
とガンガンお金を使ってしまうと、生活費が足りなくなってしまって困ったりと
保守と革新、持続と挑戦、ディフェンスとオフェンスとのバランスも大事で、このバランスを変に崩すと人生がうまくいかなくなってしまうこともある
なので変に新しいことをやるよりも、これまで通りの自分のリズムで、これまでと同じ習慣や考え方で生きたほうが良い。おわり
 
 
・・・・・・と言いたいところだが、先ほど述べた通り、これまで生きづらさを感じてうまくいかない人生を送っていた人が、これまでと同じような習慣、同じような考え方で生きていても、なかなか人生がうまくいくようにはならない。むしろ、なかなか人生がうまくいかないまま、だんだん年だけとっていって、どんどんジリ貧になっていく恐れもある
 
自分もこの矛盾に悩んだことがあったが、「失敗が多いということは。それだけ新しいことに挑戦して成長していっている証拠だ」というネットニュースを見て合点がいきました 

2019年8月25日㈰のイイトコサガシ 話のネタを確実に増やすワークショップに参加した感想 - にっし~の日記

 
 
新しいことをやって失敗するうちに
「今回はうまくいかなかったけど、こうやったらうまくいくんじゃないか?」
「結果は出なかったけど、自分の中では前回より成長していけてるしいいや」
成功のきっかけをつかめることも多い
失敗は成功のもと
という言葉がありますが、失敗なくして成功はない
 
 
筋トレをやってる人はわかると思いますが、人間の筋力というのは、まず刺激や過負荷をかけることで筋組織が傷つく。しばらくすると筋組織は回復するけれども、そのときに以前よりも太くなって回復する
それといっしょで、新しいことをやっても、最初はうまくいかずに失敗することも多いけれども、経験値を積んだりして、だんだん身体が慣れていくことで成長していくことで、失敗やミスが減って成功が増えていく
だから最初はミスや失敗ばかりで大変かもしれないが、そこを乗り越えて成功できるようになる
それはつまり
「これまでできなかったことが、できるようになっている」
ということなので、自分でも気づかないうちにすごく成長することができる。そうすると
「最初は失敗やミスばっかりだったけど、今はこんなにもできるようになった。自分は新しいことをやることですごく成長できた。良かった。これからもっと新しいことをすれば、もっと成長、成功できるはずだ」
と、その達成感がものすごい自信になる
 
「自信」とは「自分を信じる」と書きますが、自信っていうのは自分で作るしかない
自分に自信が持てると、生きづらさもだいぶ緩和されてきます
結局、発達障害の人がこの社会を生きづらく生きるか、そんなに生きつらさをあまり感じずに生きるかは、環境とかにもよるところもありますが、結局は自分自身によるところが大きいと思いますね
 
 
 
自分の親族にたまたま京セラに勤めておられる方がおられるので、京セラの話を聞くことが多かったが、
京セラでは
「やってみて成功するのは良い。
やってみて失敗しても、その経験がいずれは成功につながるから良い
やらない、やってみないのが良くない」
とする会社の風土らしいですね
 
やらない、何もやらずに家に引きこもるのが一番よくない、というのはイイトコサガシファシリテーターさんと通じるところがある考えだと思いますね
 
 
 
 

失敗は悪という固定概念を壊す

あといろいろ失敗していくと
「別にこの失敗で自分の生活とか、他人にすごい迷惑や損失になるわけでもないしな~。失敗やミスはそんなに悪いこと、大したことじゃないのな」
失敗することに抵抗がなくなっていく
発達障害の人は
「失敗してはいけない」
という固定観点が強い人が多いので、それを壊せるのは大きい
 
それに
「『これやったらうまくいくと思ったんですけど、大失敗をしてしまいましたよ』と笑い話になるな」
と他人と話すときの話のネタにしたり
「自分もそのやり方のほうが良いんじゃないか?と思ってやってみたんですけど、自分には合いませんでした。だから自分はこっちのやり方をしています」
と説明できるようになって、自分のやり方に説得力が出る
 
 
 
以上、発達障害の少しでも生きづらい人生を脱して、幸せにいきるためには、いろいろ失敗することだと思いますね
 
 
先ほど述べたとおり「失敗は成功のもと」のとおり、失敗を通して経験して人は成長していく
ただ、一応言っておくと、その失敗を「なんで失敗したのか?」と反省なりして、次の成功のために生かしていくことが大事ですね
 
特に発達障害の人だと、良かれと思ってやったことでも、多くの人を巻き込んだ挙句に、迷惑だけかけて終わってしまった大失敗をした人が、翌年とかにまた同じように多くの人を巻き込んだ挙句に、また大失敗して迷惑だけをかける。という無限ループを繰り返してる
「この人は何を考えて生きているんだろう??学習能力がないのかな?何をして生きてるんだろう??」
と感じる人もいますね
PDCAをやるとか、次に生かしていく必要がありすね
 
 
 

失敗ができる場所

特に人間関係とかコミュニケーション力は、多く失敗しないと上手くならないですしね
 
たとえば野球がうまくなりたいと思うなら、野球の本を読むとか、野球関係のYouTubeを見るとか、パワプロとかプロスピとかやるのもいいですけど
やはり当たり前だが、野球をやる、野球の練習をするのが一番野球が上達する
 
 
それと同じようにコミュニケーション力を上げるには
心理学とかコミュニケーションの本を読んだり、コミュニケーション系のYoutubeを見たりするのも良いことですが
コミュニケーションをやり続けて、実践の中で失敗しながら学んでいくしかないですね
特に会話とか話すとかコミュニケーションっていうのは、経験とか知識とかも大事だけれども
「あっ、なんだ。こうすればいいんだな」
という感覚をつかむことが大事なので、どんどん経験していくことが大事ですね
こういう自分なりにコツや感覚をつかめると、ある日突然、会話が急にうまくなることもあるのが面白いですね
 
 
ただ、会話とか話すとかコミュニケーションとかは、会社で変な失敗すると
「ウザい奴」「ムカつく奴」「ジコチュー」「人間のクズ」「いらない人」「いないほうがいい人」
と思われてしまって、居場所がなくなってしまったり
発達障害の○○?そんな人はそもそもこの会社にはいない。というか、そいつに関しては嫌な思い出しかないので、その名前は出さないで欲しい」
と思われて、その後うまくいかなくなる可能性があるので、あまり思い切った失敗はできないですね・・・
 
というか会社や仕事っていうのは、そこで失敗して会社で迷惑をかけた場合、解雇になるどころか損害賠償とかの話になる可能性もあるので、変な失敗はできない
 
 
では発達障害の人が失敗を通じて会話やコミュニケーション力を伸ばすにはどうすればいいだろうか?
まずは当事者会に参加することですね
当事者会では、悩みを分かち合うことで、同じ発達障害の人同士で対人スキルなどを失敗しながら磨けるのがいいですね
とはいえ他の参加者も同じように生きづらさや悩みを分かち合うために、せっかく休日にわざわざ集まっているのだから、自分勝手なことをして他人に迷惑をかけることは、やはり許されない
けれども、当事者会だったら
「みんなに迷惑をかけてしまって、本当にすいませんでした」
と心から謝れば
発達障害の特性で人間関係がうまくいかないのはしょうがないよ」
となって、なんとかなることも多いので、失敗しやすい環境だと言える
 
前述したように会社で失敗するとクビとかになる可能性があるので、当事者会で
「自分としてはこれが正しいと思っていたけど・・・それでは人間関係とかうまくいかなくなるね・・・」
「自分が正しいと思ってたけど、こっちのほうが正しいのか」
とかいろいろやって失敗や成功をして、経験値を稼ぐべき
何回も言ってるとおり、これまで生きづらさを感じてうまくいかない人生を送っていた人が、これまでと同じような習慣、同じような考え方で生きていても、なかなか人生がうまくいくようになるのは難しい。どんどん新しい考え方を取り入れて、どんどん実践して、どんどん失敗していったほうがいいですね
 
ただやみくもにやっても他人に迷惑をかけるだけなので
「自分はなんで上(一般社会)で通用しないのか?何が足りないのか?」
という課題をしっかり持って
「どうしたら上(一般社会)でもうまくいくようになるんだろう??」
としっかり考えて実践することですね
 
一応言っとくと
「とにかく失敗して他人に迷惑をかけまくろう!」
というのは、ただのクズ人間なので
「もっとこうしたほうが良いのでは?けど変に変えて周りから変に思われたり、反感を買ったりしたら嫌だなあ」
と思っても、たしかに会社とかだと周りと違うやり方をやると怒られたり、周りの迷惑になってしまう可能性があるので
当事者会とかプライベートとかでは、できる限りリスクを承知でいろいろやったほうが良い、ということですね
 
当事者会で失敗してしまっても、パワポケみたいに消えたり、しあわせ島に送られることもたぶんないので、ここでいろいろ試行錯誤することですね
 
 
 
ところが、一部の当事者会では失敗するのは難しい会もある
以前に述べたとおり、二次会で悪口大会を始める当事者会のことだ
発達障害の特性がひどく、あまりにも自分勝手で平気で他人に迷惑をかけるような人を
発達障害だからって、あんなことはしてはいけない」
と反面教師にするのはいいと思いますし
「いくら生きづらさや悩みを分かち合う場所といっても、あまりにも他の人に迷惑をかけすぎてはいけないんだ」
と、その人だけじゃなくて、みんなが楽しめる会にするためにも、時には厳しい対応が必要になるときもある
特に発達障害の人は、他人に言われるまで気づけない人も多いので
「何が良いのか?何が悪いのか?みんなにとって良い当事者会にしていくにはどうすればいいか」
ということを十二分に話し合って、その当事者会としてのコンセンサス(一致した見解)を得たうえで
「あなたの勝手な言動のせいで、他人にどれほど迷惑をかかってると思っているんだ!」
と厳しく指摘することが必要なこともある。一人の自分勝手な行動で、他の参加者のメンタルを疲弊させて壊したり、下手したら会そのものを壊すときもありますからね
 
 
 
 
 
この漫画でも発達障害の(無自覚な)言動によって、他人や周りに迷惑をかけている。というか他人や周りの人を「カサンドラ症候群」に陥らせて、メンタルや生活環境を破壊していますしね。
ただ、だからと言って二次会で単に困ったちゃんとかの悪口大会をひたすらやりまくるだけだと
「自分も同じようなことを言われないように、変なことはしないようにしないとなあ」
「『あの人って、困ったちゃんを散々にボロカスに言うクセに、自分も結構失敗とかミスとかしてるよねw』と他人から陰口を言われたくないなあ」
と考えて、くだらないプライドができてしまって、当事者会で失敗とか思い切ったことはできなくなる
 
そうすると
「どうすれば失敗しないか?恥をかかないか?」
と考えてしまい、とにかく無難な言動に徹しがちになる。
そうなると、当事者会ではマシなほうだけど、上(一般社会)ではイマイチで下(当事者会)でしか通用しない当事者会の帝王になってしまい、1.5軍の中途半端で微妙な存在になりがちである
 
あと、こういう会の下(当事者会)のレベルとか、良くて1.5軍の奴らは
「自分は当事者会ではマシなほうなのに、一般社会ではうまくいかない・・・。これは一般社会が発達障害への理解と配慮が足りないからだ!」
という保守的な考えが強く、そういうところで
「いや、いろいろ失敗をしていろんな経験して、自分自身を成長させていくべきじゃないか?」
とか言うと
「そうやって周りの空気を読まずに、自分だけの考えを一方的に主張するのは、発達障害の特性だ!」
として、こっちが悪いみたいにボコボコに叩かれたりする
 
それにしても当事者会では
「日本の『普通はこうすべき』『普通はこうあるべき』という一般社会の同調圧力発達障害の人を苦しめてるんだ!もっと人間の多様性を認める社会になるべきなんだ!」
という主義主張をするクセに、気に入らない他人には同じように当事者会の同調圧力で潰しにかかったり、
「周りがみんなそう言ってるし、おかしいのは自分の考えではないか??」
と思わせて洗脳したり
 
「自分がされるのは嫌だけど、自分が他人にやるのは構わない」
という行動を無意識だろうけどやってしまうのは、定型とか障害者とか関係なしに、ただのクズ人間じゃないかと思いますけどね
 
まあ
「○○が悪いんだ!自分は悪くないんだ!!」
とする、自分以外の敵がいないと、自分の自我や精神の均衡を保てないのかもしれませんが
(本家のニコ動)
 
 
 
・・・おっと、思わず愚痴が長くなってしまった・・・
当事者会でも
「同じ障害の悩みを持つ人たちで話しあって、悩みを分かち合いましょう」
って会で
「適当に集まって話し合って、傷の舐めあいができればそれでいい」
って保守的な考えの人が多い会だと
「いや、いろいろ失敗をしていろいろ経験して成長して、上(一般社会)でも通用するような生き方、考え方をしていくべきじゃないか??」
という考えを表明すると、ウザがられたり、叩かれたりするので、なかなか当事者会でいろいろ失敗して成長するのは難しいかもしれない
 
けれでも新しいことをやって失敗しないと、なかなか自分自身の成長がない・・・
どうすればいいか・・・
 
発達障害の悩みを一人で抱え込むのではなくて、当事者会に参加して、他の人と悩みを分かち合うことが大事だ」
という考え方もあるが・・・ただそれは(多数の)他人が勝手に言ってるだけであって
「この会は本当に自分が正しいと思ったことを言える会なのか?自分が成長していける会なのか?」
という考えをもって、本当にこの会に参加することが自分の成長につながるのか?自分の人生に必要なのか?ということは考えていく必要はありますね
 
ここに自分の居場所はない、必要とされていない、または自分にとって必要ではないと思ったら、さっさと去ることも、ときには必要だ
 
 
 
 
前置きがかなり長くなったが、そう考えていくとこのイイトコサガシは、とにかく新しいことにどんどん挑戦して、失敗や成功をして成長していける、いろいろ試せるワークショップで、どんどん失敗ができる場所である素晴らしい場所だと思いますね